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川上未映子の『夏物語』をどう読むか⑭ 勇気を出して

 実の父親から性的虐待を受けることよりも、種なしの父親だと思っていた他人から性的虐待を受ける方がいささかでも残酷さは少ないのだろうか。善百合子もまたそうした「奈落の底に突き落とされるような絶望感」を味わってきた。

 三月が終わろうとしていた。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 物語を進める上では、どうしても季節の進行が必要なのだろうか。2008年の夏のように、数日間で話を終わらせることも可能なのだろうが、第二部では事態はゆっくりと勧められ、季節は巡る。

 そしてやはり主題は完全に夏でも貧乏でもなくなっている。夏子と逢沢さんは頻繁にメールのやり取りをするようになり、先週の土曜日には居酒屋で食事をしてビールを飲んだ。

 逢沢と善は子どもをつくらない前提で付き合っているらしい。するとそれはつまり「しない」ということなのか「かわりのなにか」があるということなのか? そこは掘られない。さしあたってセックスに興味がない夏子にとってはむしろそこはどうでもいいことなのかもしれない。

 夏子は逢沢に昔ひとりだけ付き合った男性がいるが、セックスをすると死ぬほど悲しい気持ちになること、そのあともそういう欲求を持つことができないことを話す。普通の性行為は出来ないけれど子供は欲しいと。こうした場合「自分なら」をさしはさむことは余計だが、何日か前、予想したような流れになっていないだろうか。ここで逢沢が一言「僕ので良ければ使いますか」と言ってしまえば一気に話が展開してしまいそうな気がする。私なら夏子の言葉を「セックスはしたくないが精子は欲しい」と理解してしまう。

 しかしさすがは川上未映子だ。そう簡単に話は纏めない。

 逢沢は白血病の「のりこちゃん」の話を始める。(え、なんで?)

 骨髄移植を受けて治療をしていた二十歳ののりちゃんは死んでしまった。その母親が、凍結保存してあったのりちゃんの卵子を使って、もう一度のりこを産めないかといって泣いた。

 のりこの卵子を使って、わたしがもう一度のりこを産めませんか、会えませんか

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 逢沢は夏子の話を聞いてのりちゃんのことを思いだしたという。上手いね。この返し。「僕ので良ければ使いますか」なんて言うやつは馬鹿だ。二十歳ののりちゃんの母親は、少なくとも三十八歳、夏子とおない年か、もう少し上。ただでさえぎりぎりの年齢だ。そして緑子の日記が思い出される。

 これはすごくこわいこと、おそろしいことで、生まれるまえからわたしのなかにも、人を生むもとがあるということ。大量にあったということ。生まれるまえから生むをもってる。ほんで、これは本のなかに書いてあるだけのことではなくて、このわたしの、このお腹のなかにじっさいほんまに、いま、起こってることであること。生まれるまえの生まれるもんが、生まれるまえのなかにあって、かきむしりたい、むさくさにぶち破りたい気持ちになる。なんやねんなこれは。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 それはええけど、お母さん、あんたのお腹のなかでのりちゃんの卵子と、旦那さんの精子が結びついたら、それ近親相姦にならんか?

 川上未映子はそんなロジックをぼんやり示しはするが、くどくど説明はしない。読者にはただえげつない感じというものが伝わるだろう。(伝わる?)

 夏子と逢沢さんはどういうわけか気が合うようだ。お互い色んな話をした。好きな画の趣味も合う。

 わたしは逢沢さんのことを好きになっていたのだと思う。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 そんなもん、おっちゃんずっと前から知っとったで。しかしどうもこうもならん。逢沢には恋人がいて、二人は深く結びついているように思える。

 小説は頓挫していた。(あかんやん?)

 四月の終わりごろ、恩田と云いう男からメールが届く。この「男」という時点で全然いい予感がしない。精子の個人提供の話だった。文章も内容もきちんとしている。夏子は恩田と会うことを想像してみる。

 五月の連休明けに遊佐から電話がかかってきた。久しぶりに会おうということになり、遊佐のマンションに行くことになる。

 わたしはだし巻き卵と春雨のサラダを作って、百均で買っておいたタッパーに詰めた。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

  ちょい待ちいな。なにだし巻き卵作ってけつかるねんな。

「せやけどなんかお腹すかん。なんかさっと炒めもんとか、なんか作ろか」巻子は台所の様子を窺うように首をくっとのばした。
「巻ちゃんごめん、うちなんもないねん」わたしは言った。
「卵しかない」
「ほんまか」巻子はうーんと大きな伸びをして、あくびまじりの声で言った。「卵だけあってもなあ」

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 夏っちゃん、あんたいつからだし巻き卵なんか作れるようになってん。男できたんちゃうか、ゆうてひやかされるでほんまに。あほゆうたらあかん。まいばすけっとで、あの小さい、切れとる玉子焼き買うたらええがな。

 遊佐は大学の教員と結婚してすぐ離婚していた。夏子は子ども欲しいねんな、と打ち明ける。そしてセックスが出来ないことも。

「わからないこともない」遊佐は言った。「わたしはまあ、男全般が気持ち悪くなってるっていうのはあるかな」

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 遊佐、あんたもか。

「考えてもみなよ、生まれた時から下駄履かされて、そのことにも気づかないで、まわりのことは何でも母親がやってきて、ちんこついてる俺らのほうが偉くて女なんかやるだけのもんだって教えられてきてだよ、一歩社会に出たら出たで、どっちむいても女の裸ばかりでちんこをもてなすシステムでがんがんにまわってて、それで、ぜんぶやらされてるの女じゃないか。あげくの果てには、自分らがこんなに痛いのは—— モテないだの金がないだの、職がないだの、自分らのうだつのあがらなさをぜんぶ女のせいにしてんだよ。少なく見積もって女の痛みの半分以上を作ってんのは、どこの誰だよ。こんなんでいったい何がわかりあえんの。構造的に考えてありえないだろ」

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 遊佐さんお口が悪い。これが何年後かには教科書に載るのか。「ちんこをもてなすシステム」って、まあ、男根ロゴス主義とかいうからあれか。遊佐は結婚や家、セックスを否定する。

 夏子は精子バンクのことを話す。そこに仙川がやってくる。そしてやはり精子バンクの話になる。遊佐は子どもを産むのに必要なのは女の意志だけだと宣言する。夏子は大いに勇気づけられる。

 しかしその帰り道、

「小説はどうなってるんです」仙川さんは鼻で小さく笑って言った。「自分の仕事を満足に仕上げることもできず、人との約束を果たすことのできない人が、子どもを産んで育てるなんてことができるんですか?」

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 仙川は子どもが欲しいなどと凡庸なことを言っていないで小説を書けという。リカはエンタメ作家でその作品には文学的価値はないと。振り切るように仙川と別れた夏子は巻子から懸かってきた電話でも精子バンクの話をしてしまい大反対される。巻子とも喧嘩別れして夏子は恩田のメールに返信してしまう。

 いやな予感しかしない。

 


 言葉を理解する。飛躍した解釈をしない。なにが良いのか自分の中に確信が持てるかどうか確かめる。物語構造を捉える。ふりと落ちを見極める。そんなことが案外できていない。


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