芥川龍之介から斎藤茂吉に宛てた手紙に表れるこの「動物的エネルギイ」は、どうにかして芥川を死の門から遠ざける筈のものだった。しかしか程に希求される程度に枯れていたものであり、『羅生門』では確かに下人の中に見られたものである。しかし、それはそもそも芥川自身の中に備わっていたものだったのだろうか。
これは殆ど漫画の世界観である。ここには芥川の生活もなく、芥川の精神もない。寧ろ芥川でないところがあり、それでいて確かに小説になっている。芥川は自身の生活や精神を捨てて、徹底した仮構の世界に言葉を切り結んだのだ。こんな芥川の精進について『よみがえる芥川龍之介』で関口安義氏はこう解釈している。
こう捉えてみて改めて夏目漱石の責任を問いたくもなる。『鼻』が気に入った、これは事実、そこで褒めるのは勝手だ。しかし小説が内容の高さはさておき、量り売りされるものであることを知らない訳ではなかろうに、お墨付きを与えてしまった。ここには責任が生じる。長編小説を連作しなければ飯が食えぬことくらい解っていた筈である。そして『老年』の器用さも『鼻』の達観も、精進の賜物だと見抜いていた筈である。無論芥川は食えぬから死んだのではない。負けたから死んだのだ。何に負けたのか、何と戦ったのか、それは定かではない。ただ何かと戦い続け、負けた事のみが明かである。
山盛りで行かなければ食えないのが小説家である。太宰治も苦労して長いものを書いた。『右大臣実朝』などお勉強して書いた。芥川は山盛りを嫌った。その事を太宰はここで弁護しているようだが、芥川は論争に負けた訳でもなく、山盛りに負けた訳でもないのではないか。私は『羅生門』の下人がずっと芥川のことを見張っていたのではないかと考えている。それ故芥川は逆説に拘り、理屈で揚げ足を取られない様に気を配ったのではなかったのかと。
三島由紀夫はプログラムを作って小説を書いた。散々調べて取材して、その上で構想を練った。全く行き当たりばったりがないとは思わないが、ある程度図面を引いて小説を書いた。芥川はそうではなかった。今、この『風変りな作品に就いて』を読むと妙に悲しくなるのは何故だろうか。
いたく景気の良い序ではあるが読んでいてけして陽気になれない。この直後、芥川龍之介という作家が崩れていくことを知っているからだ。「僕の母は狂人だった。」で始まる『点鬼簿』、犬が笑う『鵠沼雑記』、『玄鶴山房』、『河童』、『蜃気楼』、『歯車』、『文芸的な、余りに文芸的な』、『或阿呆の一生』、『続西方の人』…。何故だろうか太宰の『グッド・バイ』は大いに笑えるのに、この辺りからなかなか読むのがつらくなる。無論そこには博識と機智と有り余る文学的センスが見られるのだ。芥川は書けなくなったのではない。ただ〈人工の翼〉あるいは動物的エネルギイというものが自分には元々なく、ただ実母の愛を知らず牛乳で育てられた顔の長い痩せこけた男が自分であることに改めて気がついたのではなかろうか。
乾いた剥製の白鳥は飛べない。最初から伏することのなかった龍は不可思議の力で天高く飛翔した。そして空中飛行機のように墜落した。