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三島由紀夫の『美しい星』をどう読むか⑥ 美は美だ

 今中国では川端康成ブームらしい。三島由紀夫の扱いも気になるところだが、どうしてこうも文化に金を払わないのかとちょっとした怒りのようなものも覚える。ただからブームというのはいかがなものか。結局それはコンテンツの作り手を滅ぼす方向性なのだと気が付かないのだろうか。

 さて第六章、話は再び大杉家のこととなる。

 暁子は母に連れられて東京の芝の新しい病院へ行く。

 飯能から芝?


ekitan


  病院なら池袋にもありそうなものを、わざわざ余計な交通費を払って芝へ行くとなると、それはもう嫌な感じしかしない。そこには着飾った人間の女どもが座っている。免罪符のつもりで貧弱な結婚指輪をはめてくる女たち。

 暁子は無事帰って来たんじゃなかったのか?

 十二月に竹宮と出会つて以来、暁子はつひに月の羈絆を、人間の女が誰しも免れない月の縛めを脱したのである。この美しいけれど低俗な天体に彼女をつないでゐた血の鎖は、遠い金星の崇高な力によつて絶たれ、暁子はもはや、純潔な金星の原理だけに服することになつた。一月になつても、二月になつても、もう二度と月はその力を及ぼしてくる気配はなかつた。これは当然すぎるほど当然なことだつたので、暁子は別におどろきもしなかつた。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 母親は暁子に正直に話すよう諭すが、現に暁子には手も触れた記憶さえない。暁子は純潔だと言い張る。

 診察の結果、暁子は妊娠四か月だった。

「お母樣、おどろいてはだめよ。私は処女懐胎なの」
「そんな馬鹿なことが」

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 人間ならばあり得ないとして、金星人なら当たり前なのだと暁子は主張する。木星人の母親にはその理屈がすんなり受け入れられない。母親は円盤が見えた時にどんな気持ちだったのかと質問の鉾先を変える。

 あのときの至福と心の高鳴りは、一体何に譬へたらよからう! 暁子の心は円盤の軌跡を追ひ、北国の低くわだかまる雲を貫ぬいて、巻雲の逆巻くところ、真珠母雲のきらめくところ、夜光雲の漂ふ高層のさらに上、おそらく紅ゐにかがやく極光のはためきに包まれるあたりまで天翔つてゐた。彼女の肉体は地上に残された。それもかなり永ひあひだ。……その間地上の肉体に何が起こつたか、どうして暁子が知ることができよう。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 竹宮は相当に上手だったようだ。暁子は「喜悦の持続」とまで言ってみる。しかしやはり手も握らなければ、接吻もしていないと言い張る。

 母親は秘密を消してしまってはどうかと提案する。つまり堕胎せよということだ。暁子は断固拒否する。これが自分の使命だと信じている。

 『美のせゐだ。美の奴が孕ましたんだ』

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 父、重一郎はこんなことを思う。この「美」は飽くまで「美」であり、天皇には還元されないだろう。なんでも天皇の所為にされてはたまらない。

 しばしば三島の抽象表現は不可逆的に作用する。もともとは具体的なもののある性質が取り出された提喩であったはずのものが、具体に還元されることなく固定化される。言ってみれば本来あるはずもない「花の美しさ」を取り出してしまうのだ。

 季節は春。空からは死の灰が降っていた。

 そういえばこの「死の灰」という言葉も使われなくなった。重一郎はこれを「緩慢な自殺」と呼んでみる。よくよく考えてみれば核実験に何も良い点などない。ただ大量殺戮兵器ができて、準備が整ったとして、そこから人類を幸福にするような何かが生まれてくることはない。ただ『美しい星』における現在は、まさにそそうした恐るべき科学技術の進歩の時代だったのだ。地球を終わりにする準備が着々と進めせれていた。水素爆弾は螺子回しや塩酸や胡桃割りのおまじないではなく、本当にこの星を終わりにしかねないものであり、その研究のために地球人たちはもれなく死の灰を浴びつづけていた。

 重一郎は金沢に発った。なんなら金星から来た小僧つ子に土下座してもいとさえ思っていた。人類を救うために何一つ具体てな手が打てずにいるのに、娘を救うためにはすぐ行動ができるのだ。

 重一郎は「竹宮薫」の住所を訪ねる。しかしそれらしい建物は見つからない。なんども行きつ戻りつを繰り返すうち、一軒の粗末な木造の安ホテルに「竹宮」という小さな表札を見つける。

 いやな予感しかしない。

 明治ホテルの主人によればそこはアパートを兼ねていて、川口薫という男が住んでいたがひと月余り前に出て行ったらしい。「竹宮」は主人の名で、手紙が着くように薫が借りていたらしい。見栄坊で、方々の女をたらし込んでいたということだ。

 結局「竹宮」のゆくえは解らなかった。

 重一郎は暁子に「竹宮」は金星人だったというべきか人間だったというべきか迷った。

 もとはといへば暁子が、美に、あの虚妄な原理に屈したのが悪かつたのだ。
『よし、あの娘に罰を与へよう』
 と情深い火星人は考へた。飯能に帰つたのち、疲れた父親はきつとかう言ふだらう。
「やつぱりあいつは金星人だつた。お前を置いて金星へ還つてしまつたのだ」
 ——しかしこんな迂闊ないたはりは、決して地球人の原理への妥協ではなかった。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 しかしこの罰はまだ嘘とは決めつけられない。川口薫が本当に金星人で、ただ一雄のように地球人がぴちぴちして見えていただけの事かもしれないのだ。ただ相当なテクニシャンで、「喜悦の持続」が得意の金星人であったかもしれないのだ。

 川口薫がまた姿を現すのかどうなのか、それはまだ誰も知らない。何故ならまだ第七章を読んでいないからだ。



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