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学び舎に墨する音や返り花 芥川龍之介の俳句をどう読むか122

灰墨のきしみ村黌の返り花

灰墨のきしみ村黌(そんくわう)の返り花

[大正七年一月三十一日 薄田淳介宛]

 黌はまなびや、広い学校の建物のこと。返り花とは小春日和の暖かさで、本来の花期ではないのに咲いた花のこと。生徒たちが墨をする小学校で季節外れに花が咲いたよ、という程度の句に見える。灰墨に村黌とはいかにも古色をつけて、なお文字面と破調のリズムからは五山の雰囲気まで漂ういかにも唐めかない和の句である。

 少しも剽げたところがなく、しんとして、身構えた感じはあるものの、何か気どりを揶揄えないところがある。それはとりもなおさず「返り花」そのものがただ添え置かれるのみで、一言も「どうだ」といじられてさえいないからである。 

 手前に焦点のあてられた返り花、遠景にぼけた村黌でもない。明治時代の子供たちの墨をする様子があり、大きく引いて返り花か。静止画ではなく、『羅生門』でみせられた近景遠景の動画のような句だ。これは勿論たまたまではなく、『地獄変』にしても巧みなカメラワークがあり、「説明」ではないスイッチングがはっきり見られる。

 そうした小説の技巧が、単なる取り合わせの句を立体的に見せている。

北原白秋

 それにしてもどうしてここまで枯れた感じが出ているのかと思えば、

唯東京へかへる途中で所々の日だまりに梨のかへり花が咲いてゐるのは聊人意を強くするに足ります

 手紙にはこうある。 

 枯れているのではない。  

 生きているのだ。 

 切実に。

 人は梨のかへり花にさえ勇気づけられる。悲しいものばかり見ていてはいけない。どんな状況であれ、自分の気持ちをしっかり持って生きていかねばならない。死ぬまでは。

 自分にできることをやり、自分にできないことを悔やまない。そうやって生きていくしかない。生まれてきた人間はいつか死ぬ。死ぬまでの間にできることをやるだけだ。そこを悲嘆する必要はない。

 さあ、次にいこうか。

 なーんてね。梨の花が咲くくのは三月から四月。十一月ごろに咲く場合が返り花なので、一月三十一日に返り花はないんじゃないかなという気がする。

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914. 6薪水帖松根東洋城MA84
948 152目次
峠舊う閑をおとなふ者母大若かりし日を語る秋草は亂るゝうわ風大詩を行はせたまふ巢春仰蟻秋冬うれしのらつた雲の曉甞つ大薪い宿道1とろみ急て鳥王祭水帖一一二一〇〇次九二公公夫充突〓五三圈四〓三モ三2
薰俳黑畠二下寅彥君虎皮下薪冬どつかと尻をスマツク七騎落絕叫出羽庄內を訪ふ鵜白匹風諧を蝶揚り水「天皇陛下萬歲」のの二草追の帖山ふ死羽蟬題庵築題簽裝幀著礒部草者丘一八七一三三一六七一六、종一三、一四三三二六三三、三七二一五二一〇二〇〇二〇〇5
薪水帖
若かりし日を語る西南戰爭の翌年東京で生れた自分は、四國の伊豫の松山中學で日〓戰爭を、東京京都の兩大學で日露戰爭を、坂下門の御門內で世界戰爭を過ごした擧句、今度の日支事變の眞ッ唯中に、同じく東京で還曆を迎へた。西南戰爭は暫く措くも、その餘のどの戰爭もが日本に取つては皆重大な頗意義のある戰爭であつた。かうしてこれ等の幾つもの大戰爭を相ついで思ひ浮べて見る時流石に、はる〓〓來つるものかな、といふ思を深くする。齒の痩せを老い初むるやと二月かなと還曆の朝詠み、齒の工合が惡いのでせい〓〓〓を取つたのかなと思うた位、どうも心の底から老人染みる事の出來ない自分は、人に還曆を壽がれるたびに、何だか變に他人事のやうな氣がして仕方がなかつた。あゝいふ風に幾つも〓〓の大戰時代に觸れて來たと云どうも心
ふまさしき事歷を考へることに依つてのみ理詰に老人とされる自分は、今「若かりし日を語れ」と言はれて、何時を、何處を、どう話したらいゝかと迷ふ。自分は學校生活による修學の外にこれと並行して長い間或一つの道に精進して來た。それは始めは附隨的のものであつたが、後に專門になつた。いつの間にか修めた學問も捨て浮世の仕事まで擲つて唯もうその精進の一路を辿つて今日只今まで十年一日の如く變るところが無い。十年一日、否光實に三十年四十年一日である。一日の中には老も若きも無いから、自分は齡をとる間が無よいのだ。凡そ道の上には老とか若きとかを區別して考へる寸隙が無いのではないか。假令腰がすこし痛かつたり徹夜に堪へられなくなつたりするやうな身體上生理的影響變化があるとしても、精神的卽道の上の自分は寸毫も變化が無いことになる。そればかりでなく、道の上では却て愈强く愈健に愈自在だと思ふ。一口に言ふと道の上に關する限り老といふことを知らぬ。さて老の自覺の無い自分は「若かりし日」のかりしを、何處から何處に限つたらよいのかしら。仕方がないから姑く普通世間並の考へ方に從つて、小學校は子供だらうから、その後の「中學高等學校を經て大學卒業後の靑壯年時代まで」位にして置かう。道(141と自分は頻に言つて來たが、その道道といふのも丁度その頃から發足する。道とは他でもない、『俳諧』の一道である。そこで「若かりし日」をとなると勢先づ第一に、自分は自分の俳諧の足跡を振り返ることになる。處がそれは道の上のことになり、「道の上に老なし」と信ずる自分にはみんな一本のつながりで「若かりし日」といふものを切り取やうもなく、又それは餘り專門過ぎるからその方は極大略にし、唯自分が子供から靑年に、靑年から壯年にと成り行く經路に沿うてその極狹い環境を見てみよう。裁判官といふ父の職業の關係から自分は幼く小學半にして東京から栃木へ、栃木から又東京へ、そして遂に伊豫へ轉住した擧句松山中學を了へた。その中學での最も著しい印象は「夏目漱石先生」である。先生が大學を卒業され、初めて職を求めてこの學校に來られ、最初の先生として英語を〓へられたのが自分達の仲間だ。漱石先生は人も知るやうに初めから別に天下の文豪と名高い譯もなく殊に其頃は大學卒業ほや〓〓の一介の若い中學〓師に過ぎなかつたのだ。有名な小說「坊ちやん」が松山中學の寫實であるなどとは以ての外であるが、あの小說の構成される各部の素材には、松山なり松山中學なりの色々な事象が編輯せられたと云ふことは言ひ得るので、そこで又あの一篇に彷彿する雰圍氣は、當時そ5
の一介の中學〓師たる夏目金之助その人の胸中に講積したものがあつてそれが蘊釀されたのだといふことは溯つて想像してもよからう。自分達その時分の生徒等には、先生が人とし又文學者としてあれ程偉大な後年を持たれると知りよう筈もなかつた(夫子自らも恐らくは想像しなかつたかもしれない)が、その頃の先生は、他の幾多の中學〓師と斷然違つて最初から一つの深い印象を我々に與へられた。それは別義でない、いかにも英語を〓へる事が上手であつたと云ふ事である。自分は和漢文に比し英語はさう飛切好物でなかつたが、先生に依て何だか英語といふものはかういふものかと見當がつき、英語もなか〓〓面白いものだと思ふ樣になつた。これは此學校の名物渡部政和と云ふ數學の名〓師と共に今以て忘れられない著明事である。學校外の思出としては其頃盛に銃獵をやつた事だ。これは父の獵道樂に子供の時からついて行つたその引續きでもあつたが、体暇には鐵砲を擔いで山野を跋涉して兎や雉子を追ひ廻したものだ。而も此山野行で山川草木の自然觀を收獲したことは鳥獸の獲物より遙に多量であつた。夏は夏で伊豫第一の大河肱川の〓流に網を投げて鮎を漁つた。此河頗る風光に富み、その明媚の中の〓流だ。〓さてその鮎だが、すこし深みの瀨へ乘り出すと流は强いが鮎が大きい、そこで特にいはを太く糸に上等の菅を撰んだ愛用の投網をその早瀨の只中ヘサブリとやる。やるが早いか打沈み行く網の一番上流に落ちた一端を逸早く手で押さへつける、他の部分は河底まで屆かなくてもいゝ、鮎は只上流へのみ逃げるものだから。此動作は突嗟のことで勿論胸も腹も頃から眼口鼻さへ水中に漬かつてしまふ。その水底で自分の手が網の裾を河底へ押しつけるかつけぬかに網音網影に驚いてツイと上ミ手へ急ぐ大きな奴が網の袋と共に手中にヌルリグリ〓〓と來る愉快サ、ドウカすると半身網の端を脫出したのをそのまゝ網の外で押さへたりすることがあるがそんな時の嬉しさは話ではわからん。こんなのに限つて格別逸物なことが多い。その又鮎の香の强さ、そして川づらが鮎の匂ひで一ばいだ。その代り重いいはに極細の菅糸だから網の目の切れやうは大變、歸つてから次の漁までに網のつくろひが一仕事だつた。かうして子供の時分から靑年期に亙つて山川の獵は唯一つの樂みであり吾がスポーツでもあつた。又海邊である〓里に歸省しては釣のいとまの海の上を船で漕ぎ廻る壯快さ、それで後年船を取る事に相當自信を持ち都住居の髀肉の嘆に堪へず浦賀あたりへ舟を漕ぎに行き觀音崎や東京灣の水道まで獨りで乘り出したりすることもあつた。7
まる〓〓一方生來文學好な自分は、子供の時から大人の讀んでゐた團々珍聞や都の花や歌舞伎新報をひつくり返すことに慣らされ、又こがね丸を始め少年文學の叢書更に明治文庫や文藝倶樂部國民小說などの「小說」の愛讀者であつたり、雜誌では明星とか文庫とかいふのを讀んでゐた。學校では日本外史文章軌範から莊子などまで一老儒の講義に聞き惚れた。俳句は中學時代から獨りでひねくつてゐたが、中學を卒業して一高に入つた頃から根岸の子規庵に通ひ初めた。又それと前後して松山から熊本の五高に轉任された漱石先生に茹で栗を峠で買ふや二合半といふやうな「俳句」を見て貰ふやうになり、自然此都會では鐵砲や投網や船から遠ざからざるを得なかつた。それでも偶には當時獵天狗として有名な伯父の伊達男爵に連れられて霞ヶ浦あたりに鳴打に行くこともあつた。鴫打で思出すのは、北浦の或湖畔での事、深田に落込み、腰から腹ともがけばもがく程段々身體が泥に沈んでとう〓〓胸にまで及び危く救ひ出された底無し田の恐ろしさである。此伯父といふのがとてもハイカラで、ハイカラといつても柔弱でない活潑なハイカラで、何しろ日本の學問は餘りせず若く英國に留學して貴族修行をして來ただけに一にも英吉利二にも英吉利で、醫者は英人の醫師、藥は勿論英吉利製、銃砲や附屬品は固より日用品身の廻り一切皆英國づくめ、それも必ず横濱の居留地へ自分で買ひに行くといふ凝り方、それでこんな出獵の時でも辨當の菜は凡て鑵詰のそれが皆舶來、その頃ソセージなんかに和製のある筈がなく、コーンピーフなどとふんだんな御馳走、食パンさへ濱の何十何番館のそれであつた。獵も獵だが此珍味を運動の空中腹へだから、うまいこと此上なかつた。その頃一高には潮音、三子、孤雁等の手合が同じ根岸行の仲間であつた。〓師には五城が居た。この頃から俳句に對する熱度が非常に昂上した。何しろ今と違つて交通機關も充分でなく、鐵道馬車がやつと電車になつたかならないかの頃、その電車もまだ市內の末々までは及んで居ない頃の事とて、根岸に行つた歸りの夜更など、その頃の寓居である麻布笄町まで歸るのには、隨分と夜道を步いたものだ。又句會も根岸の外にホトトギス例會や碧梧桐庵會紅綠庵小集さへ缺かさなかつた。そんなにも熱が高く、學校の勉强と俳句の述作との間にどつちが本當の自分の立場か自分にもわからない位だつた。
の雛どかさに寢てしまひけり草の上棚や崩しもやらで二三日といふやうなのが其頃の作であつた。斯ういふ風に俳句の製作に夢中になるやうになつてからは、あれ程田舍で耽讀した小說とも踈遠になり、その代り、その小說に向つてゐた興味は漸次、最初は能樂へ、次に演劇へと變轉移動して行つた。10「能樂」に就ては、その頃は九段の能樂堂に能が催される時代で、そこには今と違つて五流聯合の催しがあつたため、各流の妙技を一堂に比較鹽梅して味ふことが出來た。そればかりでなく、能師も寶生九郞とか梅若實とか櫻馬伴馬とかいふ名人揃で、少からず自分の若い藝術心に濶澤に滋養分を送つて吳れた。後年とんと能を見に行かなくなつたのもあまりその頃の演技の優越を印象する爲後々のものに充分な滿足が得られなく自然遠のいたものらしい。能樂の方の熱心がいつの間にか「演劇」に移つて行つた。この方は大體學生々活が終つこの方は大體學生々活が終つてからだ。考へて見ると能といふものに非常な熱意をもつたのにも遠く一つの因緣がないではない。それは松山時分東雲神社の奉納能に子供の時から心醉してゐたといふ事である。芝居の方にもさうなる因緣があるので、この方は能よりもずつと深く所謂三つ子の魂百までの譬に洩れないそれであつた。といふのが、是が又古い話になるが、何しろ生れたのが築地で、の頃の新宮康といつたな今の歌種伎座にも障碍する大刺場であもこ間の情況から見ると、今の歌舞伎座なんか足許にも及ばない程な歌舞伎全盛であつた。何しろ新富座を中心として、一區劃の町全體芝居茶屋の門並に、劇場のぐるり界隈相當の廣がりまで有名な役者の家が圍繞點在する有樣、さういふ中に呱々の聲をあげた自分でありその兩親が圖拔けの芝居好の上に又更に母の里の當時すぐ側の木挽町に屋敷のあつた舊藩主が論外の芝居狂で、名優連のお出入から豪勢な觀劇振に兩親達は何のかので一つの芝居に三四度も行く次第、さうなるとその子の自分も自然物心のつかぬ中から親達に連れられ、又芝居茶屋の男衆の肩車に乘つてサツサと木戶御免の、劇場は唯一の遊び場であつた位。中途から田舍へ行つて勤勉な生徒になり活發に雉子や兎を野山に追つかけて成人したとはいへ、この搖籃時代から學齡時代にかけての環境の因果因緣は校門を辭して笈を下ろすや
勃然として自分に蘇つて來たのであつた。餘談に渉るが自分が記憶してゐる一番幼い時の芝居の印象は勿論例の后車の上で見物したのではあるが、妹脊山の芝居で芝翫と團十郞の出合に眞赤な程綺麗な舞臺面であつた。そこで堤の切れた水のやうに東京中の主な芝居は見逃すことが無く、これは世間での仕事をするやうになり相當忙しくなつても止めなかつなる後年「歌舞伎俳句」を興したのも自然此邊に胚胎したのだと言つてもよからう。後に自由劇場や築地小劇場が出來るやうになつた時は又此熱心なフアンの一人であつた。タンタヂールの死の俳譯なども其頃だ。-酒を嗜まで花柳にさままはなかつた自分が若かりし時自然に向いた道樂の方面が、此能樂から演劇への線の上にあつたのだらうといふことも自分には非常に自然に思はれる。この他にも一つ道樂として特筆大書すべきものに「喰道業」がある。この方は若い時から仲々勉强したもので、その歷史の叙述はこゝには省略する。何しろ今以て續いてゐる事だからこれは「道」と同じく特に若い時と銘を打つ譯にも行かない次第だ。唯.その結果だけを記錄すると、夙に胃擴張の名譽を擔ひ、後腸胃を初め諸內臟の下垂を到來して永年下腹部の膨脹に煩はされてゐることだけだ。12一高以來本格的になつて行つた自分の俳句の修行は、根岸の句會には缺かさず通つたが例會や雜誌新聞以外には特に子規に〓を乞ふたことはなく、却て遠く漱石先生に添削して貰つてゐたことは前に言つた通りだ。これで中學校の〓室を第一段としこの俳句添削を第二段として漱石先生と自分との因緣は段々重なつて行つた。だから子規門に參じはしたものの指導は漱石先生に受けたやうな妙な工合であつた。尤もその漱石先生に依る添削もさう長い月日のことではなく、極最初のうちだけで結局は獨學獨習であつた。こゝにその後の自分に就いては二つの主な流を認めるのが自然だ。それは一つはこの「俳句の修行」であり、他の一つはあの「漱石への親炙」である。細い枝葉の色々は色々として極荒つぼく示すならば、この二つこそ實に、「若かりし日の自分」の二大根幹をなすものであらう。卽、俳句の方では、その後の俳句の歷史卽子規庵時代子規沒後から今日に至るまでの俳諧史上の一員として關與しつゝ、一度寫生主義に定められた明治俳句から芭蕉の俳諧への復活を主張し精進し、兼て連句を復興した事で、漱石先生の方では、大學で法學を修得しながら漱石庵入りびたりの狀態に於て先生に依つて、その後は最早俳句の上ではなく人間と文學との兩面の修養を積んだことになる。がこれは自ら又別な題目に他日に讓らるべき13
ものだ。黛を濃うせよ草は芳しきtopたりに自分の何句の一本ノをおしらも我が佛諾の龍の猶きとこを自句を作つて行つた。光氏と紫と一もぢや夜世に人あり枯野寢る蒲團かな、の渚の潮白くに石のありにけり14斯くて順次いよ〓〓「子規から芭蕉へ」の還元を躬行して來たのも此間の事であり、に其事自體、あの人間と文學との兩面の修養の痕づけに外ならなかつた。又方元朝や二世に仕へ式部官さてこゝに學生服をフロツクに着替へ宮內に入つて吏となり、御儀の金ピカ服を着たり官房で二度の御大葬一度の御大禮に奉仕したといふやうな事位に自分の浮世姿の「若さ」を見る。そして其他の吉凶禍福喜怒哀樂の起滅去來こそは、ひとへに只その時それ〓〓の譬はゞ萬華鏡の五彩七色にしか過ぎぬ。「若かりし日」といふ言葉自體己にいかに果敢なく意義無いことか、語るべくその昔々を思ひ出して見る時それは、物に影、冬夜の壁にかりやせぼねそめな己が疳骨の圈兩に他ならぬ。こゝに「齡若い」といふことに就て自分は一種不思議な考へ方をする。-それはその言葉が旭の勢を示すであらう筈なのに、自分には同じその言葉が、未完成とか不完全とか未熟とかいふやうな響を多く與へる。自分一箇に就て考へて見ると、弱冠の頃の何かに淺く薄く甚だ不充實であることのみ見出され、五十六十と年を重ねるに從つて些か强く厚うなり行くやうに思はれる。東天を昇る旭の勢などは寧ろ今日以後にあるらしく、これからだといふ氣がする。だから「若かりし日」と問はれると、答は不完全不熟等を以てせねばならぬやうな不安を抱く。尤も、不完全だからこそ若き日には明日の完成がある譯だ。卽「若き」は「完成へ」だ。自分達が所謂若かりし日に我等の父の代祖父の代の年寄連は、15
「今の若い奴等が」と我々を眼下に見下ろしてゐた。今はその自分等が當代の若人達に對して又さういふ心持を持たないでもない。少くも今の若人達の多數に就て根氣と眞劍との點で疑を持つ自分だ。斯ういふのは多分いつの代でも老と若きとの間に老人側の受繼ぐ心持なのであらうが、老人は自分の經驗から割出して、若いうちに叩きこんで置かなくてはと警告するであらうことだけは間違ひない。そして後代が前代より段々打込み方が薄く弱くなり行く傾向もあるのではあるまいか。要領よくと器用に立廻ることが若し現代の若う人のモツトーならそれは危い。頑丈に、剛健に、粘り强く、而も餘裕があつて風雅に······それは未完成から完成への道の路面たる「若さ」にしつかりと敷き堅められなくてはならぬ路臺である。「若かりし日」と回顧する時それは煙の如く雲の如くである。「若き日」とそこに立上がる時それは昨日を踏まへて明日への進行である。未完成を完成への絕えざる躍進、そこた精進があらう。「若かりし日」の夢を捨て「六十猶若い日」の現實に立つ、それは『道』の上に。道の上に老無し、道萬古を貫く。16の現實に立つ、それは『道』の上に。大甞祭悠紀殿の御儀はすでに濟んで主基殿のそれももう大分進んでゐる。それももう過ぎて。-夜はもう丑滿、17音が無い。たまアに神門外抜の衞門の本位の者神門內披の威儀の木位の者達が交替の出入りに、その淺香の神庭の砂利を踏む音がカサリコソリコソリカサリと幽かにももの遠う響いて來るだけ。サラ〓〓サラと神苑の松の籟、こよひを風もなければ音にも立たぬを、きこゆるとはなか〓〓に音をたちての後の音のまぼろし、さて靜かにも寂かなことではある。光が無い。一切の電燈は皆宵から灯されてない、ランプ蠟燭それさへ一つも無い。只だ世が天地あるまゝのありしまゝの姿に夜を朦として朧としてそこにあるばかりである。
でもほんのすこしばかり、それは、それも齋火の御燈はもの深く窺ふべくも漏るゝべくもなく、たゞ點々かぞふるばかりの燈籠に、さては庭上四方に白衣の火炬手の焚く庭燎のそればかりがすでに音がない、さうして更に光が無いに等しい。すべては夜の世界、夜そのものである。夜-そこには一切の現象遠く遁逃し又は遁逃せんとしてゐる。天は天にして地は地である。天々地々そこに人間自體の存在のありやうはない。ありといふもたとへやうもなく影法師の薄いものでなくてはならぬ。天地人三才は元、一にして二のものではなく、こゝにこのすべての和合を得て始て萬物大虚に歸するのである。太古は太虛である。音の無い光の無い夜、大虚卽太古、こゝに今まさしく太古を彷彿する。18稻春歌が悠長すぎる程悠長な樂の音につれて歌はれつゝその間神饌の調理が膳へでせられるのも先程であつた。庭積の机代物の次から次と運ばれて積まれ行くのもさつきの事であつた。-さうして時が經つ。忽ち、の宮のうしろ觀云腹の方からえかながらまさきとき二道の光明の国み來ることがあつた。それは上御一人の今こそ本殿へ渡御の御列の列頭に當り前行の侍Ulド從の乗る左右一對の脂燭の光であつた。そこには布單と葉薦とが鋪かれ、鋪くに從つて卷かれて行く、その上を渡らせ給ふ。そこで布單と葉薦とはまさに一朶の雲に他ならぬ。雲は今天から地へ舞ひ下りたのである、或は又却て雲は天へ地を離れて舞ひ昇るのかもしれぬいづれともそれが雲である以上この朶雲を踏んで雲と共に移り行くもの何といはば、それこそ雲に乗らせ給ふは人ではなく當に神でなければならぬ。肅々として進み鹽々として行く、竟に下界の事でない。-脂燭は消えた、御列はもう痕形もない。まことに言。やそのまゝの現つ神性既に業に大吾宮の外陣に入らせられてしまつたといふのも亦もうさつきのさつきの事であつた。19かうして時が經つ、それは隨分と長い時間が。あまりにも氣の長い和琴の鈍音がつゞく、つゞいて續く、そしてアーアヽーアーとのみ
しきりに長くも字音を引張つてゐてこれを歌ともきゝわけがたい歌がつゞく。それには國栖の古風もあれば又地方の風俗歌もあるのだが、緩く長く變化も鈍く單調そのものゝその樂とその歌とは竟にこれまた人界のものではないらしい。それほど長々しいものである、少くも人間の感覺にはどうしても限りなく長いものと受取られずにはゐまい。-此長々しい歌の樂の擧句に上、にはその外陣から內陣へと御座を遷御になる。その內陣では···29沈々と只だ靜もりに靜もり行く夜。はやく巳にこの大甞宮の內陣に來りましませる神々は、けふのすめろぎの御もてなしを亨け給はんと御待ちの時を過ごされてゐるので、その欲りしたまふまに〓〓、御浴みのことには御浴みの用意し、御眠りのことには御寢床の備へさへ設けさせられ、ひとへに打く154つろぎおはしませ、との有樣である。そこへ今內陣へ進御のすめろぎに於て大御親らの御酒御饌の供御があり、さて、御敬ひの御崇びの御親みの將た御まとゐのよしのやがてもろこもろ奉らくのくさ〓〓きこしめせの御告文があつて、次に御直會、そこで上御一人にあsつても神みの末の御座に又神一柱におはしつゝ神達と兩疑して、共に食し共に醉ひたまひて時の移るをもわきまへられぬといふ譯合である。そしてこゝはもう勿論人の世界ではなく、まことに雲の上の雲の奧の、神のみ住みたまふ世界ではあつたのだ。夜-夜のしゞまこそは一切を退けて只だこの天メの世をこゝにあらしめるのである。そして、夜の次第に更け更くるは斯の天ノの世のいよ〓〓天メの世であるのではある。21四門に配られた衞門の本位の者と威儀の本位の者とは神門內外抜に嚴肅その者のやうにchiひかへてこの天タの世神の世を異世とは通はせじと護つてゐる。この宮の外陣に侯したまふ各宮々を初め、小忌帳令將を神門內外の觀含に參集の人よもて恭敬その者のやことし、しばらく人の世の人ではない有樣である。そこに人一切は、言葉を捨て動くことを忘れ意識をさへ超へて、その身とその心とを同時にすべて巳から抛げ出してしまふた體である。「すめろぎは?」··「神々との御物語に」、イヤ宮の內こそ御一人のみの御事申すも
憚り多い。さて、夜は更けに更け盡しては、やう〓〓曉へ。星が飛んだ一つ、この宮の萱の御屋根の上高う抽き出たヒヨロ〓〓といや高き松の梢に大詩を行はせたまふ大禮囘顧その他-それは宮中鳳凰間のお次の間を打ぬいたさして廣くもない一間-登極令附式には御殿と謂うてあるものであつた。用意萬端とゝのひ、大禮期日奉〓の爲神宮其他へ勅使發遣の儀は定めの通行はれ、それへ出御の陛下の御引直衣がゴワ〓〓と御一步每に音のするのもこの際格別な情感を誘ふ。御幣物の御覽があり、參向の勅使を召され御祭文を授けられた上、さて「宜しく申して奉れ」との勅語があり、恭しく承つて勅使が幣物の傍へ下がると幣物を入れた辛櫃には用意の海老錠がおろされる。イヤおろされるではない、それは自分がおろしたのだ。何しろ御前ではあり、それもあの狹い鳳凰間のこととて、あまりに御間近に靜に人々の息の音もきこゑやうといふ鹽梅、その上すべての人の耳目は一にかゝつて私の手に私の指に私の持つ錠にあるといふわけ、只だもう錠をとつておろすだけであり23
ながら數を算へるにも足らぬ時間でありながら重責この上にかゝると緊張極りなかつた。さうしてその海老錠がビーンと音がしてかゝつた時、その音は、此式中勅語の外には一語も一音もないそこへ、自分手で自分の作爲で自分が發した、そしてそれは此御儀の上御一人の思召しを代り奉りて畏み仕うまつつた唯一つの音であるといふ氣持が、頭の先から腹の底まで又ビーンと響いた。御車寄で、賢所の御車の通御につゞかせ給ふ聖上の鳳輦滯りなく御出門の事を掌り了つて、自働車を驅つて東京驛へ赴く。鹵簿は肅々として進みやゝ暫くして着御、御迎への文武百官綺羅星の如き中を先づ賢所步廊へ、次で聖上御体處へ。やがて賢所乘御聖上乘御、これ亦滯りなく了らせられるまでの我等所役の右往左往、物の動きと時計の秒刻との間に身を挾んで寸分拔き差しもならぬ心の充ち方氣の張りやうは人のする仕事を人の能ふ以上にきつちりと運ばなければといよいよ澄み行く頭ではある。但こゝ數十日、寧ろ數月、晝夜をわかぬ御儀諸般の準備に實は疲れてもゐたのではあるが、今は疲れたのを疲れたと思ふひまもなく思ふことも許されず、只つゞけざまの昨日よりの忙殺にまことけさは飯の味もしなかつた位だ。澄み切つたといふ頭、その頭も頭の先頭の表面のやうでもあり底には何か堅い石でもあるやうな感じを、それでも役目の眞劍さ一生懸命さがそれを强引に打退け〓〓するほどである。そこなる步廊を聖上は御車へ、あとからは皇族たちのつゞかせ給ふ。そこまで扈從の皇族達は御車のすこし手前で停まつて奉送せられることになつてゐ、それを御指導申上げるまでが自分のこゝでの役であつたので陛下とお後、の宮樣との御間に立ち出でて定めのところで皆樣に御停りを願つたのであつた。その時に一つ失敗をやつた、これは自分が前後三年に亙る大禮奉仕のうちで唯一つの失策であつた聖上にはずつと進御、御車に近づかせたまふ、すぐ御後、には貞愛親王そしてその他の宮樣方、方々はこゝで御見送りは勿論だが、ひとり貞愛親王は大禮使總裁として供奉の第一なるを餘の宮樣と御一しよに御止めしてしまつた事その事であつた。「わしはどうするのだ」との宮の御言葉にハツとすればまだよいのを、どうにも頭が働かず、「御上ミこそは行幸を」と聖上の御上のみひとへに思ひ詰め思ひ定めてゐた自分は不思議とばかり宮の御言葉を聞き參らす。聖上にははや召されうとする。宮は立どまりおはす。その時であつた、同僚の一人が宮の停まらせ給ふをあやしと見て走り來て御奉導中すに始て心
6づき、今はとて餘の宮達を御位置に導き參らせた。澄み切つたと思つてゐた頭は矢張表面であつた。疲れに疲れたかたまりは頭の底に石の樣に重く沈んでゐた。疲れ果てた私はの松本大こる精力を身に盡くし頭に集めて只だ聖上聖上と上御一人だけになつてゐた、そして申譯ないことだが大體使總裁を忘じはててゐたのだ。次いで御發靱、供奉の車中に宮の御咎めを期してゐたが、御不興の由にはきこゑたものゝそのまゝの御寛大に改めての御叱りもなかつたのは、久しき千慮の勞を以て只今の一失の過を恕され給うたものか、將た我々大儀の幹部に居るものが今日を始めの久しきに亙る數々の重き儀に始より心挫けては、との總裁の宮の大きな御腹中であつたかもしれぬ、と思つて恐懼し、いよ〓〓一死御儀遂行に精進する覺悟を强めた。まことはこの最初の晴れの御儀の盛と煩とが異常の緊張をも强ゐてかたくなり過ぎたことも原因してゐたらしい。名古屋の御着發を一夜に境し京都への御着、御南簿の壯麗がいにしへの都大路を練り盡くして京都御所へ入御、そこで思はずもホーツと長い息を吐き顏面筋肉の硬ばりがゆるんだかと覺えたのも嘘ではなかつた。賢所大前の儀につぐ紫宸殿の儀には東階の下に砌の上に立つた。階上緣側に同僚が一人この同僚が御式の進行一切をそこで見てゐる、そしてそれがその進行の一くさり〓〓を自分に合圖をする。自分が階を半分ほど上がつては合圖を受ける。緣の下の階の裏に配下の屬條を一名ひそめそこに電話機を供へて、こゝから一々官房へ報告せしめると、官房ではそれぞれ關係の諸官衙新聞記者團などへ通じて、一々を日本全國へ報ずるのであつた。從六九六て畏くも上は聖上の御一學御一動殊には高御座にての勅語、下は總理大臣の壽詞から萬歲發聲まで、皆唯今の事に天下に報ぜらるゝのであつた。こゝに忘れることの出來ないのは、その殿上の諸儀の進みとその庭上廻廊の威儀參列のきらびやかとの執れもが釀す、崇いとも尊いとも美しいとも雅とも靜かなとも嚴しいとも、明るくて肅として身の引しまるやうで極めてなごやかな何とも彼とも形容の出來ない雰圍氣の裡に、儀中にして儀中にあらず、儀一切に融合しつゝ又儀式の型に入らずひたふるにこの情趣を味得するの餘裕をもつ地位に立つたことである。さうして、そこには自分の外にもう一人自分と同じ、否自分よりももつと以上に此幸をしたものがあつたことを後世史家の爲に傳へて置きたい。此日は晴れてゐて秋も關、といふよりも冬の氣の先走つた但好晴の、日はぬく〓〓と一切を照らしてゐたが、そこにその白砂の上將た砌の石の上をあちらへ又こちらへと時々飛びかは27
つては心和かに何の役目も何の責務も無くいとも寸毫の心を動かす所も無しに悠々と日光に羽をあたゝめてゐる蜻蛉の一匹があつた、その蜻蛉、彼こそその日本一無上の仕合はせ者であらねばならなかつたのだ。大嘗宮こそ申すも畏い。宵の御儀-悠紀殿の儀、曉の御儀-主基殿の儀、いづれとも夜を出ない。日は旣に業に人界に光を收めて後のことで鷄鳴未だ曉を報ぜざる以前の事っ裝である。そこに光を絕しそこに普響を斷つ、人つどうて息をひそめ起起つて世を遠い。暗い中にホツリと現ずる侍從の乗る脂燭を先頭に御列は夢の繪卷を靜々と進む。鋪いて卷く布單葉薦は下に、綱を張る御菅蓋は上に、御菅蓋葉薦こそかの隱れ笠隱れ蓑か、中渡らせたまふを人とも神とも、現し世の人の目にはとまらじの、パツと消えると又闇の世、闇の世夜の國こそは此御儀の運び行はるゝ世界ではあつた。かうして夜、夜は陰、大陰は大虚に通ひ大虚は太古を呼んで大嘗宮中は神の代でなくてはならぬ。內陣はいよゝ畏し、外陣も窺ふを得ない、殿外南庭さへ僅に小忌幄舍に供奉の人々のそれのみで、他の皆は神門外の幄舍の事だ。そこで神門內の御儀は皆目門外にはわからない、というて已に一たび神の世に還されたこの場に、門內から門外への行きかひも出來る筈がなく、第一音と人とを斷つた門內ではひそか言も愼まねばならぬ。しかも聖上の御動作によつて人々は起立着床のけじめをもつ。こゝにこの事に就て豫めくさぐさ思ひをめぐらされてあつた。神門內の小忌幄舍のほとりに立つ役を承つた私は當然に此門の內外を連ねる仕事を受持たねばならなかつた。卽、一本の懷中電燈が私の手にあつて、これは豆の押し方で赤い灯と靑い灯とが自在に點るやうに出來てゐた、そして神籬の一ところに小さな穴をあけて置いて、そこから懷中電燈の口をのぞかせて二色で起立と着床とを合圖するのであつた。まことにそれは神の世のひめ事を雲の透間からそと下界へ洩らす一筋の星の光のやうなものである。此懷中電燈の事は或は子供だましのやうな事に聞かれるかもしれないが、こゝまでに案じ出すには中々智惠をしぼつたものだ、何しろ眞暗な中で音は立てられないし物は云へないし動作はいけないし光は禁物だし、そこで向うへばかりしてこつちへ照らない電燈に彩で物を言はせることにしたのであつた。それもこれもこの御儀の夜の世界人間を超越した世界といふ絕對な立場に專らな次第であつた。ともかくもこの御儀にこの階下南庭で奉仕した私は、宵の御儀曉の御儀、半夜又半夜を通してまさしく太古の雰圍氣に漬かり雲のあなた
の神の世にあつたにちがひなかつた。どうでも樂屋はさうしたもの、ではあるが御大禮の仕事は又格別、別してはその御用意何としても近代初めての事とて究めては定め定めてははこび、三重四重の困難十重二十重の面倒、中に最むつかしくて最大切なことといふと必ず御儀の精神に關し、そして勢ヒ神代太古の世界へ溯らねばならない。この神代!この太古!大禮奉仕の御用は御用自體こゝを以て頗神聖と崇高とを兼ぬるものでなくてはならぬ。十有餘年の夢、往事は茫として煙の如し、煙霞時辰の隔障を無みし去る、無みし去つての後·······當年の微臣唯今の野人、生きて再び此盛儀に際し、直に紫宸の緣大嘗の庭に伺候し、竟に、心そゞろに漂渺として神代に飛び太古に還る。その神代!その太古! 30神代と太古と、それはいづれも今ではない、界の中の事である。現實ではない、全く人の心の內、想像の世試に擧す勅使發遺の儀、かほどの嚴肅な儀式の下に幣物は肅々として昇き出される、又擧す京都行幸の儀、龍駕御一世の盛觀を盡くして宮城を出でまし給ふ。かの幣物は奈邊に向けらるゝかといへば、吾人の耳目の對象の上遙かなる太神その他の神々へであり、その車駕向はせ給ふは舊都、その永定の宮居から暫く御政治の中心をさへ移させ給うてひとへに古、の故に頓に遠隔の地に斯くの重大儀を赴き行はせ給ふ。更に擧す紫宸殿の儀、殿上には第一に高御座御帳臺南榮の日像の繡帽額、軒廊後面の絲綾軟障、庭上には日像月像の纛旅以下さま〓〓の錦旛から鉦皷杵に至つて立て並べ、殿上庭上に亘つて衣冠東帶の役人威儀と衞門との本位に群列じ、そこに於て、御東帶黃櫨染の御袍を召させらるゝ聖上高御座の上に立たせたまふ。又擧す大嘗宮の儀、すでに前に述べたる如く御宮といひ御境といひ形の上からが已に現世ではない、世界を遠い古(とし人々自らを昔にしてしまうてゐる。-これ等をどう見る。實は正にかういふことにならう。まざ〓〓しい現實の品物をもて世を異にする神々に奉られ、不動の帝京を古、の近かるの故に暫く西·京洛に移され、昭和現代の愈將來に顯揚せられ給はんが爲にさへ始に方つてその行事一切、古に則られ、遂に現世の光と音となき處に神々と神集ひさへせさせまし34
ます。恭しく惟みるに、御意義は極めて簡單である。聖上踐祚の式を以て已に御位に在らせらるゝを彌發し彌明らめさせ、こゝに卽位の事を上は天地神明に〓げ給ひ下は萬民草木に宣し給ふに過ぎぬ。しかもその御行事の丁寧重大なのはひとへに古を尊び古に則らるゝ所にあるのである。この古を尊び古に則らるゝ所以は抑如何といふに、所詮は、御一代御一度の而も一切の始に當つて極めて愼重に極めて謹嚴に、この機會に於て、この古の自ら尊きを顧み給ひ念じ給ひあこがれ給ひ、依て以て竟に御衷心を御動作御境遇にさへ現はし給はんの大御心であらうと思ふ。一日の事は朝に、一年のことは元日にありといふ、畏くも御一代の御事は卽位の禮にとの思召でがなあらう。獨り斯の君に限らず皇範之を定め給ひ歷代代を重ね給ふのである。古っ!この古。!とは大小くさ〓〓の御儀すべての大方であり、それは皆いづれも現實の世界ではない有樣である。非現實!その非現實とは前後十數の御儀すべての大方であり、それは皆いづれも我等の息づき飯食ふ世界ではないことである。しかも亦さうでない。古い!それは現に昭和なにがしの年なにがしの月と日であり、32非現實-それは只まさに君そこにおはし臣こゝに在るに間違ひはない。則こゝにかういふことになる、方に今を以て古に居り現實を以て非現實に在す、と0更に又之を何とかする。詩だ、詩だ、詩だ。詩も詩、大いなる詩であつた。大禮全般は實にたぐひなくうるはしく立派に大きな一つの詩でなくてはならぬ。大詩、それはいつの世ともしらぬ遠く古き上代に超人の作せる大きくまどかにかゞやかしいそれである。國あつて國みづからの作せる詩、代あつて代みづから作せるの詩、詩だ、詩だ、大きな詩だ。昔は禮樂を以て國を治めたともいふ。今は又、斯の國の斯の君の、かしこくも御代始に大詩を行はせ給ふ。斯の國の民我等、詩の國の民我等、詩!、詩!!、詩!!!。我等はいつも詩をもたねばならぬ、いつでも詩に處らねばならぬ。33かしこくも御代始に詩!!!。我等はいつも玆に下の樣な一つの最近の實話を附加へることに依つて此稿を結ばうと思ふ。それはかうである、-龍駕西し給うた數日の後であつた。日比谷公園のあたりから宮城前苑へ向
つて人の雪崩れをうつて入り込んで行くのを見たことだ。日比谷で銀座の方へ拔けようとする自働車の上、一寸も動かなくなつたその車上に、つく〓〓その群衆を見つゝ思ふことがあつた。何を自分が考へたか、といふか。人々は皆過ぐる日の鳳輦進行の跡を見に行くのだ、と考へついたのであつた。鳳輦御通りの跡、そこには今は只の松の木に芝生、味も妙もないアスフアルトの道路敷にヒヨロ高い奉迎門、その外に何があらう。そんなに何もない伽籃洞の中へ立つて人々は何が面白いのか、そこに求めて何が得られるのか、いづれ人が行くから我も行く、といふ群衆心理からではあるにしても、その群衆心理は何がさうさせるのか。他でもない、矢張それはその道路その道筋に今の樣に昨日の行幸を描き見ん爲めであつたのだ。思へ、鹵簿の通御は正に數日前であり兩陛下には今山河三百里を隔てゝ古都に諸儀日夕におはす。人々-全都を擧るかと疑はれるこの群衆は、只そこに道路と環境とのみの同じ現實の中に、今こそ練りも行かれんと鹵簿の非現實をまざ〓〓と描かうとするのである。そこに何百何千何萬の人のこの群衆の列よ、どこまでもつゞいて切れやうとはせぬ。そしてそれだけの人數は皆この非現實へのあこがれをもつてのことである。人々の現實見たきそれの非現實、それはやがてけふにきのふ、今の世に古を戀ふ人々の心でなくてはならぬ。現實にして非現實、今にして太古となる時、人々-この無數の群集やがて入一般はひとへに詩を、大衆は一切立派な詩人でなくてはならぬ。君大詩を行ひたまひ、民大詩を謳歌し奉る。詩とは、常に、人を貫いて天より地に及ぶもの······、詩、詩の心!斯の心を廣く斯の心を深く、斯の心を恒に、斯の心をとはに。大儀畢る冬おもむろに來りけり
春曉大王チーチー、チークルウチーチー、チークルウひと他の家へ泊つた今朝、尾籠な話だが曉早く厠へ急いだ。用便にかゝるとふと小島の聲を聞く。時はまだ四時ちよつとなのに、春の夜はもうとつくに明けてあかるく夜とはいはれ병それに町の眞。中のこゝの家も、町が元來丘陵と谷丘陵と谷のその間へ無理に開かれたこととて、風の窓の前-家の背後が亦突然嚴の崖になつてゐて、圓の窓から斜に眺めると、その崖の上から、何の木か一本、まだ葉をつけない高い木が斜に、斜といふより大方橫ざまなまでに五六軒上の家の家根の空高く躍るやうに突き出てゐた。小鳥の聲、それはこゝから來るのであつた。そこに小鳥は居た、それが今鳴いてゐる聲の主なのだ、そのツと突き出た枝の尖キにゐるのだ。小島といへば小島だが、もしその鳴き聲を先づ聞きと36つてゐたのでないとノそれは島とは思へぬまでに小さく見え、丸で虫か何か、それも氣をつけて見ないと只細枝にある小さい木の瘤とばかり、生きて動くものとは心づかぬまでに小さな黑點であつた。但聲、聲は、さうはいふものゝからだの小ささに似ぬ、それは〓〓高い透き通つたものであつた。どう透き通つたか、それはその曉の靜な空氣をどこまでもたとはゞ下へ〓〓つゞく町の家根〓〓を越え、町につゞくずつと下の海岸からはてしのない海原のあなたまでもと澄んで突き進んで行く力を持つてゐ、そして更にあとから〓〓その聲を惜まないのである。聲はおのづから一つの歌をなす。チーチー、チーチーと鳴く。又チイーともつゞける。と思ふとクルヽ、クルヽといふ。かと思ふとチヨッチヨッチヨウ-とも鳴けばチチチチーツルウとも歌ふ。又やがてビークルウとも鳴く。37と鳴く。又ともつゞける。といふ。かと思ふととも鳴けばとも歌ふ。又やがてとも鳴く。と思ふと
彼はかういふ三四種の節を適當に鹽梅し、ふ。これが、人間のまだ起き出ない前の世界である。家々は崖の上の方にも點々と上へ〓〓重なり建つてゐる。崖からの下界はずつと櫛比してゐるが、どの家もまだ眠りに落ちてゐる。ところが、鳥の世は人の世より早く覺める。鳥どもは人煙に穢されない以前の春の一朝一朝を、我が世と思うて歌ひ囀る。そして人間が眼を覺ます時分になると、もう彼の歌の世界ははてるのである。繰返し疊んで行つて一つの樂を奏し歌をうた38用便の間の耳は無用だ、丸あきにあいてゐる。無用な耳は唯もうこの小鳥の音に貸し切つて置く。囀はよほどさつきからやつてゐるらしい、氣のついたのは後架へのぼるとからだが。腹は、けさすこし調子が狂つてゐて何となく違和を感じる。さういへば、昨日いちにち朝から重い頭と此數日の腹滿の心持とはどうも膓 異狀を來たしてゐたらしいが、さういふ腹の方は腹の方で違和のまゝにして置いて、耳は依然としてかの崖の木の小鳥の囀りの世界に漬かり切つてゐる。好い聲たな、と思ひ、澄み切るな、と思ふ。又た隨分遠くまで響くだらうな、と思ふ間に、腹の工合なんか忘れてしまつて、いつの間にか鳥のことばかりになつてしまふ。忘れたと云つても勿論いやな蠕動や不快さは克明に覺えるのではあるが、それはそれとして、鳥の聲から鳥の形鳥の居どこまでどうも他事とは思へぬやうな氣持がする。そしてそこには、あの高い〓〓木の梢から遙か下界のまだすつかり起きてしまはない町の家々を見下ろしてゐる樣な-それはそこの小島になつて-氣になり、その朝の〓凉な空氣に身も心も存分漬かつてゐるやうな氣になり、結局好い心持に腹一ばい氣を吸うて吐いて高い空と低い下界との中間に、自分は小鳥で、囀り轉つてゐるやうな氣持になつてしまふ。又、腹がブツ〓〓と鳴る、小鳥はチーチーと鳴く。曉の〓氣が窓からひし/〓と寢卷の肌に滲み入る心地よさ、それはその小島が小鳥の羽衣の下にしみ〓〓と味はつてゐるそのひろがりのつゞきに。39この春の曉の世をしろしめす大王-小鳥は、何者の犯すなく何者の脅すなく妨ぐるなくこのところ、まさに天上天下唯我獨尊である。私はもう自分が、人の世界にゐるといふことを、そして自分が人であるといふことをさそして自分が人であるといふことをさ
へひたとねすれて仕舞うてゐた、そのこゝが圓であるなぞといふことは勿論、又旅先だといふことも始めから覺えてゐなかつたかのやうに。そしてそこにそのまゝ自分は前も後もとなく「現在」に永久にゐるのであつた。春曉大王!それは聲に出さないで當てもなく大きく呼びかけたそれであつた。さうして、どうやらそれがまた自分自身に呼びかけられてゐるやうでもあつた。チーチー.クルウチーチー、クルウチークルウ〓〓〓〓チービヨロ〓〓ピークル〓〓〓〓ピーさうし秋冬うれし庭の東南の隅に一坪ばかりの竹叢あり。常はうちすて置くに、ある日、ふとその中に赤きがほの見ゆ。何ぞと下り立ちみれば鴉瓜なり。五とせ六とせが程にもなきこと、めづらしく、いかにしてと蔓をたぐれば、蔓は隣よりす、塀を越え藪をわたり朝陽うくる方に五つ七つならず赤々と照りぬ。あはれに美しく、されどかくては座敷よりみえず、藪のこなたに移さんと蔓たぐりよせ、さて座敷よりの眺め草とす。いとくれなゐなるが靑き竹の葉にうかびてさながら彫りたるが如し。朝夕といはず、日にいくたび緣に佇むはこの小さくあはれにうつくしきものゝわが心を騷がすなりき。野にはさもあれ、市中の古庵こそをかしけれ。+1庭の木々の中にいち早く葉の散るは柘榴なり。ついこのほどまでその實さわに生り熟し
て紅頰紅唇おもひ〓〓なりしを、今はたゞ二つ三つのうらなり、細くこまかき葉の密に茂りたるが一夜の雨に散りさらばうて、ハラハラ〓〓〓〓見る間に裸木になり了しぬ。あとには只細々の小枝の算なき、なほとげ〓〓しきが空へ向けてきそひ立つ。但.葉の散りやうの早く未練なきさま胸のすく如し。にはかなる寒さ、身に入むとよりは冷え切るばかりなるを、殊には朝早う、火鉢置きもせで、つめたき手先こすりあはせなどしつゝ、寒さ堪へゐることの氣のすが〓〓しさ、身の引しまりやう。初冬ぞよき。二た木の欅の大樹、菴を前後に挾みて峙つ。一木は一木より散ること早く、はや大方になりぬ。一木はなほ半。以上の葉をつけ、やう〓〓それも黃ばみ行かんとす。庭の方落葉已に深し、このほどの雨つゞきに凡そ濡れほとびたれど、門內の方は今なほ散ること新なbo落つること新らしければ葉も乾くこと太し。朝午夕、或時は夜も、人の來るに、門より玄關までの路、カサ〓〓と明るき音を立てゝ入り、又明るき音立てゝいに行く。輕く小刻みなるけ郵便夫にして重くゆるやかなるはともがらのとぶらひなり。消ゆるばかりにかろ〓〓しくて思ひの外高う聞こゆるは雀の餌あさりてあちこちする音、うたてきは象のひたくだちにくだつかと心つかはるゝ降りつゞく雨。しみ〓〓としみこむばかり白く冴え〓〓しき月の光をうけたるこそ淋しけれ。多摩川原の冬たゝへばや。水のへりにへりたるに、磧あくまで白く、片より流るゝ淵瀨さりとは淵といふほどもなく、蛇籠しがらみの遠く砂礫に眠りていつの世よりか水忘れたらんさまなる。う·、二つ、千鳥のつと飛び立ちて鳴き渡るなど。多摩川をもつことは武藏野のあることゝともに今の都のほこりなるべし。43首まで夜着深くかぶり、身をあたゝかく、好もしき書讀み耽るに、靜かなる夜のありさま、まことに生死をものゝ外に置きたるに異らず、折ふし遠き境のことなど思ひ出で、つか書とり落し、はる〓〓うつゝにまよひありきなどす。枕近うあかき灯。
巢鳥「どうも巢をこしらへたいらしいどおもつたのはもう一月ほど前、······一月半も前たつた。草庵の小庭のつい鼻先、緣から二間のところの一木の梢、というても、夏になるとあまり廣葉が茂つて欝陶しいので、每歲夏初めに梢から大小の枝から凡そ空へ向いたのは皆坊主に伐つてしまふそれで、樹の高させい〓〓一丈ばかり、その一尺下がつた邊に一つの小屋根をもつた小箱がとりつけてある。箱は、高さ六寸、幅三寸、奧行四寸位の大きさで、それでも屋根は杉皮葺になつて居り正面に徑六七分の小さな穴が一つあいてゐる。その穴をもつ正面を西へ向けて、その正面の方だけ二寸幅の緣側がついてゐる。これは外でもない野島に棲家として提供した巢箱なのだ。秋から冬にかけて年々どこからか飛んで來る鶲の一羽が、隣へ洋館が出來てから通ひ路を無くした爲めか來なくなつたものゝ、それでも笹啼が來る、四十雀が來る、その他いろ春先は鶯さへ來る。兼て、武藏野を世界とする小鳥ばらは段々巢をつくる場所が乏しくなつて來たから東京近郊などでは彼等の爲に巢箱をこしらへてやつて、彼等小鳥の繁榮を助けてやらうではないか、といふ人間の美しい心の現はれから、世のまことの一小部分にではあるが巢箱奬勵が唱へられた時こんな市中ではと思ひながら、よく前に言うたいろ〓〓な小島が、例の二本の棒の大樹に、そしてその枝々から小庭の木々へと傳うて下りて來るのに思ひついて、三つばかりはとりつけて見たのであつた。そしてその三つの内二つには幾春か雀が宿つて、幾羽の子を孵したことであらう、が、それも暫くで、雨に腐り風に落とされて今は影もないことになつた。たつた一つ殘つたそれは、今あるそれで、これはあまり緣から眞近であつたせいか、雀さへ一度も巢くはず、そのかはり、巢箱もいたまずにちやんと現存してゐる。一年二年、三とせにもなるそれは、丸で、作り庭の飾り霜除同然唯庭前の眺め草に他ならなかつた。外から來る人には、無理にも風流がつた企てとのみ思はれるだらう。自分でさへ、むなしきいくとせの月日の流に到底駄目だとあきら45
めてゐた。それが去年の春の事。或朝、その巢箱の屋根に一羽の小島がとまつて居るぢやないか、四十雀だ。さうして、その屋根からうつ向けになつて巢箱の穴の方を覗いてゐる。一羽かと思うと又一羽、それは巢箱の正面と相對する他の一樹の枝の先から、矢つ張箱を注視してゐる。トその內その一羽がさつと飛んで巢箱の緣側へ行つた。暫くはあたりへ氣を兼ねるさまであつたが、やがて思ひきつて小さな穴の口へ飛びつく。そして、嘴でコツ〓〓コツ〓〓穴のぐるりをやつてゐる。どうかすると上半身を巢の中に突つ込んでしまふこともある。ト人のけはひに驚いて飛んでしまつた。一時間ほどたつと、又來てゐる、チイ〓〓鳴きながら一羽がその箱のぐるりを飛び廻はると、他の一羽がまた箱の穴へ來てコツ〓〓コツ〓〓やる、一人が仕事をして一人が番をしてゐる樣子。見ると、小さな嘴の尖で穴のぐるりをつゝいてゐる、極めて僅かづゝではあるが、これは木を削つてゐるので、つまり穴が小さくて出入がむつかしいから穴口の開46鑿にとりかゝつてゐるのである。る。二三日立つと、穴の緣の一部が白々と削り跡を見せてゐ「たしかに巢をこしらへたいらしいのだと、わかつたので、鳥の來てゐない間に、小刀をもつて木に攀ぢ、箱の穴のぐるりにその小刀を加へて削りひろげ、これなら彼奴が充分出入りが出來ると思はれるまでにした。その翌朝例の二羽の四十雀は例の通りやつて來て、巢箱のぐるりを飛び廻つてゐる、飛び廻ることは飛び廻るが一向に箱の上にとまらない。頻にぐるりの樹の枝から樣子を窺つてゐたが、やがてつうとよそへ飛んで行つてしまつて、もう二度とは來なかつた。一夜にして大きくなつた箱の穴が氣味惡かつたものと見える。恐らくは、穴の大きくなつたのよりも削つた後、の小刀目が白々と木肌を露はしてゐるのに、不安を感じたのであるやもしれぬ。-かうして、とう〓〓巢箱は又小島とは全く緣のないものになつてしまひ、そこに又夏秋を一冬を、更に存在の意義なく立腐れになり行くかの巢箱ではあつた。もう、巢箱のことなど思うて見ることもなかつた。朝に夕に目の前にぶら下がつてゐても巢箱よと考へもしなかつた。47
又年がかはつた。鶯が來て鳴いた、雀が子を孵した。さうかうしてゐるうちに又四十雀がチー〓〓チー〓〓鳴きつれて來だした。二羽も三羽も五羽も六羽も居るらしい。屋根を蔽ふ二本の大欅の枝から枝へ飛んで遊んでゐる。中に一羽高々と囀つてゐる、と、又別の一羽も聲朗らかに囀つてゐる。あとの澤山は皆雌らしい。一羽二羽の雄島に數羽の雌鳥が嬉戯し唱歌し舞踊する。戀でなくてはなるまい。-かういふ幾日かゞつゞいた。その或日、ふと氣がついて見ると、來てゐる!あの巢箱、去年なまじひに手をつけて來かゝつてゐたのを逃がしてしまうたその巢箱は、そこに今年又新たに珍客を迎へてゐるのであつた。そしてそれは矢張去年そのまゝのありさまに··コツ〓〓コツ〓〓と小さいがきつぱりした音がつゞく、それはあの穴の周圍を刻む嘴の音である。穴は去年の時ひろげてあるから出入は優に出來る。見てゐると何べんも出たり入つたりしてゐる、そしては時々コツ〓〓をやるのだ。「やつぱり、巢がこしらへたいらしいんだなと思ふ。48それから數日?十數日の時が流れた。もうその時分には欅の空の歌舞嬉戯もなくなり番ひ、負める唯一万の四十五進惠ののるる」本も心に終日庭の庭に一羽がどこかへ飛んで行つてはずぐ歸つて來る、歸つて來たかと思ふとその邊を飛んでゐるが、隙を見るやうにして箱の穴へ入る。又飛び出してどこかへ行く。歸つて來ては穴に入る、といふ工合に。「いよ〓〓巢をこしらへたらしいそれから又日を經るうちに今度は出て行つては穴へ歸る鳥が二羽になる、二羽になるから往復が非常に頻繁になる。-これはかうであつた、始のうちの一羽で通うたのは、巢の中で雌が卵をむしてゐた爲めで、後には卵が孵つたと見え雌がむす必要なく、却て子は餌を要することが多くなつたから雌雄二羽で餌あさりに忙殺されてゐるにちがひない。もうその頃になると、巢箱の中に別にチイノ〓〓〓といふ雛の聲が時折して、親鳥が蟲をもつて來てくれるたびに鳴いて迎へるのであつた。「とう〓〓巢をこしらへたなとおもふ。そして三年越し四年越しの長い〓〓望をかなへたといふよりも、「どうしても49「どうしても
入らない、巢をくはない」といふことについて(自分では氣づいてゐなかつたが自然に)背負つてゐたらしい心の重荷を下ろしたやうな急にすつと肩の輕くなつたやうな氣がした。そして、それはまあよかつた、これでよかつた、矢つ張巢箱を掛けてよかつた、といふ樣な心持である。かうなると、もう巢箱の巢島はあまりに當然過ぎる位當然の存在で、自分にはあつた。又しても緣へ出て巢の方を見る。氣にかゝりながら度々出て見るのが面倒になり、緣近く机を進めて硝子障子越しに鳥巢を眺める便を採る。どうかすると、執る筆を忘却して庭ばかり見てゐることがある。二三日つゞいて忙しく外出勝であつた擧句の庵居の一日、どうも四十雀が巢箱に往復しない樣だと氣がつく、それに雛鳥の聲も一向に聞こゑない。それでも此頃の自分の日課の樣になつてゐる庭仕事に庭に下り立つてゐる時、珍らしく二三羽の四十雀が鳴きながら木から木へ鳴き飛んで來た。巢に入るか、と見てゐると巢には入らず、巢箱の屋根から前の一木へ飛んだそのうちの一羽が、どうしたことか、さも水にでも落ちて上がつた樣な恰好に羽をぶる〓〓震はして、それでも二間三間のところはサツと飛んで、やがて枝から枝へ、はては大欅の梢近く、外の數羽と一しよに枝移りして行つた。もうとつくに巢立ちをして今は親鳥と一しよに飛翔の稽古がてら餌をあさつてもらつてゐるのと見える。花壇の土をシヤベルで打かへし〓〓してゐる頭の上の欅の梢で、ツイ〓〓ツイ〓〓と、この間內巢箱の中から聞こえてゐたのと同じ雛鳥の聲が幽にしてゐた。「アヽあれだと、腰を仲して欅を仰ぐと、日々に增さる若葉の色を重ねた透間から遙か高く晴れ切つた夏近い空が、とても朗かな碧さを靜に深めて居た。×こゝが東京市中であることを註して置きたい、それから十坪ばかりの小庭の出來事で、ぐるりに人家が取圍んでゐることをも附け加へて置かう。只だ屋根を掩ふ-といふより屋敷を覆ふといふ方がいゝ位欅の大樹二本が枝さしかはすことと、古家の緣側-丁度巢箱とつい近く五尺に三尺の大鳥籠があつてそこに數十羽の小鳥が朝夕鳴いたり飛び廻つたりしてゐること、若しこの二つが四十雀の巢作りに何等かの緣をもつたものとせばぞれを
ほかも言ひ添へて置かう。その他には?······まさかこれは關係はあるまいが····降るだけの此大樹の落葉を大切に溜めて一冬を落葉に降り埋められて喜んでゐるやうな靜かなことの好きな庵主······これをしも言ふならまあそれも言ひそへるか、序だから。×我いほといふ句を思ひ出す。というて、は鷺に宿かすあたりにて52日のちり〓〓に野の田園野情でもなければ、又髪はやすまをしのの幽艶隱棲でもない。に米を刈るまをしのぶ身のほど日々尋常、もうぢき、市井平凡である。卯の花が咲くであらう。蟻植木鉢二つ、一つをうつぶせに、それは地べたへしかと小緣をくつつけてゐる。一つはは仰に、それは土が一ぱいはいつて、但何も植はつては居ない。何か植ゑてあつたのだが何だかわからず、今は只一面に雜草の一分二分になるのが靑々と覆うてゐる。ことによるとヒヤシンスが植ゑてあつたのかもしれない、そして今も猶この土の中にその球根が又來ん春までの永い眠をつゞけてゐるのかもしれぬ。53每日の小庭いぢりに、けふは花壇のぐるりを古煉瓦でとりまいて從前の花壇べりとの間に今一城外壇を、との考へからせつせと煉瓦を運んで來ては一枚づゝ長く縱にならべて行く。別に埋ける必要もないから只置くだけでいゝ。並べながらそれが段々長くなつて行くのを見て、何だか萬里の長城のやうな氣がして來る、煉瓦の萬里の長城もおかしいが。尤
もあのありし世の本物の長城はそれは〓〓大きな工事で非常な歳月を費したが、今自分のやつてゐる長城はどん〓〓進行して瞬く間に蜿蜒と出來上がつて行く。用意というては手袋二組だけ、薄いメリヤスのの上に、太い木綿糸の荒目の兵隊さん用のをはめる、それで緣の下から煉瓦をせつせと運ぶ。ものゝ十分もたゝぬうちに工事は大方畢る。その時、突然工事を中止しなければならない事情が發生した。それは、あの二つの植木鉢に關係する。とはいふものゝ、それは植木鉢による客觀的事情によるといふよりは、工事者の主觀的冥想の然らしむるところであつた。-私は、その(或は)私かぎりの主觀によつて人々の前に此萬里の長城の工程の中止を一時餘義なくすることをすまないと思ふ、「何だ、それはお前のいつもの病的な低御趣味に過ぎないではないか」と若し一人でも誤解させてはと恐るゝゆゑに。が、どうすることも出來ない。現に私は實際に中止をしたのだから、少くもこゝ一二時間、或は明朝までも。兎に角、こゝに起つた、或は自分によつて捲き起された一事件-一大事件の一たび鎭靜に歸するまでは······事件とは? 54丁度幾つ目かの煉瓦を据ゑる位置にあつたこの天地倒逆の二つの重ね植木鉢、それの上のを自分の手がとつて脇へ置いた、その下の植木鉢の底の世界の事であつた。前にもいふ通り其下になつてゐる鉢はうつ伏せであるから底は卽天へ向いてゐる、丁度屋上庭園の樣な鹽梅に。その屋上庭園に一面に黑い小さい動物(それは蟻であつた。)蟻が群つてゐて、自分が上にのつてゐた鉢の一つをとつた爲、それが非常な騒動を始めたのである。見ると、その眞黑な蟻の一群の中に白い小さな卵の樣なものが又澤山ある、更にその白いものゝ中にはより小さな黑い點が一つ〓〓仄見ゆる、孵るばかりの蟻の子だ。それを母蟻か養仔蟻かが孵育してゐたのらしい。云はゞ產褥のもの暗さが俄かの明るみになつたので群蟻はもう卵をくはへて避難の爲め右往左往の爲體。結局どうするかと思ふと、鉢底の穴が土で一ばいで埋まつたその眞中に二匹の出入に足る程の小穴があいてゐて、そこへ皆逃げ込むのであつた。暫く見てゐるうち一匹もゐなくなつたから、さてはと思つてその鉢を手にとり上げて中を引つくりかへして見て驚いた。これは奇術師の手品の箱のやうに、中には一匹の蟻も居ない。もうさつきから停頓の狀態にあつた萬里の長城の工事など斷然問題でなくなり、各丸い白玉の卵をくはへてのあれだけの蟻の行衞を不思議に思ふばかりであつた。稍經つて自分はも一度鉢をひつくりかへして見た。そして思はずニヤリとした55
(にちがひない、若し此時側に見てゐた人があつたら)。これもいつか何か植ゑた後トを不用になり植木を拔き倒さに土をはたき出したが、土の一部が五分位の厚さに底の方にへばりついてゐたのであつた、その鉢の底とその土とがなす僅かの空隙に蟻は巢をかまへて居たので、自然そこは鉢が伏せられてゐる時譬へば或ビルデヰングの最上樓に當り、そこから底穴の階段を通じて出た光線を遮つた屋上園を孵育場に充てゝゐた鹽梅になる。手品の仕懸はそこにあつた。卽屋上園を露出された彼の蟻の一族は巧に且神速に當然の棲家に引揚げたのであつた。-私の心はもうすつかり蟻の國蟻の世界を追つかけてゐた。此蟻の一團の騷動は屋上の連中こそすぐ鎭まつたが鎭まらないのはその鉢に伏せられた地面に穴をもつてゐる連中であつた。これはなか〓〓片づかない。ト見るとそれから五寸ばかり離れた處に小さな砂の丘が出來てゐて、その砂の中から極僅か紙片の端みたいなものが出てゐる。矢張何か蟻の仕業らしいので、試にその端を引張つて見ると、それは子供の喰べ捨てたキヤラメルの包み紙で、それについてゐる數しれぬ蟻が又散亂した。それは矢張植木鉢の下の蟻の別働隊が今朝でも見付けたか獲物の嵩ばつてゐるのを、穴へは持つて行かず、近所に土砂を覆うて臨時貯藏所を作つてゐるのであつた。突然此貯藏所を破壞56した人間の指に對する驚駭の中にも、彼等は直に土や芥屑を運んで早速修繕にとりかゝる中に驚かれたのは、流石に此急場の處置として、重くて嵩の低い土の缺によりも輕くて面の廣い腐り落葉の一片などを曳く蟻の多いことであつた。彼等は一刻も早く此折角苦心の獲物を他物の視界から遮斷する必要を感ずるのであつた。それから又一尺程隔つたところには一匹の小蚯蚓を無數の蟻が寄つてたかつて引張つて來る。これはどうしても百、二百の數だ。これは主に獲物の頭と尻尾と胴中との三部に主力が盡されてゐるが、これにも蟻の智惠の人を驚かすのは、中に、土くれとか塵芥の類ですこしでも運搬の途に當つて邪魔になるものがあると、必ず先づこの取除工事にかゝる數匹を見出すことである。こゝに又面白いのは、鉢底を露出された恐慌混亂の一方、その拍子に、鉢廻りにくつついてゐた蚯蚓のはね飛ばされたのには、時を移さずその仲間の一部がもう襲撃を逞うしてゐることであつた。57こんな道草で萬里の長城は工事を中止された譯なのだ。-自分の心はいよ〓〓蟻の世界の蟻その者の腦髓の中へ這入つて行く。-いつの間にか、.〓は超意識的に觸角を振
つたり無暗に腕や腹に力を入れたりしてゐるやうだ。今に始めぬことではあるが、何よりも蟻の根氣よさ、次に變亂に際して事熊拾收の力、更に一方棲家を覆へさるゝに遭遇しながら他方に進んで好餌の好機を逸せざる沈勇敏捷の振舞、己が危險を忘れて幼蟲を保護し傷友を扶ける情合など、見れば見る程事あまりに鮮かなのに息もつかず眺め入る。そして眺め入れば入る程そこに色々な狀態が展開して來ていよ〓〓自分は蟻となつてそこらを馳驅奔走する。蟻の事となると、玆に一つかういふ事を〓白せねばならぬ、そしてそれは蟻に對する好ins感であるよりは寧ろ憎惡に近いものである。每年夏の初からいつもの事ではあるが、此奴が油蟲の卵をもつて來ては何といはず植ゑた草木にくつつけて其油蟲の成長に依て草木をひどい目に合はせてしまふ經驗を重ねて居る。だから今年なぞは朝夕だけでなく晝中でも思ひ出しさへすれば蟻さへ見れば、油蟲の居る居ないに拘らずすぐ噴霧器をもつて殺蟲劑を吹きかけることを怠らない。此周到面倒な注意によつて油蟲の害は免れてゐるが、それだけ油斷も隙もありはしない。それだのに蟻の方も實に辛抱よくこつちの監視の眼をくゞゐ。二三枝を攻めれば翌日はきつと又別の二三枝に移る。草の表側の方のを皆退治てしまふと葉と葉との重なり合ひ縺れ合つて一寸見えない邊に窃にかたまつてゐる。こんな始中終の心遣ひから蟻さへ見れば目の敵にしてゐたのが、その蟻に心を惹かれ、その蟻に好意やら同情やらをもつやうになつて來、とう〓〓目の中へも入れたい程の親みを感ずる?に至つたのも不思議、その癖、それだからというて蟻に對して噴霧器攻擊を撒囘しようなどとは夢更思はないが。59來客の爲に座敷へ上らなくてはならなくなつた自分は、その後の蟻の國の一切の中に引續いて沒頭してゐるわけに行かなくなつた。思ふに、無論彼等はせつせとその務をいそしみ動んでゐることであらう。-キヤラメルの包紙は?蚯蚓は?さてあの卵蟻は?座敷に野ひ合つた二箇の人間の話はくさ〓〓のものであつた、そしてそれから〓〓と限りなく話題はつゞいて行つた。そのうち、客が時代の靑年の指導などをやる或會の役員であつた爲め、又しても話は若う人の上に關ることが多かつた。さうして、「今の若い者は氣力に乏しい」とか「勉强心が薄い」とか「持續性を缺ぐ」とか「稀薄だ」とかいふ言葉の
種類で批判されがちであつた。そんな話の間、客は色々な統計や實際問題を並べ立てゝ說うなづき明するのに、主は默々として只だ頗同意の點頭を繰返すばかりであつた。この無言の賛同の底意、そこにはあのさつきの無數のそして色々の蟻の行動想念がまざ〓〓映し出されてゐたことである。勿論翌日のつとめて、旭の出る前の小庭の花壇は靜閑その者平安その者であつた。更にそこなる蟻の國の蟻の家の動亂など痕形もなく、そこらに蟻の世界のありとさへおぼへず頗閑々としてゐる。どうしたのか紫苑は伸びが遲いが、萩は高く紅蜀黍は尙高い。芒靑々と、秋海棠も水引もボツ〓〓花をつける。つら〓〓と幾列も各種の葉鷄頭は二尺から一尺の脊丈を思ひ〓〓に丈くらべして一夜の夜露の甘さと此曉のそよ風の爽かさに靜かな息を吸うては吐く。雁皮の花の朱のさても久しき咲きつゞきよ。蟻?あれ程勤勉な蟻も一向姿も見せぬところを見ると、流石にまだ寢てゐることであらう、と思ひながらも一度よく見廻はす。居た、矢つ張居た、あのキヤラメルの包紙の貯60藏の仕事をまだつゞけてやつてゐる、十數匹が。庵主の煉瓦の萬里の長城は未完成なのに、尖端を高くしてゐる。蟻の臨時貯藏所たる土のピラミツドは益その
仰のいて四十雀朝夙く雨戶をあけて庭に出る。-巢箱のかけてある檜二本の茂りの梢に、チチチチ、チチチチといふ聲が無數にきこえる。オヤと思つて仰ぐと、四十雀が小十羽枝の間にゐるしかもそれは皆近頃孵つた子ばかりだ。今年は巢は作つた樣子もなかつたのに矢張やつてゐたかな、と暫く巢と鳥との樣子を見守つてゐたが一向そんな樣子もない。けれど、自分がその木の下へ行つても立つてゐてもちつとも逃げも飛びもしない。そこで緣臺をもち出して腰をかけてゆつくり眺めてゐると若い四十雀はやつと飛べる位なからだを枝から枝のつい一尺二尺のところを飛びかうて、或者は蟲を探すさまであり或者は羽づくろひをし羽搔の眞似もする。地上一丈の高さの樹62の枝の間の止まり處は彼等の安息所だ。そのうち、又四五羽又二三羽とどこからか飛んで來た彼等の仲間は前のと一しよになつて同じやうなことを繰返す。いつか、庭の西隅のその檜の茂みから東隅の隣の塀越しに突き出た櫻の枝へ、一二羽飛び移る。ちよつとそこで蟲を探しながら枝移りしてゐたがすぐ北隅の欅大樹へと移り行くと、あとから〓〓檜から欅へ同じ順に一羽二羽と枝移り梢移りをやる。樹の梢の高さは檜から櫻櫻から欅といふ順に高まつてゐる。島といふものは何か特別な場合-主に危險を感ずる場合らしいが-の外は、低い處から高い處へ移動する時必ず小刻みにそこにある限りの低いのから高いのへ順に移るものだ。これは飼つて置く籠の小鳥で日頃經驗してゐるところだが、今又此三種の樹の茂りを低きから高きへ彼等はその習性に從ひつゝあるのであつた。氣がついて見ると、此頃ぢう朝庭へ出てゐる時、よくチチチチ、チチチチといふ小さな幽かな小島の聲を聞いてゐたが別に氣にも止めなかつたのがあの四十雀だつたので、かうして彼等四十雀の子供達は每朝うちの庭へ散歩やら羽の練習やら餌あさりの稽古やらに出かけてゐるのだつたらしい。去年は庭の巢箱(果をして二番子三番子まで孵したから始中63
終氣をつけてゐた處、今年は全く四十雀のことを忘れてゐた。去年は四十雀はうちの小庭を住居にしてゐた、今年は別莊か遊園かにしてゐるのと見える。又柘榴の花が眞赤だ、美しい。渡り鳥「泳ぎですか?。わたし等四つか五つの時分から泳いでゐます。-始めて泳ぎを習つた時ッて、コチトラ泳ぎなんか習つたことあないですヨ。ひとりでに覺えるんですな。あの岸の高い岩の上で落としつくらしてゐたですヨ。わたしより二つか三つ年の上の子同士でした。仕舞に、わたしにもやれ、といふけど、わたしや泳げねえからイヤだ、というてたが、仕舞に無理に突き落しちまつたんです。何せい三間もあるんだからすつかり沈んぢまつたね。そのうち頭が水の上にひよいと出たから、無茶苦茶に手と足とでもがいたですそしたら泳げたんだね。一所懸命になると何でも出來るもんです。あの大島の方からよく小鳥が渡つて來るです、何百つて一しよに。すると鷹がそれを追つかけて來まさあ、鷹は餌にするつもりなんですな、ところが、小鳥は鷹に追はれてゐるのでおつかねぇから飛ぶん64ですヨ。さうでもなかつたら長い道中で、疲れて海に落ちて死んでしまふのも少いことぢやありますまい。鷹に追つかけられるから一所懸命で、地方まで來られるんです。何でも氣のものです、張り氣ですヨ」-(と船頭は語る)-房州の或海上、扁舟の上、渺茫たる太平洋に大島の姿もはつきりは見えない。その見えない大島と覺しきあたりの大空に、見ると一團の黑雲-それは何かわからないが或小島の一群-が、さも今にもこつちへ指して驀地に······といふ氣がする。が、實は極暑快晴風涼しく浪平に、天地一物の動くものもないのだ。只泳ざ足り漕ぎ足りた朗かな身を舟中に伸びに寢て「鳥が···渡る···」と頭の中、全く空虛な天が顏一ばいに。
風雲急「『戰時動員』の爲め無休の夜業までして大祭日一日ほか今月は餘暇がないから會はその日にしてほしい、會には是非出たいから」といふ意味のことを一人の同人は言ひ越した。さうして今はどんな仕事なのかと聞いたら、連日「鐵兜」を作つてゐるのだ、との事であつた。「自分達は作業の方ではないが、作業の方の人が無休夜業の爲に、その人達に關する事務を執る以上、夜は九時まで居殘る」と他の一人の同人は語つた。なら、人達は何をしてゐると聞くと、爆彈を作つて止まないとの事であつた。數多い同人のうちには、この人達のやうな幾人がみることであらう。尙、此人々以上に色々なことに努力してゐる人がどの位あるかわからぬ。國事多端、時局重大の折から、邦家の爲まことに御苦勞なことゝ感謝に堪へない。66た彈〓花爆も彈散のれ筒丸ぐ撥"そねれよとや月鐵か兜なも二奉天から錦州、又哈爾賓と北滿の軍事は進捗又進捗、一段落をつげたが、その間將兵の艱苦は言ふも愚か。上海方面に至つては目下いよ〓〓局面の擴大するのを見る。戰線の人々の辛勞語に盡くせぬ。人々が已にその一人〓〓の生死域外に超越しての奮戰振は只だ感激そのものである。吾人は新聞紙の報道するところに依りラジオの放送するところに依りて皇軍の行動進退に一呼吸をつめ一心悸を亢めてゐる。此時又他の一人の同人から今、手紙が來た。「上海方面の時局重大萬一のことがあれば一一三日中に出發せねばならぬものですから、後顧の憂のない樣に、と愚妻に仕事のこと等申送つて置かねばなりません。今囘の事件はどうしても大きくなりはせぬかと思つて居ます。動員第四日には〇〇聯隊へ應召せねばなりません。云々」と今手紙が來た。彼は先般上京の節、自分の戰時の任務は衞生中隊長で戰線と後方の中間を馳驅して死傷者の收容其他の衛生關係に從事するのだ、というてゐた。手紙の中で彼が想像して書いたことのやうだと、此手紙をかう自分が讀んでゐる時67
分には、彼はもう動員に際會してゐるかもわからぬ。相距る三百里、南海潮暖く柑橘豐かなるの濱邊に、彼の眞面目な面輪は一層の眞面目な緊張を以て急々に戎衣に身を堅めてゐるかもしれぬ。いやすでにもう鐵軌一路馳せて召に應じてゐるかもしれぬ。行くか、行は。行つたか、行け。行け、行け、行け、唯行け、國の大事に。肅首として國途やと りの春寒佩く太あり刀のに冴け返りり68わたつみ((ポッポッポッポッ·····發動機船の音、(音ばかり)))廣い海、四方際限なく廣い〓〓海、唯一面の靑疊-ものゝ隻影とてもない。69大きなうねり波一つ、その波の頂に段々なり行く。見る〓〓その波は又低まり行き、いつの間にか、それは波の谷間になる。(その幅數町、十數町に及ぶ)第二のうねり。今度は、波の谷間から、次第に波の高處へとなり行く。-やがて又漸く低く·······第三のうねり。次第に波の高處へとなり行く。-やがて又漸く低く·······
頂、又谷、又頂、又谷、又頂······。かうして第三のうねりは第四のうねりになり、は第五と次第々々に移り行く。それにつれて海はずつと廣くなる。第四そこに黑點が一つ。その黑い小さい點が段々形をそなへて近づいて來る。それは、ものゝ葉のやうな、又或ものゝ枝の擴がりのやうな、靑々と、しかしすこし黑ずんで、····海草!オゝ海草、どこの海の千尋の底に生ひ出でて、幾日をか、幾月をか經た?。それは底の底の岩間か砂原か。いつの嵐の荒浪に、もまれ搏たれ千切れて浮び出た海面ヲのこの漂流者、一町三町五町十町の大きさの大うねりの波に流れ〓〓て行衞も定めず······海草はずつと近づく。今まで海面だけ見えてゐたのが水の中まで見えて來る、と、その海草海草の莖が、一尺、尙五寸長く二尺近くもあるのが水中に直立してゐる。そしてその直立したまゝ靜に、丸で動かぬさまに動いて移る。海草はやがて流れて行つてしまひ、又漫々たる海の廣さになる。79と、そのそしてそ六七人の人の腰から下、洋服和裝、をとこ女のいろ〓〓、ぐるりに腰掛をまわし、それに掛けてぶら下げた人々の腰、疊一枚敷ばかりの箱樣の中、膝、足だ。((ポッポッポッポッポッ·····發動機の音。))水を切る舳先、滑らかなこと天鵞絨のやうな海の面を二つに截り裂いて、を作つてゐる。水を搔きまわす舵、スクリユーで靜な海の水を引掻き、まわして止まないから、から湧き出て、可也長く水尾を引く。船首、頸部の文字「かもめ」(船の名)大きく。次に、船側全部の露出、航走。七人の顏、胸から上。帽子、パラソル、鉢卷、裂かれた末が二つの浪の土手71そこには白い泡が後、から後大きく。鉢卷、眼鏡、扇、卷厘草、······のいろい
30一人顏の靑ざめたのはいさゝか船暈の氣味。船底一ぱいに敷きつめた薄べりは紋樣を織つた花蓙のたぐひ、その紋樣が一人の船暈者の眼をいよ〓〓惱ます、彼の眼には、その太やかな紋の直線や曲線やが無暗に無理に押込んで來て止まないらしい。彼はとう〓〓その敷莫蓙の上へ横になつてしまふ。船は段々〓〓高まつて行くかと思ふと、又段々〓〓下つて行く。下つて行くのも高まつて行くのもどつちも同じ樣に極ゆるやかであるから、さして海に心を勞さぬ人々には格別たの感じはない。但すこし隔つたところから見たら、此船は屢、その限りなく大きなうねりの波の片蔭に全く隱れ去ることであらう。72その限りなく大きなうね四方に限りなく廣い海はいよ〓〓廣さを增すとも決して減すことはない。船は遮二無二一直線に進む。〓(ポッポッ、ポッヽポッ······發動機の音))
、又海草が流れる、あつちの方にもこつちの方にも。は水の中の晝の月だ。又流れて來る、今度は水母だ。水母船首に一尺位な小さな高い板間がある、そこに一人が胡坐をかいて坐り込んでゐる。彼はそこに二尺ばかりの高さに植ゑられた一本の太い柱を兩手に抱へて、その胡坐のまゝ、進み行く發動船の行く手を見詰めてゐる。時々は船の左右をも見る、又全く後方へ振り返ることさへある。彼とは自分だ。油を流したやうなとろりと滑かな海面、小皺一つさへなく、こゝらの海の深さは唯もう一面に濃い紺碧をなめらかに磨き上げ、その紺碧の濃さは流石に沖津深海の底しらぬ神秘さを示唆する。その光る紺碧へ映る空の晴雲、白くキラ〓〓した大きく異形な雲.それが舟の何千何萬倍の大きさをそのまゝ、仰いでは限りなく高い大空をついそこと眼先に映し出す。彼の猿猴水中の月の譬はあまりにも愚か、却て舟の波上を行くか雲中を行くかを誤たしめるばかり。アヽ偉大な海、オヽ巨大な雲、と無言に叫んで人々五月の薫風にむせび
むせぶであらう。走り來の小きい舟の行く手、一塊の靑螺。はてしらぬわたつみを追ひかけても、と後へ遙に山々を靄の中に置く陸地。あの島とその山々と、その間のその大海原。-そこの水の中にこそ、鯛比良目、鰹鮪黑鯛、鰤鰡鱸から魴〓、鰺、鯖.〓太刀魚に鰈、烏賊、章魚から鱒、鮭經、·····小さく大群をなす鰯、凉しく勇ましい飛魚等々々、あらゆる魚族がそこを縱横無盡に振舞うてゐる(であらう)。海とは深いもの、廣いもの、大きなもの。ポッポッポッポッポッポッ········發動機の音は、唯一筋の長縷の如く小さく幽につゞいて止むことをしらぬ。靜な滑らかなすべ〓〓した海の面を、すうすうと截りわける船の舳先は、その兩側にやゝ斜に、絹糸の樣な細い銳い線を立てゝ一條の長波の峰一線をなす。はて限りなく際なく廣く大きな海。-そこにはもう何の餘の音も、形もない。靜な、しか74 -そこにはもう何の餘の音も、形もない。靜な、しかし明る過ぎる明るさ。松が······一つの島が。女の群。磯が····屋根が······、不意に遠くに。さうしてしばらくするうち次第に近くオヽそこに泛ぶ數々の扁舟、それよりも、そこにちらばり浮ぶ幾十の人···海は:初島といふ島の名! 75
秋草は亂るゝ萩がもう人長〃ほどになつた。紫苑はまだ咲かない、芙蓉もまだだ。ヒヨロリと眞赤な紅蜀葵が一つ、イヤ二つ、萩の中から頭をつき出して咲いてゐる。朝顏も葉鷄頭も水引も秋海棠も今が盛りだ。鬼灯はすつかり葉を虫に食はれて袋が網の樣に葉脈だけになつてゐる中に赤い丸玉を灯してゐる。夜は虫が、蟋蟀が無數に鳴く、晝もどうかすると鳴く、今もどつかで一つ鳴いてゐる。朝の九時、初秋の朝のその頃の日は、座敷の緣の板をいやといふ程照りつけてゐる。-この四五日の日和のよさ。76「その田之助の一世一代は大したものだつたよ。「さうですか、芝居は何でした?「國性爺だつたよ、あの紅流しのところ、何しろもう手も足もなかつたのだからね。手はまだ一本あつたかもしれないがね。「成程、紅流しなら、錦祥女は坐つたまゝですから足がなくても出來たでせう。「それがね、膝小僧なんか丸で擂子木みたやうだつたんだつて。尤もそれだから坐りつきりの役でなくては出來なかつたのだが、それでもすこしはからだを動かさなけれやならない時などはね、黑子がうしろから押し出すやうにしたのだよ。紅流しだつて、片つ方の手はあつても自分の自山にはならないので、矢つ張黑子が手をそへて動かしてやつたんだつて、丸で人形を遣ふのと同じ譯だつたのサ。朝食後のしばらくを、老母と自分とは、緣側近い座敷の內で珍らしくこんな話をしてゐゆう、るのであつた。といふのは、昨夜自分の見て來た「泥仕合」の話から數々話が昔の芝居へ遡つてとう〓〓こんなところへ來てしまつたのである日はいよ〓〓カンノ〓緣側を照らして、そこの大鳥籠には數十羽の小鳥共がさも愉快げに囀つたり翔つたりしてゐる。いつか話は又田之助の上につゞいて行く。「それでも顏は奇麗だつたよ。「田之助は一體どんな役が得意だつたのでせう、どんなものを御覽になつたんですか? 77どんなものを御覽になつたんですか?
「さうだね、何しろ私の見たのはほんの一度か二度位で、もうずつと死ぬる少し前だつたんだからね、その一世一代だけはよく覺えてゐるが···「すると新富座時代ではないのですね。「どうして!まだ三芝居の時分だもの。「そしてその一世一代が大したものだつたといふのはどんなだつたんです?「藝者が多勢出てね、それは〓〓大變な景氣サ。多勢の藝者は兩花道から練り出してずつと花道一ばいに並ぶと、一人〓〓の褒言葉。一番始の藝者が『田之助さんを褒めやんしよ」といふと、つゞいて皆が順々にいろ〓〓な言葉を並べて褒めたものだよ。それや素晴らしかつたよ。「それでその時の和藤内は誰でした?「さうね、それはよく覺えてゐないね、彥三郞か何かぢやなかつたかしら。ヒヨロリと緣先へ、野菊の一兩花が頭だけを見せてゐる、春先に何かの拍子で鉢へとつて置いたのが野菊だつたので、それが今沓脫石の上に置かれて花の枝をもたげてゐる。フラ〓〓と搖いだのは風が渡つたらしい。もうずつと死ぬる少し前だつ78「そんなに舞臺では奇麗だつたし、人氣も大したものだつたが、兩足も手もないので、ざまるる時はあるくんはりに旅遊のををヨヨくくるがって用を便じそれだのに、そんなになつてから一層聞きながら自分は、そんなにしてまで舞臺へ出なければならなかつたのか、隨分悲慘な事だと思つた。しかしそれだけに又彼の人氣の大したものであつたことも想はれるのだ。藝の妙至れるものがあつたのであらうか、それとも彼の女旦振が美貌がかうなつてまで世の人のあこがれの的となつたのか。かうなると役者の方で丸で動かなくても見物の方で役者がグン〓〓動いてゐるやうに見て吳れるのであらう。さうして、かうして名のある藝者達が顏をそろへて、舞臺も人も美しきが上に美しく飾り立て、いとも華やかに「田之助さんをほめやんしよう」と囃し立てる。-そのほめられてゐる、その人氣と憤憬の的になつてゐる本人田之助自身は錦祥女のまばゆくかゞやかしい衣裳の下に腐つて無い下肢と同じき上膊を覆ひかくして、裸になつたら玉をも欺くであらうやは肌と華奢に優美な手足からその指その爪と眼もうつとり心もだ〓〓しきまでかとも人に想はせるのであつた。その時、緣の大鳥籠の小禽の囀りが一入高く〓〓〓につく。その拍子に眼はもう鳥籠の79
方へ瞳を投げてゐた。そしてその瞳の中には、秋彩りを盡した紅雀が、きのふよりは今日Kよべよりはけさと、紅のうるはしさを塗りこくりにこくつてゐた。と、田之助の話をしながら舞臺の上の田之助を考へてゐた自分の頭は紅を盡した紅雀と田之助との間にけじめが無くなつてゐた。どこかで「······田之助さんをほめやんしよ」といふやうな聲さへ聞こえるやうな氣がする。とそれがまた庭の草叢で鳴いてゐる蝉の聲の中に溶けこんでしまふ。もう自分は母に話しかけることを止めてゐた。母は、彥三郞をほめちぎり、仲藏を推奬し、ぼつ〓〓と思ひ出し〓〓何か話してくれてはゐたが、自分はそれに殆どうはのそらで受け答をしてゐたに過ぎなかつた。そしてただ、「その田之助は足が腐つて無かつたのだ、手も一本なかつた。そして日一日刻一刻その殘つた一本も腐りつゝあつたのだ」といふやうなことを考へてゐるのであつた。そして自分は竦然といふ程際だつてはゐなかつたが、まあ濟し崩しのやうにその竦然といふ氣持になつてゐた。尤も、その錦祥女の田之助の美しさは依然として瞳中の紅雀と共に少しもその美しさあでやかさに變りはないのだが、手や足の腐肉腐骨はそれはそれで歷々と眼の底80へ突き込み〓〓して來てゐるのをどうすることも出來なかつた。-そして又その間におのづから移された眸は、そこなる庭ぢうの秋草の燎亂の底に、又してはそのすつかり露霜にくだち果てた後の眞冬の枯草や落葉の世の相まざ〓〓と見せられるのであつた。「二本の足は脛から先が無く手も一本やがて二本とも無くなつて行つた。······彼は遂に女を斥けなかつた、子供も出來た。と再び思ひ到つた時には、襟首から背中へずつぷり冷水をかけられたやうな氣がした。そして庭の秋草も籠の小禽も心の中からすつかり消えてしまつたやうに思はれた。-がそれもさう長くはなかつた。やがては自分の心はもう平靜に極めて落着いてすべての明るさの中にゐた。そして何故か「それは尤もな、それはありさうな」と心のどこかで考へないでもなかつた。そしてそれは世にも悲慘な、寧ろ酸鼻を極めるものであつた。田之助の事、それは五十年も昔のことだ。語つてゐる者は人生の大方を盡したこれももう過去の人と云つていゝ人だ。
聞いてゐる者それも人生を一通り越さうとしてゐる者で將來よりは比較にならぬ程過去の方を餘計持つ者である。會話は、秋の朝日の射しこむ緣側で、今朝はすこし凉しい、といふことと大差のないほんのその時ぎりの話で、例へばずつと過ぎた風の一流れみたいなものであつた。そしてその會話もはてると共にもうずんと遠い過去のたぐひのけうといものであつた。音つて何、「今」つて尙何だ。82紅雀の一羽が特別な而も彼の得意な囀りを大籠の中で始め出した。それは彼の最も機嫌のいゝ時に限つてやるので滅多にはやらないのだ。それはかうだ。ピツ(高く鳴き切り、すぐ)ピピピーヒヨウビーヒヨウ〓〓〓〓〓〓(と段々に滑らかに低音に急調で下げて來て、聲が消えて無くなりさうな時、又急に高音に戻して)ビツこの歌を繰返し〓〓やる、その時は他の島は極靜にしてゐる、彼は彼の最氣持の落着いて熱した時で環境も亦極平和な時に限つてやるものらしい。そして、自分が口笛で之に和してやると、それはもう十分でも二十分でもつゞけて決して止まない程彼の好きな唄なのそれは彼の最も機嫌である。そして又自分が紅雀をめでいつくしむ最うれしいことの大きな一つでそれがあるのだ。今それを彼は唄ひ出したのだ。例に依てなか〓〓止めない。母はもう話は止めてせつせと老來第一の樂みである針仕事、そのけふの彼女の日課にとりかゝつてゐる。自分は何もかも忘れて今の紅雀の好きな囀にうつとりと聞き惚れてゐる。-「昔」といふ事くて)といふ事、そんな事無論考へる筈もなく。Schr庭中第一に發育不充分な一株の芒に風が渡る。覺束ない只一穗が不精無精にゆら〓〓とする。
うつろ手中の母の兩手首はすでに脈博を余に感ぜしめない。呼吸のみはしづかに〓〓まことに穩に、たゞはなはだ弱々しく出で又入りしてゐる。その弱い出で入りの呼吸にはゼロ〓〓と痰のからむ音が伴ふ。いつものやうに(それは昨日も昨夜も夜半も夜中過も)コン〓〓〓〓と今にも咳き入つて、その拍子にからんだ痰が切れるであらう、と待つてゐる。手も足もまだあたゝかい、脈を感じないのは、今まででも時々さういふことはあるからこれも今に感じて來るだらう、と心待ちに待つものゝなか〓〓來ない。見ると口と胸といづれもいつまでも些も動かぬに、これは一大事と思ひそめ、使を醫に近親に走らせつゝ尙獨り脈を守り息を窺ふにいよ〓〓しゞまである。咳ついに出でず痰ついに切れず、これはいよゝとうど、と覺するうち、その痰の音も聞こえずなり、呼吸は次第に間遠に幽になり行きつゝ、只だ袋のうちの大氣のおのづから拔けるが如くにはての一呼をもいつおはられたかさへ辨へ得84なかつた。はや畢りたまうたのだとわかつて、此年月固より立枯のすでに唯枯々と立ちてばがり居られたのがまさしくも一夜の大風に根もなく吹き倒れた枯草の一もとやうな氣持がして、悲歎の淚に暮れるにはあまりに呆然とするばかりであつた。よべにも夜半にも夜半過にも、こんなに急に變の起るとはすこしも思ひもうけぬことであつた。このたびの病氣常よりは稍あしく、少し弱られ方は常の冬よりはきびしいやうであつたが、靜養日をだに重ねたならば、と、一日前やう〓〓此月の誌務も余の手をはなれ、昨日よりは專ら看護に從ひ得るやうになり、かくて暮から新春へかけ一心不亂に看護の實を盡すべく覺悟を定めたのであつたが、それが全一日を經て、まだ次の日の夜も明けぬうちに、大事が去つてしまつたのであつた。曉の霜森々と寒くつめたく、身も魂も氷る思ひに、そこに息の絕えた母-母と呼んでも答もなければ目も覺めぬ-一つの亡骸と自分とは別な何ものでもなくなつてゐたのである。言葉通りのうつろとはその折の自分の事であつた。85亭々たる冬木の棒二本、そのこぼした落葉に此家は表も裏も落葉の世である。家は唯古いとのみいふより寧ろむさくるしい。その落葉が木々の亡骸なら、その古色はこの家の遺
體だといふべきであらう。しかも夜はまだ明けてゐない、しかも水凍る曉闇である。そこのその無人の境に、其時生きた何者もがなかつたのである。思へ、そこに在ますが如く褥上に橫はる母とよぶにはあまりに變つた亡骸は、動くことを止め見ることを止め言ふことを止め思ふことをも失うて宇宙の間に只一つの物の存在でしかないことになつた、卽庭前の瓦石と異る何でもない。それは一時間前に尿を取れと乞うたその人であり、二三時間前には「もう寢ろ、每晩起きてゐては氣の毒だから」というたその人なのである。前に於て、どうして石や木と一しよにしてのみこの母を考へ得ることが出來たらう、と同時に、今に於て、どうしてそんな意思の主體活動の主體であり得たと思ひ得るであらう。生きてゐるといふことが何か、死ぬるといふことが何か、······も一度、何も彼も譯がわからなくなつた。-唯その中に、どう考へても考へなくても、確かにさうだと思はれるう、唯一つがあつた。-何?そこ外でもない。數分前まで母が母であつた時と今息を引きとつた後とのいづれに於ても、それは冬木の世落葉の世の中に終始居たこと、-これだけは確かな間違ひない事實だ。冬木の世、落葉の世はまさに天地の間大きな自然でしかあらぬ。我等俳諧の輩は平生まさに斯く感じ、斯く観ずる。少くもさうしたいと努めさう精進してゐる。俳諸無所緣の老母など生前一向にそんなことはなかつたが、しかも只今、その死の瞬間、直に明にさうなつてしまつた。そしてそれはうつろでさへある自分の眼前の論議を狹む寸毫の餘地もない明々白地の一事實である。母はたしかに無くなつた。と同じ確かさに於て、そこの疊、柱障子、壁、緣-庭も空も冬木も落葉も存在する。あゝ此存在!これ等の總ての存在が確かであればあるだけ、母の無いといふことは一層確かである。寧ろ是等の物の有るといふことはそのまゝに母の無いといふことを示現してゐるのではないか。生きながら天地と一つだと信じてゐる余は、その時、その天地のすべての仲間の者達に呼びかけようとした、ただその情に於てはつい今までの人の母に人の子として。いや靜づに御魂まもれ落葉共
母と「淡路島がそこに、あんなに近く、かはらない佳い景色!が、けふは生憎雨の、いつもあれほど澤山な白帆が一つも通つてゐません腰掛の上ヘキチンと坐り、背中を眞ッ直に行儀よく、新聞雜誌を讀むではなし、求めて怒外の景色を貪るではなし、こつちから話しかけなければあまり口數をきくでもなく、そのかはり飯より好きな煙草はしよつちゆう、又しても小さな煙草入に小さな煙管、手提からマツチを出しパチリ·シユウッと火を磨つて、スパ〓〓とそれはうまさう。話は、景色のことから旅程のこと、たべものゝことから浮世のこと、それもほんの一しきり、厠は頻繁く須磨鹽屋も雨、舞子明石も雨。淡路島も雨、雨は雨だがあの絹糸のやうだといはれる春の雨のことであれば、囑目の景色を妨げるほどではなく、却て、謂はゞ薄墨の刷毛一色といふ工合。-但このあたり一帶の明媚を除いては、明石から西へ山陽線が、けふは生憎雨の、い88の沿道の風景の拙さ、それでなくてももう充分汽車に飽いて來た時分ではあり、さつきから二人ともむつつりとだまりこんでしまつてと二人?二人ではなかつたのだ。自分と差し向ひのシートにカバンを置き、その上に安置したバスケツト、その中にいつもあなたが旅をなきる時お持ちになるあの絹の信玄袋、その又中に白綾の袋に收めた白木の箱、その中の眞中の眞白な、陶の中にこそは、母上、あなたはお休みなのでした。そこにあなたは此上もなく靜かに安らかに眠つてゐられるのです。そして、今、私と一しよに、この安らかにも安らかな旅、春もやう〓〓關な風色の中に、母上、あなたとただ二人きりのこの平らかな旅をつゞけてゐるのです。父上亡き後のおほよそ二十年、その長い月日、母上、隨分短くないことでしたな、御一しよに、二人きりで、朝夕を、春秋を暮らして來たのも。それは言ひ爭ひもしました、思ふまゝの我儘もしました、何よりも第一に、忙しいので平生ゆつくり御話することも少く.况してかうやつて一しよに旅に出かけることなどなか〓〓ありませんでした。今になつてはあゝもしたことならよかつた、かうもしたらと考へることばかり、思ふにまかせなかつたことを改めて御詫びします。それでも、不平らしい不平も言はれず、よく御心靜に89
ありしその日〓〓を送つて下さいました。さうして、よく私に充分に仕事をさせて下さいました。それでも考へると、一年のうちに五度や六度は御一しよにも出掛けましたな。あの日本橋の丸花や飛行會館の秋子の芝居やはちよい〓〓も行つたし、さう程遠くもなく行つたものでした。一番度々お供をしたのは何といつても淺草の觀音樣です。あのあなたのお步を一番少くする爲自動車を二天門の方までやつて停めるのが例でした。さうして今又かういふ風に二人-二人きりでの旅(旅は珍らしいです)、しかも日を重ねての二人の旅行テ併しこれは竟に最後のものである·····をしてゐるのです。この旅、·····心靜にゆつくり參りませう。生きてゐるうちにも一度、と御希望のあつた故〓はもとより、そのほか甞てしばらく御住居になつたそここゝ、かねて行つて見たいと仰せになつてゐたのを、とう〓〓御連れすることの出來なかつたところの、此旅行-この最後の旅行にせめては御通過など願ふことにします。そしてそここゝで、私がお話も說明もしませう。松山も通ります、大洲にも泊りませう、宇和島では〓宅へ一夜はお落ち着きを願ふことにして。これこそは最後の御一しよの旅-二人生活の最後の記念、されば今度ばかりは母上を主に、俳句の用は第二です。きつといつも御一〓に······。そしてその行く先々で、昔を知る人があつたら、探し出して何かと舊いその頃の話を聞いても行きませう。もう西大寺を過ぎました、今度は岡山。岡山では吉備團子を買ひませうか。イヤ吉備團子より岡山では金光からもと子さんがブラツトフォムに出てゐる筈、あなたを御見送りに。子供の時分ぎりの、もう十幾年もおあひにならないのです。久々の、又最後の······、もと子さんも嬉しいでせう、しかし又悲しいでせう。私も······、母上、あなたは?。あなたはただ靜に〓〓ひたと靜かなばかり。昔を知る人があつたら、探し春雨や茶土瓶買うて奉る
閑をおとなふ者チヤツ〓〓、チヤツ〓〓これはあたゝかい冬日影の下又は曇り空の寒ム風の中の鶯の子の聲、さゝなきのそれである。チヤツ〓〓までに行かないより年若なのは、ただ、チ、チ、チ、チ、とばかり鳴く。落葉莊の小庭へは、鶯は、秋口から每年やつて來る。さうして半年、春がそろ〓〓顏をのぞかす頃まで。來るときつと庭ぢうを飛びまはつて餌をあさる。永いこと居る、一日に何度も來る。東京の眞。中で、家の中に坐つたまゝで、この聲を聽くばかりか、間近にその行動を目擊して止まないなんか、蓋し貧乏贅澤の沙汰ではあるまいか。尤も、庭に來るのは鶯だけではない。さゝなきのそれでチ、とば92鶯は、秋口から每年やつて來る。さうして半年、春がそろ〓〓顏を以前は鷄も來た。鶲は一冬大方每日來た。が、총四十雀も來る、四十雀は實によく來る。五羽も七羽も十羽以上來ることがある。さういふ時、一つかと思ふと二つ、二つかと思ふと三つ五つ、といふ風に葉蔭をそちこちに虫の様に轉々して飛びまはるのはまことに可憐である。そしてそのまことに小さな羽風幽かな鳴き聲に閑庭の閑かさはその時その極みを致す。鶯の方になると大抵一羽で來る、どうかすると偶に二羽で來る、兄弟連れなのだ。鶲は一冬大方每日來た。が、隣の庭へ二階建が立つてから來なくなつ兄弟連れなのだ。93今年は殘暑が强かつた、そして長かつた。秋もやう〓〓〓け行くにセルも着ず、黑つぽい單衣をいつまでも着たものだ。それだけ秋になるのが、イヤ秋のとゝなふのが遲い。葉鷄頭は彩を競うてゐるのに紫苑は咲かなかつなり、いつもは大方一しよのが萩が濟んでから薄が穗を出したり、といふ鹽梅。でもどうやら凉しく爽かになつて來て一朝一夜は冷々とすることもあるやうになつて來ると、めつきり秋も深うなつて行く。さうしてさうかうするうち、あれ程降るやうに鳴い
てゐた蝉の聲が、もう耳を立てゝ聞いてもどこかの隅で一つ、か二つ靜に鳴いてゐる位。更にそれもやつと畫間だけのことになつて、夜はもう···-その或朝の事。机のすぐ前、二間·····凡そ一間半ともいふ距離の、つい眼と鼻のところの一株の高萩、これはもう花も皆になつた······が葉はまだ靑々と盛そのまゝなその萩の茂り、それが一とこ、風の無いのに動いてゐる、イヤ搖らいでゐる、といふより震へてゐる。つい此間、あゝいふ搖れ方に蓑虫の蓑を作るのを發見した自分は、又か、と島渡思つたがもう蓑虫はあまり居なくなつた昨今、殊にその搖れ方が蓑虫にしてはちと大きい。ト又他の部分がちよと搖らぐ。ハテと思ふ瞬間、一羽の小鳥の小さな顏がこつちへ眞向きに露出した、眼白にも似てゐる。ト又葉蔭にかくれ、やがて又小枝の上へ横ざまに全貌を現はして出て來た。-鶯だ。ぶ「アヽ鶯が來た。藪鶯がもう。」と、感激して、筆を投げて見入つてしまふ。ト又彼は葉蔭に入る、入つたかと思ふと葉蔭の透間にチラ〓〓と姿を見せて轉々する。段々下枝に行つたと見てゐると、鳥渡地面へ下りたりする。そしてその下りた拍子に地上か二つ靜に鳴いてゐる位。94に何か拾うて食ふ。地上の鶯をいと珍らかに眺めてゐると、こつちの鑑賞などはどうでも、とばかり彼は一枝登りに、枝の間を上へ身を運びつゝちよい〓〓餌を啄んで行く。そして又今度は枝の一番而邊に。まことにめまぐるしい程彼は敏捷であり、輕快である。そして又、その現はした全姿の形よさ、上品さ、うつくしさ。聲によつて名だたる此鳥の、又姿の高潔·優艶、それから擧措の颯爽をたゝへねばならぬ。彼はテヤツ〓〓と鳴かぬ、チ、チ、チ、チともいはぬ、一切無言。鳴くには彼はまだあとしわかまりに若冠過ぎるのであらう。萩から急に隣り境の木槿(今年は鴉瓜がからまつて眞赤な實をところ〓〓にぶら下げてゐる)の方へ高ヵ上がりに移つて行く、軒端が隱す木の權へ。またあすも來るだらう、あさつても。しあさつても。がうして秋が過ぎて冬の來る時分になつたら、チ、チ、チと彼の舌はすこしづつまはるようになり、あの重く曇つた灰色の空の下に粉雪でも散りさうな關け行く冬と共に彼は笹啼の彼となつて又來つゞけることであらう。チ、チともいはぬ、一切無言。鳴くには彼はまだあ95
いち早く一齊に散りこぼれるのは柘榴の葉。枯れ立づた芒、同じく萩、紅蜀黍、芙蓉、紫苑、それから、あちにもこちにもの葉雞頭低う枯れるのに牡丹、水引のその他、·····以上は皆殘骸。その殘骸も留めず影も形も無くなつてしまふ何々、數々。そこに僅に靑きを殘る菫、櫻草、あづま菊、木賊などの僅かばかり。かういふ景觀を中にしてこの小庭の外周をなすものに、ずつと高く葉のない木槿、卯つ木.柘榴と、葉の靑い檜、椿柘植、竹叢等々の林立がある。更に、東方-こつちの立木とつゞいて重疊する隣邸の櫻、檜柿泰山木、栗、梅松、の葉のあるの無いのゝ植込、南方-やゝ遠く屋根越しに大欅の二三本の梢、手前は、古く朽ちた緣長々と古い柱古い軒、緣の隅には追込みの大鳥籠が据わつて、中の目下の住人は鷽、頰白、〓網腹、金腹カナリヤ、紅雀など、總勢十四五羽の大家族。庭へ下りなければ見えない屋)を覆ふ例の大欅の二本、この落葉は滿庭を降り埋め、今年無數の鴉瓜ばかり點々雪の中までといつまでも紅を保つて······。今又してはかじかむ掌を打翳す火桶の火(そんなもの何もなく)、チ·チ·チ·チ······、チヤツ〓〓·チヤツ(何の一音もなく)。熱こ失......だだ〓〓と繪の具を含ませた大筆をいとも健腕にぬたくつ黄、白綠紫.た一畫面(方に眼前)、のこの神の妙技に對し、おこがましくも自分はしばらく「深まる秋」と畫題を撰ばう。チ
うら海の中に櫻さたる日本かな一面の靑海波は只もう限りないわだつみの廣さ、そしてそれは段々にひろがつて行く。茜は朱を帶び來、朱は又淡紅に、その淡紅が滲み滲んで廣ごり廣がる。その靑々しい中へ一雫、茜色が93決紅はいとも細かい或紋樣無數で自らを彫ばめてゐる。淡紅は細長く蜻蛉の形を成して仲び行き、伸び切つたその蜻蛉は、がくつきりと隈どる。ぐるりから海の靑さとそれは世界の宇宙眞中の只一處に、浪だ、紅だ、櫻だ。海だ、花だ、浮くやうに湧くやうに。櫻だ。日本だ。」元祿の花見幕は今の世の假裝道化か。いづれともかはらぬは今昔の花見、花の山。花の咲いた心に人皆がぞろ〓〓浮かれ出し、花と競ふ一張羅を皆人が、着飾り行く。靑衿に、紅裳に、黃袍に、白衣に··老若に、男女に、貴賤に、衣香と扇影と、肩摩と穀撃と、凡そこれ春風騎蕩櫻花瀾漫の畫圖底。都鄙に99花に着飾り行くは人々?花だ、衣だ、腹だ、穴だ、あらず綺羅を纒ふ臍の行きかひ。腹だ、臍だ。衣香扇影人の臍行く櫻かな
舊道さつきからテク〓〓と箱根舊街道を登つてゐる。-湯本から玉簾の瀧の吊橋の前を通り過ぎ、須雲川沿ひに途々河鹿を聞き山葵澤を見、岸徑を行き盡して石を撰んで溪川を飛び渡り、磧を步み草むらに徑を求め、遂に急坂を攀ぢた自分は舊街道へ出たのであつた。街道の兩側には又しては杉が多い。杉は林をなして繁つてゐる。その道と接するほとりは心もち杉の叢立が緣どりの樣に薄く空地を殘し雜草を生へさせ、その雜草が又大抵著我で花を一面に咲かせてゐる、それは綠の敷物への染め拔き模樣のやうに白々と目もさめるばかりだ。この白々と咲き盛かる花はまさに午天のまぼろしとばかり明るくも淋しく靜かな。斯樣の場所に盛りを盡す著我の花こそはつゝましやかな存在だ。思ひ上がつた隱者、更に山中のそれしやでもある。〓爽と閑雅と野趣と、自分の心はもう此の花の群生ですつかり都塵を吹き飛ばしてしまひ、而もいつの世の前からかの山中の住人であつた。「どう100も澤山あるものだ、行つても〓〓よくも續くものだ」と、人一人通はない山道の靜けさに吾が足音を、吾が息を、音に聞き氣に感じ、ゆつくり〓〓步一步を移して行く。ふいと一つの-それは小さな足音が背後に起つてやがて自分の身邊をすりぬけて行く子供だ、小さい兒だ。「オイ、學校はどこだい?大分下の方かい?」「·····湯本」「何年だい?」「一年」「うちはどこ?」大分下の方かい?」101「遠いのかい?」「須雲」「まだなか〓〓かい?」
「もうぢきだよ」齡八才位、學帽を冠つて、洋服を着て、ランドセルを背負つて、運動靴を穿いて、一本は鼻汁を垂らしそれを白くこびりつかせて、·····その運動靴の後部はいつの間にか踏みつけ〓〓して壁が無くなつてしまひ、丸でスリツパのやうー-これは東京などでもよく見る、どこの子供でゞもあらうが、學校へ行つて上靴と穿きかへる面倒臭ささにこんな穿き癖をつけるのだが、それでもつて爪尖上りの坂道をサツサ〓〓登つて行く、その足の早さ。よく〓〓まあ、足が辷つて脫げないものだ、さぞ步きにくいだらうと見ながら後から踉いて行く自分は自分がさも步きにくい心持になる。須雲から湯本、一里はないかも知れないが八七+30半里には充分遠い。それも人通りの少い坂道だ、八才になる此兒が、と思ふ。つ「須雲つてお家が澤山わるかい?」「十軒位?」返辭がないのはこれは上がりだての一年生にはむつかしい質問なのかな。「須雲に自動車の停まる所があるかい?」「うちだよ」このうちだよは頗る突然且明快なものであつた、方に言下である。前の家數の質問には答へもしないのに、今度は自分を驚かすまでの早急の返答、それは丸で待ち構へてゐでも:したかのやうな。自分としては家敷の方が易して後の停留場の方が困難な問國だ位につてゐたのに、それだけ驚いた譯だ。尤もこれはすぐわかつたことであるが、彼の家は街道を走る定期バスの乘客のある時赤い旗を出して知らす役を受負つてゐる家であつた。それだから卽答も出來る道理只その卽答のあまりにも卽刻なることに驚いたことだつた。思ふに前問の家數に就て明答が出來なかつた殘念さに腐つてゐたこの一年生は、すぐその後の問題の全く問題にも値せぬ簡易さに先づ心の平靜を取戾し、次にいさゝか名譽恢復の心持を以てござんなれといふのであつたであらう。彼の心は明るくなつた、そればかりではない。どこのおぢさんだかわからず、どういふ種類の人間か凡そ此あたりの人々とは全然趣を異にした此得たいの知れない旅人が、己が家のことを問うた(問うた方は偶然だが問はれた子供の方は知つて問うたと思つたらしい)
ことに依つて、急に此子供はその他人たる境界線を取り除けられてしまつた心持がしたものと見える。さうして今はもうずつと親しく話をかはすやうになつた。杉林に挾まれた著我の花の群生はいつの間にかもう無くなつて、雜木の木立が山鼻をなして押出して來たり、溪流を見下ろす懸崖が彎曲して弧をなしたり、街道は變化を見せるのであつたが、どちらにしても只もう若葉靑葉の目の覺める新鮮さの中のことである。トある架橋工事の工事場の前に白い小犬が尾を振つて此兒を迎へると子供は犬の頭を撫でゝやりながら足の速度をゆるめない。「坊や、もうぢきだつて言つたがなか〓〓遠いな。」「ぢきだよ。」彼はいくらあるいても遠いとは思はないらしい、彼の心は學校を出發してからもうすぐ家に在るのだ。彼はもう學校を出たら家のことばかり考へてゐる。彼の心に於ける限り學校と家との間に距離は無い。距離はその足だけにあるのだ。故に彼は始めから家はぢきなので、五町でも十町でも半里でもそれは同じことだ。だから彼は校門を踏み出した一步から直路家へなのだ、中間がない、そこで一圖に步きに歩く。彼は唯だまつて歩く、サツサと行く。余との問答に於ても決して立ちどまらない、步きながらである。どうかすると振り返つて答へることがあるがそれでも半身を後ろへ曲げてあとの半身は歩行をつゞけてゐあ。唯時々道端の山際に寄つて行つては何か草を折り取る。何かと見ると蕨だ。「蔵澤山あるかい。「ウン山へ行くとあるよ。」。「コレさうかい。」「ウウン(首を橫に振る)、こん中にあるんだ。」〓と已に拳を開いて葉の形をなす數本の、その親株を指す)坂道は登りだが時々すこし下だることもある。トある曲り角の木の間から家の屋根がチラ〓〓と見えて來た、須雲だなと思ふ。その家の前まで來ると向うに道の兩側につゞいて立つ二三十軒の家のかたまりを見る。家の前に子供を遊ばす女鮮人の白衣が見える、昔の須雲宿ノだ。家並へはいつて行くと一人の小さい女の子がヨチ〓〓と急き足でやつて來る、
たあの一年生を見ての事。側へ寄つて何か言ひつけてゐる、その內引つ張られて道端に立ち寄つてそこの家と家との間の空地を一年生が覗く、何がゐるのかと追ひついて覗いて見ると一匹の馬が羅紗の覆ひを着て丸く兩眼を覗かせてゐた。この通學の留守中の此村の珍らしいニウスを女の子が逸早く知らせたものと見えるが、一年生はさう珍ニウスとも思はぬ風にすぐ家路を指す。そのうちにあちら側こちら側からいづれも小さい子が出て來てこの一年生を取圍む、いつの間にか十人ばかりになつてゐる、どうしてわかつてどこから出て來たのか。一年生はその中をぬけてサツサと一入急な步度になつて行く。行く手にバスの停留場の標の白に赤の丸い立て札が立つてゐる一軒、一年生はもう自分にずつと隔つてゐたが、ヒヨイと見えなくなつたのはその立て札の處へはいつたのらしい。家の前まで來て覗いて見る。と子供の姿は見えないで、土間に一人の老婆が立つてゐ、そして障子の蔭へ何か頻に話しかけてゐる。店には駄菓子など賣つてゐるがその店と奥とを限る一枚の障子の蔭、そこに老婆の話しかけてゐる相手がゐて、それがその一年生とわかつた。ツカ〓〓と土間へ這人つて老婆の側まで行くと、老婆が頭をペコペコ下げて自分に禮を言ふ、何の體がわからぬ。見ると、そこにランドセルが投げ出してあり、帽子がころがつてゐる。茶106ぶ臺が出てゐて茶碗と箸と皿と、皿には肴の燒物がのつてゐて太刀魚だ。に子供はもう飯をかきこまうとしてゐる。その茶ぶ臺を前「どうも難有う御座いました。此子が旦那樣に連れて來て戴いたと申しまして······。「いや僕の方が連れて來て貰つたのだよ。」「あなたもう、自動車に乘つて來いと毎日お金を持たせてやるのでございますが、乘りませんで、歸りを急いで自動車を持たないので御座いますよ。運轉手さんにも步いてゐたら乗せて來て下さるやら賴んであるので御座いますが······107「雨が降つても步くんで御座いますよ、あの合羽を着て(店の壁の鴨居に吊してある雨衣を指ざし)。受持の先生がたア坊はよく歩くねえ、けふも又歩くかツて、感心してゐるんださうで御座いますよ、それを先生が話して、あなた校長さんも御存知なのだと申します。顏はこんな變なのでこざいますが學校はよく出來まして、それから行儀のよい子は黑板に名前の下へ丸がついて、いけない子は×がつくのださうで御座ンして。」
見るとそのたア坊はお婆さん一人に喋舌らして置いてせつせと飯をかき込んでゐる。里の坂道を登つて來て、いきなり茶碗にかぶりつき一滴の湯も茶も飮まずによく喉へつまらないものだと思ふ。一本鼻汁は不相變眞黑に日燒した顏の眞中に常住の白瀑を懸けてゐる。-老婆の話は尙つゞく。話といふ以上一體相手に向つてである。此老婆も言ひ出しはあなたと僕に向つてだが、話し出してしまふと僕に全く無關係の、そして僕に興味があらうが無からうがそんなことはお構ひなしに、こつちが受け答へをしようがすまいが、唯自分の腹の中をこの機會に現はさなければ現はす時が一生無いとばかり、もう獨りで勝手に話題を進行さすのだから、これは言はゞお喋舌の部類に屬して對話の部類には屬さないのであらう。「この子ももうぢき東京へ行きますんで、此間も迎へに人が來たので御座います。小いはさい時からこの婆が今日まで育てましたので、つい手放すのが殘念でこの子の親は東京に居るんで御座いますよ、東京は深川なんで御座いますが。この婆さん見るから人の好い正直婆さんだ。正直ではあるが、イヤ正直なるが故にどうてしても腹の中をあけつ放しにせずにはゐられないといふ底だ。そこでテンデ僕が聞きもし108ようと思はぬことを毫末の遠慮もなく喋舌り出す。そこでこつちが何とか相槌を打つてやらなくてはならない義理合になつて來る位。「すると親達は東京に?子供だけどうしてこつちに?「小さい時に母が亡くなつたものですから、三つの時からずつと引取つて世話をしましたので、何しろ矢つ張東京の學校へ入れた方が先々の爲よい、と父親が申すんで御座いまして、どうしてもやらなければならないので御座います。」そこでこつちが何とか相槌を打つてやたア坊はもう戶外の街道へ出て小さな硝子玉で一人の男の兒と彈きつこをしてゐる。相手はすこし年下なのだがなか〓〓狡く一つ〓〓たア坊の玉を勝ち取つてゐる。取られるたびに相恰を崩してたア坊は「又やられた」とか何とか言つて笑つてゐる。街道、といつても二間には足らない道幅を、最初向う側の家の軒下から始めて、道の眞シ中こちら側と移動し又いつの間にか向う側へ進みつゝある。そのうち又一人たア坊より年上の兒がやつて來て仲間に這入つた。すると又後から一人更に年嵩なのが、段々大きいのが來て都合四人で勝負を始め出した。一番大きいのが「俺二つしかない、負けちやつたら、たア坊一つ貸し
て吳れいよ」とか何とか言つてゐる。何とか彼とか言つて結局たア坊が皆から取られてしたいふくまふのだ。たア坊は大腹と見えてそれを何とも思はない樣子、たア坊は利發な兒だのに幾ら大腹にしてもどうして斯う易々と取られてばかりゐるのかなと考へる、ハハアたア坊には彼を目の中へ入れても仕舞ひたいお婆さんがついてゐるからだと合點が行く。そしていつか皆の遊んでゐるこの舊街道に自分の心はさまようてゐた。この道幅の狹さ、これは昔のまゝなんだななど思ふ。同時に、この道こそ明治以前所謂天下の往來で、階級の高下職業の千差、大名も行けば商人も行く、一切の通行人の依つた所、殷賑を極めたであらうを、今この靜かさ淋しさと、店先に腰を掛けて感慨に耽つてゐると、「お茶を一つ」と婆さんが時外れに澁茶を酌んで持つて來た。「お吳れ」とも何とも言はないで一人の里の子が默つて一錢銅貨を持つて來て婆さんに渡すと、婆さんは一枚の繪を畫いた籖紙をもつて來て子供に渡す。と子供はその兩端に數多く貼つてある籖を、二三度あれこれ物色した擧句、その一つを引ッぺがす。さういゝ籖でもなかつたと見え、ほ欲しい飴玉の壜が空ツぼだつたので鹽煎餅を一枚貰つて出て行つた。-後は又閑ンとして、山中の初夏の日射,は兩側の家居の軒の庇の影を相當色濃くあの古街道の地面へ印してゐる。き初めない。蟬はまだ鳴バスが來さうなものだ、と思つて腰を上げて海道を十步二十步上〓手へ步いて行く。家並外れの左側に、小さい石段を刻んで上に寺でもあるらしく、上り口に「勝五郞初花之墓」とある。海道の右側は斷崖をなして下に須雲川が奔つてゐる。仰のくと、それは盆の窪をひたと首にひつつけて全く眞仰ホに仰のいて見ると、前の峰一面の靑葉の中に處々幾塊,も大きく浮き彫りのやうに黃色の萌え出てゐるのを見る、何の若葉か。自分の心には今はもう參觀交替もなければ舊海道も箱根もない、無論たア坊も婆さんも夫たちない。あるものは、唯その若葉の萌え出した色だけだ。その新葉の萌え色の鮮しさ、それは-光り合ふ二つの山の若葉かな-の光、全く光る。111光る若葉、若葉が光る。
富士の高嶺が呼べば應へさう。果ての一つ尖つた高嶺と右から走つて來た又別の山並の鼻とでなす中窪に、に足らざる三匹、自分である。初鮎、今日解禁の鮎漁の眼下の谷續きの一溪流の潑剌其者、皿大に魚稀に、この富士を寢ころんで眺めてもう午から半日の閑を樂んだ珍らかこそ初鮎と、一二句を誦む。但三四寸程なの二匹、三寸クツキリ白くの後。自分の顏を鼻を眼の底まで眞靑にしてしまふ。つの峰續きが前峰の後"ば覗けないほど谷底を落込ませ、そこに深々と大きな一谷を抱へ込み、左から前へさて正面をまた右寄りまでぐつと、に又一重同じやうな形に山並がこれは又格段濃い靄に綠は褪せて鼠色めく。まで喰ひちがひに入り込み薄く掃いた靄に淡綠をたゝなはせ、急に峰鼻をその谷へ投げ込んでゐる。三四歩庭下駄をつツかけその庭の崖端に立たなけれすこし距てて今度は右から連亘して來た一額越しに打仰がれる杉?檜?の大峰が、その山の靑々さはその右そなど。は旋囘して前谷へ落ち込む一路を辿る。老鶯は薄暗くなりかけるまで鳴き止めない。食前には宿より上の山の林道の杉檜松の香を嗅いで來た、註文の蕨の眞黑きをなぜと訊けば鹽でアクは拔いた故との婢の答が佗しい。これは甞ての國道今の廢道、その汗を風呂に流し、雨さへ降れば道は流食後にこゝのその上に腹ばひ、九時近い夜の靜けさは。山の夜は更け易い。今の世まだこんなものがと思はれるランブの灯の下の世。-山、もうさつき女中の仲べて行つた寢床の側に、山中、ぐるりと山屏風のこの峠越の一軒家の宿屋の離房の座布團三枚敷き列べ峠初初初、初の鮎鮎鮎鮎にややや宿暮雲香蓼れ霞酢の行の乏をく不二や底し戀のらふ溪にるらふ緣と山山思ののに膳ひ藍宿こゝの三寸113 112
の荒れざま、引返す山の暮色、道の土ばかりが明るい。白さだかに道端の葎に手折つた山紫陽花の一枝、若しこの花に山路を照らして宿に歸るなど歌ふならば自分は優にやさしき王朝の歌人であらう。あれほどくつきり眞白であつた富士の優姿はそのそれ〓〓の峰の形をはつきりと今は淡墨色の山屏風の輪廓の上にもう無い。十日ばかりの月がまだ光の無い形を峰の頭に。ぶらりと宿を出で坦々たる月下の國道を行く、一方は山一方は谷。フウ〓〓と梟が頭の上の高く深い谷森で鳴く。その聲が遠のき聞こえなくなると、深更かと夜は沈々とする。又脚下數百尺の邊で鎔々の響を聞く、谿間の流だ、淙々などいふ生柔しいものではない、境が靜寂を極めるからだ。もう音も響も何もないあたりの道から數步入つたトある山鼻の平に腰を下ろす。寒くも冷たくもない初夏の夜の空氣は山ではあるがいゝ心持に肌膚をして存分に毛穴を開かしめ、月の光が袖に袂に肩に腰に膝にさては顏に眉に睫毛に降りそゝぎまつはりつく、固よりそこの松の葉雜木の葉將た地面の草々に吝まれる筈もない。宿も都も自分といふ者さへ疾くに忘れ、丸でいつの世にか山からころげ出で幾百年もそこに尻を据ゑたきりの一つの石塊に外ならぬ。ランブの灯が、四角な行燈の形をした外裝の爲.紙一重蔭をなす大部分と露出しの小部分とを疊の面に投げてゐる。その外は室全體何となくどんよりと仄暗い灯影、それは「昔」といふ隈が多分に溶かしこんであるにちがひなく、どうしてこれを、今日の晝間に離れて來た現代の世界と同じ世界にすることが出來よう。附記すべき一つ-斯く今を昔にランプの光を守る一間を仕切つた雨戶、その雨戶の外の庭の崖端、崖下からの若楓の梢平ッと並びグツと突きぬきこれも崖下からの筍が二本、連亘するあの二重の遠山並よりも高くその巓の上を遊動する白雲よりも尙高く、穂末を靑空に突き立てゝゐる。この二本の筍こそは、富士を始め數々の山並、千似の谿谷、靑葉白雲、凡そこの室からの大景觀を引締める唯一の立役者でなくてはならぬ。時鳥はまだ啼かない、······月のあかる過ぎるせいか。115
スマツク七騎落蝸が降るやうに鳴く、山の溫泉の夏の夜は明け易い。時は四時半に近く、樓前遙かの山並と山並とのぶつちがひの邊の空に一ところ西がさす。同勢七人(正確に言へば六人半のその半は勿論中學一年の子供一人)の夢を破るのは余の役で、それが起き揃ふまでには三十分ほどかゝつた。皆宿の浴衣に宿の下駄、鼻〓の丈夫なのを撰ぶやうとの注意も余の役に外ならなかつた。豫定の五時を少し過ぎて宿を出た一同はまだ人の通らない箱根溫泉街道を小湧谷から蘆の湯へとブラ〓〓登つて行く。「こんなに早く起きて步くことはない、宿で寢てゐた方がよかつた」などまだ本當に目が覺め切らないものも居る。それでもものゝ一里も歩くうちには、實際口に舌にうまいと思はれる朝の山氣を充分に吸ひ込みつゝ都會の日常には經驗の出來ないその曉を持つ一同であつた。蘆の湯まで來ると目的の駒ケ嶽はずつと大空に聳えて頭を雲に隱してゐる。嶽を仰いだ116嶽を仰いだ自分はその山頂への目測によつて是は豫定して來たよりは遠い。昨夜宿の帳場で聞いたところでは二時間もあれば行つて來られるといふ、今になつてはいゝ加減な出鱈目な〓へ方であつたが、蘆の湯までにもう一時間を費してゐる、山馴れない人達を以てしては山其者の上下だけで二時間はたつぷりかゝる。それどころかあの急峻、寢不足の空キ腹では迚これはどうしてもこゝで一つ腹へ何か入れなければならず、こも途中までも行けない。の溫泉の宿に就て握飯でもこしらへさせるより外仕方がない。が飯が焚けてゐるかどうか、又いきなり十人近い辨當は早急に出來るかどうか、そんなことをしてゐたらつまらない時間を費さねばならぬ、何か賣店でもあつてパンでも賣つてゐないかと、通りがかりの休み茶屋へ飛び込んで、今店を開けたばかりの店のかみさんに尋ねると、色々の菓子煎餅キヤラメルを入れた幾つもの硝子瓶の或一つに饀パンが三つばかりあるのを發見した。そこで萬一を僥倖すべく食パンはないかと聞いて見ると、昨日のならあるというて一斤半程のを持つて來る。まづこれでよしと、更にバタを探し茶を沸かさせ、忽ち皆で平げ了り、すこし覺束ない氣もするがどうにか保つだらうと思ふ。茶屋の息子が出て來て「スマツクが七本あるがどうだ」といふ。117そんなものはいゝとい
do唯此上の用心に、水をサイダーの空瓶に三本ばかり用意させ、コーヒー牛乳を各自一本宛持つことにする。こんな買物をしてゐる間々にも又しても息子は「スマツクはどうです」といふ。「八人に七本では一本足らないぢやないか」と斷つてもすぐ又誰かの處へ行つて「どうですか」とか「スマツクは」とかいうてゐる。どうもあんまりしつこくスマツクを賣りたがるのが可笑しくもあり五月蠅くもあり、これは何か理由がなくてはならぬと思ふ。「ドライアイスはあるのかい」と聞く、と「ある」といふ。「頂上まで保つか」と聞く「大抵保つ」との答。その答へ方が賣込の押しの强さに似ず頗氣魄薄スだ。その途端ハツと合點が行つた。昨日仕入れたスマツクの入れ物は、昨日に賣れ殘つたスマツク七本を入れたまゝ今朝もうドライアイスがまことに殘り少なになり、迚もけふの日曜の遊客の來るまでは保たないので、そこへ思ひもかけない朝懸ヶの客我等一同は全く天の惠みであつたに相違ない。七本全部が水になるか金になるかの境、これ逃してはと摑まへて放たず、賣りつけに躍氣になるのも彼としては無理のないことかもしれない、但こつちにとつては全くの迷惑、「それぢやあ僕等が買はなかつたら七木共皆溶けてドロ〓〓になつてしまひ元も子も無くなるのだから、代は幾らでもいゝ譯だろ」と揶揄する。先方では實際買つて118吳れるのか限れないのかの一點だけが問題なので、假令からかはれてもなぶられてもひつかゝりがある方がいゝ、かういふ所が商賣の根〓の要する所だなと妙な所に感心しながら「一體ドライアイスがどの位あるのか兎に角一度見せて見たまへ」と言ふのもどうやらいさゝかその根。にこつちは負け始めたやうだ。彼にしてはもう半分つかまへた氣持ででもあるか早速奧へ行つて入れ物ぐるみ持つて來たのを見ると、一寸五分角位な薄べつたいのが一つ七本のスマツクを縱につめた上に乘つてゐるきりだ。これではと思ふ。が實物に接すると見す〓〓丸溶けにさすのも何だか氣の毒な樣な氣がして來て、これは結局こつちが息子の商賣根氣に負けることになるがとう/〓「それぢやあ」と買つてやることに決める、と息子が自分の背後へ來て耳の端で「實はアレは十錢で仕入れてゐるので運賃が二錢かゝるから十二錢に賣つてゐるので五厘でも幾らでもよございますから」といふ。愈粘つて來るなと思つたが先を急ぐので「ヨシ〓〓」と答へると馬鹿に喜んで早速包裝して來て又いふには、「山の中途位までは大丈夫です」と、始は頂上までと言つたのが買ふときめてからは半分道手前になつてゐた。その上「時々途中であけてドライアイスの樣子を見て下さい」と附け加へるところを見ると、その半分道さへ覺束ないらしい。一行の中にそのスマ
ツクの持ち役の人は山坂を攀ぢながら時々スマツクの箱をあけて覗いて見なければならぬ.まことに御苦勞なことだ。登りにかゝつてのことだが自分にとつても道を探りながら皆の衆を激勵しながら「オイ君ドライアイスはまだ大丈夫かい」と時々注意する用が一つ殖えた譯だ。湯花澤への廣い道から山への徑への入口まで少しばかり案內に踉いて來たこの茶店の息子が別れ際に「あのアイスクリムの入れ物は高いんだから持つて歸つて下さい」と云ふ、どこまでもスマツクに拘泥する息子ではある。蘆の湯の裏湯花澤道からすぐ駒ヶ嶽其者の裾に取りついて登つて行く道は、最急峻なものゝ上あまり近頃人が通らないと見えて草は茂り道は壞はれ、又一ところ丸で道を見えなくしてしまつた箱根笹の人長ヶ位な繁りの續きを搔き分け〓〓よべ夕立の雨の露で一同浴衣をびつしよりにし、更に木谷を攀ぢ登つて出た谷の詰めの硫黃の禿山で最初の一休み、そこで念の爲めもう一度調べられたドライアイスはこれはいかにすつかり形を滅却したので一同急いでスマツクを口の中へ處分することにした。其處分に當つてグズノ〓してゐる者は半分以上ベタ〓〓に溶けて掌をチヨコレートで眞黑にさへした。まだ四分の一も登らないのに此有樣であつてみれば僕等が行かなかつたら此息子は七本のスマツクをどうするつもりであつたらう。さて處分に當つてスマツクは七本、七本といへば八人に七本、內一人の子方もあるにこれは全く七騎落だ。八人のうちに一人をオミツトしなければならぬに、本文で行けば結局其子方をといふことになるが、スマツクであつて見れば子方はイの一番に貰ふ權利?がありさうだ。それはといふので一番年長者が舟から下りる、マツクをたべないといふことになつて方がついた。年長者それが自分であることは勿論だ。さてその必要なしに買はされたスマツク、それはもうあの藪くゞりとこれまでの登坂とで汗ダクになつた人々に十錢五厘でも十二錢でもなく十五錢も二十錢もの値打があつた。そこで充分英氣を入れてから、又いよ〓〓本當の登りにかゝるのであつた。
寅彥君虎皮下一筆啓上、寺田君。どういふ切手を貼り、どこの局を經、幾日かゝつて着くか知らず、着くか着かぬかもわからぬが、唯どうしても出したい、だから書く。以前は每週必ず金曜に逢つて居て殆ど手紙など書く必要はなかつた、一週間目〓〓に逢つては用事不用事を語り合うたな。君が病氣になつてからも、今度の金曜は今度の金曜はと思つてゐたから矢張書かなかつた。さうしてとう〓〓書くも甲斐ないことになつてしまつた。それからもう一年の四分の三も經過した。それで今敢て一筆を走らすのは自然さういふ羽目になつたからだ。その書かずにゐられなくなつた羽目といふのは······、それはこれから書く。122高原列車僕は今年亦暑を北輕井澤へ避くるべく上野から高原列車に乘つた、去年の如くフアンの眞下の一ボツクスの片方のシートに座を占め尙片方のシートの空席なのを都合四人分吾が物顏に。トその空席に去年とちがつて君がゐないのが淋しい。去年は星野への君がそこに居た。僕は今年も一度中歸りして二度に切つて北輕へ行くのだ。その去年は前日電話で打合はせて朝上野から一所に立つたつけ。僕が窓から手を出して合圖をしたら、君がめつけて君も亦手を振つて合圖を受けながら近よつて來た。君はその時一册の映畫畫報か何かを手にしてゐたな。朝凉の列車が日暮里王子赤羽と過ぎつゝ漸く田野を走る頃にはポツ〓〓浮世話を交してゐた。その內少し連句をやらうか、と君が言ひ出し兼てのやりかけを續行した。鴻巢熊谷本庄から高崎までの間大方の間驛を拔いて走るのも、松井田横川から妙義の表裏を眺め遂に碓氷の登りに懸かるのも、その間ひたもの付句に勵んだ。又新に一卷の卷き初めさへした。それが今は君がゐない。いつまで立つても君は便所からも出て來なければどこからも乘り込まない。去年は淺間がよく爆發して碓氷を登る時分にも又降灰があり.熊ノ平の停車中には君が窓からハンケチを出し廣げて灰を採つたりしたことがあつたな。今年は淺間も靜かで灰も降らず、熊の平では唯力餅を買つて獨りでたべただけだ。斯うして僕は去年君と一所に眺めた窓外の風景を去年のまゝ見ながら獨り輕井澤へと登るの
だ。輕井澤に着いた。「あすにも北輕へ行つて見るかも知れない」と、窓外の僕に窓から君が言つたのに又急に附加へて「····行かないかもしれないから當てにしないで吳れ給へ」と早口に-これが君のいつもの癖であり、性分であり、責任感に神經過敏なのであり.實はといふと自己の自由を守る爲なのでもあるが-言ふのであつた。さうして君は沓掛へ、僕は草津鐵道の乘り場へと、···今年は孤影漂然默々として後をも顧みずブリツヂを越して行つた。北輕井澤今年はずつと天氣續きの、夕立らしい夕立も無いし雷もさう鳴らないカン〓〓照り、が二度目の今度卽九月に入つた二百十日以後はすこしづつ夕立もある。去年は雨だつたね、雨ばかり降つたよ。輕井澤の汽車で君に別れた翌日からの雨は、朝から晝、晝から午後と尙まだ夕暮には間のある時分、莊の客間の安樂椅子に腰を落とし庭もせに雨中に隱れた淺間大嶺を思ひ浮べたりしてゐる時だつたよ、玄關に誰か人の訪ふけはひのしたのは。晴れてゐればこの幅三尺高さ一間の玄關口の空間は自らそのドアの緣枠を額緣にして遙々と白川牧場あたりまで見はるかすタすげの群生を主とした萩芒の花野の美しい好畫圖であるのに、けふは無慘にも灰鼠色に雨煙が塗り潰してこゝにも展望の眼はふたがれつい〓〓閑却されがちのその玄關方面に、人の聲とも戶の音ともまことに覺束ないものゝけはひであつた。それは突然の君の訪問の、例のバスな寡言の君の聲のそれに外ならなかつた。聲をハツキリ心に明らめるより早く、點した君のヌツとした立姿が何よりも最雄辯に總てを物語る。「トウ〓〓やつて來た、急に思ひついて」といふ言葉は單にその無言の表現の〓にしか過ぎない。「出ないか」と言ひながらサツサと玄關から引返して行く君を追ひ掛けるやうにして出掛けて行くと、門前に停まつた一臺の自動車の窓から子達が笑顏を向けてゐtoo「驛に君が出てゐるかと思つた」と君がいふから、「昨日別れ際に、當てにしないで、と君がいふたし、天氣でも容易に神輿を上げないだらう君が、此雨ではとてもと思ひ、全く虚を衝かれた」と答へた。そこで雨中ではあるが自動車で乘り廻はすことにしたな。明鏡閣で小憩して、秋草の花の野を、臼川莊を、倶樂部を案內し、そこの食堂で又臼川子夫妻なども加へたお茶の後、我等と別れて雨に暮早い北輕の野を後に、淺間牧場峰の茶屋と車を飛ばして星野へ歸つて行つた君ではあつた。あんな雨の日で四圍の山の一つをも見125
せず花野の隨所の廣がりも味はしめなかつたのは殘念だつた。が再びはもうしようもない北輕訪問を、知らぬこととはいへよくあの生前の殘り少なの時間にやつたものだ。あんまり降り續いた雨に冷え込んで歸京早々僕が風邪をひき込んで居る間に、君は君の體を病魔むしばに蠢まれそめてゐたのを、神以外誰も知らず、あゝした大事に立ち至つたのだつた。今年は天氣サ、風邪の引きやうもないかはりに紫外光線がヤケに强く、皮膚や內臟の虫干にはいゝが、眼だけは刺戟に堪へられない。今度は常用のそれの上にはめる紫外線除けの色眼鏡を持つて來たよ。126鬼押出と峯の茶屋鬼押出しの巖石の上に去年舞臺の床カのやうなものが出來てゐたらう、あれが今年は出來上がつてね、巖窟ホールといふ名前が附いたよ。八角形の大きなホールで、內部は、二層の上層は唯窓添ひにぐるりと廊欄をなし卓を置き並べ、中央は天井まで突きぬけて一階のサロンをいよ〓〓廣々とさしてゐる。天井の眞中から數箇のランプのシヤンデリヤ(?)が吊り下げられて、それは大きな古車の輪をそのまゝ橫にしたその車輻の端に圓輪をなしてランプが配置されてゐる。珈琲紅茶サンドヰツチからライスカレー、その他簡單な料理も數品出來て、去年までは罐詰から梅干まで辨當一切背負つて來なきやならなかつたのが今年は手ブラで來られることになつたのは隔世の感だ。バスで橫付けにしてすぐ溫い珈琲とは贅澤だ。一年の違ひで君はとう〓〓と云へば、これはあの君の去年泊つてゐたグリーンホテルの經營で去年帳場にゐた女の人が來て居り女給の監督から帳場から一式とり仕切つてやつてゐるよ。それから二人で君のことを話し合つた。「お歸りになつて間も無く御病氣におなりになつたのださうで御座いますね」と彼女の一言に、暗然として島渡心の鼻をつまらしたよ。とすぐ又、どうして君が死んだらうと變な氣持になつたよ。さういふたら君にしても、死んでゐることを變に思ふだらう。それから峰の茶屋の火山觀測所に行つたら、昨日があそこの開設三周年の記念日だつたさうで東京からも多數來たとのこ「今年は先生が居らつしやらないので」と、とだ。その多勢の中に去年は君が居たんだぜ、あそこの主任のM學士が淋しがつて居た。M君と話をしてゐる應接室の壁に君の寫眞が額にして掛けてあつた、病氣なんかの顏付でないのが當り前ながらそれがもう世に亡いとは不思議だ。「私が殺したやうなもので」といふM學士が去年君の案內をして小淺間に登つた
ことをさも自分の責任のやうに言ふのだ。君の病はそんなすこし足を疲らした位な一時的の原因に依るものでないのは明かなことだが、そこが親愛なお弟子の感情である。序に耳に入れて置く。僕は去年の君の小淺間の足跡を懷しいものに思つてその足で登つたよ。の樹林帶のさう險しくない道を觀測所の人や子達と話ながらポツ〓〓步を運ぶ君を見た。二の鳥居の所まで行つてから登るのだと〓へられて來た僕は、正直に鳥居の所まで登つて小淺間を見上げると燒石の石塊累々たる急傾斜が眉に落ちかゝつてゐる。よく見ると同じ一面の石塊でもその中に一筋の人の足跡と見えるものがヂクザクに登り徑を示してゐるので早速それを辿つて小淺間に取りついて行く。中々急な上に足場が惡い、一步〓〓グワラグワラと石塊が崩れる。果してこゝを君が能く登り得たらうか、と汗を拭き〓〓攀ぢて行く。これ等の石塊いづれは皆いつの世の昔にか火山の噴出したそれであることは間違ひないが、その石塊の間々に生えて居り花さへつけてゐる虎杖や山はゝこや其他の草々がどれもこれもそれは〓〓丈低いのは、根を岩間の土乏しく梢を吹き荒るゝ風强く伸びも張りも出來ない故とあはれにあり珍しくもある。攀ぢ了へて頂上の展望を恣にする。さて此小淺間主峰淺間の嶺に背く半面の蒼黑く樹林の茂つてゐるのに對しこの半面の塊石磊たるを異とする。どうしてもこゝは君には登れなかつたらうと又思うたが、下りる時に鳥居よりすこし下手に山襞の砂面徑のあるのに氣がついてハヽアと思つた。要なき難路をしたものだとは思うたが、又この石塊の山肌とそのこしくれた矮草とを見得たことは決して損でなかつたと思ふ。君.嘗て火となつて噴き出されたこれ等の石塊が降つて冷えて固まつて堆積しどこに土があるかと思はれるまでの岩石層にこの可憐な草の花を、君に紹介したい。そしたら僕のその話に何でも色々な材料豐富な君は必ず類似の話を持合はしてそれからそれと又火山の話高山植物の話が展開したことだらう。僕はだまつてそんな話を君に仕掛けながら小淺間を下りたよ。けふは淺間には中々澤山の人が登つてゐた、此頃は噴火を警戒してあまり登らせないと聞いてゐたのに、觀測所へ戾つて來たら玄關前で望遠鏡で頂上を覗いてゐたから覗かせて貰つたが、よく見えはするが中々視界が定まらなくて困つたよ。遠眼鏡を覗くことだけでも專門家でないと旨く行かないものだね。さう〓〓去年僕がこゝへ來たのは君が小淺間に登つた二時間程後、だつたね、後で話し合つて見たら。129追分から輕井澤
今年は星野へは行かない、君が居ないから。いつも北輕へ行く每年、きつと寄つたものだ、君の借りた洋館の二階に泊つたこともあつたな。今年は自然グリーンホテルへも行かなかつた。そのかはりといふ譯ではないが、今年は追分に親戚が來て居るので島渡行き、あの追分の常夜燈に昔を偲んだ。追分への往復にバスを沓掛驛で乘り替へた時、星野行のバスを眺めたことだつた。それから又別の時に草鐵の長日向驛から下車してトロツコ道を星野へ出たことがあつたが、これも君が一度通つたと話したことがあつたからやつて見たのだ、半分も下りて來た邊から谷の對岸の高い處に點々と小さい別莊が建つてゐるのも今年の事らしい、土地も家屋も五百圓で一軒すつかり手に入る別莊ださうだ。これも君の知らないことたらうが、知らない方がいゝ、どうも甚しく貧弱に且殺風景なものだから、グリインホテルは建增をしたさうだ。君が來たら早速新築の新客とされたことだらう。ホテルといへば今年はふとしたはづみで輕井澤のホテルをすつかり研究することになつたよ。ホテルばかりではない、輕井澤の繁華の色々を見たよ。君の行つたといふ離れ山や愛宕山へは行かなかつたが、峠の見晴しへは行つたよ。これは靜かだがドライブウエイや散歩林道など中々贅澤なものだ。舊宿〃では、東京から夏だけ出張する壽司屋の一二軒にも立つ130て見た。それからトある横町のロシヤ料理は島渡珍だよ。先づ何もかも赤く塗つた輕井澤ホテルに行つたものだ、玄關からサロンへ通つて紅茶を注文し序に部屋を悉く見せて貰つな客は大方歸つてガラ空きに近く、室料を答へながら、只今はもうそれよりは少しお廉くなつてゐます、など何となく泊めたげな色を見せる。それから萬平ホテル、こゝは午餐を取つた。近衞公が政界のえらい人達と一かたまりサロンで話をしてゐたが別室で飯を食うた樣子、玄關前の木蔭のベンチには新聞記者團か刑事連かと見える小十人の人が網を張つてゐるのも夏の輕井澤風景の一つか。萬平も今年新築して大變立派になつたし、舊館もすつかり手直しをしたとかですつかり面目を改めたのださうな。食堂の樣子も食ひ物も東京並だ。九月に入つてではあつたが流石にまだこゝは客が相當居る、主に外國人だ。これもすつかり御部屋拜見に及んだがなか〓〓いゝ、そして寢臺とリビングルームとがカーテンと腰壁硝子障子とでうまい工合に廣狹自在になり全體に日本趣味を豐にしてゐるのがいhoそしてこゝの、東京の、名古屋の、熱海の、皆忙しいシーズンがちがふのでボーイなどあちこち適宜融通し合ふのださうな、これも旨い考だ。萬平ホテルは輕井澤の豪華版だ。此ホテルは樹林帶に在つて樹木に圍まれて居り、又後方の山々が近々と見える。萬平131
の話は君には聞かなかつたやうに思ふ。凡そ萬平ホテルとは全く行き方を異にしたものにニウグランドロツヂがある。これは君が好んでお茶を飮みに行つたさうだが、あれは萬平の堂々と構へたのに對して甚だ小ぢんまりして〓閑だ。ボーイの誰もが自慢するだけにたべ物は萬平よりうまいね、夕飯に二三品を註文して見たよ。林間のコテーヂも例に依て三四部を見せて貰つたが泊つたら爽凉閑雅であらうと島渡泊りたい氣持になつた。何よりもいゝのはスワン湖だ。あれはロツヂや庭園から見える處よりもずつと奥の方を持つことがいゝね。湖畔の細徑をグル〓〓緩歩して廻る夕方など、狭霧が段々樹々の間や水の面を流れ出して來るところ水の清凉手を浸さずには居られない、尤もそれも人の大方歸つた九月の初のことだから格別靜かなのでもあつたらうが、三笠ホテルはガランとしてもう体業してゐたのでお茶を飮むことも出來なかつた。さうして又北輕さうして又かう北輕に居ると、もなく、珍らしいニウスも無く、もう輕井澤も萬平ニウグランドも何も無い。變つた食物第一あまり動くものが無く音がしない。自分達も終日每日家の內に居て滅多に外出もしない。動くものは時々空を行く雲と、凉風渡る夕すげその他秋草の花の梢だ。そこに唯居る、それでいゝ、それがいゝ。どんな御馳走よりもどんな設備よりも、唯居て唯靜かなのがいゝ、·思邪無しといふのがこれかもしれぬ。濕氣がなくすべてが乾いてゐて朗かだ、汗をかゝない。君やも一度雨の無い北輕を見に來ないか。君.君.君、寺田君!
下り築「隨分久し振りの築だな」「あれから何度目だらう」といふやうな話が前橋からの自動車の中の三人にとりかはされつゝ利根川の鐵橋を渡り澁川の町に入り、町の途中から田圃の中を走り七本松とか十本松とかでもいふべき火葬場の側の亭々たる古い松のむら立を拔け、砂ザク〓〓と磧を刻んで車輪がとまつた所が針金渡し、吾妻川の川尻を渡るのである。ま手を叩くと對岸の小高い一軒家から人が出て來て舟を渡して來る、船も擢もない針金一本での渡し舟、對岸に上がつて砂を踏んでぢきそこの築小屋に着く。134そこは今海った長野原河原湯のお流れ來來吾夫川ふ上敷島のな香を川との落合、そこの料理小屋と附屬の客棧敷、先づ料理小屋を覗いて行く。例に依て、土間に炭火の眞赤なのを堆く盛り上げ、ぐるりへ串に刺された發刺たる大鮎を倒、にヅラリと立て並べて大圓陣を爲す、その又外側をトタンの高サ一尺徑三尺程の圓い風除に取廻はしいゝ鹽梅に燒かれつゝある。唯この鮎故に遙々足利から東京から我等三人萬障を繰合はせて來たのだ。その形その匂ひ是れ〓〓と食指の動くどころでなく垂涎埀"とするのをゴクリと飮み込んで棧敷へと拔けて行く、料理小屋とはすこし放して矢張積の中に建てられた棧敷である。その一番東の端に陣取る、陣取るといつても一つの茶ぶ臺を中に坐ればそこがその一組の席と極まるだけだ、一棟凡そ筒拔けの、壁も障子もない全く明放しのそれである。それだけ四周の景色は小屋の存在を超越する。先づ前方はぐるりと磧、その一方の磧を十數步に行き盡して刀根の急流、そこの川の中には一ばいの鮎掛け人、その人々の先に對岸の草木、その先は山並だが岸が高うて見え병右寄りに景色が開け、行先に〓水トンネルを持つ鐵路の走る鐵橋と人の渡る橋とが重なり合ひ、その上に赤城の裾が更に右へ高く赤城はけふは雲の中だ。鐵橋の手前は刀根の水やゝ幅廣く、そこへ小屋の後から橫を走つて吾妻川が注ぎ込み、名の呼ぶ如く落合をなしてゐるのがよく見える。正面から左寄りには、遠い山がいづれ越後へと重疊して行く上野の諸峰ではある。そこで築だ。-茶を喫し四方の景色に一通りたんのうしてからのこ
と、尙昨日までも今朝までもあの酷しい殘暑に喘いでゐる一同がすつかり凉氣に魂を取戾してしまつてからのこと、尙又「鮎はとれるかい」「イヽエ水が減つてしまひまして。雨來ないとどうも······、けふは夕立があるだらうと待つて居りますので」といふやうな女中との問答の末のこと、「一つ築を見て來るか」と三人が立ち上がる。築への幅の狹い棧橋を渡つて行くと橋の先が磧から三四尺も高く離れすぐ築へ足が移つて行く。築は下流から上流へ向つてなぞへ下りに仲びてゐる。幅三四間長さ二十間ばかり、底に徑一寸程の松幹か何かの黑木の長いのを透間なく並べた上へ、竹割の簀ノ子を一面に敷きつめ、すこしの傾斜で漸次水中に及び左右は二尺位に矢張竹簀子の壁をなす。そこで藥の底簀は或處から水を受け他の部分は乾いてゐる。その底簀は水中凡そ二尺位の深さまで傾斜を運んで居り、丁度川底と簀とは双方から傾斜し合つて來て兩方の堺は自然水中で極ゆるい谷の詰をなしてゐる。そこで河底の方の傾斜を急流が溜まり落ちて來てその谷から簀の子にのし上げる水は稍暫く簀の子の上を走つて來るが、結局は簀の子を洩れて下ヘドウ〓〓と落ちこぼれてしまふ。秋を下り初めた鮎は急流に乘つて落ち〓〓て來て水勢と共に築の底簀へ乘り込み、簀の水の走り先へ送られたのが簀の子の上の水際でピチ〓〓と跳ね躍る、それが玉網で掬はれてこれも矢張簀の子の水のまだ相當走つてゐるところに置いてある活け箱の中へ入れられ、そこで捕り溜められるのである。だから雨が降つて水當が增すと鮎も流され方が多く、從て獲物が澤山で、水が少いと鮎が皆岩について仕舞つて下らず反對になる。秋立つて子を持ち初めた大きな鮎が下り〓〓してこの築に乘るので下り築とはいふ。さうして晝よりも夜の方が多く捕れる。けふは成程ちつとも鮎が跳ね上つて來ないが、稍久しく見て居るうちに一匹の中鮎が跳ねて來た。見物客が大騒ぎで追ひ掛けて活け箱に入れた。活け箱を覗いて見ると稍大きいのが二三尾、その他には小さな鰻や鯰や鮠などの若干があつた。今度はいよ〓〓鮎喰ひだ。「來た〓〓」、平皿に二匹付けである、固より鹽燒。「鮎のフライか鮎コクは如何です」といふ女中に對する返事も、鹽燒の外の何にする程な野暮でない我等だと威張るばかりの鹽燒一本槍。一皿又一皿、これがあつちの組こつちの組への配給の中のことだから中々間がある。その次の鮎までの間は四周の景觀を賞味する。さてその鮎のうまさ、先づ一人は鮎を箸でとりうけて頭から嚙つて行く、一人は尻尾から食ふ、
一人は皿の上に置いたまゝ箸でむしつて食ふ。鮎の鮮しいこと、香ひのいゝことが鹽振り燒の鹽の眞白さの中に潑刺芬々たることに變りはない。その肉の雅にして脂の淡なる、そわたの何よりも膓の香氣心地よい苦みの後味はたしかにこの程ぢうの暑さに依る惰氣の頭までの刺戟劑であり興奮劑であり〓爽劑でさへある。「次ので御飮を持ちませうか」といふ女中を押さへて「飯はまだだ、鮎をもつと食ふのだ」といふに女中は寧ろあきれ顔。この一行の三人の中には大鮎十五匹のレコードを持つてゐる一人さへ居て、鮎喰ひの猛者連なのを女中の知らないのも無理がない。この鮎の美味を以て何にたとふべき。若しこれが蒼海の鮮鯛であつたら、又若しこれが海南の肥牛であつたら、美は各美であらうがこの〓雅は得られない。子持のもある、子には白子淡子、子はあつてもまだ澁びない親だ、子の無いのと共に勿論滋味は豐富。「どうも鮎は食ふ仲間に依つてうまさがちがふ」と一人がいふから「どうしてか」と問ふと「色々な俗談や雜駁さや騒しさやで鮎の仄かな味は消え飛んでしまふ。斯うやつて心靜かに食ふ時始てしみ〓〓と味が浸み渡つて來る。······あゝ山へ雲が」と答へて、磧越しに小屋の後。にそゝり立つ水澤山二つ嶽の嶺を小屋の廂の下から這ひつくばうて覗く。雲がかゝつてゐる、伊香保邊は一雨來るのかも知れない。二皿三皿遂に五皿目で飯を了へた。喉が渴く、茶漬を啜り、茶を飮んだが直らない。「果物は無いか」と言ふと黃色な西瓜を持つて來る、西瓜で渴きが大分とまる。寢ころがつて四方山の話、客は二組三組四組と後から〓〓來て、中には代謝したのもあ30棧敷は鳥渡距離を置いて今一棟ある、その方は始から三十餘人の團體が占領してゐ청中には阿嬌を携へたのもゐる、と思ふと伊香保からの避暑歸りの子供をまじへた家族連のもある。隣の一行のお婆さんが頻に鬼怒川の鮎漁をほめる、どうしてかと思ふと、船で遊べるといひ、お茶屋が立派だといひ、藝者も居るといふ。鮎の事ではなく、築なんかちつとも面白くも何ともないらしい。鮎の香氣があの膓の苦味が唇に口に舌に喉に殘つていつまでも爽か、氣も澄む思ひだ。唯あの鹽燒の鹽は多分に胃の腑へ送られたので渴きは又してもである。川へ行つて水に浸らうかといふ議が出たが海水とちがつて山川の秋水はさぞ冷めたからうと思つて行かずにゐると、出掛けて行つた一人が川の中から「水が溫かい」と手招いてゐる。裸になつて行つて見る。足から尻と水に落して仰〓に寢るやうに水中に全身を漬けると成程冷めたくない。水は滔々と流れて僅に自分をそこに殘す、自分のからだは岩間の鮎と今は同じだ。大きな岩と岩との間に身を置き、足の方と手の方で突ッ139
張つてゐないと流されてしまふ位。まこと涼しい、日に照らされる頭もちつとも暑くない。それに不思議なことにはあれ程の渴きが頓に止まつてしまつた。泳ぐのではなくたゞ漬かるのだ。その內一とこに居るのに飽いて今度は上流に向ふ、川底の大小の岩々をしかと押さへたり抱へたりしてはらばうて上ぼる。水勢が强いから肩や腹に當る壓力が加はつていゝ運動になる。又流にまかせて下つて見るに、岩どいふ岩が皆苔を被つてゐるので腹や尻が天鵞絨の上をこするやうに滑らかでいゝ心持だ。何か小さな魚の口尖が水中の吾が白いからだをチョイ〓〓突くやうな氣がする、これは氣のせいかもしれない。泳がないで水中で遊ぶといふことは子供の時以後には無いことだ、殊に海水は兎に角淡水に於ては尙更0棧敷に歸つて話をしては又一つと言つて漬かりに行く。代りを持つて來なかつた褌を濡らしては困るので御免を蒙つて水に漬かるのだがむつかしい制札も八釜しくいふ監督も無いので呑氣の極だ。夕飯の客がそろ〓〓やつて來出したのと、もう夕暮が近づいたのでこの半日の〓遊を打切ることにした。今日は滿月だし、殊に築は夜多く鮎が捕れるのだ、今夜無理にもこゝに泊めて貰ひ、夜もすがら月を觀風景に親んだらと鳥渡望蜀の嘆を洩らし合つたが、思ひ切つて尻を上げ、去年の秋出水で流されたこゝの築番の爺さんの靈を弔ひつゝ渡し場に至り、再び針金渡しに流を橫切つて歸路についた。近々と靜に暮れて行く四方の山々の中に、今のお酒も未むるな音楽の温楽器等·作者の峰さは一八秋也にほりつつた。「此佳味一句はあるべし」といへば二人「能はじ」とて辭しぬ。「さらば頰の落ちんところを一句」とて鹽唯燒淡のし鮎鮎をのさ後まなするや黃秋なの西風瓜
俳諧草庵『俳諧草庵』は『俳諧道場』ではない、『俳諧草庵』である。『俳諧道場』には俳諧道場の性質と使命とがあり、『俳諧草庵』には俳諧草庵としての意義と作用とがある。兩の者の異同はその言葉の示すが如く.畢竟「道場」と「草庵」との違ひであり、「修行」と「生活」との異りであり、さうして一つの「俳諧」の兩面である。一つは緊張其者であつて苟もする所がないが、一つは寛濶其事であつてうんとこさくつ、ろいでの上のことだ。但その「俳諧」に處ることは二つの場合一向に變りはない。それで前者は一切が一七〇に依り後者は凡そ「行住」其者である。自然「道場」は造次精進であるのに「草庵」は日々是好日である。乃ち「俳諧草庵」に於ては、隨て遊び隨て作り、隨て說き隨て行く。又隨て食ひ隨て眠り隨て語り隨て笑ひさへもする。所詮は其期間「俳諧」に行動する、卽俳諾的日常生活に入るのである。色々な境遇色々な職業の同人個々が、暫く浮世のあらゆる繁縟から離れて今142こそ一同純俳諧の共同生活をこゝに過ごさうとするのである。さうしてこの機會に於て一同は平生究むる所の俳諧をいよ〓〓その實生活の上に燒き付け、進んでその體得の上に句々を創造するの習慣をつけようとするのである。これには時と場所とを要するが、玆にそれがあつて、乃ち「俳諧草庵」を結ぶことになつた。時恰も大祭日曜の二日續き、處は相模津久井峽谷の横濱市水道沈澱池附屬屋舍の日本座敷、朝來集まる者三々伍々。ぐるりと丘で圍まれたちよいと廣い盆地、中を前岡の裾に沿うて道志川、それが大迂曲をなす廣積に畔する地平を十許の區劃に濠を穿ち水道の水の沈澱池になつてゐる。それ等をすぐ下に眺め下ろす所に〓楚な一棟の座敷、數間續きである。座數に居ると、前丘は仰ぐべく後山は據るべきで、眼先の道志川は淙々の響を立てゝ流れてゐる。前丘たゝなはる果の右端は丘鼻で、その更に右方の他の丘鼻とでなす間に空を摩するは小佛、大だるみ、高尾一連だ。鶯が屋後で囀り河鹿は夏を待ちきれずに〓流に喉をころがす。構內構外唯行くべく唯遊ぶべく、春色の誘惑人々又しては出であるき座席の溫まる暇もない。晝食夜食共に管理者の家人の庖丁で凡そ佳味、殊に鯉の丸揚、若鶏の炙燒、豚の甘煮、鮮菜の醋醬143
等々食膳甚だ富む。この山里の贅澤は更に浴場のタイル張の明淨と夜具の軟く暖きと共に旅中を忘れしめて餘りある。午下一同屋後の山徑を登り、街道に出でてそゞろに行く。景を求め花を賞し、草を愛で木を珍らしむ。その蕗の薹を示され馬醉木を〓へられる市井の若う人を誰とかする。老媼が機を織つてゐれば訪うて就て尋ね、飼牛が鳴いて人を呼ぶと農家に入つて牛舍の牛の鼻を撫でてやる。四五軒家のかたまつてゐる處から丘徑を河畔に下だる。河畔に開門があり水道の水の取入口をなしてゐる。この取入口からは地下道をなし、八丁の間水は地中を潜つて沈澱池に到る。係員の好意に依て墜道をこゝまで上ぼせられた一隻の小舟に乘り、墜道の闇を下りぬけようといふのである。閘門から直急の鐵梯を下り、一人〓〓小舟に這ひ込む、這ひ込むといふのは墜道内水面上の空間が眞に狭少で、腰を屈めただけでは入れぬからである。言葉通の奈落、丸で地獄の底へ潜り入るやう。舟中に坐つて頭が墜道の天井を離れること幾らでもなく、幅は小舟の左右が五寸位宛あいてゐるだけ。船首に瓦斯燈の灯が一つチラ〓〓焰をハタめかすのも變な氣持だ。船はスーと下だる、いよ〓〓地獄行である。空氣はひッやりとし幽に船に觸れる水の音があるばかり、文字通幽明境を異にするあの幽だ。この實感を拙に文字に綴ることを止めて讀む人の想像に任せる。歸り着くと風呂が湧いてゐるので二三人宛浴びる。もうさつきから句座が開かれてゐ、つい今經て來見聞したところの季題數箇が課されてゐる。風呂と夕飯とを中に挾んで遂に夜半を過ぎる。夜半を過ぎても電車が無くなる譯ではなし、明日の浮世の用事の爲に努力を控へる必要もないので一同夜更も知らず落着いたものだ。ぐるりと丘にとりまかれてゐるこの盆地の夜の靜けさ、川の水音はいよ〓〓よく聞こえる。それでも徹夜は、後一日の爲の損と兎に角寢ることにしたのは二時を過ぎてゐた。婦人や子供は別室に、男達は廣い二間を打通してヅラリと蒲團を敷き並べる。蓋し偉觀、但〓をかくもの齒ギシリをする者は一番端シの事勿論。145翌朝は曇つてゐる。夙に起きた人から庭へぬけ出で構內散步、中にはかなたの板橋に溪
流を越えて對岸の丘まで登る一組さへある。朝食後話し上手に引出されていつの間にか小俳話を試みたりする、それも庭へ下りかけての緣側でや掃除を逃げた應接間でやである。昨日差支へて來られなかつた一二人が來たり今日用事のある二三人が歸つたりする。又一つ歩かうと十時頃からあるきに出掛ける。今日の最後の行先を石老山と定める。すこし川下のこの沈澱池盆地の出外れにある板橋を渡り前丘の尾にとりついて登り、丘の上の家飛び〓〓の里を縫つて行く。家は皆蠶家作りだ。どの家も床下の周圍をすつかり圍ひつゝ一ケ所小さな硝子窓を作つてあるのは蠶の害蟲を豫め床下に封じ込めその明り窓の内に捕蟲器を備へて外光に導くのださうな。羊を飼うてゐる、牛を飼うてゐる。機を織る家、秣を刻む家。行く程に桑畑があれば麥畑もある。地藏尊を祭つた寺さへある、身替り地藏といcol馬頭觀世音は道ばたの處々に立つてゐる。或雜木林に沿うて坂路をなす處で誰かゞ楢と櫟とのちがひを樹肌で示したりした。椿はそこにもこゝにも盛りの花をつけてゐるが、その坂路の路上にボテノ〓と眞赤な落椿はいつもながら田舎の强い味を出してゐる。かうして會場を出てから石老山の登り口まで取りつくには十數町、事によると二十町の上もあつたかな。146石老山は本式の上り坂だ。暫く行くと大きな巖に逢着する。それからは巨嚴又巨巖で、形も大きさも夫々ちがふ、又それ〓〓に〓名がある、名ばかりではない由來が付いてゐる。それ〓〓に巖は皆面白い、且豪宕だ。どうしてこゝばかりにこんなに巨石が集まつてゐるのだらう。是等の巨巖の間を縫うて登り着いた小さな山寺が卽石老山、寺號を顯鏡寺といふ·開山の和尙の傳記が替つてゐる。失戀が發心の由來であるのださうな。けふの漫步には足弱があつて先登と殿,とで可也隔りが出來た、いつの旅でも自分が先頭をやつてゐたがそれでは開きがいよ〓〓大きくなるので力めて後に近くゐることに力めた。斯うして寺へ着いた時分は先頭はもう充分体んで休み疲れてゐる位。その時微雨がやつて來たので後組がよく休むか休まぬかに下りにかゝることにする。足弱も下りは元氣だ。下り盡して與瀨への街道へ出る處に一軒の茶店があつたのでそこで澁茶を貰ふことにする。雨もどうやら止んだので今度は街道をダラリノ〓と一行が歩いて行く。阿津寸嵐と過ぎつゝ道志橋までの街道は退屈だ。どこだつたか街道端にタバコの看板だけが出てゐて家は無く、そこからずつと半丁も桑畑の間の徑を入つた奧の百姓家で
煙草は賣つてゐるなどは凡そ鄙振を發揮して餘りあるものである。それから寸嵐で石器時代の遺跡といふものを見た。河原のゴロタ石を集めて敷きつめ疊の代りにし、その眞中だけ石を置かずに丸くあけて土を露出し、そこが當時の爐で火を焚いたものださうな。この遺跡は今度の漫步での思ひかけない拾ひ物の一つであつた。道志橋へ下りの道の大迂曲は地勢の關係上止むを得ないことだ、橋上の景に一憩し更に小坂を登つて河畔に出ると、そこに大きな靑柳が一本に水車が二つ懸つてゐるのは月並の景色ではあるが、すこし疲れた一同の眼を今更に樂ませて吳れた。足の達者な連中は先へどん〓〓宿舍へ歸り、疲れたのは水車のほとりの土筆原に足を投げて憩ふ。宿舍に歸つて遲い午飯。けふあるいたところを處分けに句にせうと題を出したが疲れたといふので誰も作らない。いつの間にか宿題にして話をしてしまふ。それもよからう、どうで「草庵」のことだから。入浴を濟ますと、けさ出掛けに賴んで置いた草餅と汁粉とが出來て來る。午食を食つたのは三時であつて見れば、もう夕飯はたべられぬ。そこでこの草餅と汁粉とで代用することにする。歸り着くと間もなく雨が降り出して眼下の道志川を折柄木流ししてゐる百姓達の蓑笠に春雨が濃やかだ。中野から自動車を呼んで二臺に分乘してこゝを發足したのは灯がついてずつと經つての七時なにがしといふ頃であつた。自動車が雨の中を衝いて走る。
薫風二題硫化水素「行ける所まで自動車で」と淺間の溫泉宿から上高地を指したのは五月十三日の朝の九時.松本在住の弟と女學校を卒へた弟の娘二人と都合四人。島々からは例の梓川の〓流に沿ふこと勿論。稻扱橋を渡つて稻扱、この部落の家々に、往年アルプス登山の折ガタ馬車を乘り捨て身仕度萬端とゝのへいよ〓〓草鞋の〓を引きしめて歩き出した村の旅籠をそこと、窓に覗き込みつゝ走り過ぎる自動車の疾さに今昔の思ひ深く、稻扱から奈川渡。途中鵬雲崎の嚴頭に攀ぢ試みるに、峽川を吹き流れる風の强さは帽子も衣袂も嚴踏む脚さへ吹き拂つてしまひさう。脚下五百尺の斷崖は俯瞰して目くるめくばかりの底に、梓川の早瀨の深きは碧くたぎつは白く、唯々岩も木も草も遠ければ豆の如く小さい。それからの走る車はヤレ天狗岩のヤレ屏風岩のと名は體を現はす岩々の景を豐かにし、奈川渡に到つた。150 ,こゝで黑川渡の知る人に便を賴み、夕方歸り路にこゝへ出て貰うて久濶を叙したいと申し送る。奈川渡から前川渡までの間に對岸に瀧がある。運轉手のいふには女夫瀧、立て札には親子瀧、夫婦と親子とではすこし感じがちがふ。凡そものゝ二つ並んでの存在は瀧でも松でも岩でも女夫でなければ親子、極りきつた名だ。前川渡から澤渡、澤渡は白骨への分岐點、大正十三年の時は霞澤を向うに見ながら白骨溫泉へ這込つたので澤渡の部落は通らなかつたやうに思ふ。兎に角沿道に水力電氣の諸設備が殖えて舊觀が大分更まつた。妹娘の方は洋裝にリウクサツクを負うてゐるが姉娘の方は和裝に草履ばきの丸で銀ブラでもするやうな恰好、これではとても車を捨てゝからがどうにもならないので澤渡の茶店で下駄を買ひ草履に替へ、茶店の媼の好意で雪袴を貸して貰ひ身仕度をする。そこに小さな大福餅を賣つてゐるので皆が一つづゝ食ふたがうまかつた。その大福は店の硝子箱の中に並べてあつたのはすこし堅くなつてゐさうなので弟が「もつと柔かい新しいのはないか」と言つたら別の箱からけさこしらへたばかりのを、「それでは」といひつゝいかにも惜しさうに出して吳れた。前にこしらへたのから賣らなくちや固いのが後へ殘つてしまふからすこし位堅くても順々に賣らうといふのだらう、その媼さんの魂膽をおかしく思ふ。島々か151
らこゝらあたりまでの長い道のり、その兩岸は山吹の花盛、こゝへ來ると又遲櫻が滿開で桃の花もまじつてゐる。東京では一月も前に濟んでしまつた花だ。照る日は暑くて初夏だが彩る花は春へ逆戾る。語の通り櫻桃梅李一時に開くその上に更に夏と春とが一しよになつて來るらしい。澤渡からはもうどこで自動車が行き止まるかわからない。先づ潜るのは山吹墜道、山吹は無い。暫く行くと上の谷から滑り落ちた雪崩に逢着、これはもうすつかり雪をくりぬいて雪の墜道が出來てゐ、自動車は平氣でぬけて行く。〓水墜道の手前までは行けるだらうと聞いて來たその〓水は無事に通過、氷河石と立札があつて探したが石は見えなく、對岸一谷の峯高く「あれが雲間の瀧」と〓へられて成程これは見事、折柄雪解の水嵩增さり勢出猛な一瀑は横ざまに水束を吹き飛ばして中空に鼕々の響を轟かせる。いかさま或時は雲を起し雲につゝまれもしやうに雲間の名もふさわしからう。又一つの雪の墜道をくゞり、道のトある曲り角に突き出し赤い小旗に自動車はもうどうにも進めないことになつた。そこで車を乘り捨て、すつかり鍵をかけ道端に片よせて置き、運轉手も途中まで同行するといふので一行五人テク〓〓と步を拾ふ。自分は始から例のタツツケを着用してゐるからどんな道でも步くことは何でもない。此邊は道は所々の損所以外は自動車の行く道路だから樂だ。道端の一軒宿を坂卷溫泉と見、橋を渡り又次の橋を渡つて行く。ト峽間が急にムウツと臭い。拂つても〓〓その匂ひが鼻を退かず行つても〓〓止まない。このあたり硫黄の氣が到る處に噴き出てゐるのだ。川の岸も川の中の岩も白々と汚れてゐるのは皆その溫泉の花だ。此邊はどこにも溫泉が湧き出てゐるので、道路修繕の工夫達は仕事が濟んでの歸りがけ岩間の溜まり湯で汗垢を洗つて小屋へ歸るのださうな。臭い、鼻を抓ままずにゐられないばかりだ。屈曲した谷間、そこに射し込む日脚は暑く夏めくに吹く風はこの臭い匂ひを吹き散らしてこゝらあたりの眞夏の炎暑を思はせる。中の湯はもうぢきだ。中の湯で一ばい浴びての午飯は待遠しい。「オイ一句出來たよ、フー坊.手帳にお附け」妹娘のフー坊はけふは僕の句が出來たら手帳につけて呉れる秘書の役を車中で約束して來たのだ。彼女は「ハイ」といつて手帳と鉛筆とを取出す。「イヽカイ、言ふよ」「ハイ」「薫風や······イヽネ」「ハイ」「硫化水素の······」「······」「硫化水素つて字知つてるね、その次······」「ハイ」屁の臭ひ」「アラ······」「書かなくちや駄目だよ、言ふ通りに。今日は一→日僕の女祕書だつたぢやないか「キタナ
イのね······」。一行の一番後にくつついて來る運轉手先生「へヘエー、硫化水素のね······成程······科學的俳句ですね」。中の湯がもうそこに見えて來た、飯だ、溫泉だ、サウ〓〓中の湯の溫泉も大にその硫化水素的溫泉だつたな。「フウ公、早く書かないか、こんな名句を書かなくちやいけないよ、サアもう一ぺん言ふよ、薰風や硫化水素の屁の臭ひ」·「イヤーダ」と今度は姉のミー公までが。お孃さんはおナラはお嫌ひ。港晴れ五月の陽の爽かに晴れた朝だ。浦賀の船渠會社の奥倶樂部に昨夜一夜の旅枕をした自分は、早い朝飯後フラリと散步に出かけた。早い朝飯といふのは、この會社は七時始業で、どんな上役の人でも時刻には必ず定刻に出勤することになつてゐるから、六時半のポー(汽笛)にはどうしても起きねばならず、すぐ飯を食つてずぐ洋服を着るといふわけ。さうでなくても朝は夙く目の覺めてしまふ自分のことゝていつもいゝ事にして皆と同じ時刻に食ふ、けふもさうだ。宿舍を出て表倶樂部の門前で同時に會社の門前に當る處、そこを右へ、道の港岸に沿ふ所に海氣を吸はうと步いて行く。左側がずつと船渠會社、その外れに一軒の材木商があり、それで家は無くなつてすぐ海-港內になる。右側も家が途切れて敷地にはなつてゐるが大方空地でまだ家が建つてゐない。材木屋の前に一臺の小さい荷車があり、それに材木が載せてある、尙一人の若イ衆が倉庫から一本〓〓出して來ては車に積む。皆揃ひの角材正三寸の檜だ。「これはどこの產ですか」「埼玉縣です」「今の處で一本幾ら位します?」「まあ一圓二十錢位でせう」·····總計二十本近く積み上げられ、梶をとつては重點をためし〓〓二段位に小口をづらして積み正し、やがて工合よい所で向うへ車を曳いて行く若衆ではあつた。檜······埼玉縣-一圓二十錢、と頭の中で要もないことを考へながらボツ〓〓歩いて行く。もうその材木屋の建物を出はづれてしまつた所に道沿ひにこれはずつと大きな角材が二三尺の高さに積み上げられてある。そこにその積まれた·材木の上の面の平ヲに五つ位な女の兒が足を投げ出し尻を落とし、ワア〓〓泣いてゐる。あたりには一人も人が居ない、材木屋の向ひ家の方にも人影はない。何をこの兒が泣いてゐるのかわからないので姑く立つてそれを見てゐた。上がりは上がつたが下りられないで泣いてゐるのか、母親がうちで用事をする間邪魔になるからこゝへ連れて來て遊ばせて置いたのが下りられないので泣くのか、一人で來て機嫌よく遊んでゐるうちにお腹が痛くな155
つたのか、外の子供と一しよだつたのが喧嘩でもして泣かされ、泣かせた方は事面倒と逃げてしまつたのか、是等の原因のどれかの一つから母親の救援を哀求してゐるのらしい。そしてそれがどの一因からであらうかなど考へてゐる間、自分は子供に手も掛けず言葉も與へずにじつと見て居た。子供は自分が立ちどまつてゐるのでそれを汐に泣き止めもしなければ益泣いぢやくるといふのでもない、全く一調子である。この泣きつゞける子の爲に自分はまだ慰めようとも譯をきかうともしない。それはしないといふ譯ではないがその子供の泣き方が一向さういふ何等の心をも動かさない事程左樣に一調子の泣き振りなのだ。彼はまことによく上手に泣いてゐる、實はその上手な泣き方に感に堪へて餘の心が僕には起らないといふ有樣だ。僕が立つて見てゐる間も相當なものだがその前どの位前から長く泣いてゐたのかわからない。カラ泣きでないことはわかつてゐるが、さりとてセツパ詰つた泣き方ではない。所謂火のつくやうな泣き方でもなければ哀切糸の切れるやうなそれでもない。彼は眼に一ばい淚を溜めてゐる、尤ももうその淚は過去に湧出したもので今はもう新な湧出は一つもしてゐない。謂うて見るとさう烈しく泣いては早く泣きが止まるといけないから、あまり精力を一時にすり減らさないやうに、中途から細〓々而して長々と泣かうといふ體である。つまり持久戰的泣き方だ。それで居てそこに立つ人にはさもどうにもならぬ、つまり身も世もないと思はせようといふ泣きざまなのだ。そこを僕がよく上手に泣き續ける、といふのである。それにしても元來子煩惱な自分、そして散歩の際には殊更ぶつかつたものをひたもの攝り得ずには過ごされない自分は、この場合さう簡單に立ち去るわけに行かない。その結果がいつまでも無言で不動でその泣きに泣く子供に面壁して凝視めて止まないのである。玆に自分は子供の顏から手足衣類にまで細い描寫は省略する。それは直接に何も大きな必要がないからだ。又斯う言ふのも實はその凝視の間に全くフンダンに彼女の容貌から風采を巨細に見得たからである。その事情の眞因が發見されなければされないだけ自分の眼はその眼前に橫はる素材に物質的に詳くなるの結果を來たすのだ、その内にヒヨツコリ眞因が彼女のどこからか浮き出て來ると思つて。ところがそれが出て來ないから徒に物に詳しくなるばかりだ。唯それ等の事實のうちほんの一部だけ洩らすとすれば、彼は赤つぽいメリンスの筒袖のあちこちが汚れてゐ、顏もさう可愛らしい側ではないといふことだけだ。彼是時も經つが矢張わからないので、それまではと自分は無意識に步を起こして二足三足歩を進めつゝあつた。尤もまたすつかり斷念したのではな157
く、子供は橫目の一線の中に置きながら、そこの長々しい積み材木に沿つて子供から離れて行くのである。そしてその材木をあと一間位で離れ切るといふ時、ほんとにその時その刹那、見えた、見た、僕は眞因にハタと行き逢つたのだつた。それは何だと思ふ?。かうだ.子供の正面から身を移しつゝ子供を橫目の一線に置いた時、眼と子供とその先に或物が、固よりその一線の上に、子供からは約三尺を離れた所に一物-思ひがけぬ一物を發見して、オヤとサウカとが一しよに僕の心の內に發動した。鋏を揭げた蟹か?劍を振舞ふ蜂か?それとも世にも恐ろしい猛獸毒蛇の類か?一匹の惡蛇が鎌首をもたげ口から眞紅の赤い舌をチロ〓〓閃かしつゝジツと子供の方を見て今にも飛びかゝらうとする?のか、それにしてはあまり時間が長過ぎるであらう。キラりと小さな光り物-一塊の拳銃の銃口がヒタと彼女に狙けられ彼の小さな魂を風前の燈火の如くしてゐる?のか、それにしては人一人居ずあまりに朗かな五月の空ではある。それでは何か、アヽ意外、凡そこれは彼女の淚と彼女の哀泣と緣もゆかりもなささうなもの、一瞬「そんなもので彼はなぜ泣く?」と奇異に思はされる程のものであつた。まことにそれは積み材木の一番上の面の平ヲの一とこ眞中頃に安置された一塊の黄金に外ならなかつた。黃金!黃金!黃金!聞いただけでも凡そ人笑顏を綻ばすであらうこの黃金!高さ凡二寸底徑約三寸のピラミツト型、但軟狀、それは明るい〓〓太陽の光の中に自らその光澤を輝しつゝ眼さめるばかりの黃色を誇つてゐるのであつた。黄金!黃金!之が爲には世の人義理も人情もなくなり友人知己を裏切り、どうかすると親兄弟と戰つてでも之に赴き、又は自らの命を失ふことも珍らしくないといふその黄金にオゝこの小さき彼女のあまりにも謙讓なこと、又過度に無慾なことよ、而も憂鬱以上之を恐れて泣いぢやくる如き世にも臆病過ぎることよ。さうしてその泣きつゞける合ヒ間〓〓にちよい〓〓その黄金塔をぬすみ見ることを發見してハアと大合點をしたのであつた。よく見ると、その小塔に腫れ物に觸るやうにして三尺を隔つてゐる彼女の投げ出した足の橫にもこれは又甚だ小さい、塔の形をもなさない同じ黃金の一片、ほんの一片がころがつてゐる。思ふに此樣子では、甚た無躾なことながら、彼女の裾を若しひんまくることが許されるなら、その裾に内股に臀部に尙幾多の黄金を燦爛として撒き散らしてあることであらう。彼女の哀泣は結局この黄金!思ひ掛けぬこの黄金の汎濫に喫驚し狼狽し、全く之が處置に窮し氣も〓倒するばかりなのにあつたのだつた。黄金の小塔が建立されたその積み材木上面の平ヲ越しにそこに奇形の大きな鐵船が二艘159
進水されてゐるのはソヴイエツトの註文にかゝる大浚渫船である。狹い港心の水を隔てゝ對岸には一隻の軍艦が大方艤裝を了つてゐる、シヤムの練習艦だ。遙に港口に横たはるのは吾が驅逐艦Xの是も進水後の艤裝に從事してゐるものだ。さうして灣頭の小岬の向うに浦賀水道の廣茫をひろげてそのあなたに霞み濃う房州の山々が。空は晴、五月の靑空だ。風は颯々と灣口より港ぢう街ぢうに吹き入れてゐる。セルの着物の胸元がすが〓〓しい。港岸を辿つて港の風景を樂みつゝ往いて還るに港內は本社の建造船で今は一ばいだ。材木屋の積んだ材木にはもう誰も居らぬ。材木屋の前の小家の前を通る時、お神さんらしい人が流しで洗濯か何かしてゐたからあの着物かも知れぬと思つて近よつて覗き込むやうに眺めかけると、そこらに遊んでゐたのであらう一人の女の子が流しと僕との間にノコ〓〓と出て來て、僕の顏を見てニコ〓〓して「おぢさん」と言つた。僕も島渡驚いたが流しのお神さんは更に怪な顔を見詰めるのだつた。果してその子はあの黄金孃であつた。彼はあんなに泣いぢやくる中に僕を記憶するまでによく見てゐたのだつた。そして僕を見るとすぐ呼び掛けるとは?更にニコ〓〓顏を以て僕に接して來るとは?、僕はもう一度さつきの材木の上での彼女の泣きながらの心理を解剖せずにはゐられなかつた。160二匹の蟬時は大暑、每日つゞく暑氣に堪へ難い思ひをするのに、その日は殊に夜に入つても一向に凉しくならない。ついいつまでも起きてゐることになる。といつて一晩ぢう寢ないわけにも行かないから思ひ切つて寢床に入る。第一あの古蚊帳の裾をまくるのがたまらなく暑苦しい。蚊帳に入つてもなか〓〓寢つかれない。と、障子紙に當るのと見えて何だか相當大きな蟲がバタ〓〓やつてゐる、時々チュウーと言ふ聲を以て見ると蟬だ。他の灯取蟲と一しよに灯にまぎれ込んで來たものらしい。それが又耳について一層寢つかれぬものにする。それでもかれこれしてゐるうちに眠ることが出來た。氣のついた時はもう空が白んで來たか欄間が明るい。短いのは夏の夜の常といひながら本當に幾らも寢る間がなかつたやうな氣がする。もう眠れもせず、というて起きるにはまだすこし早いので、仰むけになつたまゝまじ〓〓してみると、そのうちどうやら旭が出たらしく、あの欄間の明りが黃色を
帶びて來る。さうするとどうだ、枕元の蚊帳の外の障子の邊で、ジイー····といふ一調子わっその、細いが突き透るやうな强い響が起つて來た。蟬の鳴き聲だ。「昨今の奴ッだな」とすぐ思ふ。蟬は必死に鳴きつゞける。ジイーとどこまでも引ッ張る、但時々調子を高めたり低めたりする。それは必ず俗にちいぜみと呼ぶ小さな種類の蟬に限る鳴き方だ。これは、他の種類とちがつてあのいやにせはしないやうな又頗可立たしい感じではないが、それでゐてかう頭の芯の隨まで採み込まれるやうな嚴しさだ。覺めたとは言ひながらまだ洗面もしない褥中の枕上のわが頭腦は、突然であり噱々然であり、この朝のしゞまを破られること甚しい。それよりもこんな家の中を、丸で野天の樹の枝森の中と同じく蟬の鳴き立てることがあり得ていゝことか、まさに不思議でさへある。かの小蟬は、正に昨夜一夜人間の家の中に住みつゝ全く彼自身の生活環境を更へ、夜が明けて來ると目にも身にもいよ〓〓その異境が明らかになつて來るであらうに何の不安もないのだらうか、又どう思うてこんなに變つた場所で高らかに歌さへ歌ふのであらうか。次第に明るくなり行く光線の裏に、體どんなとこに止まつて鳴いてゐるのかと、そうつと枕を上げて見たら、障子の腰板から。すこし上の棧の一つに止まつて頗の蠻聲を張り上げてゐるのであつた。-けふも又暑いなと思ふ。大分暑さには疲れ、その上數日來腹の工合がわるいので、どうしても直さなくてはと忙しい用事の間を思ひ切つて飛び出し、東海道線の汽車に乘り小田原までの切符を買ふ、箱根にしても伊豆にしてもと。箱根なら凉しいと思ふが海と溫泉とを兼ねるのは熱海伊豆山でなくてはならぬので、すこし暑いだらうとは思つたが、熱海まで乘り越すことにし、熱海で下りてAホテルへ來た。玄關帳場で室ば?といふと皆あいてゐるといふ。早速室をとつて室へ收まつて見ると暑い、それは〓〓暑い。それならこちらの日本座敷はと導かれたが矢張駄目だ。これではたまらぬ。いつそ海はなくても箱根へでも登つてしまはうか、と思ひながら、室までとつたことではあり、一二時間休んで出かけようと、その旨を通じ、兎も角一ばい溫泉に、と樓下幾段の下へ下りて行つて一風呂浴びる。いゝ氣持だ、やつばり溫泉だなと思ふ。さてかう一風呂浴びて見るとこれでもうすつかり動くのがいやになり、そのうち夕方にでもなれば涼しくもならうとの弱氣にとう〓〓又泊ることにしてしまふ。それでけふは風が無いので流石に室は凉しくなく、三階の大廣間の緣側だけは風が絕えな163
いのでそこで涼む。何しろ脚下數丈の下からが海で一望涯の無い大洋だ。晩餐を了つて室に籠つた時分からはやゝ涼しくなり窓の外は滿天の星に天の河も大きく手にとるばかり。又溫泉には幾たびも入り目的の腹を溫めることにいそしんだ。夜凉が夜更を忘れしめ、十一時になつたのも知らなかつた。その時である。僕の室の廊下一つ隔てた筋向が給仕室だが、双方とも夏のこととて一枚のカーテンを下ろしたばかりで扉は閉めてない。その給仕あか〓〓室は明メと灯が點つて拾仕はどどかへ遊びに行ってるるのか大方留夏場の客の無い伽藍洞のホテルは一向差支ないことらしい。その無人の室のその夜更の灯の中にだ、そこに一匹の蟬の聲がし出した。是が亦あの小さな種類の奴ッジイー······と鳴き出して一調子に、又ヂリヂリと高め、それを長くつゞけ、やゝ暫くすると又段々調子を落してそのまゝ今度は低い一調子をつゞけるのだ。オヤと思ふ。眞夜中に近いのにこれは又宵ッ張だ、そして又人の家内の電燈の明るい下で、と思ふ。それとも給仕が籠にでも入れて飼ひ慣らしてゐるのかとも考へたりするが、蟬は鈴蟲や松蟲のやうに飼ひ慣らして鳴かすといふことは出來まい。剩へ夜鳴くとは?さうつと給仕室へ行つて見ると蟲籠も何もなくどこにゐるのか蟬の聲はまざ〓〓と小さな室に響き渡つてゐる。蟬は夜は鳴かないもの、家の中164 ?などでは鳴かないもの、といふ從來の自信はこの間の宅のと今夜のとの一一つの例で完全に打破られた、それにしてもあまり澤山ある例ではあるまいが。子供の時分に蟬捕をやつて小鳥籠か何かに捕り溜めた中の一つの油蟬が、庭の木の葉蔭にぶら下げられたまゝ澤山の蟬の捕虜の中で鳴き出したといふ記臆はある。秋近い山の家の緣柱にカナカナが飛んで來て止まつて鳴き出した經驗も一再ならず持つてゐる。併し、蟬が夜半や曉に全く人間の住居の座敷の中に堂々鳴き聲を振舞ふといふのは今度が始めてだ。人間と自然との間の距離がこの二匹の蟬に依て又短縮されたやうに思ふ。これは、人間界と自然界との交流合體乃至一致を平生口癖のやうにしてゐる自分に對し神がこんなことを蟬に依て示現せさせ給ふたのか、それとも蟬の中に偶俳諧を解する二匹がゐて、最近に余にこんな不思議な値遇の緣を結んだのか。今年は格別暑い、又殊の外暑さを堪へ難く思ふ。又何かとかかづらふことが多くてまだ北輕井澤へも出掛けることが出來ない。或時は、出征將士の勞苦を想うて齒を食ひしばつ
て苦熱をこらへてみるが腦漿は唯沸きに沸くと見え頭がぼんやりしてどうにもこらへきれない。又或時は、熱時熱殺の、心意氣で泰然自若と机の前に坐つて見るが、いつの間にかジツトリ汗は全身を霑してあるだけの毛穴が皆寒がつてしまひ氣息もつまると思ふばかりである。唯かういふ暑さの中にその暑さを謳歌する者は凡そ彼の樹間の蟬族だ。暑さを歡迎する彼レ蟬族と暑さに辟易する人間自分とそれは正に天地霄壞の差、而も是等不思議の二匹の蟬に僕の逢着したのは實にこれほどの大暑の中なればこそだ。そこで自分に苦手のこの炎暑はおのづから又この値遇の緣の〓をなしたのだから面白い。それからも一つ尙一層面白いのは、それほど暑さ嫌ひな自分が一度蟬になつて鳴き出してしまふと、暑いのが苦にならないばかりか、暑さが嚴しいほど鳴き易く、それはさも人間に暑さを呪ふ惡魔のやうに暑さを喜びたゝへもさへして鳴きしきる。-一つの曉と一つの夜半とに於て、あの家屋の中に鳴き入る小蟬に聞き入つた時の自分でそれはある。今年はたしかに暑い。166畠-伊豫から歸つて-四五日前半日畠へ行つて耕して來た。久々鍬をつかつて草臥れた。休んではやり〓〓辨當を持つて行き畠で食ふのがうまい、果物は格別美味。昨日又行く。昨日は天氣豫報は後に雨とのことだが茄子植が早い方がよいらしく、傘持參で行く。畠用襦袢一枚に例のタツツケで丁度いゝ位。半日がかり。風が强いので茄子は倒れる恐れがあり、その植ゑ場所だけきめその畝間三尺もある故間へ何か蒔かうと思ひ二十日大根を蒔く、あの赤小蕪のさつ奴出來たら皮をむいて鹽をつけてたべるのが樂み。夏大根と胡瓜との種を蒔く。夏蕪は持つて來たつもりが探しても無いから忘れて來たらしい。白菜とホーレン草も六月でもいゝといふ小書つきなので後まわし。スヰートピーを添竹にくゝる。時々雨がパラバラす
300トマトーはこの間苗を植ゑたが、今日は黃色なのをと苗を買つて來たから植ゑる。寒い時分に蒔いた蠶豆は一尺ばかりの長々に伸びてゐるが行末覺束ないほど貧弱だ。南の國からは先日大きな莢のまゝのを送つて貰つた位だのにこつちのはまだこんなだ。幾ら田舍があたゝかいと言つてもこんなにちがふ譯はあるまいと思ふ、種子の蒔きやうが遲れたには遲れたが。余丁町ではあんなに見事に育てた葉鷄頭もこつちへ越してからは日光と風通しとで一向ものにならないのが悔しく、一番これはと種子を下ろしたのが毛ほどに芽を出してゐる。冬植ゑたチウリツプは早咲だつたので旅行の留守中に皆咲いてしまひ、歸つた時は兩三花が滿開の名殘を告げてゐた位、大輪の美しい赤で奇麗だつた、その盛はどんなだつたらうと思ふ。よその畠にはその遲咲きのがあつて今でも色とり〓〓に中にも黃色が冴えて明るい。どうも旅の疲れかこの頃の時候のせいか、それとも膓胃の倦怠から來るのであらうか頭の工合が重くるしいので、宅でゴロリと寢てゐるか、奮發して畠へ來るかどうちかするこの頃だ。けふは雨で大分止み間も出來て霽れさうだから又一つ行つてみようかと考へてゐる。それとも風が冷いからよさうかな。どうせう?あの故〓の四國の畠は皆山畠、あんな高い山の上まで畠を墾いて、每日の行きかひエツチラオツチラ重い肥料を擔168ぎ上げなどする勤勞、それに較べればすこし雨が催さうが風が冷からうがものゝ數でもない筈、雨はもう降らない、薄い日の目が射して來た。行くかな、止めるかな。机捨てゝ畠にあそぶ五月かな-九州から戾つて-玉蜀黍が三尺に伸びてゐたのには驚いた。二十日大根も殼の落花生の三倍程に太つてゐるにも驚いた。丁度半月で斯うだ。歸京の翌日金澤の會に行つた歸りがけ同人に貰つて來た葱苗を植ゑるのが忙しかつた。植ゑ方は〓はつた通りにやつたつもりだがどうかしら。草がチョイ〓〓生えてゐて地しばりか何か根が平たく地面にくつついてゐる奴ッが抓まめなくて中々とれない。何と云つても入梅なので曇るのは朝から曇つてゐるが、その上に時々霧の樣なこまかい雨が降つて來る。そんなことは構はずに仕事をつゞける。その內細かさが密度を增して來る、とその間暫く木の下へ入つて休むことにする。鍬をつかつてゐる時は汗が顏へずつと上つて來、ひどくなると顏からポトリ〓〓垂れかゝる、垂れた汗は堀
り返した柔かい土に落ちてにじんで消える。「百姓が汗で耕す」といふことは知つてゐたがそれは言葉だけでないことを實驗する。尤も本當の百姓はこれ位働いたからつて汗など出すほど不鍛鍊ではあるまいが、自分もそのうち馴れてさう無暗に汗はしぼらないやうになるだらうと考へる。それにやり方もちがふので、我々のは無暗にあせり急ぐが、百性達はまことに悠に靜にやつてゐる。これは長くやつてゐると自然さうなるので、自分だつて一日のやり始めと中頃過では大分ちがふ。汗といへば二畝三畝をすこし深く打返す間に出る汗は阿蘇や高千穗に登る汗ほどの分量であることは嘘のやうな眞だ。鍬をつかつてゐていよ〓〓疲れると、しやがんで出來る草むしりや大根曳きの方に暫く替へて運動する身體の部分を交替さす。汗といへば初めはむつちりと體のどことなく又どこもかも汗ばんで來て仕舞に顏になるが、何しろ兩手は鍬でふさがつてゐるから汗を拭くことも出來ない。ほつたらかして置くと、汗めいゝ氣になつてのさばりくさり、とう〓〓眼の中へまで侵入する、すると睫毛がしばたゝいて入れまいとする。眼から追ひ出された分は鼻梁の峽谷を傳うて氾濫するがその內俯むき加減であるため鼻の頂まで侵犯し、にそこで玉なす汗となうて一滴、更に二三四五滴の落下となる。顏ぢう洗うたやうになり、眼にまぎれ込んだそれでよく物が見えなくなるので鍬を止めて一息入れる。土の手に手拭はもてぬから肌着の袖で横なぐりにこすり拭く。立つたまゝ鍬を杖ついて大きく息をついてゐるうちに凉しい風が顏の面を乾かして吳れる、唯肌着タツツケで覆はれてゐる下はムウツと蒸し暑い。が胸をあけて入れる風にそれも乾いて、あれほどタラ〓〓汗の出た後の氣持は爽かだ。爽かといへばこんな曇つた雨さへ落ちる日とちがつて快晴の日の爽かさは又格別。五月の空が一齊に晴れ渡る、その眞下に日はヂリ〓〓照りつけるところ、圃の四周の靑葉若葉を吹き通して來る薰風はイヤといふほど顏を體を心を吹き吹く、内から沸き出る汗の瀧をも吹き飛ばすばかり。人間の皮膚の下の肉の中の水分を黃河を決した水の如く汗に絞り出すまでに照りつけるあの日光の紫外線の强さ、その强い力の前に投げ出した肉體の緊張、やがて活潑さ、れんばかりでなく肉等骨勢內内內內共者そがなそ胸腹を開いて心にして日光消毒をするやうな心持。この時ばかりは血が五體を順よく勢よく流れまはつて病氣がどこ疲勞がどことも健康其者であるやうな爽快さである。まことにこの神心の爽かさは言葉通り高潔である。「勞働は神聖なり」の神聖さは理屈だけの言葉でなく寧ろ感情の上の言葉であるのぢやないかとさへ思ふ。これは又まことに高山に登攀する心持に似る。
尤も斯ういふ經驗は生れて始てではなく、若い頃又中年に甞めた所ではある、あるがあまりの都會生活几邊生活で大分、いつそとんと忘れてゐたもので、今更新しい發見のやうな氣持に漬かるほどであるのだ。もうやがて梅雨も晴れやう。そしたら一層の快晴だ、爽快だ。病氣なんか誰の事だ、と畠でだけでは大した氣焰。トマトはもう二尺、胡瓜も杖を立ててやらう、大根もめつきり肥れとお百姓が忙しい。-晴れたら、手拭一重の天こぼしで阿蘇の火口から高嶽へのあの往復急行のあの時と同じ暑さすが〓〓しささ。君、どうも僕は百姓か獵師かの性に生れついて居るんだね。旅中の寫眞は出來たかい。葱苗に畑のいそぎや梅雨霽れ間どつかと尻を-出で征く誰彼へー『無曆莊』必しも無曆莊でない、それは或日があつたからだ。曆日が無ければ山中その浮世と斷つて詩の低さへ訪はぬと儘のこの莊は、がちなのを或日、これは又わくらはのわくらはに、而も世の常の訪ひとむらひでなく、こゝに端なくも軍國一風景を點出し來つたのであつた。頃は初秋、時は小夜、疇昔の頑蟬條忽として千里の外に忘却し去られ四邊の虫聲喞々として心耳の深きに浸透するさ中。徑五尺の大圓卓を中に余と對坐する者は誰そ。眞新しい陸軍少尉の軍服に軍刀を杖いて椅子に凭る毬栗頭の一人の若う人でそれはある。この地方の同人中最若年中の一人、句會などで極めて末席に連る彼であつた。彼は一昨日令狀を手にし兩三日內に召に應じて入營すべく、やにはに鍬を棄て、太刀を撫で、耕作の泥の手を洗つて出陣の用意おさ〓〓怠り
ないのである。方に余の前に彼の濃い眉と決心の眦とを收めた彼の圓顏があつた。そしてその顏の色の、彼がまだ家門を去らず未だ戰陣には一步をも踏み出さぬに已に逞ましい日燒の色を深めてゐるのは、彼が平生の田園生活を物語るものでなくて何であらう。その他そこには胸のカーキー色の羅紗があり、肩に肩章の光る金の一つ星があり、さて手に杖くはなだつかその濃い編がイヤいつそ紫織に近いその匂やかな小さな太刀の柄頭の飾りの房の色、彩があり、是等告凡そその眞新しさに於てあるのであつた。彼の眸はハタと余を凝視してゐる、余の眸も亦彼の眼を、さうしてその頰を、その口を見つゝ彼一語此一語、おもむろに話が交はされて行く。っ「どうも御苦勞で······家の方は誰が······。「母と妹と二人切りで御座います。「それなら君が行つた後の畑仕事は?人でも賴んで?「イヽエ、もうすつかり人に渡してしまひました。何しろ女二人ではどうにもなりませんから。つい此間來た時には、此莊、屋根の下よりは屋根の外に心が走り、椅子も軒端近く進め此莊、屋根の下よりは屋根の外に心が走り、椅子も軒端近く進めとてゐたのに、今はずつと奥に引つこめたこの圓卓に外の面へより內に落着いてゐる。內に落ち着く心は月の無い暗夜に自然に一燈の明るさに集まり、更に燈下の話に氣持が集中される。そしてその話もいつの間にか自分ばかりしやべり、相手は沈默して絕對に聞き役に廻り唯余の一語と雖聞き洩らさじと眼も鼻も顏ちう耳にして聞き入つてゐた。固よりそこに居合はせた他の二人は始から一語をも挾まない。-自分は彼に對する應召への送別の辭を綴つてゐた。「君何よりも先にしつかり腹をこしらへることだぜ。腹が据はつてゐなくては何事も出來ない。殊にいくさのやうな重大な場合には一層だ。我々は常にこの腹を据ゑることを俳諧に依つて養つてゐる。あつちへ行つたら、その平生養つてゐる俳諧の力が充分發揮されなくてはならぬ。落着きが第一、それも唯さういふことを知つてゐるだけではいけない。必要なのは實踐だ、實地だ、そして體驗だ。何事も其事に當る前に先づそれが身についてゐない分にはさあといふ時間に合はない。俳諧の理論は前々から余の說法で聞いてゐてわかつてゐやう。今更繰返すでもないが、頭でわかつただけでなく、それを身につける爲に
諸君は一句又一句を構へつゝその句境を完成して行く。始思索の上に色々に綜た糸である所の趣向は、經緯を織りなすうちに一つ〓〓の糸でありながら今は一つ〓〓を一つ〓〓の絲の綜合の一つの織物である所の、句になつてしまふ。その始の考の上の組立からやがて考を絕し唯身一つに受取る一句の境涯に替つてしまふ。卽一句を構へることに依て思ひの心から身の上體の事になつてしまはうと、その度々に經驗を積み練磨を重ねるのだ。こゝに例へば一本の萩の花の枝垂れでも一匹の秋の蚊の衰へでも、それを我々が一句に仕上げようといふのは、唯それは自分達の見る眼嗅ぐ鼻のよく受取るばかりでなく、身を以てその萩の枝垂を受取り己を以て蚊の衰に立つことを先づ所願とするのだ。それには作者である人間の腹を据ゑてかゝらねばならぬ。腹が据はつて來ないことには唯見唯聞くことから先へは一步も進めぬ。腹が据はつてゐない時はどんな一事一物でもそれに透徹して行かうとするに當つて心がとつおいつし、卽諸念諸慾がその一氣に突き進む心の作用を途中で搔きまぜてしまひはぐらかしてしまふ。つまり一番いけないことは自分といふ者が先に立つてどうにも先方へ渡つて行けない、況して入つて行くことは尙出來ない。入つて行けず渡つてさへ行けなければ、どうして先方の本當の事が得られるだらう。そこで入つて行くに176は自分を捨てゝかゝることを先にする。故に腹の据はることは自分を捨てゝかゝることから始まるともいへる。かと思ふと、自分を捨てるにはすつかり腹が出來なくては、ともいへることになる。すると己を捨てるといふことと腹を据ゑるといふこととは二つで一つ、そしてそれはどつちももう理論ではなくて實際だ。臨時でなくて常住だ、思索でなくて行動だ。僕が一句の事に恒にやかましいのは、佳い一句を得るにはその一句の腹がきまらねばならぬといふことだ。一句の腹とは一句の境涯のことだが、その一句の腹のきまることは先づ以てその人自體の腹のきまり方に順應し、又一句の腹のきまるたびにその人の腹が出來て行く。重ねて言ふ、俳句の一つ〓〓に腹をきめることは、その一つ〓〓を機緣としてその身その人の腹のきまつて行くこと、又その人の腹がきまればきまる程一句〓〓が佳い筈なことは、さつきの腹の据はることと自分を捨てることとが二つに一つなのと同じ理合わだ。斯うして我等は一句を得、斯うして一句に心を懸ける。すべて「腹を据ゑる」ことに終始するので、それが理路でなくて事實であり、かりそめでなくて永久であり、思量でなくて體得である以上、俳諧の事は凡修行であり稽古である。俳諧の事は君も僕から一再ならず聞いたらうが、君の年淺い若い句にはまだそれほど現はれて來ないのは、修行半々
であるから仕方はないが、今度はいくさだ、戰場に待てしばしはない.すぐの問題だ。今から修行を重ね始めたのでは間に合はない。補充のことだからすぐあつちへ補充で出掛けるかもしれぬ。すぐ漢口大戰だ、すぐ廣東攻略だ。早速に腹は入用、いゝかなすぐだぜ。俳句の一句でこの腹の出來上がつて行く間のなく、さうかというて又年若い君が偶然世間で自然にその修行を羸ち得てもゐない譯だ。それを今一氣に拵らへてしまはにやならぬことになつたのだ。永々積み上げても中々得られないものを卽時卽刻卒業してしまはうといふのだ、これは無謀に近いことを强行するのだ。今日の時局に於ては君ばかりでない、誰もがさうなのだ。斯うなると少しでも今日までに本を入れたものを使ふのが利口だ。今日までに些でも本を入れたのは君、俳諧だらう。そこで、すこしでも今までに修めたその俳諧の道中で接し得たそれに僅かでもひつかゝりのありさうな事を思ひ出し、强く深くその事に思ひ入り給へ。それは作句に際し季題に材料にの君の打込み方のそれだ。明日にも戰場に立つたら屢卒然色々決斷せねばならぬ大事に逢着するだらう。又自分一箇ではない、隊長として多くの部下の上にも關し一隊の消長運命に屬することもあらう。どういふことがいつ湧き出してもすぐ處置のとれるだけの落着、その落着きの據り處に確と立つことを178要する。そこで修行の遂げ上げてない君に、俳諧で體驗したことをさへ思ひ出す暇も無い程切迫した時に善處すべき一つの便法を〓へよう。それはなんでもいゝが君の一番經驗を積んだことの上で最も自分に熟したことの一つを思ひ出す、例へば君の家業の農事なら農事で、鍬を振り上げるとか土の一握りを手で碎くとか、甞て君の無意識的にまでに魂を打込んだその鍬の抦なり土の塊なりに精神を寄せるのだ。さうしてその精神の集中を待つてその集中された精神力だけをその鍬なり土なりから遊離させてその精神の高揚を招來するの工夫をなすべきだ。これは案外效果のあることだよ。そしてさつきから繰返し〓〓言つてゐる腹を据ゑることに自然と結果するのだぜ。「こゝで一つ僕は甞ての自分の尊い經驗を今君に餞しようと思ふ。それは他でもない、あの大正十二年の大震災の時の事だ。あの時の經驗は非常に大きなものだつた。それはかうだ。-その時自分は隨分落着いてゐたつもりだ。それは近所でどの家も一物をも持ち出し得なかつたのに自分は階下の衣類等全部に渉つて必要なものは大方撰り出し、その絕えない餘震の引續きの間にも家に入つてはボツ〓〓片づけ、火が廻つて來てからは運び出した位だが、二階の書齋へは幾たびも〓〓上がつたものゝ、又そこへ踞んで色々片づけは
したものゝ、餘震のあまりにも頻繁なのと屋外の避難地から老母が自分を呼び絕えないのとに遂に一度も疊へ尻を落ちつけ得なかつた。いつでも階下へ逃げ下りる用心ばかりしてゐたので、そこに片づける重要なものをその亂雜の中に分別する餘裕を持たなかつたのだそれは後々今日に至るまで實に遺憾千萬に思ふ。唯此遺憾至極殘念千萬は、その後何かといへば直キその頭を擡げて來、それも思ひ出すといふより獨りでにすぐ、こゝだ、尻だ、腹だ、と糞落着きに落着き、これで何でも處理するやうに習慣づいて行つたのだ。災後どの位それが力になつたかわからない。まことに尊い經驗だ。「疊へ尻を落ちつける」から「地べたへごろりと寢ころがる」まで、これは僕の俳諧ジリ〓〓修行中の一氣の飛び込み悟道であつた。この「尻を」「腹を」これこそは人間いつ如何なる場合でもその用意が必要だ。卽それは平生からの事、これが日本人の本來の面目だ。外國人は常々椅子に腰を掛ける、そこで尻は宙字にある、日本人はいつでも尻を据ゑる、疊へ、床へ、大地へ。この尻をどつかと据ゑるところに日本人の魂の根は生えてゐるらしい。尻を大地に据ゑるから當然の結果として腹も据はることになる。いゝか、戰場に出たら、君の魂はいつもその立つた所伏す所突擊最中の所にさへどつかと据はつてゐなければならぬぞ。「どつかと尻を大地に据ゑた心持」-この心持は持續されべきだ、寸刻も途切れてはならぬ、別に改めて意識を働かさなくてもいゝ位平生的に尋常底に君の身と心とを置かなくてはいけない。それは矢玉の中でも、假令爆發する地雷の上でも、敵陣めがけて自爆する飛行機の座席の中ででも、凡そ討死の飛散する吾が肉塊の中ででさへ。「序に、事實戰場に於けるこの現はれの一例を示さう。同人B中尉の體驗談だ。-それは南京陷落後の江を渡つての進撃の時の戰であつたらしい。或戰鬪中、丁度敵の一部が味方の右翼に廻はるやうな態勢になつてゐたさうだが、その敵を側面にしたまゝ前面の部落に取りつかねばならず、前進すれば前と横から彈丸の雨だ。だが、いつまでもそれを避けてゐることは出來ないので、一氣に猛進することにしたさうだ。猛進ではあるが出來るだけ地物を利用し且進み且據りといふ譯。丁度そこは打開いた田畑の中で、進み進んで中程の或段畠の三尺ばかりの土坡に身を寄せて進擊の機を窺つてゐた時の事だつたさうだ。といつた所で進擊中の一數分一十數分時の極短い僅かの時間の事、踞んでゐる頭の上を彈丸はひききりなしに飛んで來飛び去つて行く。そこで進出の機を窺ふにつけても、絕え間なく打出す銃丸の間におのづから緩急があつて、そのすこしでも緩かになつたところを見
掛けて突進に移るのださうな。そこへ來るまでには幾たびかこの緩急の波間に乘じて來たのではあるが、今又さうしてゐるその時、土坡に據り添うて彈丸の音のその中にふと誰かの「霰さへ息づかふひまはありにけり」といふ句を思ひ出してゐたといふ。後で考へるとどうしてそんな句のことなんかそんな時に思ひ出したのか自分でも不思議な位ださうだが、實に鮮明にその句が出て來て數瞬自分の頭はその句境で一ばいになつたといふ。そしてその彈丸の緩急の緩かになり方が本當につめにつめてゐた息をホツトつく工合なので、潜在意識の「息づくひまはありにけり」が顯現の一句に呼び覺まして來たものらしいとのことだ。つまり現當の實感「矢玉さへ息づかふひまはありにけり」が記臆の再現「霰さへ息づかふひまはありにけり」に早替りをしたのであつた。この釣瓶打の敵の銃火の比較的ゆるやかな間、その間を見つけての躍進、のそのほんの暫くの據點に居る前とそこを離れた後とは生命を彈丸に曝らしてゐるのだのに、その中に記憶の句が口を衝いて出るなど、いさゝか腹の据はつてゐる方ではあるまいか。それからこれは又平和に無事な呑氣な場合でなく.一隊の損害をどうすれば一番少くし而も攻擊遂行の目的を最多く最早く達せしめ得るか、といふ毫も他を顧る餘裕のなかるべき重大時の、その上それは刻々を爭ふ場合の事なのである。さて又、ふと思ひ出したこの記憶の一句こそ、自分の今新たな經驗を平生に讀み覺えてゐたこの句に依つて强く肯定せられるの安心に似たものを無意識に持つたにちがひない。これもさつき言つた、最早く腹を据ゑる捷徑の話に當ることだと思ふ。「序の序にも一つ話さう。同子が自分の隊を率ゐて南京下流で揚子江を渡る時、幾たびか鐵舟で別れて渡つたが、丁度同子の乘つてゐた一つが江の眞"中で、同じ鐵舟の已に對岸に兵を渡して歸つて來るのと行きあひざまあほりを食つて沈沒した。ハツと氣がついた時は舟は水浸しになり、船體は鐵なり人は多數に乘せたりでドン〓〓沈んで行く。その時突嗟にどう考へる間もなく同子の喉を辷り出た聲は〓ちやいかん」といふ一聲であつたさうな。その聲に立ちかけた人々も立たずにしまひ、自然〓覆は免れたものゝ、その一聲の終る時分には舷ごと船全體水に漬かつてしまひ、人々は坐つてゐる腰まで水の中であつたさうな。膝とか腰とか臍とか區別するのは後から話にする時のことで事實は刻々胴·胸·首と沈んで行つたことは勿論だ。唯極めて比較的の話ではあるがその胸の邊まで沈んだ頃あれだけ色々澤山身につけた重さにも拘らず、やゝ暫し沈みもやらず浮いてゐたさうだ。それは全く着てゐた新しい戎衣の羅紗の毛が水を彈いて中々浸み込まなかつたからだ183
といふことだ。何しろあの兩岸が見えない程な廣さの大江の眞。中のこととて到底泳ぎつけるわけでもなく、第一身につけた重さに身は全く不自由で、その內水が戎衣に浸み込むと共にドン〓〓首までも頃までも沈下して行つたが、その行きちがつてあほりを食はせたた但申その他の力が濃ざいててもか〓人も謁れる君無く引士られたの巳に水は舷を越え已に人の腰に及び胸·肩と沈んで行く中に「立つな」と言つても何の役にも立たぬやうな都合ではあつたが、若しその一聲が無くて二人三人でも立上がる者があつたら船は平均を失ひ人々は横倒しになつて沈沒を早め救ひの舟の手が間に合はない人も數多かつたことと思ふ。この場合「立つな」とは尻を上げないこと、已に半ば沈み更にずん〓〓沈んで行くその水中に尻を据ゑよといふこと、この命令の內容も命令の意圖もが共にそのよるべない水中の深さにさへ例のどつかと尻をと言ふことになる。184「君B子は吾黨相當久參の士だよ。彼は常平生から斯の俳諧道を至極大切にしてゐた。彼はこの前應召の時も、その出征前の自分の隊の精神訓話はいつも俳諧精神を以てしたと語つてゐた。前の二つの事例の如きも、いかにもさうありさうなことだと想見せられる。君、君はまだ俳諧の所緣が此人に比べると大分淺い。が、斯うやつて君の召集の令狀に接したのも、君が入營めさして家門を出るのも、偶然僕が此土地に來てゐた時だ。而も斯うしてちやんと正式に暇乞に僕の所へ來たのも、又斯ういふ風に諄々と餞の言葉を僕が贈り得るのも、あの澤山の吾黨同人中極僅かの一人の君だ。しつかり賴むぜ。-ぢや行つて來給へ。述べ了つた時、莊の持主の好意で酒が運ばれて來た。酒を飮まない彼の「私はいたゞきません」との切口上もはや軍隊口調の、M子ではなくてI少尉だ。飮まない彼にその他の人々が一杯の酒を仰いで彼の壯途をことほぐのであつた。やがて、股間に挾んでゐた佩刀を小脇にとり直しつゝ立ち上がつて、「では行つて參ります、しつかりやります。と直立不動の姿勢に彼の顏は緊張其者の眞顏であつた。人々が退去した後、の莊は、再び寂々と名の詮ずる通山中曆日無い有樣、今宵は月が無
い、星も暗い。屋の棟の眞上の例の欅の高木の梢近く木兎の聲が一二、又三四。-此の一篇を出で征き、又出で征きし吾が曹達に贈る-黑揚羽箱根の强羅に新しいホテルが出來た。秋が立つてもう半月にもなる今日此頃、七月閏の殘暑に都門を逃げて來てゐる人達はこゝに充ち滿ちて繁昌此上も無い。唯每日雨だ。三階の洋室三〇六號で、雨を通して前山一帶とその前山と後のの出鼻とでな子峽谷を眺め〓て飽きもせぬ自分は、着物を着替へて午飯に出かける。散步がてら地階一階二階三階と見て四階の食堂に入り、こゝに又四山の眺めを新〃にしながら、なか〓〓運んで來ないひどくひまのかゝる洋定食を一時間もかゝつて了り、ブラリと出た廊下からすぐグリーンーパラーに入つて休む。天井もぐるりも一面に硝子張の、床は敷石、澤山の熱帶植物の鉢植を配置し、內のこれ等の植木と外の四山の綠とで言ふ如くグリーンである。食後の幾組かゞ各自好む位置の椅子に凭つて煙草をのんだり話をしたりしてゐる中に唯一人自分は外廊への出口の扉の開いてゐる眞際に居を占めて外の面を眺めて居た。187
雨はいよ〓〓降りに降る。時々止み間がないでも無いが、止んだかなと思つて廊下へ出ようとすると廊はビシヨ〓〓で出られない、又ザアツと來る。ナンテ天氣だ。が元々用の序にこの新〃なホテルを試みる爲の自分ではあり、この近邊は皆あまりにも熟知のこととて、じいつと坐つて何もせずにゐるのに限る。どりや一つ又立ち還つで室へ籠るかな、と考へながらまだ腰は擧げないでゐる時だつた。又一しきりザアツと今度はより强く降り落として來た雨の一團が前山とホテルとの間の空間を眞ッ白に埋め盡し、山々の樹の葉といはずホテルの屋根廊欄といはず烈しい音を立てゝ降りそゝぐ。その降りそゝぐ雨の糸、雨の玉、雨の飛沫、雨の霧が空中で相追ひ相打ち合ふさまはなか〓の壯觀だ。ついしばらく見とれてゐると、その白一色の中に忽然眞黑な一つの小さな塊が翩飜として飛び出して來るのを發見した。それは一匹の大きな黑い揚羽の蝶だ。黑揚羽······それは決して悠々と飛んでゐるのではなく、却て彼は餘程難義をしてゐると見えた、丁度あの難航をつゞける大海の暴風の中の一小船のやうに。どこにゐたものか、その忽然自分の眼の前に現はれた時は外廊から幾らも離れてゐない距離であつたからには矢張どこかの室のベランダの植木鉢の一つにでもとまつてゐたのが急雨に思はず飛び上がつたのらしい。始は、飛び出した彼は雨の中を活潑に飛んで行つた、そしてそれは頻に上へ〓〓と舞ひ上がる、且外方へ〓〓と飛び去つて行く。そのうち羽か體かに雨の衝擊でも受けたものか、一時スーツと一塊に眞直に落ちて行く、エーアポケツトに落ちた飛行機の、格だ。と又いつか態勢をとゝのへ羽を動かして飛びにかゝる、そしてそれは依然上へ〓〓と飛び上がつて行く。上へ登るといふことはこつちで見てゐる者には合點が行かぬ、それはどうも上から落ちる雨に反抗することになつて雨の勢をより多く受けることになりさうなるなぜ水平に飛ばないのか、でなければなぜ下り氣味に飛ばないのか、それこそ幾分とも身に當る勢を役ぐことだのに。そのうち又羽をつかはなくなつて落ちにかるる羽が焉れてつかへないのか、いよ〓〓飛べなくなつたのかと見てゐると、彼は勢を挽囘して又登りにかゝる。そして前よりもその前よりも益上へ〓〓と向ふ。そこで今では可也空中高く飛んでゐることになる。よく見ると彼の羽のつかひ方は決して平生のやうに大やうではない。彼は平生野や庭に花をあさつて飛ぶ時は、あの漆黑なそして所得て美しく小さい赤い紋樣を飾つたあの大き
うな翼をさも得意氣に大につかつて悠揚として飛び廻る。餘の種々の蝶達を始めその他の昆蟲連のどの存在もあらしめぬほどの意氣軒昂たるものがあり、どうかすると、あの深山の厚い林の奧ででも出逢つたら人間さへあの大きな黑羽の下に追つかぶせ、その羽の下から吐き出す妖氣毒氣に、失神さしてしまひざうな驕慢振、凡その位な威風である。その平生とは全くちがつて現在の羽のつかひ方はまことにあはれに弱々しい小刻みだ。あれだけの廣い羽をすつかり水平に打ひろげも得ず、大方縦に疊んだまゝをすこし開き氣味の、それも全體につかへずほんの羽のつけ根だけで小ぜわしく動かしてゐる、丸で心から何物にかおびへ恐れおのゝいてゐるか、溺れる者の最後の力を絞り出して望なく生きる本能に唯あがきにあがき身うちをぶる〓〓〓はせる有樣に。又上ぼる、又落ちる。同じことを繰返しつゝ段々自分から卽ホテルから遠さかりに遠さかつて行く、さうして難航いよ〓〓難航だ。といふのもあまりの雨の烈しさに打たれて眼がくらみ方角も上下もわからなくなつてのことか、それとも力が盡きて來て下へ向いては墜落するばかりで浮揚してゐられない爲とにかく浮くだけ飛ぶだけの爲本能的に上、ぜいをとらなければならなくてのことか。雨は降り降る、蝶は次第に高く、下がつては上がり上がつては下がりする。それは唯一面に眞白な雨の烈しさの中にヨレ〓〓に見える揚羽の翼の一塊ではある。谷を橫切つて向うの山へ渡るのには到底幾らの距離をも進行してゐない.どうせどこかの樹蔭に流れ着いてこの急難を逃れなければならぬ彼だ、又それまでに雨に打たれ箔は落ち翼は破れとう〓〓渡り切れないでしまふかもわからぬ彼だ。ア又落ちる、アやつと浮いた、小刻みに羽を、上へ〓〓の飛行、そして僅かばかりづゝの進行。斯うして彼のこの努力がいつまで續き得る?遂には氣萎へ力盡き、いつ眞逆さまに彈墜の憂き目にあふことかわからぬ。自分は見つめる、蝶はヒラヒラ。それでも大分蝶は小さく見えるやうにはなつた。その時突如蝶を追うて見つめてゐる自分の眸を驚かせたものは、今までの一面の白い世界に頓に取つて代つた眞黑な世界であつた。眞5黑な世界、しかしそれはあまりにも急激な變化の故の眞白への反動の錯覺で、實はそれは黑ではなくて綠であつた。綠とは?さて蝶は?。上〓舵に〓〓登つて行く蝶を追うてゐた自分の視線の中に、蝶と共に後山の出鼻-それは比較的前山よりも近々とある爲雨の幕は蒙りながら猶樹々を分明にする茂りの靑葉が
靑々とはいつて來たのだ。小さいが白い雨の中のそれであるからやゝ遠ざかり行いても認められた揚羽の黑さが、今山の綠を背景に打まぎれて全く見失はれたのである。もうあの黑一點はない、蝶は見えない。自分はいつか椅子を離れ腰をかゞめ顔を色々な位置に移動し角度を替へて今一度蝶を白一色の雨の中へ引き戾さうと試みた、併しそれは全く無駄、蝶の行衞はわからぬ、揚羽は再び自分の視野の中には現はれて來ては吳れなかつた。〓〓落ちたのかな?イヤまだ墜落したのではない、落ちたのならあの眞。白な雨の中にその落ちる黑い塊は容易に見える筈だから。勿論彼は飛びつゞけてゐるにちがひない、今たまでと同じやうに下がつたり上がつたりして、但段々に悲しく弱りに弱り行いて!。揚羽はあの急雨を遂に乘り切つて果して對山の樹蔭に辿り着き得るであらうか、それとも暫くして一片の塵芥として雨に叩き落とされ一縷の命の〓をつなぎ止め得ぬであらうか。-なぜあんな强い降りの中へ求めて飛び出して行つたのだらう、もうすこし雨止みをすることは出來なかつたのか。又飛び出したにしてもあんなに高く遠く泳ぎ出ないで、もつと最寄の物蔭に一時の休み場を探せばよささうなものを。恐らくは前山に彼の棲家があつてそこへの歸心に追はれたのででもあらうが、それにしても何と無謀な企てであるこ192とよ。それは遂に人間には知るよしもない昆蟲その者の心の中である、が又何となく解せぬといぶからるゝその蟲の心理であり、どこまでも氣にかゝるその蟲の運命である。か何とかして無事にあの黑揚羽が目指す向う山の樹蔭まで流れ着くように、といつか自分の心は祈つてゐた。そしてその我が前の、靑山と白雨とさうして當然にその黑揚羽の存在と不在とを容れた太虛に自分の眼は打向ひ、洞然としていつまでも〓〓見ひらいてゐるのであつた。こゝに恐らくはこのホテルに宿泊の滿員三百餘名の滯在客中、その一人もがこのパーラーからその室々のべランダから、今のこの一匹の揚羽の蝶の難航を假令眼前にしたところでそれに一瞥をも吳れないであらう、そして又假令偶然それが眼球に映つたとしてもこの人々の視神經は遂に又その腦の中樞神經まで何等の報告さへしないであらう。どうして自分ばかりがそれを見、更にそれについて色々思ひをめぐらすのか。-これこそは雨の溫象宿のつれくに要もない氣さされた好奇心からの老婆親切であらかそれとも普通の人々には一顧の値もない自分ばかりの一關心事の、何にでも直に心を動かす我が畸型な心
情の歪曲であらうか。暫く自分をして言はしめよ。自分にとつては、今この自然の一現象に打向つた時、そこタンデンに先つそれは甚しく珍奇な偶養事でそれがあつた。それからその出來事は又非常に大きな背景をもち大きな舞臺の中に大きな芝居であり、更に〓〓その場面以外色々澤山な場面なり光景なりを後から〓〓自分の頭の中へ仲展させて行く形勢にあつた。それと共に始の珍奇はいつか非常に眞面目な非常に眞劍なものになり、さうして仕舞には何か斯う一つの大きな問題を投げられさへし、大きなものに心が一ばいになるやうな氣持をどうすることも出來なかつた。丁度それは、ホテルのその數百の人々が互に色々面白おかしく幕らし、うまひ物を食ひ、愉快に遊戯し、あはれに戀を語り、凡そ人間快樂と滿悅とを盡くすそのどていれもが足下にも追ひつかぬ底の大きな底知れぬものであつた位。も一度あの揚羽の蝶に戾つて見る。一匹の揚羽を中心に眼の前に打展がる白雨と靑山とがある。それから後。に上に下に心を移すと、自分をホテルを取圍み取入れる山々谷々とあの山々をも呑み込む雨と雲と、尙その上に廣がるであらう雨をも雲をも物の數ともせぬっ大空とが。······さて斯ういふ裏に自分は唯もうあるのか無いのか。事によると、あの羽のヨレ〓〓のあはれな雨中の黑揚羽の存在よりよりたよりないはかない存在で或はそれはあるのかもしれぬ。まことにその揚羽よりも幽かな存在、それさへなかつたのである。唯揚羽のみの存在!正銘その揚羽を見る自分は已に揚羽になりきつて、揚羽の羽の雨の濡れを自分の顏·首·肩·背·腋·胴·凡そ肢體全部に着物を通して浸み感じ、揚羽のせわしい羽づかひにその焦燥を氣遣ふ自分は唯もうそれを自分の急迫した氣息呼吸として、一上一下蝶と共に難航その事に從つて居、蝶と共に生死危急の一線を出入するのであつた。難航の揚羽、その外に自分にとつて今何があつたらう。蝶のみの存在、それはやがて自分の身體自分の心-「人間自分」の全き不在でなくて何である。「氣まぐれな好奇心的老婆親切」「畸形な心情の歪曲」などゝ、それは雨を山を大空を凡そ大自然から僅に狹小に區切つたホテルの屋根の下の三百浴客人間仲間の思惑に過ぎまい。從て人間が人間だけでなす世界の、ひとへに人間本位の、天を自然を忘れた、それこ
そ氣まぐれな勝手な畸形な歪曲に外なるまい。自分は一匹の黑揚羽をよすがとして屋根の下から雨の中へ、ホテルから山谷へ、人間界から自然界へ、刹那の轉位をした。なぜ人々はこれをしない、しようと努力しないのか。箱根山、山の箱根に今こそ自分は斯うして住み得た。どうして人々は箱根へ來て箱根を顧みないのか、箱根になり切らうとしないのか。箱根はどうでもいゝのなら何しに箱根に來たかと聞いて見たい位のもの。箱根は東京から自然への一つの中間驛だ。謂はゞ都人は箱根や鹽原をよすがとして暫くでも自然の住人となりたいのだ。風が吹いて芦の湖へ行けない.雨が降つて大湧谷へ行けない、となぜこぼす、そして每日〓〓屋內に集まつてトランプや駄話に都のまゝの人間生活をなぜ繰返す?。雨が降つたら樓前の雨を、風が吹いたら窓外の風を、風と雨とが人々を箱根へ、山川へ、天地へ、いつでも引き入れて呉れるではないか。窓の外に風を見ろ、樓の前に雨を見ろ、そこに偶一匹の黑揚羽の形、環境、運命+こそはナント好箇の自然への通ひ路の鍵ではないか。196蝶と雨とで頭の一ばいな自分はソロ〓〓とグリーンパーラーを出て廊下を傳ふ。階段を下り、室に歸り、キーで扉をあけ、部屋着に替へ、ベランダの籐椅子にドツカと身を投げなその自分は今は單に人間の形をした一箇のロボツトに過ぎず、もう三〇六號室の假の主たる一人の人間ではなかつた。そしてからだは固より心の底まで濡れそぼつた一匹の黑く大きな揚羽の蝶であり、その蝶の環境たる雨であり風であり山であり大空でさへあることにさつきとすこしも變りなかつた。-(揚羽は一上一下に、雨はいよ〓〓白々と。)ペランダの鉢植の熱帶植物はいやが上にその長い廣葉を八方へ蛸の手のやうにひろげ上げて、その葉の靑さを透き通す光線が明るい。雨は小止みに霧のやうな名殘が欄に吹きつけながらも、下方の谷間に宮の下の富士屋ホテルが御用邸の生籬がよく見えて來た。前に連る明神獄明星嶽の山腹に山襞に色々の形の雲が、上同き又横ざま、丸で生きものゝやう、に這ひまわる。-今にも霽れさうで矢ッ張霽れないのだ。197自分が人間の自分にすつかり立ち還つたのはこれから大分後の事。卽-いつの間にか何となく冷え〓〓としてゐた身體は自然に風呂を戀ひ、無意識に自分を浴室に運び、おのづから手は湯栓を捻つて湯を槽に張り、やがてはいり、これでけふは三度
目の入浴に別に洗ふこともいらないから唯ザブ〓〓と掛け流しヌク〓〓と溫まり、ヤオラ槽を出でマツトの上に立ちはだかり乾いた湯上りタオルで全裸の雫を拭き了つた時、その時だつた、浴室の電燈の灯影の照らす所そこなる姿見の中にまざ〓〓と自分の全體を見、そこにその一部に巳が顏を見出し(オヽその若い頃から角ばつた骨太の骨格にいよ〓〓〓の肥えないその體軀よ、オヽその頭の雪と禿とには遠いものゝ顏殊には鼻側から頰のあたりの皺の大溝の數々よ)、そして新にそこに自分といふものを發見したのはそこで自分のからだは、浴室の灯の光の中から扉を排して雨で小暗い室の畫の光線の中へ戾り、通りぬけ、又してもベランダの籐椅子に身を落ち着ける。うんと腰を前へずらせ脚を思ひきり仲ばし背をもたせ後頭を托し、双手はふはりと兩方の弦掛に預け切つて寢そべるやうに身を椅子にまかせてゐると、唯もうホコ〓〓と湯上りのあたゝかい自分の體を感じて來る。人間が專ら自分の體を感じる時はおのづからその心はうつろである。そのうち暫く冷え〓〓とする外氣が膚を吹いてすこしづつ上氣をさましながらいゝ加減な肌合に復して來ると、引いた汐が差しそめてうつろがやう〓〓滿ちて行く風に頭の中が輕く明るくなりつゝ次第に自分の體へその自分の心が戾つて來ることがわかる。-斯うして先づ體を取戾し198た白分は漸くその心をうつゝへ恢復して來る。「芳しい珈琲が一杯飮みたいな」と思ふのは、「黑揚羽はどうしたらうな」と思ふのと一しよだつた。雨は又箱根全山をわなゝかして降る。-この事の四日後兩毛線太平下驛停車の車窓に雨風の空中こもまるゝ同じ樣な黑揚羽を見たことを附記する-
白蝶の死今年は雨が多かつた。暴風雨も相次いだ。雨の多いので叩き流され、且雨の後には油蟲てが湧いて、菜大根の類は散々の態だ。これはもうどうにもならぬので、手にかゝるほどなのは引拔き、それには及ばぬ育ちのわるいのは鍬で土ごと一氣に耕してしまつた。僅に殘つた十數株の山東菜があるが、これも霜を待つて甘味を、と思つてゐたのがこれにもそろ〓〓蟲蟲がつき初めて、もうけさ一度ひどい霜を受けたものゝもすこし先でと思つてゐたそれを思ひ切つてボツ〓〓引かなければならなくなり、一本二本と拔いて行つたその拔いて行く最中ふと、その內の一つにさし添へた手をとめることがあつた。そして動く手を止めるのとそこに或者を見つめるのとが全く一しよであつた。それはそのうちの一株にであつた。その一株も外まわりに薄綠の色に葉を染めてゐるが中の方は白い。その若い葉の芯をなしてゐる白い頂上のところが、どうも他のどの株のと200も丸で違つて橫に小さい平葉を見せてゐる。さては油蟲奴こんな芯の方まで蔓つてあんな片輪な葉の一片をこしらへたな、と思ひ、腰を落とし顏をくつつけてよく見ると、これはいかに、芯の葉と同色に、ほんの僅か黃を加へたかと思はれる白い色のそれは、毛頭菜のほか葉の一部分ではなく、他でもない唯一匹の蝶であつた。突差に自分は、アヽ昨夜の大霜に、と思ひつゝその白蝶のひたと疊んだ二枚の製を抓みからだ上げ、すつかり氣力を失つてしまひ殆ど死んでゐる彼の體を痛々しく眺めるのであつた。はし:心もちのせいか、卷いてゐる嘴か翼のつけ根かがほんのすとし雲へたかと思つた位で眞に靜に靜かな屍に過ぎなかつた。比較的いつまでも暖い閨年の今年の初冬に、この白蝶もけまだ〓〓かう急に寒くなるとは思はずあちこちと飛びあるき、昨日はこの順の菜や花に遊び暮れて、ついそこの木の下へも歸らずに、この菜の葉裏にでもぶら下がつて一夜を過ごRさうとしてゐたものらしい。それが夜半から曉かけての霜さへ結ぶあのきびしい寒さに遭避し、堪へられず這ひ上がつて葉の內側へ、そして菜の芯の方へ隱れ家を求めたのであら50さうして芯の底には卷きに卷いた嫩い葉の充實してゐるため、中へは入れず、そのうち寒さに體が凍てついてしまつたらしい。そして又登り來る旭のぬくみをも待ち得ず、か
じかむ足の先の感をも失ひ、そのいよ〓〓の斷末魔をホロリとそこに橫たはつたきりなのである。それは言葉通りホロリである。幾葉も〓〓外を包むその山東菜の薄綠の犬きな葉の、中へ〓〓次第に葉の形を小さく、葉の色を白くして行くその唯中には、ずつと下から突き上げ寄り合ふ多數が、寸厘の隙もなくその嫩葉の頭を花のやうに開きかけてゐ、そこにその眞上に、それは丸で白衣の美姫ででもあるやうな一匹の自蝶が今は毫末の惱みも苦痛も無しに打倒れてゐるのだ。自分はその時現在の自分をすつかり忘れた。菜を引くことを忘れてゐたのは勿論だ、そして唯その今は屍になつた白い蝶に身も心も打まかせてゐた。それは本當に白衣の美姫bしたの、今は喜びも悲みも無い、骸でありながら何の穢も臭も無い、頓と〓淨な純潔な何か斯う一つの「生」以上の存在でしかなつた。若しその時の自分の氣持の類例をそこらに求めてみたらそれはまああの「瀕死の白鳥」に對してゐるやうなものであつたかもしれぬ。「瀕死の白鳥」イヤそんなものではない、それはもうもつと〓〓靜にもつと〓〓明るくもつと〓〓安らかなものであつた。わかばこの「白蝶の死」こそは、まことに山東菜の鐵葉の葉失の花とまがふ浩く和かく靜かな202王座の上に、これは又ふさはしくつき〓〓しい顯現の事實である。そして始に考へた、避難する暇もなかつたであらう昨夜の急難に對する彼の悶え怖れ苦しみの事は跡方もなく、なごや斯くこそありつれと咏嘆せられるまでに寧ろその處を得た彼の死の美しさ和かさ平和さだけがそこにあつた。さうして又別に、世を終つたこの白蝶の骸を亨け載せてゐる菜の嫩葉の頭はこれからの生をすく〓〓伸び立つ勢に燃えてゐるそれであるといふ、これも亦一つの嚴しい現當の事象であることをも見た。自分は袂から鼻紙を出してさうつとその白蝶の屍を包んだ、これはどこか遠い夢の國の遠い花園に住む極心美しく極心優しい或乙女の許に送らうと思つた。
鵜を追ふかれこれもう小一時間、イヤたつぷり一時間半は漕ぎまわつてゐたらう。久々の船の漕翡翠を一層濃くして溶かし透明にしたやうな深海の水を切ぎ工合の快さ、あの船の尖が、つて、左轉右轉徐ろに、兩刄をつけたやうなのの兩側交互に飜りつゝ浪を切る。船の刄が浪を切りつゝ舟をスウ〓〓押し進める。トある一つの崎鼻を根方から添うて窮めて行き、その岩礁の最多い間を縫うて行くうち、可也遙な距離に一羽の鳥が浮いてゐるのに眼が留まつた。その浮いてゐる島は時々もぐつては餌を獵るさまだ。何にしても岬のずつと末のことであれば、その岩礁の間をうねりくねり、又その礁の水中の頭をスレ〓〓に漕ぎ越しつゝ、すこしでも近よつてその島の何であるかを確めようとする。鴨かなとも見る、がもう鴨が居殘る時分でもなし、鴨ならたつた一羽でゐることは殆どない。もすこし近寄らないことにはと船を勵むが、眞直に進むのでないから近寄りにくい。そのうち首の立て工合204でそれは鵜であらうと想はれて來た、がもつと側へ寄つて魚をあさる樣を見てやらうと沖への船の手を休めない。そのうちにその水上の鳥はこつちのことを氣づいたらしく、礁をまわる間はさうでないが、廻つてから鳥の方へ眞直に向けて漕ぎ出すと、くゞるのを止め警戒し、仕舞にはドン〓〓泳いで逃げさへする。が飛ばない、飛び立たない。こつちの船のピツチより向うの蹼のピツチの方が早いらしい。そしてすこし泳ぐとこつちの樣子を見て暫く安心と思ふと又もぐつて餌を獵る。ようし今だ、と力漕するともぐるのを止めて又サツサと泳ぐ。そして幾らか距離がつまつたなと思ふ時分、急に兩翼をはばたいて今にも飛び立たうとする。「立て〓〓」と思ひつゝ漕ぎに漕ぐが遂に立たない。立たないで羽を動かしながら依然泳いで行く。そしてその距りを多くした所で又落着いてもぐる。もぐる前に島渡こつちを振り返つて見ることは勿論、その振りかへるさまがいかにも人を馬鹿にしてゐる。そこで何糞ツとこつちも負けない氣になる。尤もあつちもすこしは氣にはなると見え、もぐる前に一寸頭をめぐらしてこつちを見る。舟が他の方向へ外れるか尙自分の方へ向くことを止めないかを確めるつもりらしい。がもつと側へ寄つて魚をあさる樣を見てやらうと沖205
到底船を以てしては水島の蹼に及び難いと知りながらこつちもつい、すこし行つてはもぐつて餌を獵るので、もすこしは近よれるだらうと努力をする。かうして始は「こゝまでお出で、甘酒進上」といふ風に向うがこつちを卽鳥が人をからかつてでもゐるやうな工合なのが、島の方も段々警戒の心を深うする擧動に見えて來る。「ハヽアあんなにまで羽を動かしながら飛び立たない處を見ると、彼氏餘程このあたりに馴れてゐると見えるな」と思ふやうになつて來る。「始終こゝを自分の餌場にしてゐるらしく、常々己を攻擊したり邪魔したりする者がなく、偶通る者は往來の釣舟位なもので、それなら自分の方へ進んで來ても、斯う今の樣に何となく殺氣立つことも無く、又ほんのすこしその航路から囘避すれば舟は必ず外方に行き過ぎてしまふ筈だとあの島は考へる」らしい。「よし、それなら一つ彼をどうしても飛び立たせてやらう。そして鵜とはきめてゐるがその飛び立ち方にやゝ違ふ所もあるやうなのでいよ〓〓鵜かそれとも矢つ張鴨かを確めたい」と段々船を執る腕に力がはいつて來る。それといふのも久々に漕いだ船の愉快さがこの小一時間の漕ぎ方にいよ〓〓興味を加へて來たのでもあつた。さうしていつか、この常々やかましい理屈ばかりこねてゐる人間が、海唯中の無人境で、唯もう一羽の水鳥ととつ組み合つてゐるのであ206る、鳥が人か、人が鳥か。斯うしてゐる間に舟は岬端の無數の岩礁地帶をつき拔けつゝある。さうして大方突きぬけてしまひさうになつてゐる。海はこの岬鼻に依てより外海とより內海とを分つ、今は風も無くて浪も靜かであるが岬を外づれると外海だ。それに今こそ昨日からの雨の雨間ではあり、いつ又降つて來るかわからぬ。ト見るとその水島の今ゐる邊は丁度岬端を外づれた邊だ。頓に一吹き風が吹き出るか、風といふ程の風でなくても、雨が又ざつとそばへて來ると、山地の風に沖へ押されて舟が漕ぎにくかろ。水鳥も水鳥だが、もうこの邊から漕ぎ戾してもと徐ろに舳をまわす。舳をまわすべく船をひかへにかゝりながら見ると、鵜は遙にその營みをつゞけつゝもまだせつせつとその蹼で身を沖へ〓〓移しつゝ專ら安全を圖るのであつた。207 5すつかり向を替へた吾が舟は、今までの水鳥獵る沖つ崎鼻の白波とは事かわつて、地方の茂り山とその下に走りつゞく遙かな長汀とを舟の進む目當てにしてゆるく大まかに動かす籍の調子ではあつた。今は唯何の考へることも無く押す手ひく手の一調子に、見も思ひ
もせずなつたあの水島のことがふと頭の中にはつきり浮かんで見える。そしてさう〓〓その水鳥は、イヤ水鳥のことを考へ水島を追つかけて止まなかつた自分は、追つかけながらいつか追つかけられる水島其者にもなつてゐた、といふ奇妙な頭の中の映出方であつた。つまりそれは見極めようとする間に見極めたものになり切り、追つつかうとするうちに追つつかれる者になつてしまひ、水鳥の逃げる心安んじて餌あさる心になつてしまつてゐるのだつた。それは又、艪を操つてゐる船上の自分は亦いつか船も無く船もなく唯漫々たる海の上其者に自分の神身が合致してしつまて自分とも人間ともそんな限られた存在意識でなくなつてしまつてゐる、卽海になり切つてゐるのであつた。久々の船漕ぎ心の愉快さ、とは畢竟この海との合致、自分といふものが無くなつて卽海になりきつた自覺狀態であつた譯だ。その海になりきつた心は自然海が載せてゐる水島にもなつて行く當然の順序である。これが又俳諧に立ち得た立場の一つである。かうして近頃平生、いつの間にか自分は無く、向うの者になり切つてしまつてゐ、自然に俳諧に處ることに氣のつくことが時々ある。その時々が段々屢になつて行くのが嬉しくも嬉しい。208ペタリ·バタリピタリ·パタリピタリ·バタリポタリ·ペタリ間伸びに一種の調子をとつた、船の幾反りに切られる水の、その船肌とでなす滑りのなめらかさといはうかふくよかさといはうか、いつそとろけるやうな閑けさは、自分が舟を漕いでゐるといふやうな意識よりも、却てその作しつゝある自分其者をどこかへ消失してしまひ、唯もう繪肌と海水とを操つて舟のどこかで奏でしめる神の音樂に聞き惚れるばかりだ。汀の線には漁師達か漁村の子かポチ〓〓人影を見るが、數も何をしてゐるのかも遠くてわからぬ後日の岬は又これも遙々になつてその礁間に浮いたりくぐつたりして悠々餌をあさつてゐる水鳥がまだゐるのかゐないのかそれも肉眼には及びもない。-唯廣い〓〓海だ。203ピタリ·パタリバタリ·バタリパタリ·ポトリペタリ·ポトリ
冬の山どんと峽底の溪川まで下りてしまふ。溪川は水幅が狭くて大方磧だ、その大方磧の一部分を幅狭く奔流が白泡を嚙んでころげ岩にぶつかり〓〓下つて行く。向う岸へ橋を渡る、向う岸というても三四間の橋だ。兩岸とも平地は無くすぐ山、橋の袂の山裾から一本の徑がずうつと斜にその山の急傾斜を登つてゐる。それを登る······(徑の左右卽徑の上と下との崖は雜木が疎ヲに折々は竹藪も)···エツチラオツチラ登つて行く。日はよく當つてゐ風もあるか無いかだから暖い、外套の兆下で肌は襦袢にジツトリ汗を滲ます。ト一つの小谷の崖崩れの所へ出てしまひ、徑が途切れた。見ると、頭より高くその崩れの幅を見通した向う側に突然徑が一つ又始まつてゐ300いつかの崩壞で徑が斷ち切られたのだ。そこで崩壞の廣大な面を克明に探してほんの219僅。石の角々に留まつてゐる足跡らしい泥よごれを辿り、崩壞を橫ぎつて彼の徑へとりつく。今度は細いが暫く坦々としてゐる。やがで又登りになつて始からもう數丁登つてゐる。見るとさつき渡つて來た溪川はずつと下の方、處々に川水をたぎらしてザア〓〓音を立てゝゐる。徑は更に頻に蛇行して登る、山が矢鱈に小襞を疊むからだ。徑端に一株の高々と枝を張る茨があつて世にも美しい紅の實を一ばいつけてゐる。、奇麗だなと思ひ、刺に難義をしつゝ二三枝折り採つた。それから刺をよける爲折り口を手拭で卷いてその紅玉の枝を捧げてあるく。捧げるのはさうしないといろんな物にひつかゝつて實がこぼれるからだ。小さな山鼻を二廻りか三廻りしてから大きな松の林に入る、處々伐り倒した跡がありそこだけ日がよく當つてパツトと明るい、日射がトロリとする。一休み。もう溪底は見えない.その代り溪からずつと上がつた對岸を橫に走る街道が見える。街道には一ところ里町が續いて居る、某の溫泉場だ。こつちのこの松林に腰を下ろして眺めるとその里町が呼べば應へん有樣、手を伸べたら屆かんばかりだ。肩から魔法瓶を下ろして珈琲牛乳を飮む、額や屑國やに押格別の美味、珈琲の香りが松林一ばいにひろがる氣がする。山の靜けさが211
しつけて來て快くもあたまが輕い、いつも鈍重な氣持のあたまが。ト松の葉の靑臭ひ匂ひがスツと鼻の中へ。投げ出した足に日が當つてゐる、その日の和やかさ。その足の尖に徑端の小草-勿論それはすつかり枯れ切つたのが、それは別に珍らしいこともないのだがその時その中にまことに小さい或物が自分の心をしかと捕へたのは偶然だつた。その時自分の目は自分の足の下の下駄の底の邊にキツと視線を定めてゐるのであつた。その視線の中に何があつたと思ふ?、そこには實に小さな/\或者が自然とクローズアツプされて來るのであつた。-何の木の小枝かどうでは芽生の伸びて來たものだらうが五七寸の細い小枝がずずッと伸びて出てゐて今丁度自分の下駄の下に踏み敷かれてゐる。更に熟視するとその細枝は濃い小豆色の肌艶を見せて橫に地に匍ふやうにして居り、それは決して折れても居なければ死んでも居ない。何しろすべて他が枯草のこととて色艶がめでたく、遂に何かと思つて、うつむいて指尖でその小枝を起して見ずにはゐられなかつた。起して見て驚いたことは-何とその枝にはツブ〓〓に小さい豆のやうなものがついてゐてそれが木の芽なのだ。寒中に、こんな寒い土地のこんな寒い山の中にもう木の芽が、といつまでもこの小さな者に對し大きく眼をみはつたまゝなのだ。徑を捨てゝ山に入る、徑は下だりをとつてゐるからだ。上の方に林道のあるのを知つてゐる自分は下りについてはならぬと思ふし、どうしてももうすこしでその林道へ出られなければならぬ距離と見當だと思ふ。そこでその處々伐採された長松林を出ぬける、と今度は一面の芒原、大方高さ一間もに生ひ育つてすつかり枯れた芒は、これもあつちを刈られこつちを踏み分けられてこの大芒原の間を縫うて人の通るほどな空間が處々に續いてゐる。これを辿つてこの原の傾斜を登るのに裾と袂を控へるのは茨だ。皆枯一色のそこには茨は前以てなか〓〓目に入らぬ。然るにも拘らず刺にひつかゝつてから刺をのけるべくよ台く見ると、そこに大きな自分の背丈ほどもあるかと思はれる大族が立つてゐる後で宿へ歸つて溫泉に入つて驚いたのは足の下部卽足首と膝下との間の處々に湯のしむことだ、これは皆氣づかずにその茨に引つかゝれた傷跡に他ならぬ。あるきにくい芒の廣場をヤツトコサ上の杉林に泳ぎ着いた。薄暗いがそこには下草がない。その杉林の中の小谷のつめを這ふやうにして登つて、その杉林を橫に貫く一つの山道に出た、細いが緩い勾配のこの山徑は今まで芒茨の傾斜を泳いだり杉谷の急峻を攀ぢ登つたりするのとはちがつて眞に行くに易い。汗がスウツと引いてその代りに杉の茂みの冷たさがジリ〓〓肌を押包む。杉林を213
出了つて只の雜林になり、それを一迂曲して林道に出た。拔けられないかと思つた位だつたのに。マアよかつたと思ふ、一時は出今はもう道のよい林道を西ヘブラリ〓〓。トある道の曲り角でハツと眼が眩しさに戶惑ひした。白-純白な大きなものが眼の中へ飛び込んで來たのだ。今步いてゐる道の行手が大きな弧を描いて一谷を抱き込んでゐるところ、その弧の端の山の出鼻に隱れ去らうとする林道を挾む雜木のひまから富士、白妙の雪の富士が大きな頭を少し遠い裾山の上にのつけてゐるのであつた。遙か麓になつた溪川の音はもうこゝには聞こえない。チッチッ、チッチッと小雀か四十雀か、日和のよい「山の冬」の靜けさーではある。白い、堅い、高い雲が一つ、冬枯の雜木林の梢の灰色の網目のそなたにボカリと浮いてそよかぜゐて動かない。叩いたらキン〓〓音がしさうに緊縮した「冬」、そこに珍らしく微風も無いこの日溜まりのぬくとさ、佇む自分の身體から見る〓〓今にも芽が吹きさう、·····芽が······木の芽が······どこにもまだ「春」の忍び寄るらしい片影も、そのけはひさへないのに。214絕叫「天皇陛下萬歲」聖戰も續きに續いて第一線の兵士の戰死者も今日では非常な數に上りました。是等の陣殁者や重傷患者が戰場で將た病院で遂に命助からぬ時何時でも天皇陛下萬歲と唱へて死んで行くといふ、それは何故さう言ふのであらうか。私は以前一度死にかゝつた經驗があります。もう十年近く前になりますが、房州の勝山の海岸です。一夏弟の家族達が四五日遊びに行つて居た所へ後から自分も行つたのでし층どうで海水浴の目的で行つてゐることですから每日朝から皆海へ出かけてゐるのです。その日自分も一所に海へ行き、すぐ前にある岩だけの小島に登つたり和船を漕いでその島を廻つたりして遊び、泳ぎもしました。その時泳いで岸へ戾りかけてもうすこしといふ所で手足の自由を失ひ溺れて沈み頭の髪だけを出して浮いてゐたことがありました。數日來下痢をしてゐたのがやつと止まり食事も常食には復したが何しろ相當疲れて體力が衰215
へてゐたものと見え、始つい心氣爽快なので船も愉快に漕げ泳いでも氣持がよくいゝ氣持に拔手を切つて沖へ沖へ出て行つたのです。下痢擧句の體にはすこし船を漕ぎ過ぎても居たのでせう。さていよ〓〓引返して來ると段々足が下がつて行く、浮かさうとするが重たく上がらない、水を下へ蹴りつけようとするがさうすると尙足が沈む、そして體が竪になつてしまふ。丁度引潮で、體が堅になつて見ると潮の流が沖へ〓〓動いてゐるのがわかtaoこれはいかんと思ふ、何とかせんならんとあせつて來る。自然手だけで浮き且進まうとする、ところが今度は手が草臥れて動かず、二の腕など鉛の棒のやうに重い。足が自由を失つた上に手がいけなくなつたのだから是では絕體絕命だ。體はずん〓〓沈んで行く。それでも掌で水を下へ押してすこしでも浮き上がらうと努力する、斯うなると意識も智慧もどうにもならぬ。こいつはしまつた、取返しがつかぬらしいと心が騒ぐ。と數瞬間心臟の皷動が非常に早くなつた。そして情ないなあと思ふ。體は次第に沈みもう首は水中で、頤も漬かる。次の瞬間には心が馬鹿に落着いて來た、もう仕方がないとあきらめかゝつたらしい。今度は口が沒しようとする、こゝで又焦燥が來た。頻に口に入る潮を吹く、が口がもうすつかり水中になつて吹いても潮が吹けない、吹いただけ又すぐ口に入つて來るやうだ。そこで口は結んだらしい。その時口の中には一ばい水が溜まつてゐた。一體これ等は目下過去を思ひ出し〓〓書くのだからいかにも一々意識してやつてゐるやうだが實際そんな意識を刻むやうな暇はありはしない、殆ど無意識であり本能的にやつて居たのだ。唯その口の中に溜まつた潮水を飮み込まうか飮み込むまいかといふことは刹那に考へた、これは確に考へたことを今でもはつきり覺えてゐる。その時飮んではいけない、飮んだら後から〓〓潮水がはいつて氣管へも一ばいになつてすぐ死ぬる、是は飮んではいかんと思つて飮まないことに決心した。さうすると呼吸が出來ないから今度は息がつまりさうになつて苦しい。同時に今死んではいけない、まだ死んではいけない、と平素の仕事卽俳諧の事業の上にも心が走る。何にしても死にたくないといふ心持が火車のやうになつて廻る精神狀態だ。ぢき鼻が水中に沒して來、鼻からはすこし潮水を入れたらしい、これはすこし慌てゝ。その內に眼も-もう後は仕方がない、鼻も水中眼も水中になつてしまつたから。それでも口中の潮水を飮み込んではいけないと思ふ、するといよ〓〓息がつまりさうになる。この時又潮水を飮み込まないで呼吸をしないでゐたらどうなるのか、氣管や肺が破れて血を吐くだらうかと思つた。實にそれは苦しいものだつた。耳も水中で、耳にも水が入
つたかすこし耳が鳴つたやうだ。と、パツと眼をあいたことも覺えてゐる。その時水中は半透明であつた。又その時どうしたはづみか、思ふに是は人が死にかけた時死ぬまいとする木能の力だと思ふが足の腹か何かで水を下へ踏んだものと見えて一寸頭がすこし浮いた、そして眼だけが水面へ出た。瞬間その不透明の水中が急に無くなつてバツと明るい岸の遠い砂濱の景色を見せた、實に判然と見えた。その景色はついさつき船を漕ぎ出す前に子供達と遊んでゐたまゝで、現にそこはその子供卽甥や姪やが父親と一所に砂遊びをしてゐる。その時特に父親である弟を見た、弟は背をこつちへ向けて向う向きに子供の砂遊びを手傳つてゐる、自分は弟に助を求めるべくオーイと口の中で言つたが、口中は潮水で一ばいなので勿論聲の出やうもない。というて弟は知りやうもない、弟がこの事を知つてくれたら、一寸こつちを向いて吳れたら、と思つた、がそれは全く甲斐ない望みだつた。只知つて吳れたらと頼み無い賴みを描いたと同時にそこの景色をハツキリ眺めた。實に明かな、和かに日の當つた靜な景色だなあと思つた。そしてそれが一瞬不思議でさへあつた、こんな所謂數瞬後に死をひかへた際にも景色などを眺め得るものかと。これは自分がやはり詩人のせいかなとも思つた。さうして再び眼も額も水中に沒した時はもう心も體もじい218ほつとしてゐた、するより他仕方が無かつた、全く垂直に體を水中に立てゝ。ト足が足の指尖が何か物に觸れたやうな氣がした、氣がしたといつてもそれは遠い〓〓所での感じだつた、それも自分の頭での働きではなく全く足の尖だけの計らひでその觸つたものを非常にひどく(と思つたが實際は殆ど無意識に、恐らくは全く極すこししか力は入らなかつたらう)蹴つた。蹴つた拍子に今まで頭の髪だけを殘して全部水中にあつた自分の頭がスウツと水面に出て首まで日光を浴びた。後でわかつたがそれはやつと身長だけの所まで風で吹かれたか岸へ寄つて來てゐたので、指尖に觸り不知不識に蹴つけたものは海底であつたのだ。その拍子に口の中の水を一氣に吐き出し急に空氣を吸ひ込んだので肺が又急に働き出し、息がハア〓〓とせはしなく、それだけ新に呼吸が苦しくなつた。それでさあ助つた、さあ生きられた、と精神が躍動して懸命に手足で水を搔いて岸邊へと焦せり急いだが、その手足の重いこと、丸で鉛の棒をぶらさげたやう。それでもどうして辿つたものか半身位な水深から膝位なところまで這ふやうにして來てそこで倒れてしまつた。その時分それを遙か岸の砂濱にゐたあの甥や姪達がやつとめつけ弟も最後に氣がついて皆で飛んで來た。そして〓でより淺い方へ手や足をもつて引張つて行くがもう自分自身では全く動くことも
ならぬ。膝も力がぬけて子供達に引張られるまゝになつてゐた。水が淺くなつて來たら砂で尻や背中をザラ〓〓こすられるのが部分的に痛くそれだけが肉體的自覺であつたが、精神はもうすつかりハツキリしてゐたが頭はシン〓〓と痛い。それから先は子供が宿屋へ、自動車を持つて來さして連れて歸られ、早速そこの牛乳風呂に溫められたら體も心持もすつかり直つた。後で聞くとこの自分の危難を皆見てゐたので、子供達は自分がわざと水に潜つて頭だけを出して遊んでゐると思つたといふし、弟は弟で沖へ向いてとても元氣に拔手を切つてゐるからけふはとても調子がいゝと思つて毫も心配なんかしなかつたといふ。最後に足の爪尖が海底の大地に觸れるなど全く偶然でこれは奇蹟に相違ない。兎に角斯うして此時私は確に死にはぐつた、自分の心ではもうすつかり死を覺悟したのであつたか50そのいさ死ぬといふ時、よく死ぬる際は過去が急に心中に廻轉すると聞くが、そんなことはなかつたものゝ、非常に短い時間にあんなに澤山色々考へられると思ふほど色々のことが考へられただけは事實だ。そして矢張平生心に持つてゐるものがその瞬間にも出るものだと思ふ。それは私の場合では濱の景で、あゝいゝ景だなあアヽ美しいなあと思つたことだ。尤も死の原因により又死の各種の場合によつて色々違ひはせうが、私のあの場合220では、いざ死なうとする瞬間に見得たものは美しい自然で、これは平生俳諧で自然を尊重してゐるから、さういふ際なるに拘らず落着いて自然を觀賞し得たのでせう。私があのまま死んだら、私の魂は好景房州の海濱に留まつて今頃は砂濱の小貝か何かに生れ替つてゐたかもしれません。私の死の直前の大印象が平生心から來たものとすると、あの兵士達がいよ〓〓の身の最後に叫ぶ「天皇陛下萬歲」の聲は兵士達の平生心から來る最後の念力、意思を超えた叫びであり、心頭に留まつた最大のものゝ無意識的表現であると肯定することが出來るやうです。さて最後の念力、意思を超越した叫び、心頭に留まつた最大のものゝ無意識的表現は? -思ふに、生きてゐる間は人間は總てのものを相對的に考へ、利害關係を挟んで行動する。人間生きてゐる間は誰も只の人間です。が一旦死に直面する時親兄弟も無く友人もなく妻子もなく自分以外の者はもう全く別です。誰ももう自分の死をどうして吳れることも出來ません。誰一人救つて吳れず、どんなに親しい人どんなに恩を着てゐる人どんなに金を與へられる人でも死んで行く自分を後へ引き戾して吳れもしなければ一所に連れ立つて行つて吳れもしないのです。そこで他人を賴みにしないまでも、いざといへば他人に待つ
心を持つてゐた、卽他人を心の底に置いて常に生活してゐた、他といふものを自我の側に置き相對的に考へて居た人々は、いよ〓〓獨りぼつちになり、結果的に絕體絕命の立場に立つ。その時只賴るべきは自分のみだ、その自分がもう死んで行く、存在が刻下に無くなる-その心細さといふものは非常だ。するとそこに今無くなつて行く人間にあるものはその今にも無くなる自分一人きりだ。もう人間といふものは賴りにならぬ。そこでその人の心は、人間でない但今まで生きてゐた間の人間全體に代つて力になり賴りになる何か最後の最大なもの絕對なものに賴らうとする。もう「人間」といふ者が毫末も賴りにならなくなつた曉、どうしても人間以上の者大きな力强い者に縋らうとする順序になつて來る。さうなるとそこにはもう大自然より大きい者はないから、潔く、寧ろ死の迫る前、その自然へ行く。凡そ平生からさう考をきめて置くべきだが、多くの人はさういふ餘裕と修行とを持つてゐない。斯ういふ場合普通は神佛に赴くのだが、身軍人である忠勇な戰士の面々に於てはそこにその際一番完全であり一切を委して餘りあるものと信じて疑はない其絕對なものに心が走り、不斷養成され現に此一義に心身を擲つてゐるあの軍人精神と一緒になつて「天皇陛下萬歲」に現れるのであらうと思ひます。まことに大君は現人神におはします、神として絕對であります、同時に人間として至高至聖にまします。戰場に將だ戰場の氣で今はの息を引き取らうとする兵士が最後に最大に絕對のこの大君に賴り縋らうとする心境は窺ふに餘りあるではありませんか。特に私は一度死にかけた經驗を以て考へると、あの最後に眺めた海岸の好風景に對する私の陶醉的愉悅は全然大自然で、後は同じではないかと思ふのです。僕も人間です、現にあの溺れかけた時死にたくない、生きたいと思ひ、心中あの甥や姪や弟やの人間に呼びかけ、俳諧に就て成し又成しかけの事業の事に懊惱し、第一自分自身人間として今滅却するだらうといふことには焦慮惑亂したのです。況して修行の機會とてもまだ殆ど無かつたであらう若う人で〓養も充分でない多數の人達が人間におはし神でもあらるる絕對境を對照として心の向うへ据ゑたこと、及その上での安心といふものは凡そ想像出來過ぎる程出來るのです。だからこの事は生きてゐるうちから考へて置くことです、生死を大事と佛家でするのもそこです。人間は生きてゐる間に死ぬる時死んだ後の事に思を致して置くべきです。イヤ生きてゐる間も一方にその心を以て生きて行くべきです。人間ばかりを賴りにする(それは生きてゐる間だけの)所謂人間だけでなく卽相對にのみ立つことでなく、又善く人間で223
あると同時に絕對に思ひ置くべきであります。人は頭の働きも體の力もなか〓〓大したことをしてゐるやうですが、それを天地自然の大に比べると御話にならぬ程小さな力無いものであり、却て人間は非力です。人間の思ふ事する事には限りがあります。その限りある人間が限り無き天地悠久の中に住するやうに用意し實行するのは人間として最賢明な生き方ではないでせうか。さういふ生き方を生きてゐる間からするなら死の瞬間など問題ではありますまい。寧ろさういふ生活をして來なかつたからこそ最後に死の眞際に大急ぎでそれをやらされる、といふのも實に天意でせう。無限は絕對であるから、生きてゐる間にこの境地に住む者は生きてゐる間に極樂に居ること、現世ながらの地獄ではなくて現世からの極樂です。卽現世ながらの極樂とは人生を最大きく最完全に享有する狀態です。道はなか〓〓に得難く悟は萬人に一人開きにくい、戰場の軍人といふ軍人がこの「天皇陛下萬歲」の一叫を機として渾然涅槃に入るのは難有くも美ましい境涯ではありませんか。若し足等幾十萬の英靈が國に事なくして疊の上で死んだとなると、果してそのうちの幾十人或は幾人がさういふ心竟で死んで行かれるでせう。一死その機會に於てよくこの最大の人生に逢着し得たのです。英靈達は下生の祈願の如く大君の御楯となつて死んで行く、さぞ滿224足であらう。がそれと共に、否それ以上にこの機會に於て最高最大最完全の人生に接しそこに立ち得たことの大幸を自覺したことでせう。勇士達は眞に死の甲斐があつた、といふよりいつそ斯く死んで初めて生き甲斐があつたといふべきです。「天皇陛下萬歲」の叫聲は初め軍隊の規律の中に入ることに依つて、次に第一線の絕體絕命に立つことに依つて、最後に敵彈に斃れてその無二の生命を斷たれることに依つて、順々に修行の道を辿られたのです。行程は最後まで他動的であつたが、それが爲に修行が出來て最後にその人生の完遂をこの一叫に取まとめたのは自發的です。軍人が軍人だけが戰場に屍を曝す軍人だけがこの最後の完成絕對に立ち得るだけでなく、總ての人間〓さうでなければならないと思ひます。この最大幸福をなぜ人々は求めようとしないのですか。それは戰場を俟たず天皇陛下の御名を煩はすまでもなく、初から平生に人々はこの心を養ひ修むべきです。そして國を擧げて人々が、戰のあるなしに拘らず、絕對に立つべく不斷の用意をすべきです。勿論軍人でなくても陛下の赤子です。唯だ軍人は天皇陛下の直接の御用命を受けてゐるだけが私達一般國民と違ふのです。そこでその直接の御命を畏み軍人は大君に最後を御托し申すのに、直接の御用命を受けてゐない我々は自から又他の道程を經ることになる。そ
ある。る。伊豫は自分の家の三百年來の故〓の地で、庄內は元〓最上領、その庄內の一ト里へ。更にそれ以前の故〓はまさ·····左はもうずつと以前詠んだ自分の句でに奧の最上であその信條に於てまでさうなのです。であらう兵士諸君の多數が、ずして衰へ亡ぶ、す。「天皇陛下萬歲」てみなければならないことです。る人間の存在は無いことになるのであります。に隨ひ直下に天地自然に歸一の御一面である神-大自然に直タこがさつき大君の御名を煩はし奉らずにと言つた所で、別に哲學的根據とて無く宗〓上の修道をも爲さず改めて心の修養を遂げる暇もなかつたこゝは絕對です。を唱へて死んで行くつはものどもが心根は、反之それに隨ひそれに則り私を捨てる者のみが完き人生を享け得るので斯の絕對に立つて眞に自己の立場を定めるといふこと、皆このやうな心境になつて死んで行くといふことは深く考へすべきであります。いしくも難有いことだと思ひます。これは軍人ばかりのことでなく、に打向ふのである。凡そ人事天の大道理に背く時は日なら「或師範學校の生徒諸子に」-卽人間は唯もう造次〓沛天地自然どうなるかといふと、更に忠君愛國の觀念を超え萬人の上の事です。是より大な我々は大君田月葭鶴岡驛から俥にて三里餘、わ出羽庄内を訪ふ植切山女やが祖先やの庄內眞雪白小は車上口占奧やき田の足車の最をこゝ上戾のりを上や天り來靑鳴の川る嵐く227 226
なつかしき出羽庄内の田植かな『記』に、「家親公光廣ニ仰セ在リケルハ、其方ノ居城白岩ハ手寄惡キ所ナリ、自然ノ事出來ラン爲ナレハ、以來ハ庄內ヘ差越シ、鶴岡ノ城ニ差シ置カルヘキナリ。此城ハ義光公御在世ノ時、御見立ヲ以テ御隱居所ニナサルベシト築キ置カレシ城下ナリ、サレハ此城ニ光廣ヲ置キ、我山形ノ城ニアラハ、國中ノ者共如何ナル企ニテモ恐ラクハ逆心成ルマシキト思案セシナリ。此旨時節ヲ以テ家康公ヘ御内分ニ達スベシ。其內ハ庄內ノ近所ナレハ松根ノ城ニ暫ク引移ルヘキ旨審ニ仰付ラレ、早速白岩ヨリ松根ノ城ヘ移リ、名字ヲ改テ松根備前守ト申ケルナリ」20車上、三百年の昔に還つてこの舊記のまゝ心窃に祖光廣が上を思ふ。始て松根へ志す車上の自分は、やがて新領知へ向ふ馬上の光廣である如き心地して思はずほゝゑまれる。228葭切に備前守の入部かな途一大急流を越ゆ、赤川といふ。「鮎は」と問へば車夫「居る」と答ふ。但一望の間、一竿一網の漁人を見ず。閑鮎川や鮎とらなくに里/22.の註に、「松根邑ハ城地ニアラズ、松根は今黑川村の一字をなせり。領地ノ內ナリ、故ニ松根ノ邑ニ移ルナリ」と、田植人黒川能の事聞かん229松根は今百戶ばかりの農を主業とせる小里、黑川校の分校を置く。校に就てたづね、更にこの地の舊事に明るき一老を求め得て語り傳へるところを聽く。この老の家は備前綠故のものといふも奇遇なり。語り出す元和この方の事備前守の城址、赤川の流域漸く移りし爲め今は河中となり了し、いふ。やがてにして行いて見る。や窓凉し僅にその一部を殘すと
さも我が後を追ふに似たり。歸路車上、郭公を聞く。數羽遠近と思ふは一羽にして樹頭又樹頭へ轉々して鳴くなり、我が心亦些か足る。之を思ふ又數十年の間にしてこのたび偶然之を果たす。中祖伊豫に移りて二百五十年、その間代を重ねてこの舊〓を訪ふものなし。地の松根姓の松根を載せ得て妙。余に至つて洗濯石鹼にクレンザーまで、度外れの今年の暑さをこらへ〓〓惱み〓〓なか〓〓出掛けられず、三日だが、騒動は並一通りではない。した引越しの騒ぎ、の箱を三つも四つも、それに世帶道具から衣類蒲團、ふよりもうとてもたまらなくなつて急々に神奥をあげる。それは行かう〓〓で心はせいたが、山の日記は七月の十三日から始まる、夜着いたのでその日は薪水のことは些も起らなかつたからだ。それ等の荷造も大變だが、鑵詰を主に菓子砂糖バタジヤム醬油胡麻油といふのだから丸で鳥渡何しろ十日や二十日の生活ぢやない。藥品は固より一揃、書物に筆硯に糊鋏、これをやつて置いてあれをして仕舞つて、そこで薪水帖は十四日からだ。それが取揃ふまでの苦心、食料品に至つては大箱に一杯ダンボール肌着に手拭に洗面の品々にシヤボンにその又二三日前一週間前からの何が要るかどん第一に仕事のもの一切、それでもやつと、といと夏初の事實着いたのは十薪郭故靑濠角夏水公里の嵐跡櫓川帖三ととこゝにありの流いふ칸で急ふしにあちらこちらはなかりけりの故里淋し閑古鳥い百年の無葭と見沙の若入りけ茂葉かか汰かなななり231 230
なものが忘られてならぬか、と頭の中で每日々々又は臨時の暮し向きを考へ〓〓揃へて行く煩はしさ、それがあの無上の暑さの中多端な處理すべき事々の中と來てゐる。たまつたものでない。が、これといふのも近年いさゝか衰へを感じ、さうでなくても夏負けの自分は、年々に暑さに弱くなり、去年は樺太へ旅行することになつて偶然暑くない夏を過ごしたものゝ矢張殘暑に可也痛められ、夏の疲れは決して夏だけですまず、秋中から冬へかけて風邪その他の危惧を多分に結果し、何よりも宿痾の膓の方がどうも晴天白日と行かない卽夏苦むのは夏だけでなく夏以外の一年の他の部分まで身に障害を來たす。又身體の工合の惡いのはぢきに頭にも影響し、する事が何かと思ふにまかせない。そこで夏は自分には非常に大切な時期になつた、夏が夏だけでない。「夏を逃げる」「暑さを避ける」といふことも一夏のうち一週間や十日半月は今までにもやつてゐたが夏ぢう一ばいといふのは今年が始めて、費用のところもあるにはあるが、年分身體を消耗し腦味噌を沸かし自分といふものの根本まで磨り减らしてしまふのもすこし惜い氣がするので、大病して稍永く入院生活をしたと思つてこの「天然病院」へ入院することにした譯だ。そこで今云ふ通りアレコレ準備に忙殺された擧句の入山、山に入つて山氣て觸れてホツとした。途端に頭がス232ウツとし神氣を感じ同時に五體がフワツと輕くなつた氣持、そこへ蜩が朝から晩まで耳元で鳴く、諸島が軒先轉る、胸から背から翠徴が浸み込む、五體を嵐氣がスー〓〓吹き拔ける。鼻からは絕えず靑臭い草木の〓香が嗅覺を通し、眼からは始終澄み切つた眞靑な色が視覺を經て、腦の髓まで靜肅に〓涼にスムースに流れ入る。自分はもう暑いといふことをすつかりどこかへ落して來てしまつた感じ、イヤ自分が暑さを落したのではなく反對に自分をどこかへ落され無くなされてしまつたやうな心持。ところが着いたその晩は、これから幾十日の自分の草庵である山上林中の小さな草葺屋根の家が、疊を替へられ障子を貼り替へられ掃除もすつかりしてはあつたが、足袋をぬいであるくと足の裏が埃でジヤリ〓〓するのに、何べんか掃きに掃いてみたがどうもいかぬ、これではと雜巾で疊を拭きにかゝる、そこで二間きりの小庵の疊は綿密に疊の蘭の一目々々に埃を拭きとるのであつた。入庵第一の大仕事である。それから持參の品々を座敷と茶の間と臺所との三つの押入へ整理配置して了つて一浴び溫泉に漬かつたのは夜半を過ぎてゐた。斯くて第一夜の靜けさに第一朝の爽かさは全く今言うた「自分をどこかへ落としてしまつた心持」に他ならないのだ。
「避暑」といふより「遁暑」と言ひたい。暑に對する怖れが「避暑」のやうな生ぬるいものでなく、その逃げ出す必要の程度がもつとのつぴきならぬもので「遁暑」の遁は他に替へられぬところ、單于遠遁逃の遁なのだ。斯樣に「遁暑」には相違ないが此遁暑卽暑氣の事とは全く別に、それは一旦遁暑をした結果であり又一方大にこの遁暑を助くることにもなるが、さういふのゝ一つは獨居といふことである。「獨居」!それは人を避けること、暑と共に人をも世をも避けるのである。この「獨り居る」といふことが今度の通暑行の副目的であり、來る前から識域の下では遁暑と二體一物をさへなして居たらしい。にこの『薪水帖』はその「獨居」乃至「獨坐」「獨棲」「孤獨」「遁世」「閑寂」の世界を味ふ、とよりそれにひたるのである。12/37である爲には自然何もかも「自分」でせねばならぬ、薪水から酒掃洗濯凡そ一切は勿論だ。是だけは煩ひであるが仕方がない、唯飯を炊いても褌を灌いでも何もかも閑林の內であり山上の事であるから、その事自體所謂麋鹿を侶とすることだ。だから『新水帖』は一方『獨坐錄』でもあり又『幽棲記』でもある。薪水の事が生れて始めての事であり意外に骨の折れるしかしなか〓〓興味のあり意義のある事であるから姑く採つて表題とする。-籠山第一句谷からや薰風〓吹き拔けに朝鮮パン、バタ、紅茶、生トマト。(イ)パン、マーマレード、七月十四日雨コーヒー牛乳、鷄卵牛熟二。(え)飯玉子燒、ホーレン草吸物、小田原蒲鉾。といふ譯で、これが草庵最初の飯焚き、この自炊生活始のうちはなか〓〓文明的で、電熱器を携帶して電燈線から電氣を引いて、といふ目論見飯盒で飯を焚くことは常平生やりつけてゐるから何でもなく、唯東京では瓦斯でやるところを電氣でやるだけの違ひ、電氣の方が火力が弱いので瓦斯でやるより時間がかゝる位のもの、夕方のお菜は草庵としてはちと御馳走過ぎる嫌ひはあるが、何せよ現地の樣子がよくわからないので、要愼の爲立つ時相當當座のお菜を仕入れて來た結果だ。どつちにしてもけふは夕方一度の飯焚き、まあ島渡小手調べといふところ。何だこの位、と威張るのは早過ぎるかもしれぬが、何にしてもこの凉しさ、これならちつとやそつと手が込んでもと一安心。食後の洗ひものが一仕事、蓋しこれは全く思ひかけぬ手數である。それに飯はどうしても前夜にといで仕掛けて置く方が柔かいので、食後に米を磨ぐとなると結構いゝ時間を食ふ。まあいゝサ、どうで遁暑の爲だ、又山中山人の生活だ、時間ナンカどつかへ飛んでッてしまへだ。唯もう凉し七月十四日雨235
ければいゝぢやないか。都に居て夏ぢうに腦味噌が沸き盡くして仕舞ひ秋涼しくなつた時分にはあたまが空ッぼの白痴同樣なんていふのに比べればどれだけ增しか。助かるよ、凉しくて。何もかも濟ませて溫泉を一浴び、灯あか〓〓と机を前に端座すると、蝸が近く遠く····イヤそれは晝の事、夜は唯靜かを極めて、殊には山の夜、靜か靜かでないなど對蹠的な言葉を用ふべきでない。それだけあたまの中の〓閑さ、唯山氣が樹林の間と吾が頭の腦漿の中とを一つに流れて、讀むも書くも思ふも何一つでも作すといふことの勿體なさ、獨坐獨存ひとへに無爲無作にしてボカンとしてあらうことこそ、と夜を更かす。-よつぼど深夜だと思うて時計を見たらまだ十時にはなつてゐながつた。同·十五日公時々朝〕飯大根おろし解節、佃煮、鷄卵半熟二。(キ)パン、徵雨バタ、牛肉罐詰乞飯冷素麵。葱と鉄すまし汁。朝五時に起き、電熱器で昨日の通り飯を焚いてゐると半ぶ頃頭の上の電燈がブツリと幽かな音を立てて消えた、ヒユウズが飛んだらしい、同時に電光が消えてしまつた。しまつたと思つたがどうにもならぬ、况して煮えかけた飯だ、捨てゝは置けぬ。そこでアルコールのバーナーを用うるより外手が無い。早速掛け替へたがどうも火力がさう强くない、が他に仕樣もないのでそれで焚き上げる。後で切れた電燈を直して貰ふ、晝夜燈でないから236パン、點けて試めして見ることが出來ない。「いゝですか」といふと「もう大丈夫です」といふ。工夫が二人がかりで來て直したから大丈夫だらうと思ふ。尤も昨夜からの雨が暴風になり、一日樹を鳴らし枝をゆさぶつてひどい天氣だつた爲外線も切れたりした所もあるので、それを見廻りに來た工夫なのであつたが、外線も故障はないというて歸つた。「畫電氣が來ないから點けて見られないがいゝですか」と歸る工夫を追ひかけて重ねて念を押したが、二人で「エヽ大丈夫です」といふ、尤も試めしやうもないからその儘にして置いたら夕暮になつて果して點かぬ。サア困つた、一晩ぢう蠟燭をつける譯には行かぬし、都會とちがつてすぐ工夫に電話といふ譯にも行かぬ。仕方なく暗い中を賴みに出かけ外の會社の工夫に來て見て貰つたら、引込み線が暴風雨で切れてゐたのだつた。パツと灯が點もつた時の明るさ嬉しさ、晝の工夫め、何で「外線は大丈夫」なものか、いゝ加減なことを言つて。朝パン、樺太のフレープジヤム、紅茶牛乳、鷄卵半熟二。同十六日曇時化。止む(イ)バタ、鷄卵と葱と煮物、(2) (外出して)海老天ふら、飯この二三日はもう『澁柿』八月號編輯の整理で自分の書くものが忙しい、出來ると驛まで持つて行つて客車便に托す。校正が來る、して出す、けふなど朝晩二度だ。山中ながら樺太のフレープジヤム、バタ、鷄卵と葱と煮物、紅茶牛乳、鷄卵半熟二。(2) (外出して)海老同十六日
太忙、どこへ逃げても逃れきれぬ浮世ではある。それでも涼しいだけ仕合せ、凉しければ仕事も出來る、東京の夏には死人も同然。斯うしてけふは度々驛へ下りたので一度は肉屋で鷄の肝と八百屋で野菜とを買つて歸り、一度は洋食店があつたからチキンカツ位出來るだらう、と階上の食堂に上つてメニウを見ると相當色々出來るからコレアレ注文するにどれも出來ぬ。トンカツさへ出來ない。それにコツクが今一寸用足しに行つて居るから歸るまで待つて吳れといふので出てしまふ。そして蕎麥壽司天ぷらなど食はす唯一軒きりのうちへ行つて海老の天ぶらを食つて、けふは「パン、パン、外食」で飯を焚かぬ分別。飯といへば電燈線は格別細手でヒユーズは小さく電熱器いよ〓〓望み少な、といつてバーナーも時節柄アルコホルが坊間に乏しいのとこの方はマツチを喰ふのでマツチの事を考へねばならず、心細きかぎりだ。これでは結局薪炭の御厄介となんでも屋のK店へ駈けつけ、ともかくも小俵ながら炭一俵に薪小束二把を注文、ところが「炭はどんな品?」と聞くと「そんな贅澤を言ふなら賣らない」と來るし、新といふのがサイダの箱か何かをこわして割つた木片に過ぎないのに驚いた。同十七日晴曇不定時に(朝飯、胡瓜林檎マヨネーズ、佃者、鷄卵半熟二。〔午〕霧雨バ、バタ。名飯鱸洗ひ、生トマト、生セロリ。- 238 (朝バ、飯、胡瓜林檎マヨネーズ、佃者、鷄卵半熟二。〔午〕バタ。名飯鱸洗ひ、生トマト、生セロリ。六時過に起きたが、電熱器は到底見込がなくなつたのでアルコホルでは火力が弱過ぎるナし、トウ〓〓最後の手段として七輪で燃しつけるより他に術が無くなつ東京なら瓦斯口一捻りマツチ半本で火はドン〓〓燃えて吳れるが焚火ではさうはいかぬ。その薪といふこつぼのが前にも言うた通り木片みたいで燃えることはよく燃えるがその代りドシ〓〓燃え盡ししよつちうてしまふといふ代物、始中終くべてばかり煽いでばかりゐなければならぬ。油斷して途中で一度消えると又起すのにとても大變、載せてあるものを皆下ろしくべてあるものを皆出し七輪の中皿の灰をさへつゝき落し新に焚きつけから仕直して行く。こんなことして居ると時間ばかり立つて煮えるものはいつまでも煮えぬ。これは大變だ、こんなことを每日一度、否時には二度三度やらねばならぬとしたら。うつかりしてゐられぬ、と五十四郡ほど左の耳ではないが翌からの覺悟の臍を固めるのであつた。けふで八月號の編輯全部濟む。すこし腫れてゐるやう、ひどくなつては困るがどうしてよいかわからず、メンソラつけて見る。溫泉ぬるくなり入れず。同·十八日快晴。朝盒の飯に今朝茹でた野菜「夕〕パン、フレツプジヤム、牛乳、トマト、(知人の宿屋に招かれて)佃煮。〔年〕昨日の飯晩餐。五時半に起きて七輪に火を焚き、火鉢の火種を作り野菜を茹でる。七輪には付き切りで
なくては火は保たぬ故、とても庖丁をつかひながらといふ譯に行かぬ。そこで昨夜のうちに野菜はこしらへて置いた、玉葱を切りジヤガ芋の皮をむき胡蘿蔔を輪切にといふ工合。けふは拭き掃除をする、毎日唯はたいて掃くばかりだから偶にはと、臺所を拭いた序に座敷も茶の間もやつつける。序だから備付の長火鉢からその曳出し鏡臺全部もやる。それから茶の間の戶棚內上下の整理をする。山家のことで蟻が無闇に多いので蟻の好餌は一粒も疊や机の上に置かれぬ、それで戶棚の中へも棚を一つ吊る、こゝは菓子類の載せ所とする。さう〓〓書くのを忘れてゐたが座敷の方ヘボール紙の箱と果物籠と二つ梁から紐を吊して一つはパン類一つは砂糖類と分けて吊して蟻を防ぐことにした、これは後々のことだが折角のこの蟻防けも、いつか蟻に嗅ぎつけられて、油斷すると箱の角砂糖の間などに潜み込まれて居るのであつた。天井裏から梁、梁から紐と傳つて聞入するのだ、そしてそれは赤や黑のあの小さいのでなくて必ずあの黑々しく大きな山蟻である。憎き山蟻め、これほど苦心して嚴重に防衛してゐるものをと怒心頭に發し、この蟻に限つて一匹と雖生還を許さぬことにした。これも後々のことだが或時は焚殺し或時は壓殺した。一度などは死屍累々三十匹を算へたが、その處置として草菴周圍の蟻地獄の摺鉢穴に一つづつ入れてやつ240たら三十匹が奇麗に零になつた、つまり蟻地獄が庵をとりまいて三十匹以上ゐることになる。蟻地獄に就ては別に書く機會があると思ふ。昨日偶然この山庵の前を通りかゝつて邂逅した昔の知人M氏が又訪ねて來て話の末今夜「御飯を召上がりにゐらつしやいませんか」といひ晩に行く約束をする。これも偶然一昨日山のホテルで知り合ひになつたK氏が昨日訪庵の際土產に齎したメロンを割る、庵の山〓水の筧に一晝夜叩かして置いたのでよく冷えてうまい、山庵意外の珍果である。M氏の宿で飯をすませた時分にはとても明るい涼しい月が東天に登つてゐた。この月をこそどこかで、とプラ〓〓さまよひ出て山のホテルの四階の上の屋上で手の屆くやうな峰を身のぐるりにしつゝ飽くなく眺め更かした。又メロン白桃着、山莊頃日好果集積。(朝)中村屋黑パンレモンパ%、昨野菜煮殘。(イ)木村屋パン、同十九日晴。マーマレード、小玉麩ロリクーポ〓汁。乞黑パン、牛肉スキ燒罐詰、生セロリけふは終日パン食にする、パンが豐饒だからだ、一日火焚きを免れる。M氏等又來訪、メロン切る。宵よりねむく褥の上に假睡のところへの訪問だ。今宵も月明故その邊そゞろあるきする、山の月は夏から澄んでゐる。溫泉又出ぬ。
同·二十日晴。風强し。朝パン、珈琲牛乳、フレツプジヤム。〔夕〕木村屋パン、コーヒー牛乳、外出Fホテル晩餐。レモン社より客車便來る、注文の品々。栃木より校正來る、忙しい。賴んで置いた人來て山菴の寫眞撮つて吳れる、色々注文出す。夕より外出、都へ電話の要あり、M町に行きFホテルでかける、時間中々かゝる。夕食濟んでも尙かゝらず急報にしてやつと通ず。夜遲く歸庵けふは終日飯を用ひずパン食ではあつたし夕方は外出したので要らず、昨夜寢しなにといで置いた米がすこし臭ふやうな氣がする故明朝までそのまゝに置くのもどうかと思ひ.夜更急に七輪を外へ持ち出して火を焚き飯を炊く。けふ賴んで置いた炭(小俵)俵炭團十薪二把竹箒一本屆けてある。夜半出でて月下に園內をあるく、山百合樹間草中到る處に大きく白く無數に咲き出でて月光を受く、白衣の天女が群遊するのに似る。大きな擬寶珠の花の群落も處々にある。その百合の白きを追ひ蹣跚として庵に歸るを忘れる。思ふtに今日以後この鍾愛の百合の白花夜々に白衣の天女に化して夢に我が臥に通ふであらうか。242百合折るな夜の山神のつかはし女同·二十一日晴。朝食後散步、山の下の方へ。百合あちこちに咲く。同·二十二日400 (明飯鰻個煮、生鷄卵二。(モ)飯、アスパラガス(舶來罐詰)マヨネーズ。〔夕〕パン、バタ、ジヤガ芋玉葱スープ煮、コヽア牛乳疲れて晝寢、夕に到る。夜半目覺め起きて林中をあるく、同·二十二日400朝パン(資生堂)、フレツプジヤム、バタ。コーヒー牛乳、鰺龍田揚、アレキサンドリア。(イ)メロン、白桃、ケーキ(資生堂)、み胡瓜、コーヒー牛乳大根おろし)、甘藷甘煮。らノ飯(たき立て)、鮪さしみ(刻み葱、刻六時前に起きて一浴。社より荷物着、二十日締切の卷頭句在中の整理する。遠く丘の下を通る魚屋を呼び鮪を買ふ。林中の百合大方莟重く垂れて莖傾き曲る。荅甚だ大きく開花見事らしいのに、それでは咲いても地に垂〓とし折角の姿が見えぬことになるのが殘念、一々頭を起してやり近所の草木に控へ又は竹を添へる。他の莊への來客が數十本の百合を折り採り束にして家づとにするのを見、無慘なことをする人もあるものかな、と心を惱まし、そここゝ板切れを求め來て立札を作り「百合折るな」「草木を折るな」と百合の花かたまり咲くほとり數ケ所に立てる、鉈と鋸とを借り來て粗朶を切り炭をひく。果物澤山ある故畫食は果物だけにする。夕方バラ肉五十目買ひ來て、晝間から煮てゐるジヤガ芋胡蘿葡莢隱元玉葱と一しよに煮る、あす食ふビーフシチウの用意だ。靜かな夜を靜に更かす、二十二日400 243
夜半を過ぐ。出でありく、坂路をすこし下の方まで。り、薄あかりは月か、幻こそは。霧こめる木々のたゝずまひ草の眠夏夜半や霧に消え去る人か否か同·(朝)飯鰺の干物、甘諸、メロン。〔年) (外出) Gホテルグリ二十三日晴。ルでスパゲツチ、冷し西瓜。〓〓パン、ビーフシチウ朝靜に仕事をしてゐると「蒲鉾屋デス」と訪ふ者がある、大きな箱を背負ふ。荷を下ろさせて見ると蒲鉾の他に鰺の干物とサツマ揚、中鰺一枚八錢サツマ揚二錢、トタンの米櫃の蓋を裏返しにし水口から水を落とし、椀に果物入を入れその上から大鉢を伏せ鉢の左右に何か小さい臺を作り椀中の物が鉢に觸れぬやうにする、そしてその伏せ鉢の尻から水を落して置く、-急造簡易冷藏庫だ、尙段々工夫すればもつとうまく行くだらう。昨夜これで一夜メロンを冷やしてうまかつた。校正着、本文全部校了。人に賴まれたこの地產キヤラ蕗注文、日强く山も屋外は暑い。宵からうたゝ寢。校正送る、これで八月號編輯全部濟み、草臥れた。戶外で凉む。寢る前夜中の室大掃除、十一時半寢る。けふはどうも疲れた、このぢうの勞働過度のせいか。244梅炎雨天晴ややい折焚よ〓〓く柴靑きの山煙のさ木へ々同·二十四日晴0低氣朝パン、シチウ殘。「年〕(不食)。夕〕パン、豆腐〓壓心汁、唐茄子キヤベツ煮物、個煮、コヽア牛乳、アレキサンドリア背中の方すこし重き心地、風邪氣味か、多分新割り炭挽きの過ぎた爲。珍らしく豆腐屋來る、豆腐買ふ。灯を暗くして今宵も靜夜を樂む。夏虫や次の間の灯を障子越し同·同·二十五日晴。飯(朝)鮪さしみ飯個煮、(厚づくり)。胡瓜(フレンチ、乞ノドレツシング)、紅茶牛乳。〔年〕煮うどん(玉葱、半片、鷄卵)大根おろし(花鰹)、生胡瓜刻み、ラツキヨウ、紅茶牛乳、アレキサンドリア(これで終る)。例の蒲鉾屋來る、けふは干物は無い、今度は持つて來いといふ、半ぺん買ふ。午後に半ぺんつけ燒にして食はうと思ふところへ魚屋來る。品々あり、鮎の活きのよささうなのがあるし車海老もあるし大に誘惑を感じる。鮪にして一サク買ふ、厚切りに指身に作らせ半べんは晩に廻す、大根は皆おろして今鰹節かけてしまつたところだから下の方の鰹節の二十五日晴。ドレツシング)、紅茶牛乳。〔年〕煮うどん(玉葱、半片、鷄卵)ラツキヨウ、紅茶牛乳、アレキ
かゝらぬあたりをソと取り胡瓜を細かく刻んだのとツマにする。すこし澤山あり過ぎるので白身なら龍田揚にでもするが赤身では一寸仕方がない、というて生で夕方までは置けない。いつそ腹の中へ仕舞ふのが一番安全と飯が濟んだのに皆たべてしまふ。庵の前の小高い林中に聖蹟がある、今上が東宮におはす頃よく御遊びに御出での所と傳へられる。元茶室があつたさうだが朽ち果てゝ壞した材をその儘そこに積み重ねてあり荒れ放題よごれ放題で恐懼に堪へないし、舊蹟を湮滅させるのは惜いことだ。せめて〓潔にして置いたらと兼々思つてゐたので午飯後腹ごなしを兼ねて片づけと整理にかゝる。數十本の古朽ち材を一々林間の巖蔭に運んだら、その下には幾とせもの林の落葉が一面に深々と積もつてゐ총パイスケでそれを丘の下の遠方へ何度にも運ぶ。又この茶室跡への道は巖に刻んだり石を並べたりした石の段々で、そこに生へた草をひき蔓を切るに、何しろ岩石地帶のこととてどこもかも巖の面に苔をつけ、苔の下積が漸く土になりそこに躑躅や楓や色々の木の芽生が育ち岩上三尺五尺と立つてゐるのを拔くとどこまでも續くやうに根が走つて折角の厚い苔が毛氈をめくるかに剝がれる。苔を剝いでは惜いからいゝ加減の所で根を切る。それでもすつかり奇麗になつた。大方仕事を了つたところへ丘の下から足音がして誰か來る樣子、數日前來訪のGホテルのK氏がS氏と同道、「鰻頭買うて來ましたぜ、ホンの僅かばかりですが」と上方辯のアクセントが木の間の向うの方から先へ飛んで來る。「品が拂底で突然では賣つて吳れないのを支配人の顏でこれだけ買へたのです」とK氏の言添へ。何にしろ丁度掃除も出來たところ、こゝへと聲で呼んで、とりあへず聖蹟の由來から〓掃發起の心を說明し、茶を運んで早速饅頭を御馳走になる。「こゝへ草庵を一つこしらへたらなあ」など語り合ひつゝ山庵に席を改める。山庵俳話薄暮に及ぶ。聖蹟を片づけたので古材など澤山で薪代用品豐かになる。來客で飯用意遲くなり、七輪に火を起し干うどん茹でる。晝の燒半ぺんの一部と玉葱一つ入れ、鷄卵かけて食ふことにする、松茸の香を添へることを勿論忘れはせぬ。夜何かと用を賴む近所の家のおかみさんが聲かけて前を通つたから呼び込んでうどんを喰はす、「僕のこしらへたうどんうまいだらう〓〓」と言うて食はす。「ハイ〓〓」と答へるばかりでうまいとも言はぬ、松茸の香など一向感じないらしbo自裂たくて講釋すると、「さうおつしやるとそんな氣もします」はたよりないこと夥しい。田舍の人は味覺が、と〓嘆時を久しうした、但自分の料理の腕前の程は棚に上げて。何しろ何でも煮物する時は度々面倒臭いから雪平に一ばいこしらへる。一ばいでも半分で
も手間は同じだ、澤山こしらへて置いてたべる時にあたゝめれば手數の儉約だ。成程お寺の坊さんが自炊をするのに此手を使ふらしく、朝も味噌汁、晝も夜も同じ味噌汁といふ風にして炊事の手數をはぶくらしい。往年鎌倉圓覺寺山内の黄梅院に滯留した時和尙がそんな生活をやつてゐたことを思ひ出した。唯さうばかりも自分には出來ないのはモノトニーが氣になり胃が腸が不腹をいふからだ。そこで一つの便法として時々、イヤ相當度々殆ど煮物の都度矢つ張一度に澤山こしらへることになる。全く炊事といふものは時間を食ふものだ。一家で女の仕事は大變なものだとつく〓〓思ふ。世の亭主たる人々すこしは妻君の勞を多としてよからう。聖蹟片づけで勞働した上にうどんを食ひ過ぎたかしてねむくてたまらず、早く寢る、溫泉にも入らずに。248色凉し茂佳し(聖蹟にほとりし庵居明易し鮪の春宮短夜のや僧さ御行境み厚う切りこのところ守る心かなを冷飯にう遊宮涯を同·同·二十六日좋冷え。る(朝)茶牛乳、飯野菜シチウ鰺干物二枚、(サツマ芋、蛤の佃煮。キヤペツ、(イ)パン、ニソジン、バタ。莢紅豌豆、ホワイトソース、スープの素)、半べん殘。〓〓飯殘りむすび、バナヽ一本(用意に持參)。五時半に起き朝飯の仕度、けふは飯盒に半分飯焚く。後火にて胡蘿蔔キヤベツ茹でる。又その後の燠で干物燒く、金網の上では急に燒けぬ故直火にする、灰がつく、全く灰打たいくだ。佃煮は小海老でなくては食はぬのにこの頃は小海老がなくて蛤だつたが蛤もうまい。腹の工合のいゝせいか溫泉の利き目か、そんなこと色々綜合の結果だらう。バナヽ白桃薩摩芋ヨークチーズ燒海苔蛋取粉コールタブレツト等入荷。床屋も大分延びてゐるし急に思ひ立ち午後下山、夜東京宅へ。同·二十七日終車にて歸山。今日の分牛乳二合翌日までは置けぬ。夜更七輪に火起こし牛乳沸かす。七輪の火パツともえ上がると上にかぶさる黃楊を始色々の木々の葉を夜空に靑々と照らし出す、一種の美しさだ。つゞいて昨日買つて置いた豚肉焼いて置く。同·二十八日400 (朝)パン、バタ、紅茶牛乳。(4)パン、マーマレード、鮎鹽焼小鯵押ずし(S子持參)。(〓)外出(吸物鮎鹽燒鮪指き、シチウ、鮑鹽むし、漬物、黃西瓜)二十六日좋冷え。る莢紅飯鮎鹽鮪指
昨日東京出發の際送つて吳れたS子手荷物の一つを驛に忘れたのを持つて登山、尤も『枸骨句集』の原稿がまだ出來上つてゐない爲それを兼ねてのことだ。山庵登り坂途中林間へ「城庵」の札を打つ。S氏に手傅つて貰ひ茶室跡の石竈の石材の廢物を鹽梅して聖蹟へ石榻三つ作る。聖蹟ほんの形をなす、その時石で右親指を一寸怪我する。小さい怪我は始終だ、粗朶を折り主をいぢつてゐると刺は立つ皮膚は荒れる。夏だのに爪戰が切れる騒ぎ、一つにはこゝの溫泉でも荒れるのだが。薄暮山上散步、向ひの山屏風壯觀。夜は某所の馳走。歸つてS子と枸骨句集の仕事、夜半を過ぐ。250夏へや爪、皸を薪水に同·同·二十九日晴。(イ)朝(廢す)。飯白瓜饀掛け、「Cパン、佃煮、野菜シチウ胡瓜揉(フレンチ、(牛乳入)。サンドヰツチドレツシング)と汽車辨とはS子持參。曉二時過ぎて寢る、六時過起床。例により戶外に七輪持ち出し飯焚く、パンだけでは二人に足りさうもないからだ。S子手傳、同子は昔田舍での經驗者だ。近所の女の子二人尋常五年六年といふのがこの二三日遊びにやつて來る。仕事をしてゐて相手にならぬものだ二十九日晴。から戶外から何とか彼とか呼びかけてうるさい。後で來いといふと暫くすると早や來る、「もう濟んだ?」と訊く。仕方がないから一計を案じ綴方を命じる、茶の間の食卓で鉛筆を甞めては何か書いてゐる。一人の方はどうも書いた振をしていたづら書きをしてゐる樣子、何でもいゝおとなしくしてゐれば、ぢき「まアだ?」といふ。何かしてゐないと話しかけて來るので、朝飯の洗ひ物などさす。その內草臥れて閉口したかいつの間にか歸つてしまつた。謝刺の戶にも子供だけは木戶御免だ。表を閉めて置くと裏からでも窓からでも聲をかける。その代り去來風の如く、來出すと朝晝晩と來るが來ないと何日でも來ない、多少邪魔にはなるが多くは孤獨を慰め心氣を〓淨にする。又草木と共に子供には〓へられる所が多い。一人の兒は都の子で何だか知らぬがぢきに「ぢやぢやんぼー」と輕口にいふ、他の一人は土地の兒で又しても「いやだよう」と重々しくいふ。忙しい中で一ト言ニ,言それ等の子供に應酬してゐる子供好な自分を見て、一しよに仕事してゐるS子が世にも怪訝な顏をしてゐた、夜仕事をする筈だつたが疲れて寢てしまふ。251子の言。やにくまれ口も皆凉し
同·同·三十日晴後曇朝霧朝飯豚生姜茹で飯(冷飯とぬく飯)、野菜〓汁、トマト(東京の吾圃の)。(ク)外出そば(4)ダシまづき故宅で拵らへ持参)。早起一浴、飯焚き。S子と句集の事、女の子達遊びに來るけふは午飯に昔からの名物M村の蕎麥を食ひに行くべく、そこの汁がまづい故手製をして行くことにしてゐたら、S子所用で外出の歸途豚肉を買つて來たので豫定を變更してうちで食ふことにする。S子歸京。夕M村へ行く。汁だけでなく蕎麥もまづい。蕎麥の出來るまでに時間がかゝるといふので村で買物して來る雪平をこわしたから買ふ、戶に二つ、その他皿や鉢も買ふ、草庵道具段々殖える。庵の夜は靜か、百合庵をめぐりていよ〓〓滿開、庵裏にも一輪、花精貧魂を白化了す。三十日晴後曇朝霧(ク)外出そば(4) 25夏短の夜夜やをけ快吊H樂り花上活にや華柱胥古る無の國同·三十一日曇朝霧海老鹽燒、(朝)飯(昨朝の殘二椀)、鮎飴だき、イサギ煮付タパン、ツマ芋、小玉麩、ニンジン、莢隱元、牛乳)。海苔。野菜シチウ(イ) (ジヤガ、パン、大車サクーポ、ホワイトソース、曉〓凉を衝いて一浴。けふは魚屋が來た、イサギ一匹大車海老一尾買ふ。夕近く驛へ出た序に野菜買ふ。冬瓜莢隱元胡蘿蔔大根ジヤガ、形揃はず持ちにくい。無くなつたので卵も買ふ。眠足りし夏曉の溫泉かな八月一日八月一日微雨朝朝パン、フレツプジヤム、牛乳、シチウ一椀(昨日の)。〔年〕霧バタ、半熟玉子二、イサギ煮魚、シチウ一椀「殘り)、支那茶B乞ノ冷素麺(松茸の香海苔)、竹輪、トマト、海苔五時起床、一番旣に庵の札は揭げたがその又下の岐れ路で迷ふ者がないでもない。そはこへ一寸五分角の角標を立て一句を誌す。その又一段下へ「看花而不折」といふのを立てる。句に曰、微雨朝霧夏木山庵あり寺のなかりけり今朝の食事に牛乳だけ飮む、珈琲も紅茶も上等なのがあるが砂糖が無くなる恐れがあるので時々の事にし今は見合はす、いさゝか殘念聖蹟入口に「春宮御遊之處」といふ一寸
角高五寸ばかりの杭を打つ。これ等は告有合はせの木片棒切れを鉈で根氣よく削つたものだひねもす卷頭句選、氣倦めば林中をありく。又けふは聖蹟の掃除幾回なるを知らず、卷頭句の撰と掃除とチヤンポンだ。今机に凭つて句を選んでゐるかと思ふともう林中に入つて鋏をつかひ根を引くといふ具合、が卷頭句稿の中からつまらない句を撰り捨てる事は結局林の雜草を拔くのと大したかはりはないことなのではないかと思ふ。卷頭句の撰で夜半を過ぎる。蒲團を敷くと蚤の痕が方々にある、これはたまらぬと夜具は勿論疊の目全體へすつかり蚤取粉撒く。夕食の冷し素麵の茹で過ぎを別に空腹の譯ではないが翌朝までの不安にたべてしまふ。きのふからパンばかりでけふも二度までパンだから飯を焚くところだが、飯盒半分焚くとして二度分だから、明日朝焚く方が長く使へて便利だ。乃ちけふは素麵にし早速七輪に焚火して茹でにかゝる。一體幾把茹でたら一人の一食分になるかがわからぬ、いゝ加減に茹でたら少なさうなので、それをあけて置いて又別に新に一把茹でる。それから東京の自分の圃の茄子を吸物に入れるので短冊に切つて雪平で汁をこしらへる。汁が出來たら汁を別の器にあけて置いて又茄子を茹でる、その度柴を加へさへする、二度三度の手間だ。飯にするまでの間を水に冷やして置く冷し素麺だ。葱がないから藥味254が間に合はぬ、松茸を匂はし燒海苔を入れる、〓凉だ。生のトマトを併せ食ふ。素麵もトマトも齒を使はず冷たく水ッぼい、口がたよりなく腹がだぶつき氣味だ。そこで燒海苔を噛む、海苔はすこし齒ごたへがある。燒海苔とトマトを交互に一口宛食ふといふ一種のトマトの食ひ方を發見する。昨日買つた竹輪を思ひ出しこれも齒ごたへの足しにする。干物の方はどうも素麵には出合はない、というてパンとも工合がよくない、もう一朝持ち越してあすの朝飯に廻はす。又一度や二度でなく幾囘と掃除をし取捨色々にしてその月々の卷頭句の調ふこともこの幾度にも庭を整理するのと同じだと思ふ。255句夏夏こ閱木草のすのを事やこ世庵引くにのの幽邃に夏木山も內外も無かりけりや薫蕕おのづからみ人の世や蚤取粉同·二日晴曇後又晴(4) (朝)飯、パン、鰺千物三枚、紅茶牛乳、大根おろし(花鰹)、隱元豆甘煮(罐詰舶來) (罐詰)。ーズ、鮎飴焚。〓) (外出) Gホテルグリルでポタージユ、魚グラタン、鶉バタ燒(野菜添)、パンパタ、紅茶。
仕事をつゞけ一時過ぎて寢る、寢つかれず、蛋を感じ灯をつけて見ると一匹居た、又蚤取粉をふる。五時に目覺め七輪燃やし飯湯最火例の如し。飯焦げる、それでも柔く昨日一日飯の味を忘れたこと故うまく皆食つてしまふ。昨夜シヤボンの水に漬けて置いた寢卷腰卷など洗濯して干す。東京より枸骨句集の校正屆く。校正してゐるとねむくなり鳥渡晝寢る人のけはひに目覺む。山庵撮影。校正休止散步。驛に下りバスにてS村方面へ、途中バスを捨てゝ暫く街道をありく。街道より入り込んで一つの小さい社がある。這入つて見ると、極幅の狹い杉の並木が長く續いた擧句同じく杉に圍まれた廣前があり、それから急gに石段をずつと登つて本殿となるらしいが登らなかつた、その杉並木杉叢石段の順序がもの寂び甚だ淋しく懷しい。又バスを拾つてS村へ、高原風の風景佳。もう終車の由故車上のまゝ引き還す。Gホテルで夕食して歸る。雨になる。机上の灯を消し障子越しに次の間の灯に居る、よつて前夜の如し。しめやかな雨しめやかな夜。佳夢好睡、夜半一浴。けふ伊豫K子より米到來、山庵の乏を助くるの好意、深謝、幻住庵の芭蕉の上など思ふ。256柴焚けば薫風我を助くかな飯焦ぐる臭ひに風の薫るかな下闇と嚴々と明と暗とかな夏蟲は次の間行ャり靜かな對:居るは夏木の夜の精靈かな活けし百合の香にむせび寢の好夢かな夏籠や人の惠みの米五升風明薫暗りる々同·同·三日曇的はり。雨、雷も朝茶」(リプトン)餅の素で餅作り茄子汁で雜煮、牛乳。(4) (外出)生トマト、上天井。乞ノ半熟玉子、「紅(外出) Gオテル定食葱焦がしスープ、鮎ポイル、若鶏ソテー、果物コーヒー」早き眼覺め、七輪に火起こし有合はせの茄子汁で雜煮。朝より外出下山。山下の街で床屋へ、自分だけの茶碗はあるが客は皿で飯を喰はなくてはならぬ故茶碗を買ふ。焚火で眞鍮の湯沸しが眞黑に油煙に染んで困るから湯沸士瓶も序に買ふ。又畫飯食うて歸山。吳のC子上阪の序足を伸ばして登山、夕來着。久々色々話、彼吳服物の統制の事など話せば我飯焚き薪拾ひのことども語る。雨になりどこへも出られず、御飯をたべに行きませうと子三日曇的はり。雨、雷も257
に引張り出される。疲れて宵寢。園雷林やや見柴を拾へえでそばこ媚なびるる山百屏合風同·同·一旦霽れ又降。朝パンパタ、マーマレード、冬瓜葛掛、鮎飴焚、ケ四日雨夕再び止む(ジヤアマンペーカリー)、白桃き(外出) Fホテル晝食オルドーブル、コンソメー、イ、犢足ラビゴート、野菜四種、冷羊肉、レタス、シヤアベツト、果物、珈琲) [夕]パン、フレツプジヤム、鷄卵半熟、鮎飴焚(終)。雨で七輪が戶外へ持ち出せぬ、臺所口の敷居に跨がせて焚く。煙が臺所ぢう、座敷まで侵入して困る。冬瓜の饀掛こしらべる。雨天にはこの莊暗くて何も出來ぬので、窓をあけて明りをとると明かりと一しよに霧や雨しぶきが這入つて來る。晝飯はホテルときめて出かける。ホテルで溫泉を浴びそれから食堂に入る、客が多くサービスひまどり一時間以上かゝる。食後庭園散步、C子下山、別れてから谷底の溫泉場に下りて見る。東京より甥來る。夜半寢る。けふ戰地のB子から航空便、こつらからも同樣。同·五日〓(朝)白桃アレキサンドリア。飯生鷄卵二、小松菜したし、(4)飯小鯛鹽燒、大根下ろし花鰹鰺干物一枚、〓ノ飯一旦霽れ又降。雨夕再び止む四日258五日〓鰺干物一枚、〓ノ飯豚生姜茹で、果物朝に同じ雨が晴れたので七輪を戶外へ持ち出す、柴が濕つて燃えにくい、湯と飯との後で小松菜茄で豚の生姜茄でする。朝食後卷頭句の撰をつゞけてゐたらねむくなり假床して寢てしまふ。山は朝も晝も靜かだ、恐らく都の夜よりも靜かなのではあるまいか。あかるくいと靜かな朝の寢心地、それはあまりにも靜かに穩かでもはや人の世の事ではない。そこには小雀四十雀の群が枝から枝梢から梢へ蟲をあさつて、チチチチと世にも幽かな鳴き聲を假令立てかはすことがあつても、それはすこしもその靜閑を破るものではない。しつとり眠に落ちた自分の魂はもう再びうつし世には戾つて來ないでもあらうとはの靜けさ平かさであ30斯うして自分は何時間眠つたことだらう、又幾時間眠りつづけることだつたらう、と大きな聲が自分を呼び覺ますことがなかつたら。魚屋が障子越しに用を聞いたのであつた、そしてそれはもう午になつてゐるのだつた。小鯛を一匹買ふたので急に火ごしらへ、七輪で炭火、果物箱に敷いてあつた麥藁を焚き付がはりに使つたが中々もえず、燃えたらあっ〓灰が澤山出來て炭へ火がつかず失敗、やり直し。小鯛の鹽燒の熱で飯。夕散歩山道すこしあるく、日が暮れてから七輪焚く、火が燃えて夜空は星、莢隱元玉葱とけさ茄でかけの冬259
瓜と煮る、味付けは明朝の事。けふ溫泉出ず、他へ入りに行き秤があつたから體重を計つたら丁度十四貫。大連より豆素麵、松山より五色素麵到來、よく素麵の來る日だ。朝夏か海らのの畫鯛寢のの尾夢鰭や草木や網のの世上同·同·六日晴。(朝)パン、牛乳。(+)パン、冬瓜莢隱元玉葱煮物クーポ入。小鯵干物、西瓜。「ク飯冷素麵、白すぼし、大根おろし、鷄卵二、ヽア牛乳。けふは鳥渡遲く七時に目覺め、すぐに七輪。けさ山を下だる用があつて飯を食うてゐる暇無く立ちかゝつてパンを嚙り牛乳を飮む。下山、午過歸山。好晴に乘じて洗濯、ガーゼ寢卷肌襦絆腰卷など。甥來庵。組立本立持つて來て貰つたので机上大分片づく。夕二人で飯焚く、後火で素麵二把茄でる。自分一人なら飯盒に一杯焚くと三度分あるのが二人殊に一人が若う人であつて見ると一度で奇麗に片づいてしまふ。食後二人共假睡、覺めて溫泉に入る、本當に寢たのは十一時過。同·七日晴小暴雨夕より。(朝)ラ、支那茶。パン、(イ)マーマレード、飯小鰺天ぷら、でんぶ、甘藷同上。コヽア牛乳「クノ長崎カステ飯カ六日晴。(+)パン、飯冷素麵、冬瓜莢隱元玉葱煮物クーポ入。小鯵白すぼし、大根おろし、鷄卵二、260 (イ)マーマレード、飯小鰺天ぷら、でんぶ、甘藷同上。コヽア牛乳「クノ長崎カステ飯カマス干物、生トマト。五時半起床、每朝この時刻に電燈消える、それを機に起きる習慣だ。起きて四方の障子を明け放しての山の林苔蒸す嚴の早朝の〓凉さ、吸ふ息の爽快と眼中のすが〓〓しさ、息は胸が開くやう眼は〓水で洗つたやう、每朝のことだが暫く窓際に寄つて口と眼とを養ふことを忘れない。七輪の用が濟んで飯、朝飯後室の掃除、掃除は每日する。掃除は每日といふと當り前のことのやうに聞こえやうが、東京の書齋が十日か半月に一度掃除せられる習慣に比べて特に每日と書かなければならぬ。室の掃除が出來たことろで二人橫になつて体んでゐたらねむくなり寢てしまふ。又障子越に魚屋に起こされる。小鰺を買つたので天ぶらにする、自分が枝木をポキ〓〓折ると甥が七輪をバタ〓〓あほぐ。夕方は甥が飯を焚く.自分は庖丁の方にまわり山東菜を洗ひ翌の用意の胡蘿蔔ジヤガ芋を料り、後火でそれ〓茄でる。夜卷頭句第一囘閱了。メロン切る。261巖朝々凉はや啞胸にして仙や靑き吸ひ明眼易のき,明
同同八日(立秋) $ (税)パン、半べん葱〓汁、クサヤの干物、カステラ。(十) (外出) Fホテル(オルドオブル、コンソメ、カマスフライ、牛脚煮込、ロースピーク、生レタス、プデイン、果物コーヒー)。〔午〕お茶(トースト、ケーキ、コーヒー)。クノ(滿腹にて飯やめ)七輪焚火例の如し。昨夜來體だるくすこし風邪氣味か。午飯ホテルに行くことになり序に理髮店で頭洗はす。半日ホテルで休む、入浴、こゝの溫泉は透明で氣持がいゝ。夜すこし山道をあるく、山の夜の印象が深い。卽道の一方が芒の山でずつと高く高まつて行き、その上に更に別に二つの秀峰が天を摩してそゝり立ち、一方は急に落ち込んで或處は杉谷を黑み或は草叢を深く、その谷底からは又急に向うへ高まり初めグン〓〓傾斜を急にして行き、結局一峽を間に挾んで凡そ眼平より稍高く一連の山屏風を引き渡してゐる。晝夜明暗各境頓に優劣を判ずることは出來ないが今のこの異景を奇とし妙とする心の感嘆は唯ならぬものだ。道は或別莊地帶への通ひ路であるから廣く平で瞑目して步いても足元は安らかに、恰好の散步道だ。朝の體工合すつかり直り夜は色々整理する所があつた。八日(立秋) $ 262七輪でくさや燒きけり今朝の秋山味新山水ひ凉々ややのの洗秋レ夜はこるまスる頭〓やか鮮姿のにしや冷舌白宵かのきのに醉皿秋タの同·九日曇夕より雨朝飯焚きすこし焦がす。同十日雨。同·九日曇夕より雨(朝) (ク)飯飯車海老フライ、山東菜煮びたし。里芋煮付。(十)パン、ビーフシチウ、メロン朝飯焚きすこし焦がす。甥歸京、又獨りになる。夜淺くねむい、早寢。同十日雨。(朝)パン、バタ、コヽア牛乳、昨の煮芋、白桃。[チキ車海老天ぷら:甘藷同、山東菜半べん〓汁。(2)飯鷄レバー玉葱焚合はせ、甘藷揚殘。七時起床。雨故七輪臺所の土間で焚く、動作も不自由且煙屋內に滿ち眼痛し。驛へ原稿出しに行つた序に牛肉ロース五十目鷄のレバー若干買ふ。今電車を下りたばかりの魚屋を驛前に要し生きた車海老を買ふ。牛肉鷄海老と三通りの新聞紙包を掌上に捧げて歸庵。貼つてあたの子が紙が茶常に如く寸觸るよくぬれるので幾日も趣なな穴があく。饂飩粉を練り有合せの紙で繕ふ。丈夫な紙無くこの程ぢうに來た誰彼の手紙の內で江戶川の卷紙のを以て充てる。又雨間を戶外に出てあちこち樹の枝や葉を鋏んで透かビーフシチウ、メロン
し林中遠近無數の巨嚴を庵からよく見えるやうにする。夕七輪の煮物は牛肉と玉葱、翌の辨當の菜。明日歸京につき夜片づけ置くもの持つて行くもの揃へる。疲れてねむく褥上にうたゝね、夜半過ぎて本當に寢る。秋巖風見るやと障紅葉子せ繕ふ反古尊ん木も伐りにけり同十一日曇後南朝汁、辨當菜の餘りの玉葱。飯半べんと菜との〓六時起床、この二三日溫泉ぬるく水のやうにて入れず。今朝は雨が止んでゐるのでヤレ〓〓と七輪を戶外に持ち出す、戶外でやると樂で愉快だ。飯よく出來る。牛乳は二合共珈琲牛乳にし魔法瓶に入れ辨當用に持參することにする。(横須賀、東京)同十二日(東京)巷なる殘暑の汗に佗びにけり後曇雨〓バン、コールビーフ(ローマイヤの)、うづら豆、コヽアミルク。同十三日薄暮歸庵、姪二人帶同。二日の留守に閉め切つた庵の內一種黴臭ささを明け放ち三人で掃除。灯あかく夕食。溫泉まだ出ず、近所で入れて貰ふ。山の庵に女の子ありけり宵の秋同·朝飯ハムエキス、鶉豆、奈良漬、バナナ。(キ)天ぷらそば十四日參。〓〓飯でんぶ、鰺干物、きやら蕗、ホーレン草したし、林檎。六時起床、すぐ七輪にかゝる飯焚く。子供二人で掃除飯盒一つを三人で食ふに二杯半位宛ある。獨りだと三度分あるのが三人で一度の飯に空になる當然をつく〓〓感心す300そこで食べてしまふと洗ひ物と同時に又後、を仕掛けて置かなくてはならぬ、今度は子供達が米を磨ぐ。午まへから二人を連れて見物やら散步やらを兼ねて庵を出る。山の中をあちこちあるく。その行き掛けに驛前の蕎麥屋で晝食をすます。かれこれ二時間も山あるきをして歸りいゝ運動になる。獨りだとなか〓〓出掛けない。途で松笠を澤山拾ふ。夜子供達トランブなどし、自分は机で仕事。265吾亦紅を秋山を兒に〓へけり
同·同·朝パン、スープ(春菊と麩)、マーマレード、パ十五日晴。シ、チキンロース(ローマイヤの)、生セロリ、胡瓜マヨネーズ、林檎〓飯半べん葱春菊の〓汁、鹽鮭、チキンロース、信濃落雁久々よい天氣。二人の子よく寢てゐる。獨り起きて七輪作務、七時に皆を起こす。朝食後驛へ荷物とりに行く、枸骨句集の校正の何遍目か。序になんでも屋へ寄り炭を注文すお、なか〓〓いゝ返辭をせぬ、何とか彼とか言ひ、一俵などは思ひもよらぬなどいふ。仕方なく少しでもあり次第、と賴む、炭團と薪と賴む。K村を離れてM村へ子供等を連れ散步、方々見せて驛前へ歸り、Gホテルの出店でフルーツ蜜豆を食はす、とてもうまいとい층歸つて校正整理、枸骨句集本文全部校了。午後又子供等連れ山上へ散步、薪拾ふ。その拾つて來た松枝で飯焚く。鹽鮭焚火では燒けず別に炭を起こす、かうして煮る物はいゝが燒く物は炭拂底の今日この頃では可成控へねばならぬ。食後ねむく假睡、夜半覺めて一·浴、けふから溫泉やつと熱いのがあるやうになる。十五日晴。266新凉や漬かりて熱き溫泉を今同同十六日晴。(朝)パン、苺ジヤム、豆腐葱春菊の〓汁、鰹個煮。(4)外出) Gホテル午餐(キヤベージスープ、海老冷マヨネード、若鷄ソテ、アイスクリーム、コーヒー)。〔夕〕飯の組とパン組と、冷素麵、竹輪、鰹個煮、トマトけさは七輪の火なか〓〓燃えず、拾ひ木の濕りの故か、やり直し〓〓三時間かゝつてすまし汁一、鍋やつと。蒲鉾屋來る、竹輪買ふ。午まへ甥二人來る、母親と。草庵一時六人で超滿員。午飯造り繰りつかず、その上みんな揃つたことでもあり食ひに行くことにしGホテルで午餐。ゆつくり休んで歸庵夕方母親と妹の方歸京。小さい方の男の子園林の內外を飛び廻はる。夜の臥床足の踏み入れ處も無い位。同·十七日晴暑(朝)飯冬瓜個掛け、牛乳(七十半熟玉子四つ宛、しスト、ケーキ。「包冷飯一椀宛、疊み鰯、蕎麥。起きてすぐ七輪焚き、けふはよく燃える、飯、湯飴掛け、牛乳といふ順序。三人の時は飯盒一つを三杯宛食つたが四人になるとどうしても足らぬ、そこで前夕一飯盒焚き、合はせて半飯盒程殘る故又一飯盒焚けば次の四人分に足ることになる。卽三飯盒で二度分といふ譯。卷頭句撰一應整理濟。快晴に乘じ甥姪を連れ四人で遠足。O谷へ登るとそこは雲の中で雨が止まない。ゆつくり休み湖畔に下りると道はカラ〓〓、汽船で山の湖を渡り神社參拜。湖岸に遊ぶ爲鴦數十羽を汽船から見た。皆の希望でポート二隻に分乘、二時間程十六日晴。
漕ぎ廻る。Hホテルで体憩、今度はバスと電車で夕暮歸庵。夜又皆で外出、上の月を眺める。こゝでは例の山屏風が全くぐるりと立てめぐらされてゐる。寢、獨り卷頭句撰夜半を過ぐ。皆九時過に明月やぐるりと山の頂を朝飯コンビーフ。〔キ〕同·十八日晴0雜煮包飯冬瓜汁挽肉。二時半過ぎて疲れたから寢る。六時半起床、けふは甥に七輪やつて貰ふ。甥兄の方一人歸る。けふは暑く、珍らしく蟬の聲を聞く。蟬といへばこの山では蟬が一向鳴かない、蜩ばかりだ。自分が山へ來る前蟬は鳴いてしまつたのかもしれぬ。午後には餅の素で子供二人餅を作り自分がそれを雜煮にする。編輯忙しく夕刻やつと子供二人連れて散步、歸つてから飯焚いたから食ふのは八時になる。小さい方の兒害よりうたゝね、起こされねぼけ眼で食ふ。(朝)飯、コンビーフ殘、疊鰯。ニキ)蕎麥。〓(外出) F同十九日晴著しホテルお茶。すし立喰朝飯焚いた後で南瓜莢隱元茹でる。編輯多忙、午下出廬、Fホテルへ、子供等と。入浴疊鰯。ニキ)蕎麥。〓(外出) F Fホテルへ、子供等と。入浴例に依つて溫泉〓澄爽快、お茶。夕子供等歸京に付汽車まで送る。見送つてから町ですしの立食ひ、野菜鶏卵アルコホルなど買入。同二十日晴。朝飯鰻個煮、南瓜莢隱元煮物。(十)飯、メジ鮪指身、三保の漬。〔午後〕黃西瓜。〓飯鷄卵三つ葉じぶ煮、野菜煮殘。夜半褥に入るも寢つかれぬ、珈琲のせいか。そのうちうと〓〓し又覺め東天白むのに起きてしまふ。戶をあけ朝の爽氣を入れて書く。幼き客歸り又元の靜閑になる。言ふ如く火の消えたやうな靜けさ、蝸しきりに鳴く。宵より褥上にうたゝね。見送つてから町ですし蜩忙やし軒葡の菊內吸ひまで秋稿ののひ暮まうけり同·同·二十一日公小雨時(朝)入れる。飯疊み鰯。鶏レバーのバタでいためたのにソースかけ刻み葱(イ)冷飯、鰹指身、麩三つ葉すまし汁、色(外出) Fテ〓晩餐(オルドーブル、ポタージ、新鮮ビアネーズ、鶏肉ココツト野菜添、牛ロースト、レタス、アイスクリーム、西瓜、コーヒー)。又溫泉出ず、朝起きて溫泉の無いのは甚だ心細い。どうも故障が多く、出る日より出ぬ日の方が多いのぢやないかと思ふ。滿洲のR子來訪午前中ねむくうたゝねのところを起二十一日公小雨時
こされた。午食後ねむけ覺ましに薪採りに山へ、R子同行、滿洲から來ての新拾ひだ。けふは二人故澤山採る、繩にくゝつて二度に運ぶ。「薪水帖」執筆。R子山上へ見物に行き、薄暮歸庵、夕食を馳走するといふ、Fホテルへ行く。例の通り一浴の後食堂へ。夏の間外來の客は別食堂だつたがけふは本食堂だ、別食堂と本食堂とではサービスがちがふ。泊り客が多くて本食堂へは入り切れぬ由、この夏の泊り客の數は同ホテル創業以來のレコードとボーイ言ふ。R子は都へ、余は山へ、吳のC子より岡山の白桃到來。稿樵畫倦めば妻木樵りけり秋し〓汗を洗ふや溫泉樵りし疲れにあれば秋夜ののか山秋な同·同·二十二日雨。朝雷雨、時々日射(千)朝飯(焚き立て)、パン、バタ、鷄レバー葱ソース煮。くさや干物、茹でジヤガ芋。〓)バタ、紅茶牛乳。いけさは執筆多化故故を止め昨日加でて置いたジヤ方字ですます心算それをあたゝめるとなると矢張七輪をもさねばならず、どうでもすなら昨夜から仕掛けてある米を焚いた二十二日雨。朝雷雨、時々日射方がいゝ、晝まで置いては置き過ぎる、と思ひ一奮發することにする。乃ち筆を抛つて臺所へ進出。がどうも空模樣が惡いから七輪を軒下まで持ち出して頻に新をくべてゐると、果して雨が落ちて來、俄に火の七輪を臺所へ抱へ込んだりする。勿論豫定の芋も溫めはしたが、さて飯のぬく〓〓を見ると唯たいて置くばかりのつもりが食ひたくなり、とう〓〓又クサヤをさへ燒くことになつた。さうして矢張平生通りの手間とびまとを掛けるのであつぐら原稿書きにかゝる。雨はとう〓〓大雨になり雷さへ鳴りはためく。その劇しい雨ひどい雷の音の中にチツチツと聞きとれないほど小さな幽かな鳥の鳴く音がする。始はひが耳と思つてゐたがさうでもないらしく、いつまでも聞こえるし、それに軒近くの方向で位置が少しづつかはるが遠方へ行つてはしまはない聲だ。これは彼等が晴天の日餌を獵りつゝ枝から枝樹から樹へ移り移つてつひ移り去つてしまふのとは島渡調子が違ふ。こんな風雨の時には葉の茂みでも樹の空洞でもひた潜みに潜みひた隱れに隱れてゐればいゝのに、あ八飛び交うては羽も體もびしよ濡れになつて一大事だと氣になり出し筆がちつとも進まなくなつてしまつた。思ひ切つて窓の障子をあけてみると、すぐそこの樹々の間を羽毛を濡れそぼつて飛び廻つてゐる四五羽の小鳥を見得た、雀のたぐひらしい。そしてそれは他271
Tへ飛んで行くのでなくいつまでも一つ範圍或一本の大木のぐるりを去り得ない體だ。これはきつとその木に巢でもあつてその巢が風雨に壞はされたか、巢に子供でも居て巢が水浸しになつて島の子供達が危險に瀕してでもゐるといふのぢやないかと思ふ。でなければあゝ雨中に飛び出していよ〓〓羽毛を濡らし彼自身飛ぶことも出來なくなつてしまふやうなことをする筈がない、と暫く小島の世界に小島と苦難を共にするのであつた。客遠くより到る、腹へらず午後二時に飯食ふ。依然執筆。吾が息に小鳥の息や秋風雨272同·同·時々。朝昨日の飯、根芋三州味噌汁、茹ジヤガ芋、富貴豆、二十三日曇又晴少雨牛乳。(4)カマス鹽燒昨のイナダ煮付、(2)飯挽肉甘藷煮物、玉葱隱元ゴツタ煮、蟹胡瓜サラダ、富貴豆終日編輯、校正相次いで着、原稿「薪水帖」と共に返送。夜次の間の障子に大きな音を立てゝ紙をハタくものがある。靜な夜の靜な空氣を震撼する。いつまでも〓〓止めぬ。ところがその音、肉耳にはけたゝましいまでだが心耳には淋しく却て寂寞でさへある。それは世の常には不思議だらうがこの境には何の不思議でもない。山の夜はいよ〓〓靜かだ。唯時々。曇又晴少雨二十三日何者の仕業かを究めるために臺所口から忍び出で、そうツと障子の外へ廻つて見たら、それは一匹の大きな蛾で、擴げた羽の尖から尖へおよそ五寸もあらうかと思はれる大きなのであつた。羽の色は淡靑色のうつくして優しい姿なので、これも山庵への「自然」からの訪問者として提らへてピンにとめ永く壁間を飾ることにした。秋の灯に蛾の羽靑し透かし見る同·時々朝クサヤ、根芋館掛。(十)飯メジ指身飯、〔〕二十四日晴後曇驟雨飯、豚生姜茹、蟹胡瓜トマト莢隱元サラダ、茹ジヤガ芋。物干竿日當りよき所へ移し大樹と大樹との幹の間に繩で掉掛け作る。溫泉又ぬるくなる。執筆。けふは手傳ひあるにまかせ庵の四ツ目垣の內の庭の樹の枝を鋏み透かす、岩々のよく見えるやうに。斯うして仕舞には自分で下りて鋏をとることになり、夕までに机から庭へ庭から机へと幾十囘だかわからぬ。又午後驟雨の間をみて客と山へ柴樵り、大東二つも出來これで當分樵らずに濟む。夜秋の夜を樂しむ。秋燈の下に秋夜の句を口吟する十時頃より又編輯夜半を過ぐ。273
庵古く灯あかく秋の夜あるかな秋の夜や畫に束ねし 壁の柴巖の大秋夜をころり〓〓かな同·同·後時朝飯菜シタシ物、富貴豆。(七)飯鯵筒切獨活二十五日曇化雨三州味噌汁。{乙パン、ココア牛乳、バタ苺ジヤム、半熟玉子二。二時を過ぎても書き了へぬが眠らなくてはと三時過ぎて寢る。朝原稿發送の爲驛へ下り歸りに胡瓜と玉蜀黍と買うて來る。校正來る、夕校正出しに驛へ行くに卷頭語成就せぬ故そのまゝ電車に乘り出來上がるまで行くことにする。M驛で出來、そこで下りて發送。序に床屋で顏を剃らせ頭洗はす。けふは腹の工合すこし變ゆゑ食ひ物用心、食後うたゝねのまゝ寢てしまふ。東京より着荷、バン、セロリ、根芋、カステラ、バナヽ、白桃等。他に虎屋の羊羹到來。浦賀のK氏の計東京より廻送、永く寢てはゐたが急な事はありさうもなかつたからその内一度見舞にも行かうと思つてゐたのに。後時曇化雨飯鯵筒切獨活バタ苺ジヤム、二十五日274憶ひみるやありにし人と秋の海同同二十六日雨暴風雨午頃より。(税別)鯉こく燒玉蜀黍一本、(罐詰)、菜胡麻和。コーヒー牛乳。乞飯(+)味噌汁鯉こく胡麻飯鯉指身和皆殘り物、海苔、白桃。曉起雜務及編輯殘務、時化雨時を切つて强く降る。魚屋風雨を衝いて來たので氣の毒ゆゑ鰹半身買ふ、指身ならぬく飯をと焚くことにしたが風雨で戶外は駄目、勝手口で焚く。久しく貯藏した鯉こくの鑵詰の中身の試驗を兼ねて一鑵あける、何ともない。菜の胡麻和をするのに摺鉢が無いから鍋で煎つた胡麻を指でつぶす、ひまがかゝつて指が痛い。客とM邑へ、Fホテルで午後の茶。暴風雨でロビー前通りは雨びたし、溫泉も雨漏りではいれ병又風雨を冐して歸る、僅に傘を飛ばさぬことが出來た。十五六の學生服の女の子を連れた一人の貴婦人がどこの宿も滿員なのとこの風雨とで困つてゐるのを兎も角M驛から連れて歸り宿を世話してやる。歸庵後時化が益ひどい。夜驛へ荷物出しに行かうと庵の丘を下りにかゝる、すつかり停電で眞ッ闇。川の樣に水の流れる徑に下駄をビシヨ〓〓にしつゝあらぬ林に迷ひ入り、用足しどころかやつと庵へ立ち戾つた。雨聲風聲水聲が入り亂れて人の存在を芥子粒程にしてしまふ。二十六日雨暴風雨午頃より。(+)味噌汁鯉こく胡麻飯鯉指身275胡麻煎れば胡麻の匂ひや秋の雨
後庵のぐるりの四ッられる位に、風呂に入り二三日湯に入らなかつた肌に眞水の湯を滿喫さす、まで出る。やうな佳い草を殘して他の醜草を取除くのである。ら一杯十錢に値下げ。のは三時。のどつちにもならぬ層木を充てた。の草に交つてゐるのも伐りとる、夜中目覺め牛乳火鉢に掛け放しのを飮み顏を洗ひさて机に凭る。同·金物屋で魔法瓶穴あき杓子など買ふ、二十八日一寸又寢六時前起床、大きいのは二尺見當に、目垣の內外の草を間引く、晴。(外出) (千)朝食前食後に拾つた新を整理する。一休みして晝寢。洗濯物よく乾く、パン、飯二通りにどれも鉈で斷ち伐る。O町K亭にて鰻井。根芋饀掛と鶴葱煮物と一しよに溫め食ふ、苺及フレツプジヤム.引くといはないで間引くといふのは野菊の又鮮の立喰。夕方荷物を出しに驛に行つた序にO町それから矢鱈に芽生へてゐる楢や躑躅どうやら日和も直つたらしい。夜になり歸山、湯を上がつて紅茶を飮んだココア牛乳、小さいのは七輪にくべところが夜中と思つたけさの焚きものはこバナナ。Gホテルで鰻個煮午食〓°皆干す、いて向け替へる。庵の丘の上り口の棒杭秋になつても暴風雨夜中から弱まり曉に止む、同·更に色々洗濯。二十七日閑居。快晴。米は前夕といで置く、雨に濡れた柴や薪干す、煮物、ヤム、朝快晴秋天が一入碧い。「夏木山」でおかしい、飯バナナ。珈琲牛乳、根芋饀掛、蜩が間遠になつた。下駄も。〔夜〕珈琲牛乳。長崎カステラ、クサヤ干物、裏へ園內を廻り風折れの枝木拾ふ。早速七輪を戶外で焚く。白桃一。「謝刺の戶」バナナ。夕食後假睡。〓(モ)パン、の一句を書バン、洗濯物鷄肉葱苺ジ同·同·庵鉈米謝秋け二十八日秋山二十七日の振と刺ふ晴風に垣ふ晴。げのあや雨しやや戶木るば快晴。て灯底失拔せけが馬ややの蜩秋野間我分しづけのにの空つ後をて醉木のし雨花躑躅の庵の野のれさの藁守野菊柴にの薪のる分かのけ丘拾家かかな秋b林ひ根なな277 276
灯山の町人やや或時鰻霧養の山生を秋下だのり街同·二十九日晴ら朝飯白燒鮎溫めつけ焼、富貴豆。(十)飯殘り二椀、小海老甘諸天ぶら。ら)パンヽ鷄レバー野菜煮、牛乳二合。富貴豆六時起床、驛へ荷取りに行つた序にチキンレバー、葱繪葉書買ふ、財布を忘れ借りて歸る。炭屆く、パンも。歸つて七輪、けさは伐り取りの木の枝先や葉等いよ〓〓の柴屑を用ふ、くべ通しにくべるがサツサと燃えて火力に乏しい。が屑を片附ける意もあり辛棒してもす。けさパンと一しよに鮎の白燒到着、朝飯に炙つて食ふ。魚屋に勸められ車海老の小さいの買ふ、小さくて面倒と思つたが。山上へ散步、久々眺望を恣にして歸る。それから天ぷらに取りかゝる、車海老の他に甘藷を揚げる。たべて跡始末をしたら四時、油の物は後始末が大變だ。こんなことで滿腹、夕飯ずつと遲くし食後假睡、夜半目覺めて寢直す。278天ぷらを揚げれば秋の晴れにけり秋山に對しけり海老を揚げにけり朝パン、苺ジヤム、甘藷揚物殘り。(そ)廢食。〓ノ飯、同三十日曇夕よ。り雨ハムエキス、揚物殘。六時起床。栃木へ打電、その他へ手紙。何かとして七輪に取りかゝり遲れ九時になる。食後讀み續けの『動物記』「峰の大將」を寢ころがつて讀む、面白く止められず、中々切りがないのを讀み止めて掃除にかゝる、昨日一日怠つた。けふは雜巾掛けもする。序に臺所も片づけすつかり拭く。腹減らず畫飯ぬき、白桃だけ、コーヒー小出し、最近來たのは堅く目張りする。けふは奮發して澤山入れて飮む、うまい。コヽアも小出しする。あすの歸京に不用持歸りの品ボツ〓〓揃へる。小雀の群庵を圍む木立を枝より枝へ渡つてチヽチヽと鳴きながら餌を獵る。朝からの曇り空は山の空氣を一層靜かなものにする、「曇り日の靜けさ」といふものをけふしみ〓〓味ふ。小鳥共は雨が近いと鳴きかはして餌あさりに懸命なのであらうが、窓をあけて眺めた彼等の敏捷な動作やその鳴き聲がちつともその靜けさを破らないのみか、それ等が一倍自分の魂をその靜けさの中に引き入れる役目をさへ果たしてゐる。いつだつて靜かなこの山の庵の世界を、けふは又格別こよなく靜かな世界にしてゐる、「曇り日の靜けさ」に私は魅せられてしまつたといふものだ。午後一浴、久々に溫泉が熱くなつた、一週間位こんな熱い湯の出たことがない、掃除の後とて一入爽か甘藷揚物殘り。(そ)廢食。〓ノ飯、279
だ。蠅帳の鯛デンブの竹皮包の外側に一寸徵を見る、あけて見たが端ほんのすこしのこと故そこだけのけて鉢にあける。疊鰯の包紙は眞靑に黴が出てゐるので捨てゝしまふ。曇秋り日やいふ秋にを靜かなものに又徵の事や山しての雨と同·三十一日雨(朝)グで。(十)飯胡瓜セロリヴヰエンナソセージをフレンチドレツシン飯殘り二杯、三つ葉獨活に鶏卵三つ落としジブ煮。五時半起床、一浴溫泉が熱い。けふは七輪を止めアルコホル·バーナーにする。二度まで驛へ用。伊豫より五色素麵到來。夕下山歸京、明日の東京例會の爲。九月三日46夕歸山。東京の暑さに疲れ、宵よりうたゝね、山け凉しい、靜かだ。(朝)レバーソセージ、加琲牛乳、白桃(く)晴又曇夜啼小雨〓パン、同四日フレツプジヤム、半熟卵三、酵母スープ。(電)パン、チキ夕歸山。東京の暑さに疲れ、宵よりうたゝね、山け凉しい、靜かだ。(朝)レバーソセージ、加琲牛乳、白桃(く)晴又曇夜啼小雨〓パン、同四日フレツプジヤム、半熟卵三、酵母スープ。(電)パン、チキンカツ、フライポテト、ココア。昨夜折角の溫泉にも入らずうたゝね、朝まで、一浴爽快。朝飯後園林の間を潜つて樹を伐り枝を剪み徑を起す、起すというても元あつたのの年久しく埋れたのを再興したまでだ。白桃(電) (く)パン、チキそれでも相當な木に成長してゐるのもあつて骨が折れる。能成君一高の校長に榮轉のことを今日知つた、電報打つ。例のよく遊びに來る六年生夏休の宿題に何か書かねばならず紫式部か源氏物語の事を話して吳れといふ、午から夕方までたど〓〓しく筆記して行く。今朝伐つた木々の枝片づける。食後室掃除し、吊したボール箱に入れてある砂糖の袋に蟻が澤山ついてゐるのを發見、退治にかゝる。先づ洗面器に水を張りその中へ空の雪平を据ゑ、蟻のまゝ袋ごと雪平の中へ入れ先づ退路を斷ち、徐ろに袋の砂糖を他へ移す。別に水を張つた器に空罐を置きその中へ熱湯を入れ出て來る蟻は攫まへて一匹宛その熱湯へ落とす。蟻共忽ち落命、それでも偶生きて逃れようとする奴は水に圍まれた空罐の緣をうろ〓〓するのを〓攫まへてしまふ。その箱の方に殘つた組は噴霧器で殺蟲劑を浴びせかける。殺蟲劑でポト〓〓箱から落ちた分は疊を這うて逃げるに窓際までに藥で弱つてしまふ。斯うして全滅だ。全滅は全滅だが、一寸した油斷にぢき又たかる、始末に了へぬ。時計を直すので東京へ置いて來たからいよ〓〓時間が無い。灯あかくいつまでも起きてゐる、可也の夜更らしく一浴。281
山殘の暑戶いやさぢ蟻き降事るあ癖るの山秋家のか雨なに同·同·著(明 )飯クサヤ干物。(イ)パン、レバーソセージ、加琲牛乳、五日晴しとらや羊羹。〓ク飯〓汁、鷄卵三、莢豌豆ターポ、鰻個煮、羊羹二切。起きたのは多分六時頃、起き拔けに柴片づけ昨日のつゞき。七輪も屑物でやる、面倒で暇が入る、がさうかうしてゐるうちに飯が焚けてしまつた。後でクサヤを燒くのに屑故燠が無く、もしては炙り〓〓するので燻ぶしたやうになつてしまふ、クサヤこれでおしま당今度ほどクサヤをうまいと思つたことはない。莢豌豆茹でて置く。食後手紙類整理、郵便局へ行く。假睡。到來のとらやの羊羹初紅葉畫飯後に切る、うまいが形が小さくなつ총小さい位は仕方がない、品拂底で中々手に入らぬさうな。午後卷頭句撰む。栃木から電報九月號出來の由。山上に登り山屏風展望、バスでO谷まで行き歸途下湯上湯道へ、全く暮れて歸庵。夕食後又卷頭句撰、疲れてねむく、假睡、そのまゝ早寢にしたら夜中に目が覺めたので戶外へ出て林中をあるく、星滿天。けふは朝と夕とに洗濯。山としては暑い一日であつた。著晴し(イ)〓汁、パン、レバーソセージ、鷄卵三、莢豌豆ターポ、加琲牛乳、鰻個煮、羊五日282同同朝は晴朝飯胡瓜〓モミ解節、梨大一。六日曇蒸著し午〕殘り飯一椀パフレツブジヤム、レバーソセージ「クー(外出) Gホテル定食(スープ外一品、アイスクリーム、パン。)起き拔けの一浴の序に臺布巾雜中洗濯。けさも七輪は層をもす。枸骨句集出來到來、まあ〓〓出來上がつてよかつた、Kも地下で喜んでゐるだらう、唯自分はこの仕事の爲に折角の山住の獨坐靜寂の日を十幾日奪はれたことが殘念だ。でも下界の暑い中では到底出來ないことだつたとあきらめるか、それも年囘までに間に合はせようが爲の亡きKへの寸志だ。Gホテルへ顏剃りに行つたら問へてゐたからM村まで行かうと出かけたら、そこのマネーヂヤーに逢ひ句を見て吳れとのこと、それから句の話をしてゐて夕食を馳走になり、とう〓〓彼氏の宅まで引つ張られてそこで又俳話。雨になり傘を借り、貰つた日本アルプスの菜の花漬といふのをブラ提げて暗い山路を庵へと登つて歸る。俳話のうちに二三實況を句にして見せる。その宅は座敷の前に露天のベランダが張出してありそこの小庭はすぐに樹を覆うた山がどこまでも〓〓上へ〓〓峙つてゐ、丁度降り出して來た雨がパリ〓〓音を立てるばかりにそのベランダを叩く。その秋の雨を詠んで見給へと作らせてゐた擧句のことではあり、實況そのまゝをその雨の勢をと、六日283
ペランダや山から降りて秋の雨同七日曇雨朝パン、マーマレード、豚生姜茹、ココア。(チ)ジヤガ芋玉葱牛肉を豚生姜茹の汁で煮る、飯驛へ荷をとりに。Gホテルの理髪店へ行く、つかへて居る故M村まで行くとけふは公休日で店が閉まつてゐるので、仕方なく又ホテルへ戾り午下を約しやう〓〓頭がサツパリし층東京から三四日目に溜めて送らせてゐる新聞はいつもすぐには見ず見たくなつた時に見るのでけふも今朝受取つたまゝにして居たのを何げなく開いた拍子に目に映つたのは北白川宮家の御凶事を報ずる大きな活字!ハツト思づたがどうも本當とは思へぬほどな突然さだ。「そんなことがあるものか」と心の底から「イヽヤ正眞正銘その大活字が」と眼の方から······一瞬頭の中が混亂に陷つたので急に瞼を合はせ心を調へて頭の鎭靜を待つな漸く靜まつて來た頭の中ではどうしたことか、當宮でなく先の宮殿下の事而もその當時の御遭難の事どもを想ひめぐらし初めて居たし、徐ろに見開いて來た眼は逆に永久王と讀み更に御奇禍の逐一を新聞紙上に漁り讀んで居た。そして御戰死は四日の事であり、發表も引續いての事であつて見れば御遺骸御歸還も或は旣に、とやつと心が現實に纒まるのココア。(チ)ジヤガ芋玉284であつた。さう心が纏まると御遺族就中御母宮殿下の御事が一番に頭に閃き、これは遲れ馳せながら御弔問に上がらなくてはと頓に心が急ぐ。凡そ今度のこの籠山には新聞を每日見ない、といふことがその籠山の一つの相ヲであつた。新聞といふものは來るとすぐ見ねば氣がすまず、斯うして來る日も〓〓朝々の新聞を見ることに依つてその一日が區劃されて行く。折角この靜閑な籠山生活をするのに浮世に居る通り一日〓〓を刻むことは勿論ない。昨日も今日も無く、無いといふ譯には行かぬが無いに等しい所謂山中無曆日の狀態を續けての庵住には新聞は無用だ、いつそ邪魔だ。こんな譯で來庵當時新聞屋を斷つてからは數日後に纏まつて來る數日分を雜誌でも讀むやうにそれも來るとすぐでなく氣の向いた時退屈な時に拾ひ讀むやうにしてゐる。それで大方濟んで行く、又さういふ見方に新に發見する處があり又大に得る處があつた。人間偶マにかういふ見方斯ういふ身の置き方をして見ねばならぬとさへ悟つた。唯今日までに每日新聞に向はなかつた爲の不便は今日のこの一事位なものだ。さてこれで急の歸京と定まつたが飯は食はねばならぬ、早速七輪に取かゝつたが生憎けふは燃えが惡い。飯を焚き煮物をする。さうして殘つた飯と煮物は東京へ持つて行かねば後で腐つてしまふから鍋のまゝ持つて行く工夫をする。歸京の汽車はO
町からもう夜の、途中から防空演習で眞ッ暗。後雨「センパン、チキンのゼリかけ(ニウグリルの)、ポテトサラダ、同九日曇凉しココア牛乳。薄暮歸山。戶締りをあけるとムツと徵臭い。開け放して掃除、を取り戾す。開け放して掃除、一浴してやつと山住の心室の灯雨午より曇に次の 間の灯の秋夜かな同·十日朝パン、「銀座木村屋のと、オリンピツクのと)、ポタージユ(ニウグリルの)に鷄卵落として。(+)廢食。〓〓パンバタ、スープ煮卵、紅茶牛乳。(クノ白桃286六時目覺む。「永久王殿下御柩前に侍して」十句成る、昨日おとゝひのことどもが瞼を離れぬ。二三日の留守に山庵手紙など溜り、句作問答その他何かと忙しい。そんなことで朝飯の濟んだのは十一時、當然晝飯拔き。ねむくなり午下晝寢。夕局まで、序に鷄レバーと葱と買ふ。夜ところの人來る、宮樣の話など、宮で戴いて來た御所からお供への御菓子やる。卷頭句撰了整理、十二時を過ぐ。けふ山としては暑く、東京は嘸と思ふ。すこし蒸して都の殘暑想ひけり同·同·十一日(二百二十日)晴後雨。州味噌汁(朝)飯小海老佃煮(+)飯鷄レバー葱煮込、(つく茂)、ジヤガ芋三上高地菜の花味噌漬。乞ノ飯小鮎白燒十四到來火鉢で炙りつゝ夜半過ぎて一時に寢る、寢てから『動物記』「街の吟遊詩人」に雀の生活を讀む。曉に目覺めて林中をありく、曉氣胸に爽か、天氣はよささう。早朝ほんのすこし霧の如く雨、又日當りゐて時々雨。六時より火起こし飯焚く、炭火を最初に次に昨日の煮物あたゝめ味噌汁焚く。三州味噌表面所々に徵が見えたが徵を拭うて甞めて見るに味何ともなし、動物質の物の黴は注意すべく植物性の物の徵は大丈夫」と聞いたこともあるので先づ〓〓安心、只實はこれといふものなく有合せのジヤガ芋を薄切りする、鰹節を入れるのを忘れ一番後から入れる間拔けさ、米飯は久々うまく、三杯食ふ。すこし焦げたが焦げる位の方柔くふつくり焚けるのぢやないか。聖跡に遊ぶ。けふ入浴の序に風呂桝をタワシですつかり拂拭する、改めて新たに溫泉を溜めて見たら半分溜まるのに一時間かゝつた。夕食には送られて來た鮎の白燒がおのづから山の珍味に位した。夜又『動物記』、ビツテイー雀があの十一日(二百二十日)晴後雨。
マデイソン廣場の電燈の笠の下に作つた巢を取り除けられ、幾たびそんな目に會つても元氣ど希望とを失はない雀の性質の際限なさが今度は又どこへどんな巢を思ひつくだらうといふ自分の好奇心にその續きの滿足を與へて貰ふべく讀み耽るのであつた。さうしてこれが色々の波瀾の擧句その愛妻を失ひ、結局元の床屋の鳥籠に戾つてその吟遊詩人たる資格を彼が完遂する邊に至つて自分は又睡魔の擒となり、いつか褥上に假睡のまゝのいぎたない姿を曝らすのであつた。書の中の雀の上の夜寒かな258同·十二日雨時化朝パン、バタ、二〇(十)パン、知多の鯊干物五枚、味噌汁一椀(昨の殘)、鮎(小二尾)、鶏卵半熟(今朝着)、珈琲牛乳。クノ飯茹ジヤガ芋、佃煮。夜半過ぎ目覺め曉又覺む。褥中小詩一篇、六時起床火鉢に火種があるのでけさはそれで火を起こす。驛へ局へGホテルへ。雨漸く時化模樣となり終に豪雨强風戶を搖がす。雨戶全部を閉すので庵の內が暗い、何も出來ず。雨量多く屋前川をなして流れる。夕臺所で七輪焚きつけ飯を焚くに煙が一杯になるので戶をあけたり閉めたりする。山の時化はひどい。それでも夜と共に風稍收まり雨漸く靜かになり行く。と餌あさる獸を驚かす。靜夜を待ちて謠一番、大に寢鳥閉夜し半て秋焚く薪や芭蕉謠のへ煙ばや草秋木風寢雨る同·同·十三日朝飯若布三州味噌汁、細煮、卵二。(モ)パン、パタ、快晴冷。ソセージ、ボイルドポテト、ココア牛乳らノ飯(殘)、小松菜したし(花鰹)、白魚煮付(俺詰)、個煮融民布梅干即席吸物。せい〓〓六時過起き七輪臺所外へ持ち出し〓々する。8氏子供連れて朝の散步、とろろ昆布土產、すぐ歸る。好晴に蒲團干す。昨日に引替へ近頃珍らしい上天氣ゆえどこかへ散歩をと思ひつゝ出遲れ二時過局まで行つた序に山上へ、バスにてO谷へ、それから舊道を上湯まで下り更に下湯まで行く。どつちもまことに古風な溫泉である。さてそこから引返し登る위)のも億劫なので依然ずん〓〓下りにかゝり、とう〓〓こゝの山峽の最底部の溪流の畔まで出で結局そこを走る國道に達し、丁度やつて來たバスに乘つてM村まで行く。序にそこで顏を剃り電車で歸山。ねむく宵より假褥。十三日快晴冷。
山中や占湯下。湯の秋の暮同·同·朝甘藷粥、鰻加煮、白魚煮付。(千) (外出) Fホテル(オ十四日晴公。ルドウブル、ポタージュ、ソールムニエール、グリルドチキン、野菜添、コールドタン、レタス、等々)。〔夕〕パン、味噌汁殘四椀〔六分牛乳紅茶。曉早く目覺めたが夜明けを待つ。起きて戶を放つて窓に凭ると朝の爽凉が顏を拭ひ眼に浸む。夏山で〓水で洗ふやうに眼が明かだ。朝手水の代りに「空氣で眼を洗ふ」といふことを人は知るまい、それ程山氣は澄む。七輪起こし味噌汁あたゝめ甘藷粥作る。今朝は來客を豫想したのに來ず。局へ打電に。卷頭句整理完了。卷頭句も濟んだこと故今日は散步に出たいが人を待つて出られず、午まへまで見合はせ思ひ切つて出ることにする。散步とは思つたがこの頃ちと營養不足を感じるし、九月一日の食事代制限後のFホテルの狀況も見て置きたく行くことにする。序に鼻眼鏡の環の小ネヂよく拔ける故時計店で直して貰ひ小さいネヂまわしの古いの分けて貰ふ。ホテルの午食以前と變つて居ず、席料を別にとることに依て從前通の食事代にしてあつた。三時頃まで休んで歸庵。留守中湘南のS子來庵の樣子、投げ込んであつた紙片に-「留守の戶の閑ヵは秋の閑ヵかな」。残念、僅か十分十四日晴公。以內の差で行き違ひになつたことが後でわかつた。兼て來庵をすゝめたのに來られぬと斷つて來てゐたから豫想だにしなかつたのに、他に連があつて急に登山することになつたのらしい。留守の庵のぐるりを一時間ほど道遙して大に山庵の景物と氣分とを味はつて歸つたとの後報であつた。考へやうでは逢ひ得ずて獨りかうかあゝかとわが生活振を想像し味得して行つたのもなか〓〓に面白かつたかもしれぬ。夕散步、某溫泉宿へ寄り主婦と色々話し茶菓を馳走になつて歸る。宵より假睡、十一時覺め牛乳沸かして飮む、それから仕事。佛旅より航空便着、どうやら歸還が遠くないらしい。東京よりパン、砂糖、ジヤム、葱到來。甘藷粥や甘諸の琥珀に飯の白食餌これ血を養ふや卓の秋(對す紙片に)留守の戶や秋訪ひ去にし人の顏朝パン、十五日快晴タよ。り雨菜煮物。(十)パン、バタ、同·朝パン、バタ、葱のクーポスープ、干就五、甘藷と小松菜煮物。(十)パン、バタ、レバーソセージ、白魚罐詰、コーヒー牛乳夕〕パン、ジヤム桃と林檎)、今朝のスープ、海老白魚佃煮十五日
曉三時半寢て五時頃覺む、覺めて暫く褥中、起きて七輪焚く、火と湯との後葱のクーポスーブ作り昨日の野菜煮あたゝめ、〓干物燒く。卷頭句〓書。快時に乘じて山あるきをと思ふが仕事があつて出られぬ。原稿送る。夕近くO谷までバスで行くとそこは雨でどうにもならずすこし休んで歸る。同·十六日晴後曇後雨夕霽蒸暑朝パン、バタ白魚罐詰。4 (外出天しぶら蕎麥乞ノバタ、ジヤム豆腐葱同·十六日晴後曇後雨夕霽蒸暑朝パン、バタ白魚罐詰。4 (外出天しぶら蕎麥乞ノバタ、ジヤム豆腐葱の汁、佃煮曉目覺む、昨夜より心氣異狀、褥中間々何の故かわからぬ、爲にいつもより晏起。七輪も焚かず。すぐ仕事昨夜の續き、卷頭句撰に訂正することあり又全部見直す、朝食十時になる。午飯當然拔く。夕近く原稿出しに驛へ行き序に蕎麥屋へ寄る、財布を忘れて來たので、驛にゐた或宿の番頭に五十錢借りて行く。けふ山庵返却方につき貸主代理より交渉がある、後の借り手が出來たからとて月末にはあけてほしさうな口振、現に入つてゐる自分に先づいつまでゐるかを訊さずに新しい借主に約東する法はないと抗辯、「がまあその頃までには」と附け加へて置く、出なければそれまでのことだ。朝ポソポソ足音を立てて山庵の坂を上がつて來、庵の前を通り過ぎる人のけはひに障子を細目にあけたら珍らしく豆腐屋だつたので二丁買つて置いた、それを日が暮れてから七輪で葱との〓汁にする。近所白魚罐詰。バタ、4 (外出天ジヤム豆腐葱の土地の者の家へ話に行く。夜今曉の心氣の異狀を反省して見るにどうも心身の疲れらしい、疲れは疲れだが唯疲れとばかりに片付けてしまへぬものがあるやうでもある。よく考へて見るとちよいとしたことがなかつたでもないがそんなに心の根が動搖するに至る程なことでは勿論ない。するとどうしたことか。一つの斷案は、あれ程充分に心の漬かり切つてゐるこの閑けさ淋しさに心の他の一部-それは極々僅かの一部ではあるが-が漬かり切らないで、そこだけが急にその閑けさ淋しさへの反抗をしたのだ、といふ事、且それは、それこそあんなに滿足し欣悅してゐる自分であるに拘らず、かほど長い日數の生活の連續に、いつかしら無意識に心身の倦怠を覺え、その間隙へその反抗が頭をもち上げかけたのだといふ事、さうして又凡そどんないゝ事樂しい事愉快な事でも殆ど他に著しい何の變化も無くそれが打續く時は(例へばあの平和な〓らな樂しい夫婦の間にも或時期に、場合によつては人生の花といはれる新婚の當時に於てさへさういふことは起り得るものだとよく世間の苦勞人がいふが丁度その如く)或時期-その期間に長短はあるにしても-に一時さういふ倦怠期といふものが到來するものだといふ事であつた。かう考へて來て自分はふと『嵯峨日記』の一節を思ひ起こして殆どゾツとするまでであつた。-「夢に杜國293
が事をいひ出して涕泣して覺る、心氣相まじはる時は夢をなす、陰盡て火を夢み陽おとろへて水を夢見る。飛鳥髪をふくむ時は······といへり。······我等は聖人君子の夢にあらず終日妄想散亂の氣夜陰に夢又しかり云々」。芭蕉と雖あれほど樂みあれほど喜びして獨り居た落柿舍の生活ではないか、「淋しさを主とし」とか「獨棲むほど面白きはなし」とさう言うてゐるあの嵯峨の籠り居ではないか、今更何を淋しいの、人戀しいのかだ。それといふのが陰極まつて陽發し靜盡きて騒を誘ふのであらう。自分は芭蕉のやうに別に夢を見たのでもないし況して念夢などある譯でないが、このぢうのこの靜閑この獨棲に久しく心を澄ます折柄、大方山川草木になり切つてゐるつもりの心の隅にどこかまだ人間性の滓が殘つてゐてそれがなり切れないでゐたのが島渡隙間に頭を擡げたのらしい。あやしきは秋夜障子の蛾なるべし妄念は秋陽炎のたぐひかな秋の"夜やよベのま〓なる唯靜か(觀別)一異もなし來れば(秋風や天井古き竹簀の子る竟(に)秋風や何もあらざる肚裏庵裏(朝)パン、(豊原バタア同·十七日桑。ー)、葱汁、胡瓜鹽揉み(花鰹)。六時起きてすぐ七輪にかゝる。明日宮樣御葬儀に付けふ最後の御拜の爲め歸京、出廬。都へや櫻紅葉を見て下だる同·(ク)パン、(樺太新來)、十九日雨チキンロース(ローマイヤの)午後の準急にて夕歸山。例の通あけ放して掃除、一浴山人に還元。イヤの事、ヒゲ天の事、夢の如たがへる世の如くである。宮御殿の事、295二三日や都へ留守の深き秋同·後晴發後(朝)パン、バタ、小海老個煮、半熟卵二。(+)パン、ジヤム晴發ローストチキン殘、胡瓜鹽採み、コヽア牛乳。(七) (外出) Fホテル晩餐(ロブスターアンベユビウ、クリームスープ、魚アラカルメン、牛舌煮、チキンロース、レタス、等々)。久々だがけふは燃え易い。陽陰に勝つ時烈しい。燃えない〓〓と氣の腐る二十日朝七輪焚く、
時は心氣の陰炎火を妨げるやうだ。スーブを作り味を附け最後に鷄卵を一つ割つて落としたらその卵がすこし怪しい、しまつたと思つたが底へ沈んで見えない、そのまゝ暫く煑えて堅まるのを待てばよかつたのに、慌てたと見えすぐそれを取り出すべく杓子で掬つたのが惡かつた。まだ生のまゝなのが一面にひろがり、若し卵が腐つてゐるとしたらその汁全體が駄目になる譯、とすぐ氣がついたが後の祭、さてとにかく割つた卵の殼に殘つた液を嗅いで見るとどうも生臭い。煑たら大丈夫といふ氣が半分いけないあぶないと思ふ氣が半分、結局萬全の策をとつて出來たスープ全部を草むらへ一氣に捨てゝしまふ。草むらから湯氣がホーツと立ち昇る。この湯氣を見て惜いなと思ふ。この惜しいなは汁その者の惜しいなもあるが之を作るに要した勞力卽時間と頭とを惜しいなと思ふ方が多分だ。用意は始から周到にあるべきことは心得てゐながら、編輯多忙の中だとはいへ、つまらぬ失敗をしたものだ。急がば廻れ、落ちつけ〓〓と人にも自分にも常々言ひきかせてゐるのに、卵を割る時一度皿に割りかけ中身を覗いてから落とさないとは。ヤツコラサと一浴。「女のすることを男もして見んとて」といふ題で十句或女學雜誌に送る、山の生活を詠んだものだ。原稿校正等出入頻繁。山上へ散步、例の山屏風展望、歸路山路を下だる。路が惡い、野菊女郞花など折つて手に。今度の籠山に色々世話になつたM氏をホテルに招請。木秋々の梢しや夜溫や泉槽に寢ての秋柱の花の壁のの空影同·二十一日좋朝ふら二人前。飯若布味噌汁、乞ク飯鰻個煮。味噌汁に鷄卵二つ落とす、(そ) (外出)飯牛乳(持參)、上天六時目覺め、褥中にて執筆、七時近く起床。飯焚き味噌汁作る。ずつと執筆。晝遲く飯盒提げて驛の蕎麥屋へ天ぷら食ひに行く、この頃蕎麥屋で飯を吳れないから持參に及んだのだ。が最近又飯を出すには出すが今日はもう二時だから食はせぬといふ。その方で、持參の飯が役立つ。同二十二日晴。五時起床、浴谷旅裝準備、一番六時廿二分で、今日下野佐野の句會、明日武州金澤の句會へ向け出發。同二十三日晴夜遲く歸山。297一番六時廿二分で、今日下野佐野の句會、明日武州金澤の晴
山暗く木々黑く星月夜かな同·同·二十四日発朝飯、三州味噌汁(銀杏大根)、レバーソセーヂ。(千)飯茄子カラ揚、味噌汁(甘藷無)。〔夕〕(外出) Gホテル(日本食定食)。六時起床。朝机に對して居る時北の窓の前に伐木丁々の音を聞く。而もそれが甚だ近い。何かしらと窓をあけて見ると一羽の大啄木鳥がそこの外燈の朽ちた柱を叩いてゐた。障子をあけた拍子に飛び立つて上の木の枝に移る姿ですつかりわかつた、そしてその時に發した奇聲に依て先年來鳴き聲だけ聞いて何といふ鳥かわからなかつたのが始て氷解した啄木鳥があんな聲を出すかと鳥渡意外だつた。庵へ上がつて來る段々道を掃除する、室も。兼て案内した栃木の客來庵、甘藷、茄子、胡瓜、玉葱、茗荷、柚子等野菜いろ〓〓持參。校正。夕より客をGホテルに伴ひ食事、客は酒を飮むので和食を附き合ふ。二十四日発啄團木栗鳥や吾が脛叩くこと勿坂掃き下ろす竹れ箒毛の土產や葱であらなく秋茄子同·二十五日雨晴後(朝)バタ、飯ビーフシチウ、大根おろし三保の漬。(花鰹)、レバーソセージ。クノ(外出)鰻井。〔午〕パン、六時頃起床、客七輪焚きつけ余米を磨ぐ。パンは來たが一斤を二人でたべてはすぐ無くなるから急に飯を焚くことにしたのだ。甘藷玉葱茹でる。又客の勸めで胡瓜の鹽押しす300けふは溫泉止まる。午前中客山庵內外見取圖を作る。余は校正と執筆、原稿告濟む。七輪でビーフシチウ作り序に栗茹でる。客に聖蹟を案內、その上がり口に客柴栗數顆を拾do.始て園林に栗の多いのを知る。客と山上へ、展望賞觀、O谷徒步登り口まで散歩。客下山、同道O町まで。別れてから町をあるきこの町の老舗の鰻屋で鰻食うて歸る。今夜は早寢。秋晴や向ひ並ぴ嶺登りたき朝パン、バタ、ビーフシチウ殘(4)廢食、茹で果。乞ノ同二十六日晴。(外出)Fホテル(晩餐メニユー亡失)。聖蹟入口の昨日の場所に又栗落ちてゐる。それであちこち探してゐるうち數個所に栗の
落ちる場所を發見、又しても拾ひに林中をあるき廻る。皆芝栗で小さいが三十五十と拾うて行き二合半桝に溜めて半分位になる。O町へ用事で出る。歸途Fホテルへ、入浴、晩餐。十二時過寢る。-「チヽ、ヒチ、クルヽ、チルル〓〓、クチュ〓〓〓〓ツ、チークルー」これは晝間庵のぐるりの木の枝々を渡つて蟲をあさる小雀達の鳴き聲の記錄。町戶からや庵居の山の秋を閉してつく〓〓山の夜長のか雲な300同·同·二十七日晴朝パン、バタ、レバーソセージ、胡瓜鹽押し、アレキサンドリア、バナナ。(イ)パン、パタ、レバーソセージ、佃煮、紅茶牛乳。乞ノ飯茄子味噌汁、牛肉大和煮(宇和島)、梨、アレキサンドリア早朝より栗拾ひ、今日一日で九十三を得、昨日今日で二合半を越ゆる。既に拾つた所でも一二時間すると又落ちてゐる所もある、風の日は落つることが多い。もうそろ〓〓引揚の準備をやらねばならず、布團包み毛布包み、柳行季、木箱、蠅帳等干すものは干し、木箱は拭き炭箱は溫泉で洗ひ、第一囘返送第二囘返送の分荷物下拵へする。宵より假睡、夜中目覺めて一浴、それより仕事、夜半を過ぐ。けふ吳のS子より米子の二十世紀梨子一箱二十七日晴到來。栗ひ拾ねひもヒチ〓〓鳥に 鳴かれけりすや栗を拾うて迂か仙か同·同·二十八日晴夜小。雨朝フテキ。飯Fホテル畫食。佃煮、鶏卵ジブ煮。(ク) (4) Fホテル晩餐(オルドウブル、(外出) Hホテル、ビポタジ、鮎蒸煮、鷄肉ココツト入、ロースビーフ、サラドレタス、其他)。寢たのは二時。起き拔けから栗拾ひ、一足ちがひに里人の聲「今朝は一つも落ちてゐない」とは自分の拾つた後なのだ。天氣よく色々干し物する。けふは一日遊行とし朝から湖水行、Hホテルで休憩、更にM邑へ廻りFホテルで休息。晝夕食ともすませ、雨になり傘借りて歸庵。夜は引揚げの荷物片づけ準備かれこれしてゐるうちねむくなり假睡。二十八日晴夜小。雨301蚤吾取がまなこ非ず汽船の起こ栗せ取るまなこ浪や秋かのな湖同·(朝)パン、バタ、牛肉大和煮。(+)ガ芋煮物。乞(外出)握リ鮓。飯佃煮、ジヤ二十九日雨
六時起床。校正。荷物片づけ、草庵諸物品亂雜、その中で人を賴み荷造り、木箱模型、外包米櫃繩帳在中炭の箱、二十世紀の箱、ダンボール箱二合せ一荷都合五箇出來る、これだけ先へ送る、六十五キロある。驛の附近に鮓屋が出來たので握り鮓買うて歸る。鮪は固より鮑に生烏賊など山には過ぎたもの、平目は夏ぢうO町にさへなかつたのに。同三十日雨後霧。(朝)パン、玉葱スーブ、ジヤガ芋、牛肉大和煮。(4)飯曇(朝ト同ジモノ)、鍋鳴燒殘。〔クノ(外出) Gホテル(マカニチーズ、ダツクソテ、トースト、紅茶)。むく起に栗拾ひ昨の通り、濟んで七輪。朝と夕Gホテルへ、床屋と食事とに。けふ出來る筈の『澁柿』明日になつたと電報。(4)飯(マカニチけふ出來302 s栗栗拾ふや人の後なる虚十月一日·4·葱煮物、朝飯足長茸豆腐汁、甘藷甘煮。(十)茄子糠味噌パン、バタ、(最後の二品近所より到來)。佃煮、牛乳。(2)飯雞栗拾ひ早起例の如し、けふは園外の林中まで足を伸ばす。近所の家から足長といふ菌到來、初秋七日か十日位の間だけ出るといふ。濕氣多き林間草の間木の根石の根などに出來る、薄茶色莖長、初茸に似濕地茸に似て非、煮るとぬる〓〓ぬめりの出る所はナメコのや雞5.味は淡白。けふは朝と夕二度七輪焚く。飯の外に鷄と葱とを煮又豚の生姜姑をしなか〓〓忙しい。防空演習で夜は外燈皆消え山は眞ッ暗.風呂へも行けずねむきまゝ宵より寝る。目が覺めたらまだ九時、そのまゝ又寢る。同二日晴曇りがち、くより小雨風すこし、暖か、夜中雨夕近(朝)三保の漬。飯足長茸汁。乞) (外出) (4)飯飯伊勢海老天雞葱汁、同二日晴曇りがち、くより小雨風すこし、暖か、夜中雨夕近(朝)三保の漬。飯足長茸汁。乞) (外出) (4)飯飯伊勢海老天雞葱汁、ぶら二人前)。六時目覺め、栗拾ひ、一番、東京へ電話かけに行つて來た爲遲くなり七輪焚き初めたのは九時半だ。とり溜めた柴も大方使つた。引拂ひまで丁度一ばいらしい。防空演習に入用の懷中電燈の電池無くなつた故下山O町で買ふ。序に眞暗な街中を探して一飯店に入り伊勢海老の天ぷらを注文する。眞暗な山の中を薄暗い電車で山へ、そしていよ〓〓眞暗な坂路を山の庵へ。すつかり閉し切つた庵の中に卷頭句を撰む、もう後幾らも殘らない滯在の日數が漸く秋濃くなつて行く灯の色に今更に惜まれる。その机の置きどころその背のもたせどころ、オヽそこな衣桁鏡臺オヽかしこの花活寒暖計と凡そこの三月が程の生活の過程が歷々繰返される。暑く日の烈しかつた夏が涼しく冷かな秋へ推し移つて行くところに吾が行住坐臥を寸毫も僞らぬ八疊二疊の古疊、疊こそは親しさの極みだ。疊、疊といへばつ
いこの間まであの箸にも棒にもかゝらない厄介な蟻がもうそこの疊に影もさゝぬ、蟻はもうすつかり穴にもぐつて人目の世界の住民ではなくなつたのだ。さうだ、さうして夏が完全に退却して秋と入れ代つたのだ。蟻憎い蟻、お前はもう去んだのか、俺ももうぢき!秋淋し囲ひレ蟻の居ずなりて同三日雨神夜から露靄の中に雨朝干〓〓廢食。飯(+)豚生姜茹。粥,梅夜半過圓へ起きると林中一面の靄、その靄は需で籠めて居てその中に別に雨が降つて居る。早起一浴。朝痢し食を廢す。この腹工合で、東京との話に近所の電話へ幾度もの山道の上り下りや粥焚く七輪仕事の氣重さ太義さ、それでも山のお蔭溫泉のお蔭か夕方は焚き立て飯にも障らず。山庵附近の草の中に足長茸を發見、そこら探すと無數にある、採る。ボツボツ荷仕舞ひ、夜半に及ぶ。靜名けにさをやか靄しの足中長降茸るの秋足のの雨長3栗拾ひ茸採ることに終りかな同同四日快晴風無。朝甘藷粥、豚生姜如。(そ)飯足長茸甘煮、佃煮。(ク)し(外出) Fホテル(オルドオブル、玉蜀黍ポタージ、魚フライ野菜、ロースポーク、等々引揚げの前には暫く仲秋の好晴に惠まれて明るい落着いた山の靜けさを滿喫して歸りたかつたのが續いて惠まれぬ天氣であつた。もすこし延ばすには後の借り手が押しかけてゐるし、やつとこの一日だけの好晴を最後の思ひ出にするより外はない。類の無い快晴だ。芋粥を七輪に掛けて置いて布團を干す寢卷を干す、あれをしこれをしてゐる間に午になり午を過ぎる。落陽の峰が高くて夕の早いこの〓、と萬事を抛ち、九旬唯眺め暮らしたのみのあの向ひの山屏風に登る。二時に峽底に登攀の一步を起こし、三時半明神岳最高頂、事の序と一時間を更にその一二峰の縱走に費し、五時にはもう下りて峽底の國道を散步調で。暫く試みなかつた頑脚もまだ〓〓使へるなと安心。今はもう季節柄登る人もなくて夕近い山中山上の世界には人氣といふもの全くあらず、獨往獨行、この間天地唯我一人の爲に存する思ひであつた。その快その悅これはもう人間の歡びではない。後、一週間、若し斯かる好日を斯かる山林に住み盡したら自分はもうどうにも山を下りるのがいやになつて四日快晴風無。し305
總てである。現はれ獨最後の山の晩餐會を催すのであつた。いとも心靜かに茶など入れてしても山を去らねばならぬ。都も人の世も忘れ果て、嬉しい獨、樂しい獨、正銘の山人になつてしまつたことだらう。この半山人は、「山の最後の夜」をいつまでも〓〓獨り更かすのであつた。更に、難有い獨、その一方の半俗人の身柄でその夜Fホテルに獨の晩餐會!尊い獨!。獨りこそはこのその夜庵に戾つて今度は幸か不幸か明日はどう「山住」のせうと思ふ。この終りの一句を以てわが九句の山住の卷の擧句とする、いさゝか心足らふものがある次第だ。城洋東根松昭和十七年昭和十七年帖水薪我險秋秋尾根粟風にの小黍やにして馬憩夜さや茶ふをやしや猶林秋松裾入れて飮のはの背蟲山草に嵐高をしにむ忘嶺登て花野かな杖腹れのるつのぬ巓ほ減りいるにてど十十一月五日一月十日發印行刷四四一〇〇一ア製番認承諾文.行所著同時にこの長い生活の象徴と行者者印刷所印刷者東京市淀橋區戶塚町一ノ二二〇明立印刷株式會社河田保治〔定價金貳圓八十錢〕文協會員番號同東京市神田區神保町二ノ二六振替東京六九二七九番電話九段四〇八○番文社齋東京市神田區神保町二ノ二六藤正雄松;根東一二〇〇四四洋さ城gt式株給配版出本日九ノ二町路機區田神市京米元給面)
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