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ライズィングジェネレエシヨンの爲めに

先生
また、手紙を書きます。嘸この頃の暑さに、我々の長い手紙をお讀になるのは、御迷惑だらうと思ひますが、これも我々のやうな門下生を持つた因果と御あきらめ下さい。その代り、御返事の御心配には及びません。先生へ手紙を書くと云ふ事が、それ自身、我々の滿足なのですから。今日は、我々のボヘミアンライフを、少し御紹介致します。今居る所は、この家で別莊と稱する十疊と六疊と二間つづきのかけはなれた一棟ですが、女中はじめ我々以外の人間は、飯の時と夜床をとる時との外はやつて來ません。これが先、我々の生活を自由ならしめる第一の條件です。我々は、この別莊の天地に、ねまきも、おきまきも一つで、ごろごろしてるます。來る時に二人とも時計を忘れたので、何時に起きて何時に寢るのだか、我々にはさつぱりわかりません。何しろ太陽の高さで、略々見當をつけるんですから、非常に「帳裡日月長」と云ふ氣がします。(芥川龍之介「夏目金之助宛手紙」)

 この手紙では久米との海水浴の話がつづられる。芥川龍之介とって夏目金之助は師でもあり、どこかに畏怖があった筈なのだが、この手紙は妙に慕わしい。

女と云へば、きれいな女は一人もゐませんが、黑の海水着に、赤や緣の頭巾をかぶつた女の子が、水につかつてゐるのはきれいです。彼等は、全身が歡喜のやうに、躍つたり、跳ねたりしてゐます。(芥川龍之介「夏目金之助宛手紙」)

 こんなシーンはあたかも大正三年に書かれた『こころ』の冒頭の海水浴を思わせるが、残念、このライジングジェネレーションの手紙は、漱石の晩年、大正五年の八月一宮から出されたものであろうとされている。漱石に『鼻』を絶賛された直後である。『こころ』の冒頭の海水浴のシーンには、むしろ明治天皇崩御の直後の鎌倉への泊りがけの海水浴のイメージが多く注がれているものではないかと私は勝手に考えている。その鎌倉での海水浴では西洋人を見かけており、そのことが日記に残されている。
 それにしても、この手紙には屈託がない。

我々は海岸で、運動をして、盛に飯を食つてゐるんですから、健康の心配は入りませんが、先生は、東京で暑いのに、小說をかいてお出でになるんですから、さうはゆきません、どうかお體を御大事になすつて下さい。修善寺の御病氣以來、實際、我々は、先生がねてお出でになると云ふとひやひやします。先生は少くとも、我々ライズィングジェネレエシヨンの爲めに、何時も御丈夫でなければいけません、これでやめます。(芥川龍之介「夏目金之助宛手紙」)

 そうかお前たちの為に丈夫でなければいけないのかと、漱石も苦笑いしただろう。いかにも憎めない愛嬌がある。しかしここに「ひやひや」や「少くとも」はいけないのではないか、と気が付かないのもおかしい。まだ「成し遂げた」とは思わないで、必死に『明暗』と格闘していた漱石のことを想えば、まあ「ひやひや」は許すとしても「少くとも」はいけない。まだなにごとも成し遂げていない私は思う。ジェネレエシヨンじゃないんだよと。




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