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『彼岸過迄』を読む 4357 ということはつまり

 その昔、「イカ天」、『三宅裕司のいかすバンド天国』の後番組として製作された「エビ天」、『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』の「えび天サマージャンボリー」で「エビゾリー賞」に選ばれた「前向きで行こう」の墨岡雅聡監督の次回作は失恋した監督が叫びながら空中を浮遊しひたすらうしろに下がっていくというコマ撮り特撮ものだった。「前向きで行こう」と言いながらひたすらうしろに下がっていくという意図にその作品の価値の半ばがあった。全てではない。

 この点に関しては即座に本人に「何で後ろに下がるねん」と告げ、「天才は天才を知る」と認めて貰えた。まあ、彼はある意味天才的だが、私は全くあらゆる意味で天才ではない。まだ三歳でバナナが半分しか食べられない。

 一応昨日整理できたところまでで言えば、

明治四十二年 七月  須永市蔵は鎌倉の海水浴で撃沈する。
明治四十三年 四月  松本恒三は姉より市蔵の結婚問題の相談を受ける。
明治四十三年 四月  松本恒三は市蔵の出生の秘密を本人に話す。
明治四十三年 五月  松本恒三と須永市蔵洋食店で食事。
明治四十三年 七月  須永市蔵関西方面に旅行。
明治四十三年 七月  田川敬太郎は大学を卒業する。
明治四十三年 八月  田川敬太郎は職探しに奔走する。
明治四十三年 十月  田川敬太郎は松本恒三を探偵する。
明治四十三年 十一月 田川敬太郎は田口から職の斡旋を受ける。
明治四十四年 一月  田川敬太郎は田口家の歌留多に参加。
明治四十四年 二月  田川敬太郎は千代子の結婚問題が気になる。
明治四十四年 二月  田川敬太郎は千代子から「雨の降る日」を聞く。
明治四十四年 二月  田川敬太郎は須永市蔵から「須永の話」を聞く。
 

 この明治何年というのは仮置きとして、物語の現在、一番先っぽの所は梅の季節で終わっている。
 ということはつまり『彼岸過迄』は春のお彼岸に届いていない。『二百十日』が二百十一日目で終わっているのと同じ仕掛けだ。
 こんな大きな洒落もこれまで誰も認めてこなかったところではなかろうか。 

 漱石には案外そう言うところもあると私は考えている。春のお彼岸に届いていないことが『彼岸過迄』のすべてではないが、春のお彼岸に届いていないことは漱石には重要だったのだ。同様に『二百十日』を二百十日で終わらせないこともおそらく漱石には重要だった。言ってみればなんとでもなること、自在に操ることのできることながら、そこを調整して書くのでなければ物語に現れる日時や時節など何の意味も持たなくなってしまう。

 この『彼岸過迄』は現在と過去が交錯する複雑な構造を持っている。梅の季節に秋の話をする。そもそも正月から書きはじめたのに真夏の話で始まっている。回想部分を無視すれば、これは七月から二月にかけての話ということになり、敢て春の彼岸に届かないように細工されている。

 これでは牡丹餅は食べられない。『彼岸過迄』はある意味では牡丹餅が食べられない作品なのだ。だから『行人』では、夏から始まった物語が彼岸過ぎまで延びて牡丹餅が出て來る。

 この牡丹餅問題は案外根深い問題かもしれない。「松本の話」は須永市蔵の手紙で終わっているが、これは一年半前の夏のできごと。そこから過去の季節も進まない。

 旅行から戻った報知に訪ねて来た市蔵に職のことを訪ねると案外呑気なのに驚いた。こちらでもつい田口の関係する会社に糊口が用意されているものと思いこんでいたところ、本人にはその気がないらしい。八月になっても九月になっても一向働く様子が見られないことから姉が御萩のお重を持って相談に来た……

 ……といった話がまだ続いて、続いて現在の市蔵と連結させて、さらにほんの少し時間を進行させても良かろうと思う。少し間がありすぎな感じがする。しかし彼岸は迎えない。そうはならない。ここにはやはり『彼岸過迄』とふっておいて、絶対に彼岸は迎えないという漱石の頑なな意思が現れているように思える。

 

[付記]

 鎌倉の海水浴からもう一年半は経っている。ということは田川敬太郎が蛸狩りで揶揄われる前に鎌倉で蛸狩りが行われていたことになる。こうして物語に流れる時間を書かれた順でなく辿ってみると見えてくることがある。

 そして別の感慨も生まれる。十九歳だった小間使いの作はもう二十歳を過ぎた。まだ嫁にいっていないとしたら、何だか気の毒だ。千代子もいくつになったのか解らないが、いつまでも市蔵のようなものに構っていないでさっさと嫁に行くべきだ。

 


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