「職業に貴賎なし」といつぐらいから言われていたかと調べていたら、少なくとも明治時代の小学校の教科書の指導要領に出てくることが解った。当然それ以前は貴賤があったわけで、今でも現実的にはあると思う。スパムメールを送る仕事とか。
禍の根を断ちたいのじゃがとはどういう意味か?
ここで若殿様は原因を取り除きたいと言っている。つまり平太夫はただ縛られるだけではないのだ。蝋燭を垂らし……はしないだろうが、ただ縄で縛るだけでは原因を取り除くことができないことは明らかなのだ。ここで芥川が「張本」と書き「張本人」と書かないのは、人をものとして扱っているようで、いかにも堀川の大殿様の冷血さを連想させて恐ろしい。
平太夫にしてみれば、軟弱な風流人と嘗めてかかったところが形勢逆転されたうえに、堀川の大殿様の威風を感じてたじろぐところであろうか。また頭だった男の丁寧な言葉づかいから、この場を制しているのは若殿さまだということがはっきり見て取れる。やや古風な芝居のようでありながら、人の心の動きが見える良い結構である。
おまえがうっそりだ
平太夫のやることは一々遅い。どうせ一人でやるならやるでさっさとすましていればいいものを、わざわざ無駄口を叩いているからこうなる。
うっそりは平太夫だ。まあしかしこの遅さが芝居を拵えているので平太夫ばかりを責められない。
ところでこの「うっそり」、ツイッターでは「うっそりとほほ笑む」「うっそりと現れる」などという「ぼんやり」に還元できない言い回しがかなり見られ、「うっとり」の間違いかと思えばそうではなく、方言ともなんとも判断できない妙な言葉となっている。
また出て来た。一つの作品の中に二度、三度、四度
このうち「天が下の色ごのみ」と「天が下の阿呆ものじゃ」が同じ使い方。今回の「天が下は広うございますが、かように盗人どもを御供に御つれ遊ばしたのは、まず若殿様のほかにはございますまい」と六章の「天が下は広しと云え、あの頃の予が夢中になって、拙い歌や詩を作ったのは皆、恋がさせた業じゃ」が本来は同じ用法であるべきところ、六章は懸りが緩んで解けている。十五章ではしっかり平太夫を縛っているので懸りがしっかりしていて解けない。
どういうわけかこの「縄つき」という言葉は主要な辞書では「明鏡」にしか説明がない。何か差別用語的な取扱いなのかしらん。
それにしてもこの盗人どもを御供に御つれ遊ばした若殿様の様子は、いかにも大殿様の「豪放で、雄大で、何でも人目を驚かさなければ止まないと云う御勢い」そのままで、「夜な夜な現れる融とおるの左大臣の亡霊を、大殿様が一喝して御卻けになった」エピソードそっくりではなかろうか。
こうなるとあの『地獄変』で堀川の大殿様が見せた容赦ない仕打ちが再現されるのではないかと期待してしまうところだが焦ってはいけない。この後平太夫がどうなるのか。マイナ保険証にうまい落としどころがあるのか。それはまだ誰にも解らない。何故なら私がまだこの続きを読んでいないからだ。
[余談]
これは鮭の話。