誰かの空想がたまたま実際の出来事を言い当てることがありうる。たまたまとはそういう性質を持っている。同じクラスに同じ誕生日の人がいると驚くが、実はそれはありふれたことなのである。おそらく『朧月猫の草紙』と『吾輩は猫である』の類似もたまたまである。エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンの『牡猫ムルの人生観』もたまたま似たのであろう。
吉田六郎の『(漱石の「猫」とホフマンの「猫」)「吾輩は猫である」論』(勁草書房、1967年)では、
・物語の平行線的構成(交互的な叙述法)
・二つの筋の盛り上げ方
・作品の最後の一致
・猫のインテリ性
・風刺の複雑さ
・他の猫族についての描写
・猫の恋愛事件
・作品の書き出しの内容
・猫の毛皮の色の一致
・超俗と俗物の対立
・苦沙弥先生とアブラハム先生の類似
……などが指摘されている。しかしこれはたまたまだ。
たまたまとはそういうものなのだ。
しかし「これが私の妻でなくて誰でしょう」とは、例えば関東大震災や阪神淡路大震災、東日本大震災でたまたま同じような体験をした読者がいたとしたら、なんとも不気味な言葉なのではなかろうか。
芥川が書いたような出来事、中村玄道が語ったような出来事は、この地球上でただ一人だけが体験したことでは無かろう。時と場所は違えど、類似の体験は別の誰かにも起こりえたであろう。自分の妻を叩き殺したのは中村玄道一人ではありえない。
そしてそれはそんなに悪いことではない?
これが自覚を超越した秘密だったのか。「始から殺したい心があって殺したのではなかったろうか」とはなんと突飛な話かと思う必要はないかもしれない。大正八年、谷崎潤一郎は『呪はれた戯曲』といういかにも女房を殺しそうな小説を書いていて、翌年にも『途上』といういかにも女房を殺しそうな小説を書いている。
女房とはたいていパンが好きで、そもそも旦那に殺されやすい生き物なのだ。小夜だけが特別なのではない。
ここで一つ理屈を言っておくと、疑惑の根拠として「では何故なぜお前は妻を殺した事を口外する事が出来なかったのだ。」という問題が出てくるのかというと、「家庭教師と云う関係上、結婚までには何か曰くがあったろうなどと、痛くない腹を探られるのも面白くないと思ったからでございます」とあるように中村玄道の他人の目を気にしやすい弊がでているのであろう。痛くない腹でも探られるのが面白くないので、かえってそれを客観視した時に痛いかもしれない腹が疑惑として浮かび上がってきたわけだ。
以下八十二行省略として伏せられたところに「肉体的に欠陥」があったと考えるべきではあろうが、それにしても八十二行とはいかにも長すぎないだろうか。考えられることは精々恥骨下垂くらいなもので、まあそれがどうな状態であったとして、そこを八十二行もくどくどと語るような男はおおよそ真面ではない。芥川はここで八十二行という過剰な文字数を示して、中村玄道の偏執的な性質と肉体へのこだわりを示している。
そして「あの大地震のような凶変が起って、一切の社会的束縛が地上から姿を隠した時」として中村玄道が地震を利用したように、芥川もわざわざ二十八年前の地震を持ち出して、残酷さを回避するための実践道徳の問題を問うている。四年後には実際に大地震に見舞われるとは夢にも思わないまま、その極限状態を仮想して小説を書いている。
まあそういう話はあるだろうなとは思っていた。下敷きになったのは小夜だけではあるまいから、いろんなケースがあり得たはずだ。これも助かったから伝わってきた話で、その時備後屋と云う酒屋の女房の旦那が傍らにいたら、やはり右往左往してあれこれ考えたに違いない。いろんな状況において選択枝は無限にありえた。
しかし同じような状況から助かった例もあると知らされると途端に「あの場合妻を殺さなかったにしても、妻は必ず火事のために焼け死んだのに相違ない」という前提が崩れてくるような感じがする。これはつまり「一旦梁の下敷になって、身動きも碌に出来なかった」という条件が小夜の場合と完全に同じではないにせよ、たまたま似ているからである。もしも助かる可能性があったのなら、中村玄道のやったことは単なる殺人である。
ここで中村玄道の記憶から消えている、小夜にかけた言葉が気なってくる。その時何と言ったのかで話がまるで変ってくるからだ。
「罰が当たったんだよ」
仮にそんなことを言っていたとしたら、やはり中村玄道は小夜を殺したくて殺したのであろう。芥川が省略で疑惑を演出しているところだ。しかしそもそもここまでで中村玄道が語っていることは本当のことなのか。
はい。ぼろが出た。ここは矛盾する。やはりこの話は作り話だ。
・私は手当り次第、落ちている瓦を取り上げて、続けさまに妻の頭へ打ち下しました。
・私は情無く、瓦の一撃で殺してしまった
続けざまとは同じ動作を繰り返すことであり、ある動作に次いで別の動作をすることではない。持ちあげて下ろしただけでは続けざまにはならない。中村玄道は嘘をついている、或いは記憶はかくほどに曖昧である、あるいは中村玄道は瓦の角の所で激しく頭蓋骨を破壊したということが解ったところで今日はおしまい。
[余談]
たまたまの話だが坪内逍遥にも「實踐倫理講話」という本がある。
何故文学士如きが倫理を語るのかと言えば、当時の文学は広く人文学の意味合いを持っていたようで、哲学書を書く文学士もいたわけである。
しかし倫理の実践は難しい。