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芥川龍之介の『芭蕉雑記』に思うこと② やはり芥川は

 私の記事をいくつか読んだ人ならば説明の要はないかもしれないが、『素戔嗚尊』の後に『芭蕉雑記』を読むのは「たまたま」である。『素戔嗚尊』の前に『老いたる素戔嗚尊』を読んだのも「たまたま」である。『素戔嗚尊』を論じている最中で三島由紀夫の天皇論を取り扱うのも「たまたま」である。ただ『老いたる素戔嗚尊』の後に『神神の微笑』を論じたのは「たまたま」ではない。天照大御神を大日孁貴と呼んでいる点が二作に共通しており、近代文学の枠組みの中ではその表記が極めてまれであること、その表記には恐らくなにがしかの共通した意図があることを前提にして、比較するように論じるためである。

 ただあまりにも出鱈目な『神神の微笑』と『素戔嗚尊』の後で『芭蕉雑記』を読むと、これがとても偶然のこととは思えない感じがしてしまう。私が思わず「同じ比喩を二回使う馬鹿があるか」と書いたのは、『芭蕉雑記』の芥川を確かに知っていたからだ。

 芭蕉は北枝との問答の中に、「我句を人に説くは我頬がまちを人に云いふがごとし」と作品の自釈を却けてゐる。しかしこれは当にならぬ。さう云ふ芭蕉も他の門人にはのべつに自釈を試みてゐる。時には大いに苦心したなどと手前味噌さへあげぬことはない。
「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店。此句、翁曰、心づかひせずと句になるものを、自讃に足らずとなり。又かまくらを生きて出でけん初松魚と云ふこそ心の骨折り人の知らぬ所なり。又曰猿の歯白し峰の月といふは其角なり。塩鯛の歯ぐきは我老吟なり。下を魚の店と唯いひたるもおのづから句なりと宣へり。」
 まことに「我句を人に説くは我頬がまちを人に云がごとし」である。しかし芸術は頬がまちほど、何なんびとにもはつきりわかるものではない。いつも自作に自釈を加へるバアナアド・シヨウの心もちは芭蕉も亦多少は同感だつたであらう。

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

※ 北枝……「立花北枝

※「頬がまち」……頬骨

 酸性キノコ屏風に、いや三世紀の古屏風に伴天連を描こうが、同じ比喩を二回使おうが、芥川龍之介は皮肉、冗談が好きなので、人の粗は良く見えるタイプだ。物事の陥穽をズバリと言い当てる。そういう隙の無さを持っている。そしてのべつに自釈を試みたり、大いに苦心したなどと手前味噌を挙げることは少ない。『羅生門』の出版記念パーティでの「本是山中人 愛説山中話」などが例外に当たるのであろうが、これさえ解る人にしか解らない程度のささやかな自慢である。

 おそらく芥川は『素戔嗚尊』に於いて同じ比喩を二回、二度意識して用いて、その意図を説明していないだけなのである。それを単なるイージーミスだと見做したい人のために『芭蕉雑記』では一語一語味到して見せる。思いだしてみれば芥川は確かに俳句の緻密さで一語一語を選び取る作家だった。その芥川が焼太刀の比喩を二度無意識に使うわけがないのだ。

 つまり「俳諧なども生涯の道の草にしてめんどうなものなり」とは芭蕉の惟然に語つた言葉である。その他俳諧を軽んじた口吻は時々門人に洩らしたらしい。これは人生を大夢と信じた世捨人の芭蕉には寧ろ当然の言葉である。
 しかしその「生涯の道の草」に芭蕉ほど真剣になつた人は滅多にゐないのに違ひない。いや、芭蕉の気の入れかたを見れば、「生涯の道の草」などと称したのはポオズではないかと思ふ位である。

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

 そしてまた坪内逍遥に「紅葉山人以後、文章にあれほど苦心した人は有るまいと思ふ。」とまで言わしめた芥川龍之介が、鴎外、漱石、鏡花、谷崎を飛び越えて、「紅葉山人以後」と言われていることも確かなのである。

 その芥川が「しれい」と書くならば、やはりそこには何か意味があるのだ。「瓶」に「ほたり」とルビがあるのも「ほたりとらすも」以外の典拠がきっとあるのだ。

 あるいはそこも敢て間違えたふりをしているのだ。少なくとも遠くから石を投げるようにして「違いますよ」とだけ言い捨てて終わりに出来るようなことではない筈なのだ。

「土芳云ふ、翁曰く、学ぶ事は常にあり。席に臨んで文台と我と間に髪を入れず。思ふこと速かに云いひ出いでて、爰に至りてまよふ念なし。文台引おろせば即反故なりときびしく示さるる詞もあり。或時は大木倒すごとし。鍔本にきりこむ心得、西瓜きるごとし。梨子くふ口つき、三十六句みなやり句などといろいろにせめられ侍るも、みな巧者の私意を思ひ破らせんの詞なり。」
 この芭蕉の言葉の気ぐみは殆ど剣術でも教へるやうである。到底俳諧を遊戯にした世捨人などの言葉ではない。更に又芭蕉その人の句作に臨んだ態度を見れば、愈情熱に燃え立つてゐる。

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

 ※「気ぐみ」……気構え。

 芭蕉の気ぐみを受け止めることのできる芥川は、やはり剣でも振り回すような文章の使い手であった。それは華麗な比喩のことだけではない。

「そうでしょうか。じゃ評判がなかったら、いくら私が剛力でも――」
「さらに剛力ではなくなるのです。」

(芥川龍之介『素戔嗚尊』)

 昨日私はいくら芭蕉でも宣伝なしに門人は集まるまいと書いた。

 しかし芥川はさらに一歩進んで評判がなくなれば強力でなくなるとまで書いている。こうした手拍子ではない会話、ロジック展開もまた芥川の剣である。あるいはこれまで『素戔嗚尊』で同じ比喩を二回、二度使っていたなどと全く気が付かなかった者がいたならば、あるいは針金雀花(はりえにしだ)があり得ないことに気が付いていない者がいたならば、それは師・夏目漱石が文学の第二の目的とした「幻惑」に成功したのだとは言えまいか。

 犬の×××××に嫉妬して泣く素戔嗚尊を描いたとして、八岐大蛇の謎が説かれていないとして、芥川は確かに三十五章の文章を剣を振り回すように書いている。情熱に燃え立っていなくてはできることではない。

「許六云、一とせ江戸にて何がしが歳旦びらきとて翁を招きたることあり。予が宅に四五日逗留の後にて侍る。其日雪降て暮にまゐられたり。其俳諧に、

人声の沖にて何を呼よぶやらん  桃鄰
 鼠は舟をきしる暁  翁
 予其後芭蕉庵へ参りとぶらひける時、此句をかたり出し給ふに、予が云、さてさて此暁の一字ありがたき事、あだに聞かんは無念の次第也。動かざること、大山のごとしと申せば師起き上りて曰、此暁の一字聞きとどけ侍りて、愚老が満足かぎりなし。此句はじめは

須磨の鼠の舟きしるおと
 と案じける時、前句に声の字有ありて、音の字ならず、依て作りかへたり、須磨の鼠とまでは気を廻らし侍れども、一句連続せざると宣へり。予が云、是須磨の鼠よりはるかにまされり。(中略)暁の一字つよきこと、たとへ侍るものなしと申せば、師もうれしく思はれけん、これほどに聞きてくれる人なし、唯予が口よりいひ出せば肝をつぶしたる顔のみにて善悪の差別もなく鮒の泥に酔たるごとし其夜此句したる時一座のものどもに我遅参の罪ありと云へども此句にて腹を医せよと自慢せしと宣ひ侍る。」
 知己に対する感激、流俗に対する軽蔑、芸術に対する情熱、――詩人たる芭蕉の面目はありありとこの逸話に露はれてゐる。殊に「この句にて腹を医せよ」と大気焔を挙げた勢ひには、――世捨人は少時問はぬ。敬虔なる今日の批評家さへ辟易しなければ幸福である。

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

 この芭蕉の面目より苛烈な言葉を私は何度引用しただろうか。

 一般の世が自分が実世界における発展を妨げる時、自分の理想は技巧を通じて文芸上の作物としてあらわるるほかに路がないのであります。そうして百人に一人でも、千人に一人でも、この作物に対して、ある程度以上に意識の連続において一致するならば、一歩進んで全然その作物の奥より閃き出ずる真と善と美と壮に合して、未来の生活上に消えがたき痕跡を残すならば、なお進んで還元的感化の妙境に達し得るならば、文芸家の精神気魄は無形の伝染により、社会の大意識に影響するが故に、永久の生命を人類内面の歴史中に得て、ここに自己の使命を完うしたるものであります。

(夏目漱石『文芸の哲学的基礎』)

 一昨日、『奇怪な再会』に関する記事などを複数購入してくれた方がいた。その人がこの「千人に一人」なのだろう。「今更、芥川作品について何か書いて意味あるのかな。なにか新しいことでもあるというのかな」という疑問から記事を読み「ふーん」ではなく「あれ?」と何かに気がついてこその行動なのだろう。「そうか、あれはこうなっていて、ここはこうだったんだ」と驚いてこそという気魄で漱石も芥川も、そして私も書いている。

 芭蕉の大気焔を論ずる芥川は又、己の中でふつふつと気焔を滾らせていた筈だ。その気魄が私にはひしひしと伝わる。そしてこの私の気焔が誰かに伝われば有難い。雑記としながら、『芭蕉雑記』は少しも雑ではない。


 トンボになっている。すしって。


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