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あれとこれとそれみたいに谷崎潤一郎と泉鏡花と永井荷風

 実際先生は、最も欧化的風潮の盛んであつた時代を生き通した作家であるが、その作品は、純乎として純なる日本的産物である。先生の世界に現はれて来る美も、醜も、徳も、不徳も、任侠も、風雅も、悉く我が国土生え抜きのものであつて、西洋や支那の借り物でない。先生も鴎外の飜訳物などに影響されたことがあり、又先生自身、ハウプトマンの飜訳に従事されたこともあるくらゐで、全然外国文学の感化を受けなかつたとは云へないが、しかしそのために、その作品の日本的なる生一本さが、不純にはされてゐない。近松は日本の沙翁であり、西鶴はモーパツサンであり、馬琴はスコツトであるなどゝ云ふコジツケは、或は幾分の真理を含むかも知れないが、わが鏡花先生ばかりは、他の誰でもあり得ない。先生こそは、われ/\の国土が生んだ、最もすぐれた、最も郷土的な、わが日本からでなければ出る筈のない特色を持つた作家として、世界に向つて誇つてもよいのではあるまいか。(谷崎潤一郎『純粋に「日本的」な「鏡花世界」』)

 先日、

 こんな記事を書いた。谷崎は最も日本的な、西洋に例えるもののない作家として泉鏡花を尊敬している。

 一方、日本嫌いの永井荷風に対しては、

 私が永井荷風氏を敬慕するのは、氏がこの孤立主義の一貫した実行者であって、氏ほど徹底的にこの主義を押し通している文人はないからである。(谷崎潤一郎『客ぎらい』)

 と、作品そのものではなくその孤立主義に敬意を払う。

 一方永井荷風は、この「未曾有の恍惚と戦慄」に続いて、

  三田文学に寄せた『谷崎潤一郎氏の作品』において、

 谷崎氏が此くの如く正確なる章句を連ねて、個性的特徴ある一篇の物語を組織する其の手腕の後を覗ふと、自分はそゞろに氏の芸術の荘重なる権威に打たれざるを得ない。谷崎氏は混沌たる今日の文壇に於て氏も育ちも共々に傑出した作家である。自分の評論の如きは敢て氏の真価を上下するものでない。上田先生は琢磨されたる氏の芸術に接して覚えず感泣せんと欲した。又或る会合の席上に於て森先生が『刺青』の作者の出席してゐるや否やを問はれた事があつたのを自分は記憶してゐる。谷崎氏を崇拝するものは敢て自分のみではない。強ひて公平を粧はず常に偏狭なる詭弁を以て自ら快としてゐる自分の以外に、自分はやがて谷崎氏の作品に対してもつと信用ある専門家の評論の出ん事を、広く文壇の為めに望んでゐるのである。(永井荷風『谷崎潤一郎氏の作品』)

 谷崎作品を激賞の揚句、崇拝までしてしまう。そして上田敏や森鴎外迄道連れにしてしまう。森鴎外はさすがに崇拝まではすまいと思うが、勝手にこう書かれてしまっては文句も言えまい。これを読んだ谷崎は、

 私は、雑誌を開けて持つてゐる両手の手頸が可笑しい程ブルブル顫へるのを如何ともすることが出来なかつた。あゝ、つい二三年前、助川の海岸で夢想しつゝあつたことが今や実現されたではないか。果して先生は認めて下すつた。矢張先生は私の知己だつた。私は胸が一杯になつた。足が地に着かなかつた。そして私を褒めちぎつてある文字に行き当ると、俄かに自分が九天の高さに登つた気がした。往来の人間が急に低く小さく見えた。私はその先生の文章が、もつと/\長ければいゝと思つた。直きに読めてしまふのが物足りなかつた。此の電車通りを何度も往つたり来たりして、一日読み続けてゐたかつた。私は先生が、一箇無名の青年の作物に対して大胆に、率直に、その所信を表白された知遇の恩に感謝する情も切であつたが、同時に私は、これで確実に文壇へ出られると思つた。今や此の一文がセンセーシヨンを捲き起して、文壇の彼方でも此方でも私と云ふものが問題になりつゝあるのを感じた。一朝にして自分の前途に坦々たる道が拓けたのを知つた。私は嬉しさに夢中で駈け出し、又歩調を緩めては読み耽つた。(谷崎潤一郎『青春物語』)

 俗物である。いや、みんなこんなものだろう。褒められればうれしい。この永井荷風と谷崎潤一郎の作風に関しては、芥川龍之介の妙な角度からの評がある。

 三四日たつた、これも好い天気の日の事である。自分は午前の講義に出席してから、成瀬と二人で久米の下宿へ行つて、そこで一しよに昼飯を食つた。久米は京都の菊池が、今朝送つてよこしたと云ふ戯曲の原稿を見せた。それは「坂田藤十郎の恋」と云ふ、徳川時代の名高い役者を主人公にした一幕物だつた。読めと云ふから読んで見ると、テエマが面白いのにも関らず、無暗に友染縮緬のやうな台辞が多くつて、どうも永井荷風氏や谷崎潤一郎氏の糟粕を嘗めてゐるやうな観があつた。だから自分は言下に悪作だとけなしつけた。(芥川龍之介『あの頃の自分の事』)

 これは「永井荷風氏や谷崎潤一郎氏の糟粕」ではなくて「泉鏡花氏や谷崎潤一郎氏の糟粕」ではないかと一瞬思ったが、ここは違和感に留めておいていつか答えが出るのを待とうと思ってから何億年経ったのだろう。

 あるいはこんな違和感はほんの五秒前に生まれたものかもしれない。






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