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牧野信一の『嘆きの孔雀』をどう読むか⑦ 月光姫か

 前回は芥川が金の話ばかりしていると書いた。

 そんなこともないな。季節感がなくなっているという話を書いた。しばらく平野啓一郎の『三島由紀夫論』が忙しくて、間が開いて、解らなくなっていた。冷静に眺めれば三島由紀夫が10であれば牧野信一は6であり、平野啓一郎は0.2なのに、どうもバランスが欠いている。

 どうにかしなければならない、と焦れば焦る程霧と雨は毒瓦斯のやうに私の口や鼻を侵して来ました。丁度夢の中でお化に追ひかけられて、逃げやうと悶けば悶く程身体の自由がとれない時のやうなのが、夢ではなく目の当りに打突つかつたのですから、いくら強い私だつてどうすることも出来やう筈はありません。私は地面へどつかり坐つて仕舞ひました。――と同時に家で心配してゐる母や友達の顔などがまざまざ写つて来ました。
 私は何といふ親不幸なことをしてしまつたのだろう、友達はどんなに心配して私達の行衛を探してゐる事だろう――私は羽織を脱いで顔を圧えて仕舞ひました。私はこの儘激しい霧と雨とに息の根を絶たれてしまふかもしれなくなりました。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 ええと、この人強かったんでしたっけ?

 で、寒い冬の夜に羽織なんか着ていたんですね。

 そもそも室内にいたのに履物はどうしたんでしょう。

 裸足?

 下駄?

 美智子たちもそうですよ。

 室内にいたのに、足元は?

 と言いながら実際にはこれは「私」が美智子と艶子さんに聞かせている噺で、三人とも裸電球の下にいる筈なのですが、そうした現実感の喪失というものが確かにありますね。

 少し雨の音が小さくなりましたので――それ迄はとても眼を開く事などは出来なかつたのですが――私はそつと羽織の隙から顔を出して見ました。――すると、まあ、どうでせう――何といふ美しさでせう、雨は五彩に輝いて居るじやありませんか。さうして霧は低く降りた虹なのでせうか、七色の光沢をもつて居りました。今度はその美しい雨と霧が火焔のやうに渦巻いておそつて来ました。
 いよいよ駄目だ――もう息が止まつて仕舞はうとした瞬間!
 なんとした不思議でせう!
 雨はぴたり、とやむで仕舞ひました。霧は丁度孔雀が羽根をつぼめるやうに見る見る消えおさまつてしまひました。私はぐつたりとして野原へ倒れてしまひました。死から救はれた私は大変に疲れてしまつたのです。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

  やまない雨はないということか。私の陰鬱な日々もいつまでも続くわけもなし、救われることはないかもしれないが、終わりは案外あっさり訪れるものなのかもしれない。
 それにしても東京の真ん中あたり、銀座の方、から野原にさりげなく移動されとりますなあ。
 それに夜に始まった話がやはり完全に夜ではなくなっておりますなあ。

 すると私の目の前に又孔雀が現れました。然も先刻と同じやうな姿で、同じやうにさめざめと涙をこぼして居るじやありませんか! 私はギヨツとして立ち上りました。
 ――もう、そんな涙に欺されないぞ、と私は五体にウンと力を入れて――
「二人をかへして下さい。」と震へさうになる声をやつとおさへて云ひました。孔雀は星の様に美しい瞳――然も銀の雨に打たれてぼつと滲むだ春霞の底から瞶めるやうな美しさで――顔を上げました。さうして暫く沈黙がはさまれた後に、
「私の話を聞いて下さい。」と、止絶れ止絶れに次のやうな話を初めました。私は嫌だとも云へませんし、その中に二人の事を孔雀が云ひ出すかと思ひながら、その儘耳を傾けました。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 そういえば『暁の寺』でもタイの宮殿に唐突に孔雀が現れて、何もせず追い払われていたなあ。

 この牧野の、「私は五体にウンと力を入れて」からの二人をかへして下さい。」と震へさうになる声をやつとおさへて云ひました。という緩急は「私はおろ/\声で云つてゐるにも係はらず」とか「いくら強い私だつて」といったアンバランスなキャラクターの小細工なのかな。

 どうも小手先のものではなく、根が深い感じもあるのだが。

「私は決して魔法使ひではありませんから安心して下さい。お話はずつと前の私の身の上から申しませんと解り憎いのですから、まあ暫くの間辛棒して聞いて下さい。
 私は実を申すと舞姫なのです。印度の貴族の娘に生れましたが、私は幼い時から舞が大変上手なのでした。さうして私の声は王宮の音楽師に涙をこぼさせた程麗はしいのでした。その上私は生れつきこの様に美しい姿を持つて居りましたから――私が七つの時初めて家の露台バルコニーで、月夜の晩に、お月様のために、私の即興詩を歌ひましたら――たちまちそれが評判となつたのです。王様は私のために金の冠を、西蔵からわざわざ鋳物師を招いて作つて下さいました。王妃は銀の首飾を、御自身のをはづして下さいました。夜露にぬれた花園の薔薇は、露台バルコニーに立つた私の着物に雨のやうに香水をふりそゝぎました。その夜の私の姿はどんなに美しいことだつたか、とても今は申されません。然し今もこんなに美しい私の姿を目の前になさつた貴方はその光景を想ひ浮べる事は容易いでせう。月は凝とたゝずみました。ガンジス河はその夜に限つて流れを止めたとも云はれて居ります。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 Chat-GPTでも書けそうなお話だな。月並みで薄っぺらい。それもそうか。機械学習って量が多いと正解になるので、尖れないんだろうな。

 牧野は?

 牧野は何をしようとしている?

 貴方はほんとうに幸福な方です。この美しい私と話を交すことが出来るとは何といふ幸福な方でせう。私の国では神より他に私を見ることが出来ませんでした。(と孔雀が誇り気に云ひましたが、私はそれどころではありません。美智子と艶子さんのことが心配で。)
 私はそれからといふもの、どうしても舞姫にならうと決心しました。兼々話に聞いて居つたインドラニーの森にアブサラといふ神女の群があるといふ事を知つて居りました。アブサラの神女は人魚のやうに美しいのです。インドラニーの森には昼と夜の差別がなく年中花が咲き乱れて小鳥はさらさらと流るゝ小川の岸で歌つて居るのです。神女の仕事といふのは、たゞ歌ふことゝ舞ふことだけなのです。アイラーヴイタと称ふ白鳥の形をした舟に銀の櫂でさほさしたり、蘇摩と称ふ美しい飲物を飲むだりして、永遠の春で永劫の月と星とのために心ゆくばかり歌ふことだけが務なのです。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 いや、それだけ安定しているということだ。妙な閊えがなく、すらすらと書けている。つまりすらすら読もうとすればすらすら読める。

 こ、これは……

 単なる御伽噺として詠めば単なる御伽噺だ。つまりややこしい導入部を無視すれば御伽噺として読むことさえできる。

 一国の中でたゞひとりの最も美しくさうして最も清らかな少女はアブサラの神女になることが出来るのです。アブサラの国では「虚偽」といふことは一言も許されないのです。たゞ「美」といふ一字だけが在るのみなのです。世の中では形だけが美しければ大概の場合は通りますが、そこでは形より以上に心の美が必要なのです。月の清光に歌うたふ乙女はその心はいつも空のやうに澄むでゐなければならないのです。こういふ意味で凡ての点から「美」として許された美しい乙女だけがインドラニーの森に入ることが出来るのです。その森に入れば「老」といふものがありません。美しい乙女はいつまでも美しくいつまでも清らかに、悲しみや苦しみから離れて――永久に楽しく暮すことが出来るのです。
 私は私の声がそのやうに美しく、さうして私の舞が王様のお誉にまであづかつた程大したものなのでしたから、私は屹度アブサラの女神のお仲間入が出来ることだろうと信じて仕舞ひました。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 しかし少しは理屈が入ってくる。御伽噺はさまざまな概念を都合よく排除して成り立つもので、だからこそ御伽噺なのだと。美の概念が相対的なもので比較可能であることを強調しながら決してその対概念を示さない。語り手の饒舌。ないことないことがどこまでも展開していく。それが御伽噺だ。

 そこで私は、一夜、それは月の美しい晩、花園の薔薇を惜し気もなく踏みつぶして――」
 と孔雀が続けやうとした時、私はいつまでたつても美智子のことを話し出さないので、もうそれ以上聞いてる余裕がなくなりましたから、
「時に私は大変にあの二人の事を心配してゐる者です。話の中ですが、どうか二人の行衛に就いて先に話して戴くことは出来ないものでせうか。」と尋ねました。
 さうすると孔雀は急に怒りの色を現して「貴方は何といふ愚な問をなさる方でせう。ほんとにあきれて仕舞ひます。世界中何処を尋ねたつて今私が話さうとする位美しい噺は決してないのですのに貴方はこの話を聞き逃せば屹度後で後悔しなければなりません。私がこれからどんなことを話すか――ゆつくりと貴方は聞いて居なければなりません。私は何といふ親切な孔雀でせう。」と云つて私を睨めました。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 決して相手の話に釘を刺してはならないのだ。孔雀は善意で、陶酔的で、おしゃべり糞野郎なのだ。

 ただ牧野はこうして御伽噺の欺瞞を何のためか突いて来る。その目的は何なのか。それはまだ誰も知らない。
 何故ならここまでしか読んでいないからだ。

 

[余談]

 アブサラ(舞姫)、蘇摩(神々が飲むお酒)などという言葉から元ネタとなるインドの童話などを逍遥したことが推測できる。


世界聖典全集 前輯 第6巻 世界聖典全集刊行会 編改造社 1930年

 いや、童話ではそもそも「蘇摩」の字はでてこないので、仏典を読んだか。

 推測は外れた。

 

仏教辞典 禿氏祐祥 鑑修洛東書院 1934年

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