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枯藪に風あり寝込む我鬼先生 芥川龍之介の俳句をどう読むか165

枯藪に風あり炭火起す家

 大正八年十二月十四日、小穴隆一宛の葉書に添えられた句だ。 「これはボクの癇癪を句にしたのです」とある。

「お父さんは相当な皮肉やさんだったけど、私や使用人にも荒いことばで何か言ったり怒ったことはない人でした」「お父さんは普段怒らないし、やさしい人だったけれど、皮肉やさんでしたね」

(芥川瑠璃子『双影 芥川龍之介と夫比呂志』)

 これは芥川文の言葉である。瑠璃子は「ちょっと人の悪いところもある龍之介」と書いている。

 それでも人間なので時には癇癪も起こしたのだろう。現代風に言えば、

枯藪にめちゃ着火ファイヤー起こす家

 ということになろうか。何かが思い通りにならない時、そうあるべきものがそうならない時、全くだらしないもののために邪魔をされた時、私も癇癪を起こす。何も期待せず、不条理を許し、くだらないものからはとにかく逃げるようにしてさえ、癇癪からは逃れられないものだ。しかし癇癪を起したら俳句を詠んでみるというのもいい対処療法かもしれない。怒りの感情のまま俳句を詠むことは難しい。

  大正八年十二月十七日、滝井孝作宛の書簡に、

極月に取急ぎたる婚儀哉   碧堂
襖つくろふ俳諧の反故    我鬼

と云ふのはどうだ。

 とある。

 発句は今成無事庵、付け句は我鬼先生か。

新脩歳時記 冬の部

俳諧の反古はきたなき助炭かな


大正百家選 : 滝の雫創立7週年紀念 地巻 (大正俳句輯)

歌反古に屏風はる夜や虫のなく

 やや被りだ。

曇天や蝮生きゐる壜の中

 大正八年十二月十七日、小島政二郎宛の書簡に添えられた句だ。この句が色々と練られたであろうことはすでに述べた。

 気になるのはこの句にも、

午六日前癇癪が起こつた時作つた句をご披露します

 と癇癪の報告が添えられていることだ。すべてがそうだとは限らないが、癇癪は認知症の初期段階でも起こる。

島田清次郞·芥川龍之介は、本物の早發性痴呆症であッた。人の妻と心中した有島も、其作品を見て、單純な思想の人だといふ事が分る。私は以前に、常に凡人主義といふ事を唱へた。

神経質療法への道 第3篇 森田正馬 著神経質研究会 1937年

 こういう見立てもある。まだ少し早いがインフルエンザ以降、色白になり、白絽蟵が眼底に蠢き、そして癇癪。

 もう分り切った最後に近づきつつあるような感じがして何か気持ちが悪い。

 大正八年十二月十八日、水守亀之助あての書簡には、

昨夜より急に発熱し今日猶床に就いてゐます医者流行性ではないが風邪だらうと

 とある。発熱する病気はごまんとある。これは本当に風邪による発熱だったのだろうか?

風落ちて枯藪高し冬日影

 大正八年十二月二十二日、滝井孝作宛の書簡に添えられた句だ。

風落ちて曇り立ちけり星月夜

 この句でさんざんやった、「風落ちて」、さて今度はどちらの意味だろうか。

 これもどちらともどちらでないとも鑑賞されていない句だ。ずばり「枯藪高し冬日影」なので今まで風で寝かされていたのが立ち上がって高くなったよ、という意味「物事の程度が急にさがる」という意味で、当然今まで風邪で寝込んでいたけれど少し良くなったよという人事句でもあろう。

 治ってよかった。


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