見出し画像

鏡花の弟子? 牧野信一の『嘆きの孔雀』をどう読むか⑥

 その中に孔雀と美智子と艶子さんは手をとり合つてそろ/\と歩き始めました。――さあ大変だ、と私は思ひました。――戯談じやないぞ! と私は力をいれて呟きました。
 三人は面白さうに歌などを唄ひながら、どんどんと歩いてゐます。
「おい/\、人を欺すのもいゝ加減にしないか。もう家へ帰らなければいけないよ。」と私はおろ/\声で云つてゐるにも係はらず、三人は後さへ振り向きません。私はお隣りの赤ちやんを縁日に伴れて行つて迷児にしたやうな不安に駆られながら懸命に三人のあとをついて行きました。三人の歩みはだんだん早くなつて私との懸隔が余程離れました。「どうしたつてえ事なんだらうな。」と私は寧ろ焦れ度くなつて、がまさか二人をこの儘に棄てゝも帰れないなどゝ思ひながら矢張りついてゆきました。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 これは「私」が美智子と艶子さんの二人に向かって「そういう話」をしているのか、本当に四人がそういう世界に入り込んでいるのか、もうどちらとも判断できない状況になってきた。

 最初は明らかに「私」が美智子と艶子さんの二人に向かって「そういう話」をしていたはずだった。ところが美智子がお姫様に話しかけたところ、いや孔雀が現れた時点で我々は既にこの物語の中に引き込まれていたのである。そもそも空間移動ができる時点でここは美智子の部屋ではない。

 しかしそう目くじらを立てる話ではなくて、おそらくこれは『少女』という雑誌に掲載された少女向けの御伽噺で、小説であるかどうかという議論さえむなしい……などと言いたいわけでもないな。かなり書けなくて苦しいのかなと気を揉ませておいて巧みに話に持って行った手際に対して素直に感心すべきなのであろう。そして話者である筈の「私」が何となく疎外されつつ、「私だけが魔法にかゝらない、尋常の考へをもつた者だ」と言いながら、メタ小説的に語り手を物語の外側に移動させてしまわないところが面白い。

「おいおい牧野ぢやないか。」ふと私を呼ぶ声がしたので、私は驚いて振り向くと、それは私の親友の浜野ぢやありませんか。そら、先月「赤い夢」といふ詩を書いた、ね、皆さんもよく御存じでせう。浜野英二――。
「今君の処へ行つたらね、たつた今銀座に行くと云つて出掛けたさうだつたから急いで来たんだ。少し用があるんでね。」
「あゝ、さう、だが……」と私はそこどこではありませんでしたから非常に慌てゝ「早く美智子を追ひかけて呉れ。」と云ひました。すると浜野はあつけに取られたやうに私の顔を視詰めましたが、突然
「ハヽヽヽツ、戯談じやない、何を云つてゐるんだよ。」と云ふのです。
 もうその時は、三人の後姿が蝶のやうにちいさく私の不安な視線の的にチラチラしてゐるばかりでした。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 この浜野英二というのは、牧野信一の十三歳年の離れた弟の牧野英二に名前を借りた誰かであろう。

 いや、違うな。本当に友達のようだ。

 ここに貴司山治と同郷(徳島)で、泉鏡花の弟子の浜野英二という人がみつかるが、別人であろう。

 別人なのか?

(※このサイトは芥川と鏡花のことなど知らないことが書いてあって面白い。ぜひご一読を。)

 おそらく「先月「赤い夢」といふ詩を書いた、ね、皆さんもよく御存じでせう。浜野英二」というからには『少女』という雑誌に詩を書いた人物なのであろう。

 しかしここで最初からその場にいなかった浜野英二が現れるので物語空間が御伽噺でなくなる。「私」も牧野と呼ばれてしまい、正体がばれてしまう。

 それにしても浜野英二はどうやって物語空間に入り込むことができたのだ? と考え込むことも馬鹿馬鹿しいが、「今君の処へ行つたらね、たつた今銀座に行くと云つて出掛けたさうだつたから急いで来たんだ。少し用があるんでね。」という設定がなんとも奇妙に空間を捩じっていて面白い。もう完全に寒い夜ということを忘れさせられてしまってもいる。

 母親は何故嘘をついたのか?

 ここは銀座方面のどこなのか?

 そんな曖昧な問いが「そこどこではありません」と言った坪内逍遥のような古い言い回しにかき消されてしまう。


ハムレット : シエークスピヤ戯曲集 坪内逍遥 訳||日高只一 註富山房 1938年

四 恐ろしき刹那

 二人を追ひ駆けて私は夢中で駆けて居りましたが到々その姿を見失つてしまひました。東京の真中に居る筈の私なのに、私には今自分が世界の奈辺に居るのか解らなくなりました。それ程に、その時の私の周囲は不思議な色をもつて覆はれてゐたのです。これは屹度何か心の迷ひに異ひないと私は思ひましたから心を落着けて、目の前にふさがつた霧をはらひのけましたが――その努力は結局水の泡でした。五里霧中とは全くこのことです。その中にもあたりに立ちこめた霧は刻々と深くなつて参りました。一寸先も見えなくなつたのです。うつかり一足でも歩いたら――こんな不思議なところなのですから、何時千尋の湖へ落ちて仕舞ふかも知れません。で、私は心ばかりは矢のやうに急いで居るのですけれど、どうしても立往生をしなければならなくなつて仕舞ひました。霧が深くなるとあの勇しい軍艦だつて止まらなければならないと云はれて居りますが、全くそれに出遇つたことのない方には想像も及ばない程恐ろしいものなのです。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 浜野英二の出番は終わり、「少し用があるんでね。」という用事が済まされた気配もなく、ただ「私」は東京の真ん中で、自分の居場所が解らなくなる。駆けていたのが霧で動けなくなり、……これではまた誰かに声をかけてもらうしかないと思ったところで、

 もうこれだけで充分動きがとれなくなつたのに――天はどうしてこの罪もない私をどこまで苦しめるつもりなのでせう、にはかに激しい雨が私の呼吸を圧するばかりに降つて参りました。私の頬を打つ強い雨は、轟々といふ恐ろしい音をたてゝ居りました。
 この時の私の心持は到底口や筆では尽すことは出来ません――私は一体どうなることでせう。それよりも美智子と艶子さんは何処へ伴れてゆかれて――今頃はどうして居ることでせう――雨と霧は益々深くなりました。私は呼吸さへ困難になりました。勿論声など立てられません――顔に滝のやうに激しく雨が当つてゐるのですもの。いくら勇気のある私でも――全くどうする事も出来なくなりました。涙など滅多にこぼした事のない私ですが、この時ばかりは玉のやうな涙が知らぬ間にほろほろとこぼれて居りました。自分の命といふことよりも、美智子と艶子さんをなくしてしまつたことが皆な私の責なので――それに当惑してゐるのでした。

(牧野信一『嘆きの孔雀』)

 雨が降ってくる。勿論ここに「冷たい」「寒い」とは書かれない。ここは冒頭の寒い冬の夜とは全く異質な空間なのだ。こうなるともう夢落ちでしかこの空間から現実の空間に戻ることが出来ないような気がしてくる。しかし夢落ちになるのか、ならないのか、まだ誰も知らない。
 何故ならここまでしか読んでいないからだ。

[余談]


「去年、たしかベストセラーになったのは、吉田絃二郎さんの『小鳥のくる日』でしたよ。これは十万部とか聞ききました。小鳥のくる日、ねえ。それが十万部とかいうんです。僕の本は『傀儡師』も『報恩記』も、初版もな二千部ですよ、それが一年たって半分しか売れていません」
 と嘆いて、しばらくするとまた急に勢をもり返したように
 「所が去年、ぼくの本を、一冊六百頁にして、六号で三段に組み、原稿用紙千枚ばかりを一冊一円で売るから、出さないかという話が改造社からあったんです。一冊一円でねえ。五万部は即時に売るという話なんです。
 そんな計画を立てても決して売れないから----と前記の例をあげてことわったんです。
 すると、そこの社長がやってきて、しきりにすすめるんで、『僕の本で損をしても絶対に弁償はできない。又弁償する力もない』というのに対して『それでよい』というのです。とにかく契約しろというので、印をおしたんです。
 十日もたつと、社長の秘書だという太った大きな男がとびこんできたので、いよいよ破産かと思ったら『改造社の現代日本文学全集は、十万部の予約ができました』というんです。
 僕には俄かに信じられませんでした。僕の読者が十万人も隠れていたんですかねえ。僕には、文学の読者というものがまるでわからなくなりました」

https://ito-jun.readymade.jp/bungakusi/bun1/bun1.htm#%EF%BC%92%EF%BC%8E%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B%E3%81%AB%E5%A4%B1%E6%9C%9B

 ひょんなことから知らない芥川に出会えた。こんなこともあるからなあ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?