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女人と交った後のようだった


 犬養君の作品は大抵読んでいるつもりである。その又僕の読んだ作品は何れも手を抜いたところはない。どれも皆丹念に出来上っている。若し欠点を挙げるとすれば余り丹念すぎる為に暗示する力を欠き易い事であろう。
 それから又犬養君の作品はどれも皆柔かに美しいものである。こう云う柔かい美しさは一寸他の作家達には発見出来ない。僕はそこに若々しい一本の柳に似た感じを受けている。
 いつか僕は仕事をしかけた犬養君に会った事があった。その時僕の見た犬養君の顔は(若し失礼でないとすれば)女人と交った後のようだった。僕は犬養君を思い出す度にかならずこの顔を思い出している。同時に又犬養君の作品の如何にも丹念に出来上っているのも偶然ではないと思っている。

(芥川龍之介『犬養君に就いて』)

 芥川の途轍もないところが現れた一文である。これで本当に犬養健が本当に女人と交わった後にすっきりして小説を書きはじめていたとしたら、いくら何でも大変失礼である。ほかほかか? ほかほかなのか?

 そんな風に小説を書くことができたとしたなら犬養健は幸福である。



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