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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか⑫ 考えながら読もう

「職業に貴賎なし」といつぐらいから言われていたかと調べていたら、少なくとも明治時代の小学校の教科書の指導要領に出てくることが解った。当然それ以前は貴賤があったわけで、今でも現実的にはあると思う。スパムメールを送る仕事とか。


禍の根を断ちたいのじゃがとはどういう意味か?

「次第によっては、御意通り仕らぬものでもございませぬ。」
 恐ろしいくらいひっそりと静まり返っていた盗人たちの中から、頭だったのが半ば恐る恐るこう御答え申し上げますと、若殿様は御満足そうに、はたはたと扇を御鳴らしになりながら、例の気軽な御調子で、
「それは重畳じゃ。何、予が頼みと申しても、格別むずかしい儀ではない。それ、そこに居る老爺は、少納言殿の御内人で、平太夫と申すものであろう。巷の風聞にも聞き及んだが、そやつは日頃予に恨みを含んで、あわよくば予が命を奪おうなどと、大それた企てさえ致して居おると申す事じゃ。さればその方どもがこの度の結構も、平太夫めに唆かされて、事を挙げたのに相違あるまい。――」
「さようでございます。」
 これは盗人たちが三四人、一度に覆面の下から申し上げました。
「そこで予が頼みと申すのは、その張本の老爺を搦って、長く禍の根を断ちたいのじゃが、何とその方どもの力で、平太夫めに縄をかけてはくれまいか。」

(芥川龍之介『邪宗門』)

ちょう‐じょう【重畳】‥デフ ①幾重にも重なること。「罪科―」 ②この上もなく満足であること。とても好都合なこと。狂言、栗焼「―の炭火がおこしてある」。「御無事で何より―です」

広辞苑

ちょう‐ほん【張本】チヤウ‐
《古くは「ちょうぼん」》(1)事の起こり。原因。特に、悪事のもととなること。また、その人。張本人。「弱い者いじめの―で」〈中勘助・銀の匙〉(2)あとでの出来事に備えて、前もって準備しておくこと。

大辞泉

けっこう【結構】
《名詞・―す他動詞・サ行変格活用》
❶立派に作り出すこと。また、そのでき上がった物や構造・デザイン。
❷計画。準備。

学研古語辞典

 ここで若殿様は原因を取り除きたいと言っている。つまり平太夫はただ縛られるだけではないのだ。蝋燭を垂らし……はしないだろうが、ただ縄で縛るだけでは原因を取り除くことができないことは明らかなのだ。ここで芥川が「張本」と書き「張本人」と書かないのは、人をものとして扱っているようで、いかにも堀川の大殿様の冷血さを連想させて恐ろしい。

 平太夫にしてみれば、軟弱な風流人と嘗めてかかったところが形勢逆転されたうえに、堀川の大殿様の威風を感じてたじろぐところであろうか。また頭だった男の丁寧な言葉づかいから、この場を制しているのは若殿さまだということがはっきり見て取れる。やや古風な芝居のようでありながら、人の心の動きが見える良い結構である。

おまえがうっそりだ

 この御仰せには、盗人たちも、余りの事にしばらくの間は、呆れ果てたのでございましょう。車をめぐっていた覆面の頭が、互に眼を見合わしながら、一しきりざわざわと動くようなけはいがございましたが、やがてそれがまた静かになりますと、突然盗人たちの唯中から、まるで夜鳥の鳴くような、嗄れた声が起りました。
「やい、ここなうっそりどもめ。まだ乳臭いこの殿の口車に乗せられ居って、抜いた白刃を持て扱うばかりか、おめおめ御意に従いましょうなどとは、どの面下げて申せた義理じゃ。よしよし、ならば己らが手は借りぬわ。高がこの殿の命一つ、平太夫が太刀ばかりで、見事申し受けようも、瞬く暇じゃ。」
 こう申すや否や平太夫は、太刀をまっこうにふりかざしながら、やにわに若殿様へ飛びかかろうと致しました。が、その飛びかかろうと致したのと、頭だった盗人が、素早く白刃を投げ出して、横あいからむずと組みついたのとが、ほとんど同時でございます。するとほかの盗人たちも、てんでに太刀を鞘におさめて、まるで蝗か何かのように、四方から平太夫へ躍りかかりました。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 平太夫のやることは一々遅い。どうせ一人でやるならやるでさっさとすましていればいいものを、わざわざ無駄口を叩いているからこうなる。

うっそり ぼんやりするさま。うっかり。また、そのような人。浄瑠璃、桂川連理柵「長右衛門の―が贋とも知らずに研ぎにかけ」

広辞苑

 うっそりは平太夫だ。まあしかしこの遅さが芝居を拵えているので平太夫ばかりを責められない。

 ところでこの「うっそり」、ツイッターでは「うっそりとほほ笑む」「うっそりと現れる」などという「ぼんやり」に還元できない言い回しがかなり見られ、「うっとり」の間違いかと思えばそうではなく、方言ともなんとも判断できない妙な言葉となっている。

 何しろ多勢に無勢と云い、こちらは年よりの事でございますから、こうなっては勝負を争うまでもございません。たちまちの内にあの老爺は、牛のはづなでございましょう、有り合せた縄にかけられて、月明りの往来へ引き据えられてしまいました。その時の平太夫の姿と申しましたら、とんと穽にでもかかった狐のように、牙ばかりむき出して、まだ未練らしく喘あえぎながら、身悶えしていたそうでございます。
 するとこれを御覧になった若殿様は、欠伸まじりに御笑いになって、
「おお、大儀。大儀。それで予の腹も一先癒えたと申すものじゃ。が、とてもの事に、その方どもは、予が車を警護旁、そこな老耄を引き立て、堀川の屋形まで参ってくれい。」
 こう仰有れて見ますと盗人たちも、今更いやとは申されません。そこで一同うち揃って、雑色がわりに牛を追いながら、縄つきを中にとりまいて、月夜にぞろぞろと歩きはじめました。天が下したは広うございますが、かように盗人どもを御供に御つれ遊ばしたのは、まず若殿様のほかにはございますまい。もっともこの異様な行列も、御屋形まで参りつかない内に、急を聞いて駆けつけた私どもと出会いましたから、その場で面々御褒美を頂いた上、こそこそ退散致してしまいました。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 また出て来た。一つの作品の中に二度、三度、四度

 このうち「天が下の色ごのみ」と「天が下の阿呆ものじゃ」が同じ使い方。今回の「天が下は広うございますが、かように盗人どもを御供に御つれ遊ばしたのは、まず若殿様のほかにはございますまい」と六章の「天が下は広しと云え、あの頃の予が夢中になって、拙い歌や詩を作ったのは皆、恋がさせた業じゃ」が本来は同じ用法であるべきところ、六章は懸りが緩んで解けている。十五章ではしっかり平太夫を縛っているので懸りがしっかりしていて解けない。

なわ‐つき【縄付き】ナハ━  〘名〙 罪を犯して縄でしばられること。罪人として捕らえられること。また、その人。

明鏡

 どういうわけかこの「縄つき」という言葉は主要な辞書では「明鏡」にしか説明がない。何か差別用語的な取扱いなのかしらん。


 それにしてもこの盗人どもを御供に御つれ遊ばした若殿様の様子は、いかにも大殿様の「豪放で、雄大で、何でも人目を驚かさなければ止まないと云う御勢い」そのままで、「夜な夜な現れる融とおるの左大臣の亡霊を、大殿様が一喝して御卻けになった」エピソードそっくりではなかろうか。

 こうなるとあの『地獄変』で堀川の大殿様が見せた容赦ない仕打ちが再現されるのではないかと期待してしまうところだが焦ってはいけない。この後平太夫がどうなるのか。マイナ保険証にうまい落としどころがあるのか。それはまだ誰にも解らない。何故なら私がまだこの続きを読んでいないからだ。

[余談]

「長さが三尺以上もあつて、目方は二貫以上三貫ぐらゐ、顎がまくれ上つて牙がはえてゐるやうな奴のことを、ここらへんでは『繩つき』と言つてゐるんだがね。

或る作家の手記
島木健作 著創元社 1940年

 これは鮭の話。


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