これは「私」が美智子と艶子さんの二人に向かって「そういう話」をしているのか、本当に四人がそういう世界に入り込んでいるのか、もうどちらとも判断できない状況になってきた。
最初は明らかに「私」が美智子と艶子さんの二人に向かって「そういう話」をしていたはずだった。ところが美智子がお姫様に話しかけたところ、いや孔雀が現れた時点で我々は既にこの物語の中に引き込まれていたのである。そもそも空間移動ができる時点でここは美智子の部屋ではない。
しかしそう目くじらを立てる話ではなくて、おそらくこれは『少女』という雑誌に掲載された少女向けの御伽噺で、小説であるかどうかという議論さえむなしい……などと言いたいわけでもないな。かなり書けなくて苦しいのかなと気を揉ませておいて巧みに話に持って行った手際に対して素直に感心すべきなのであろう。そして話者である筈の「私」が何となく疎外されつつ、「私だけが魔法にかゝらない、尋常の考へをもつた者だ」と言いながら、メタ小説的に語り手を物語の外側に移動させてしまわないところが面白い。
この浜野英二というのは、牧野信一の十三歳年の離れた弟の牧野英二に名前を借りた誰かであろう。
いや、違うな。本当に友達のようだ。
ここに貴司山治と同郷(徳島)で、泉鏡花の弟子の浜野英二という人がみつかるが、別人であろう。
別人なのか?
(※このサイトは芥川と鏡花のことなど知らないことが書いてあって面白い。ぜひご一読を。)
おそらく「先月「赤い夢」といふ詩を書いた、ね、皆さんもよく御存じでせう。浜野英二」というからには『少女』という雑誌に詩を書いた人物なのであろう。
しかしここで最初からその場にいなかった浜野英二が現れるので物語空間が御伽噺でなくなる。「私」も牧野と呼ばれてしまい、正体がばれてしまう。
それにしても浜野英二はどうやって物語空間に入り込むことができたのだ? と考え込むことも馬鹿馬鹿しいが、「今君の処へ行つたらね、たつた今銀座に行くと云つて出掛けたさうだつたから急いで来たんだ。少し用があるんでね。」という設定がなんとも奇妙に空間を捩じっていて面白い。もう完全に寒い夜ということを忘れさせられてしまってもいる。
母親は何故嘘をついたのか?
ここは銀座方面のどこなのか?
そんな曖昧な問いが「そこどこではありません」と言った坪内逍遥のような古い言い回しにかき消されてしまう。
浜野英二の出番は終わり、「少し用があるんでね。」という用事が済まされた気配もなく、ただ「私」は東京の真ん中で、自分の居場所が解らなくなる。駆けていたのが霧で動けなくなり、……これではまた誰かに声をかけてもらうしかないと思ったところで、
雨が降ってくる。勿論ここに「冷たい」「寒い」とは書かれない。ここは冒頭の寒い冬の夜とは全く異質な空間なのだ。こうなるともう夢落ちでしかこの空間から現実の空間に戻ることが出来ないような気がしてくる。しかし夢落ちになるのか、ならないのか、まだ誰も知らない。
何故ならここまでしか読んでいないからだ。
[余談]
ひょんなことから知らない芥川に出会えた。こんなこともあるからなあ。