水村美苗は『虞美人草』を読めているか① 小野は小夜子と結婚したのか?
作品そのものを正しく讀めていないのに「漱石は……」とやってしまうみっともなさを繰り返し指摘してきた。作品そのものを正しく讀めていないけれども俺様には漱石の云わんとしてきたものが解るんだよと言ってしまえば立派な馬鹿になれる。しかし世の中にはそうした立派な馬鹿が溢れている。
今思い返すとたまたま立ち読みしたこの本の奥泉の一言で、私は夏目漱石作品に関する自分の読みと世間読みが完全にずれていることを知った。なかなか説明がつかないことながら、それまでは柄谷行人にしても蓮實重彦にしても江藤淳にしてもそれぞれ奇妙なことを書いていることはうすうす感じてはいたものの、まさか基本的な読みのレベルで彼らが全員間違っているなどとは考えなかった。あとで付け合わせてみると彼らが全員間違っていたのだが、突き詰めようともしなかった。そういう意味では偉大な馬鹿にも役割というものがある。
奥泉のこの発言に対して鼎談の参加者高橋源一郎は否定も反論もしなかった。そこで私は「あれ?」と思ったわけである。奥泉光と高橋源一郎が『こころ』を読めていないとしたら、他の人達もかなり読めていないんじゃないかと。
そこからあれこれあり今に至る。
そんなことはない。もし読めているなら苛烈な天皇批判が見えていた筈だ。
漢詩にはどうにも解釈の出来ないものがある。これは後でやろう。
今日は的を小さく絞り、それでもこの人くらいは漱石作品を読めていたんじゃないかと信じたい人の一人、水村美苗は『虞美人草』を読めているか、これだけをやっつけたい。
えらく大そうな題目で講演したものである。どれだけの覚悟があればこんな題目が選べるものであろうか。
そして言っていることは正しいだろうか。
あくまで予定ですよね。小野が細君になる予定の小夜子を紹介して藤尾をふる。「もらう」までは書かれていない。
小野さんは文学者である。藤尾に英語を教えている。しかし英文学者とは書かれていない。
これが英文学者の形容かどうかは議論の余地があるところだ。
これは小野さんの性質の説明ではあろう。でははたして英詩人か漢詩人か。
そして「漢学者」についてはどうか?
井上狐堂はいかにも漢学者然としている。しかし作中では漢学者とは明記されていない。
まさかこの書物がドストエフスキーでもあるまいと常識的には考えられる。しかし漢籍とは書かれていない。井上狐堂は書道の先生で漢籍も嗜むという可能性がないではない。
何よりもはっきりしているのは、如何にも解らないように曖昧に書いているということである。
素直に読めば一読目は何がどうなっているのかがさっぱりわからない話、それが『虞美人草』の著しい特徴である筈だ。そこをさも「自分にははっきり分かりますよ」的な態度で本来曖昧なところを明確にしてしまって読んでいいものであろうか。
例えば小野は文学士で銀時計、教授は有望と言われながら詩人という文学好みの性質を有しており、当初は藤尾の財産に惹かれていた。詩人は金が儲からないので財産がほしかったのだ。仮に井上狐堂が漢学者でその娘小夜子を妻としたとして、どうやって生活するのか。そこは書かれていませんね。この書かれていないところで小野も罰せられているような感じというものが結びの味わいなわけです。
ところが水村美苗は、
こう言い切ります。以外には小野さんの行く末があるわけですよ。そこが見えていませんね。しかしわかります。講演ですからテーマを決めて解りやすく図式化する必要があって、最初から「老いた漢学の先生と、若い英文学者が対比され」と図式化したわけです。自分で図式化しておいて、水村美苗は、
こういう読み方をしたかったわけですね。ところがこの読みだと義理を守り、小夜子と結婚したのはよいが「詩人」でしかない小野の扱いがどこかへ消えてしまっています。小野の生活は高い志を捨てることでしか成り立ちませんよね。
解りますかね。
漱石作品は殆ど全て何かわかりやすい図式に当て嵌めて矢印に捉えようとするとどうも何か「余る」感じがしてしまうものなのです。それをみんな「うまい話に収めよう」として破綻しています。水村美苗は頭がいいので曖昧なものを明確にしてしまい、日本の西洋化=近代化を批判を読み取りました。
しかし近代化は御一新の結果ですよ。
天皇批判は見えていない?
近代化批判というのは簡単ですよね。しかし漱石の天皇に関するスタンスを調べて行くと簡単な図式にはなりません。どうもぼやけてきます。そのリスクを鋭く嗅ぎ取り水村美苗は「日本の西洋化=近代化を批判」といったのではないでしょうか。
なんとか格好をつけていますがこれで『虞美人草』を読んだということにはならないでしょう。この人もやり直しが必要です。
[余談]
この本はいとうせいこう責任編集となっている。責任編集の責任って何なんだろうね?
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