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三島由紀夫の『美しい星』をどう読むか⑧ いつかどの物だ 兼 『決定版三島由紀夫全集』に校正ミスあり② 一事が万事

 第八章、一雄は激昂することなく、世間並みにはぐらかした。「親爺はこのごろ少し頭がイカれてゐて」と一雄は言うが、読者はそれが一雄の本心ではないことに気が付いている。しかし大方は、実際のところはそれが真実なのではないかとも考えている筈た。羽黒も、栗田も、曽根も大杉家の人々も。あるいはそこまでおかしくはないにせよ、竹宮という男も相当なものだと思っている筈だ。しかしそこには明確な境界線があって、自分が何ものか本当に解らなくなっている人間と、自分が何ものかなどとは考えもしないけれど他人に成りすます人間とでは「おかしい」の意味が違うとも思っている筈だ。つまり羽黒も、栗田も、曽根も大杉家の人々も竹宮と同じただの人間であり、単なる思い込みで自分を宇宙人だと信じている人たちは病人だと考えている筈だ。

 しかし宇宙人たちの間では全く異なる前提で話が進められる。一雄は羽黒を一目見た時からただならぬものを気取っており、やがて大杉家に羽黒らが現れた時、重一郎はやはりたちまち顔色を変え、恐怖に震えるのだった。

 羽黒らを赤坂の料理屋まで送った一雄は別のレストランで食事をして待たされることになる。そこでこんなことになる。

 察するに、ロェーヴェンブロイのところで一応「これどうしますか?」「いいよ、ままで」「ままでいきますか」という確認くらいはあったのだろう。それで結局「デミ・タス」が残ってしまったと。

 しかし一雄がロェーヴェンブロイを注文した後、すぐ「デミ・タス」でもないのだ。その間には一雄の宇宙人らしい考え事の時間がある。

 もしこっちからは向こうが見えて、向こうからはこつちが見えないのだとすると、一雄は自分が宇宙人であることを隠すのは勿論、黒木をも仙台の三人組をも、宇宙人だと気づかないふりを通さなくてはならぬ。身を守るためにはそれが一番だ。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 ここでさりげなく羽黒だけでなく黒木まで宇宙人にされている。角が生えているとか目の色が違うというわけでもないのに、感覚的に判断されている。はらたいらや大谷翔平のような何か際立ったものを見せることもない相手を、どうして宇宙人と決めつけるのか読者には解らない。しかしたまたま「自分は宇宙人だと信じている人間」が「自分は宇宙人だと信じている人間」を嗅ぎ分けてしまっているので、そこにはしかるべき理由が示されるべきだという嬉しくもない期待は生じる。

 料理屋に呼び出された一雄は芸者を見てさえ『こいつらは、ちつとも人間らしくない。宇宙人に化けようとしてゐる人間みたいだ』と思う。「しかるべき理由」がもうあやしくなる。

 話は直截に大杉重一郎は宇宙人か否かというところに向かう。どうやら黒木にとってもどういうわけか「世界平和達成の運動」が邪魔らしい。一雄はこの秘密は高く売れると値踏みし、正式な秘書にしてくれることと、いずれ地盤を引き継ぐことを条件にして嘘を言う。

「ぢや、言ひませう。おやぢは、何を隠さう、宇宙人です。家族以外のものは誰一人その秘密を知りません。おやぢは、火星から来たのです」

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 いや、これは一雄にとってみれば嘘ではなく本当のことだ。しかしお気づきだろう。同じ発話者による同一人物に対する同じ読みの呼称は漢字かひらがな何れかに統一すべきではないか。

 八章の初めには「親爺」だった。ならばここも「おやぢ」ではなく「親爺」に統一すべきではなかろうか。

 川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』はフリーランスの校閲者の話だ。そこで「誤植のない本なんて存在しないわけじゃない?」という話が出る。実はそんなことはなくて、誤植のない本はいくらでも存在する。最初は作者の書き間違いから始まる。原稿には大抵誤りがある。それが商業出版されるまでの間にしかるべき手間暇がかけられていたとしたら、間違いは極めて少なくなる。この「親爺」「おやぢ」問題に関して言えば、やはり手間暇が欠けているとしか言いようがない。

 飯能の平たい町並みの彼方に日が沈む。親子三人は西向きの欄に凭つて、歴史上の無数の落日の内の最終の一箇をしみじみと眺めた。それは夕雲の中にあいまいに融かされ、地上の人間たちの発散する不透明な抒情的な吐息によつてぼかされてゐた。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 ここは筋との絡みとは無関係に文章がいいので引いた。欄には「おばしま」ではなく「てすり」のルビがある。なら「一箇」にも「いつか」とルビが欲しいところ。この表現はしばしば擬人法であるが、ここではやや曖昧である。「最終」とはどの瞬間にも言えることだ。ただ自称宇宙人たちが故郷の惑星の位置関係を無視して、地上にあるものとして夕日を眺めている景色が面白い。それは単なる地球の自転なのに、日が沈むと言ってみる。

 よくよく考えてみれば我々は美しい星として地球を眺めることはできない。この地上からどこかを見上げるだけだ。その地上人のルールに縛られていては宇宙人であるということの意味はどこにあるのだろう。彼らも単なる地球人ではないか、とふと思う。

 その大杉家に彼らがやってくる。

「お父様どうなすつたの」
「とんだものが来た! 怖ろしいものが来た! 私はいつか、かういふものが来はしないかと怖れてゐたのだ」

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 それにしても何故大杉重一郎は羽黒らが「とんだもの」だと判断したのだろうか?

 何しろ羽黒の直感はいい加減なものなのだ。

「お嬢さんはやつぱり人間ですね。あんな人間ばなれのした美しさは、人間に決つてゐる」
「さうです。娘は人間です」と重一郎ははじめて微笑をうかべた。すでに客の来訪の目的を察してゐた彼は、こんな見当違ひに安心して、自分の切札だけはやすやすと示した。「そこが私とちがふところです」

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 いや羽黒は正しく暁子の正体を見抜き、重一郎は嘘を言っているのに違いないのだが、大杉家全員が宇宙人なのだという設定の上では羽黒は凡ミスをしたことになる。

 そしてここから羽黒の、三島が「哲学的」という屁理屈が長々と続く。宇宙人同士ならばテレパシーで会話すればいいものを、わざと観念の空中戦を見せてくれる。中には剣呑な台詞も混じる。

 又、正直のところ、ナチの収容所が証明したやうに、物としての人間は、石鹼かブラシか、せいぜいランプ・シェイドぐらゐの役にしか立ちません。死んだあとで扇風機ほどのいつかどの物になりえた人間も一人もゐないのです。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

  今、この原稿は村上春樹くらいでないと通らないのではなかろうか。「ナチの収容所」が不味いのではない。これでは人間が石鹼かブラシか、せいぜいランプ・シェイドぐらゐの役にしか立ちません、と書かれている訳だが、それが犠牲者への侮蔑にとられかねないからである、というわけでもない。「いつかど」が「一廉」に閉じられる。開いてしまうと意味が分かりにくい感じというものがあるのだ。何故なら今ではこの読みは極めてまれで開いて使うことがほぼないからである。

 歌舞伎通なんてのはみんな目出度くおもひあがつてるものだ。あの感情はなんとも云へない。俗情のエッセンスだとでも名付けるよりほかはない。私は歌舞伎を観るたびにそれが嫌ひだ。チツポケな虚栄心を持つてるに過ぎない奴等が、いつかどのきほひ肌や、伝法肌のつもりになつて得々としてるのだ。

(中原中也『我が生活』)

 あった。

 さすが中也。

 結局羽黒の話は人間は駄目な生き物なので早く水爆の発射ボタンを押させましょうというところに向かう。一瞬にして平等に人類を絶滅させるのだと。(ところで大学生であった栗田は銀行員になっていた。)この人間が駄目の説明に山ほど屁理屈がこねられる。重一郎は人間の欠点はその通りだと認める。

「何とか救つてやる方法は考へられませんか」
「考へられませんね。放置つておけば苦痛が募るばかりですから」
 羽黒助教授はいかにも人間くさいアカデミックな冷たさで言ひ放つた。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 自称宇宙人の話であれ、私にはこれが少しも荒唐無稽に聞こえない。私自身には意外だったのだが、さして不幸とは思われない、むしろ土地付きの家をもち高給取りの、他人から見れば羨ましいような立場のある女性(つまり特に頭がおかしいというわけでもなく、普通に仕事をこなすことのできる程度の常識のある人)が、羽黒と同じようなことを言っていたからだ。要するに「出来れば早く死にたい」「全員で死ぬならそれが一番いい」「一人だけ生き残るのはいや」と、まるで水爆による人類消滅こそが望ましいというようなことを本気で考えていたのだ。

 それも特に何が嫌なことがあったからというわけではなく、悲嘆する訳でもなく、勿論うつ病などでもなく、ただぼんやりと「出来れば早く死にたい」と思っているのだ。それが彼女にとっては救済なのだ。

 まあ、考え方は人それぞれとは言え、自分とはあまりに違う考え方なので共感は出来ないのだが、悪ふざけでもなんでもなく、そう考える人もいるのだ、ということまでは認めざるを得ないと思う。

 水爆の発射ボタンを早く押させようという羽黒の積極性は異常だが、救済の方向性は異常とまでは言えないかもしれない。屁理屈は確かに三島ならではのものだが、発想はむしろ凡庸といってもいいのかもしれない。

 何故ならそれは子供向けのヒーロー漫画で、悪そのもののような敵役の言い出しそうなことでもあるからだ。

 では実際に水爆が爆発するのか。

 それはまだ誰も知らない。

 何故なら、まだ続きを読んでいないからだ。



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