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芥川龍之介の『三つの窓』をどう読むか② 三つの窓はあった

 文学が言葉を駆使しながらも曰く言い難いものとの格闘であるなどと今更お前のようなものから言われたくはないという拒絶が何処から生じてくるのかと云えば、それは男子便所につるされた金木犀の香りの消臭剤こそが饐えた小便の匂いを思い出させるからではなく、図書館一つ分の本を読み、身の丈ほどの高さに積み上がる原稿を書いてきた者の意地と云うものがあるからなのだろうか。

 あるいは実際どうでもいいようなことをああでもないこうでもないとこねまわすくどさに辟易としながら、どこに主題があるのかということに固執している自分の存在に気が付かず、まるで苦行のように『チボー家の人々の失われた時を求めて』を読み終わったからだろうか。

 問題をはっきりさせよう。

 繰り返すが『三つの窓』に窓は一つしか出てこない。二つの窓は存在しない。つまり『三つの窓』は『三つの窓』であることを拒否している。

 しかしこう言ってみることもできる。

 小説と云うものはだいたいそんなものなのだと。

 小説は全てを書き表わすわけではない。例えば『冬』という小説が書かれたとして、それがカナダ人によって書かれたならば、コンビニのおでんや肉まんが描かれない可能性も十分考えられるのだ。

 タイトルが『冬』なのに。

 あるいは『三つの窓』に一つだけ現れる窓も作品を相対化させるような象徴的な意味を持っていないし、作品の主題を背負えない。確認してみよう。 

「善根を積んだと云う気がするだろう?」
「ふん、多少しないこともない。」
 A中尉は軽がると受け流したまま、円窓の外を眺めていた。円窓の外に見えるのは雨あしの長い海ばかりだった。しかし彼はしばらくすると、俄かに何かに羞るようにこうY中尉に声をかけた。

(芥川龍之介『三つの窓』)

 私は今更『三つの窓』という作品に「三つの窓」というタイトルが相応しくないなどと云いたいのではない。しかしこの「円窓」が一等戦闘艦の窓であるという以上の意味を殆ど持ち得ないことは確かだ。そして女房にSを会わせてやることが「善根」ではないことも確かだ。

 それにしても『三つの窓』はどうしても自分が何かとんでもない勘違いか読み落としをしているのではないかと思わせる作品なのだ。

「何しろあいつは意地っぱりだったからなあ。しかし死ななくっても善いじゃないか?――」
 相手は椅子からずり落ちかかったなり、何度もこんな愚痴を繰り返していた。
「おれはただ立っていろと言っただけなんだ。それを何も死ななくったって、……」
 ××の鎮海湾へ碇泊した後、煙突の掃除にはいった機関兵は偶然この下士を発見した。彼は煙突の中に垂れた一すじの鎖に縊死していた。が、彼の水兵服は勿論、皮や肉も焼け落ちたために下っているのは骸骨だけだった。こう云う話はガンルウムにいたK中尉にも伝わらない訣はなかった。彼はこの下士の砲塔の前に佇んでいた姿を思い出し、まだどこかに赤い月の鎌なりにかかっているように感じた。
 この三人の死はK中尉の心にいつまでも暗い影を投げていた。

(芥川龍之介『三つの窓』)

 最初にこの『三つの窓』を読んだ時、私は「三人の死」という題名でもおかしくないとは思わなかった。

 この海戦の始まる前夜、彼は甲板を歩いているうちにかすかな角燈の光を見つけ、そっとそこへ歩いて行った。するとそこには年の若い軍楽隊の楽手が一人甲板の上に腹ばいになり、敵の目を避けた角燈の光に聖書を読んでいるのであった。K中尉は何か感動し、この楽手に優しい言葉をかけた。楽手はちょいと驚いたらしかった。が、相手の上官の小言を言わないことを発見すると、たちまち女らしい微笑を浮かべ、怯ず怯ず彼の言葉に答え出した。……しかしその若い楽手ももう今ではメエン・マストの根もとに中った砲弾のために死骸になって横になっていた。

(芥川龍之介『三つの窓』)

 この年の若い軍楽隊の楽手が最初の死者。それは分かる。

 海の中に落ちた水兵は一生懸命に片手を挙げ、何かおお声に叫んでいた。ブイは水兵たちの罵る声と一しょに海の上へ飛んで行った。しかし勿論××は敵の艦隊を前にした以上、ボオトをおろす訣わけには行ゆかなかった。水兵はブイにとりついたものの、見る見る遠ざかるばかりだった。彼の運命は遅かれ早かれ溺死するのに定っていた。のみならず鱶はこの海にも決して少いとは言われなかった。……

(芥川龍之介『三つの窓』)

 この海に落ちた水兵の死は見届けられていない。この水兵の死は推定でしかないけれども、「2 三人」の章だけにフォーカスすると、これは確かに三人の兵士の死を憂える話であり、主題は「死」、人生のはかなさであると素直に捉えられるからだ。

 しかしそうすると女房に会いたさに鼠を輸入したSにクラッカアを買いにやらせて女房に合わせてやるという、落語のような一口話の「1 鼠」の主題は「人情」であり、なにか非常にバランスを欠いて軽い感じがしてしまう。そして最後の「3 一等戦闘艦××」はまるで星新一のようなポップな話になる。

 この酷い落差には目が眩み、やはり自分がひどく疲れていて、何かとんでもない勘違いをしていると思わせるようなものがある。何度か読み直してさえそうなのだ。

 一等戦闘艦××は横須賀軍港のドックにはいることになった。修繕工事は容易に捗らなかった。二万噸トンの××は高い両舷の内外に無数の職工をたからせたまま、何度もいつにない苛立たしさを感じた。が、海に浮かんでいることも蠣にとりつかれることを思えば、むず痒がゆい気もするのに違いなかった。
 横須賀軍港には××の友だちの△△も碇泊していた。

(芥川龍之介『三つの窓』)

 昨日川上未映子の物凄い文章を読んでいたので、頭がおかしくなったのかと勘違いしそうになる。

 暗闇の中でウィステリアはお腹に置いた手にちからをこめる。瞬きを繰り返す。このとき彼女の年齢は三十八歳。わたしが子どもを産むことはなかった。そうはっきりと言葉にして思ったのはこのときが初めてだった。そして今さらそんなことを思う自分のことをウィステリアは少し滑稽にも感じた。男性と交わったことはおろか手を触れたこともなく、恋愛感情を抱いたこともなく、また望んだことも望まれたこともない人間がそんなことを思うのが、なんだか可笑しかったのだ。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 一読では誰が何の話をしているのか解らない、一人称なのか三人称なのかさえ判断つかないとても奇妙な文章だ。しかし芥川も負けていない。最初は誰かが一等戦闘艦××を観察しているのかと思う。しかし苛立っているのが一等戦闘艦××そのものだと「友だちの」で気付かされる。擬人法だと気がついてさえ、何のためにこのような唐突な擬人法なのかという疑問に意識が持っていかれてしまい、話が頭に入ってこない。保吉ものに擬人法はあった。あれはユーモアの効果を狙ったものだろう。しかし「友だちの△△も碇泊していた」はふざけ過ぎなのではあるまいか。


 きかんしゃトーマスか?

 一万二千噸の△△は××よりも年の若い軍艦だった。彼等は広い海越しに時々声のない話をした。△△は××の年齢には勿論、造船技師の手落ちから舵の狂い易いことに同情していた。が、××を劬るために一度もそんな問題を話し合ったことはなかった。のみならず何度も海戦をして来た××に対する尊敬のためにいつも敬語を用いていた
 するとある曇った午後、△△は火薬庫に火のはいったために俄かに恐しい爆声を挙げ、半ば海中に横になってしまった。××は勿論びっくりした。(もっとも大勢の職工たちはこの××の震ふるえたのを物理的に解釈したのに違いなかった。)海戦もしない△△の急に片輪になってしまう、――それは実際××にはほとんど信じられないくらいだった。彼は努めて驚きを隠し、はるかに△△を励したりした。が、△△は傾いたまま、炎や煙の立ち昇る中にただ唸り声を立てるだけだった。

(芥川龍之介『三つの窓』)

 そこには芥川にしては比較的平明な、というよりもあまりにも現代的過ぎる、まるで can hardly believeの翻訳文のような表現に、そこに文字はあるのだけれど何が書かれているのかまるで解らない感じがしてしまう。

 
The 12,000-ton XXX was a younger warship than the XXX. Over the wide expanse of water, they sometimes talked inaudibly. The 12,000-ton XX was sympathetic not only to XX's age, but also to the fact that the ship's rudder was prone to deviation due to the faulty work of the shipbuilders. However, they never once discussed such problems in order to protect XX. He always used honorifics out of respect for XX, who had fought in many naval battles. Then, one cloudy afternoon, the "XX" suddenly let out a frightening roar as her powder magazine caught fire, and she lay halfway underwater. ××XX was, of course, astonished. (The majority of the workers must have physically interpreted his shaking as a tremor.) The sudden one-wheeledness of a boat that had never even been in a naval battle - it was actually almost unbelievable to xxx. He tried his best to hide his surprise and encouraged xxx far more. But the △△ remained leaning and just roared in the rising flames and smoke.

 なるほどDeepLは「it was actually almost unbelievable to xxx」と訳したか。しかしやはり幼いというか、無垢な感じがしてしまう。

 はっきりしていることは『三つの窓』という作品が章ごとに異なる主題とテイストを持ち、あたかも三つのスタイル、三つの意匠のように見えるということである。

 それはこの『三つの窓』における「窓」が言葉として現れる「円窓」そのものを指すのではなく、三つのスタイル、三つの意匠がそれぞれに現れる覗き窓の前に読者が立たされているという構図を意味しないだろうか。つまり、三つの窓とはWindowsのようなもので、われわれが覗き込むことで存在し得る物語構造を指しているのである。

 窓は一つしか出てこないなんて書いている人間は人間としても未熟だし、救いようがない馬鹿だ。

 三つの窓はあった。

 しかし誰も覗かない。

 ただなのに。

【余談】

完全メシって全然完全じゃないね。


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