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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する176 夏目漱石『明暗』をどう読むか25 この人には勝てない

 それにしても津田由雄も、秀子も、お延も、小林も、お金さんも、どうしたわけか実の親と縁遠い。たまたまそういう組み合わせなのだろうが、津田由雄もお延も叔父の世話になっている。このことは後で何か意味を持つてくるのだろうか。

 例えば『道草』に描かれる健三の結婚式

 これはなんともいい加減なものだった。健三の両親はすでに他界していたとしても、健三側からの参列者がいないのはいかにも寂しい。その実家から縁遠い感じがやはり『明暗』にもある。 


僕から見れば、あり過ぎるくらいあるんです

「じゃあなたは人を厭がらせる事は、いくらでも厭がらせるが、それに対する責任はけっして負わないというんでしょう」
「ええそこです。そこが僕の要点なんです」
「そんな卑怯な――」
「卑怯じゃありません。責任のない所に卑怯はありません」
「ありますとも。第一この私があなたに対してどんな悪い事をした覚えがあるんでしょう。まあそれから伺いますから、云って御覧なさい」
「奥さん、僕は世の中から無籍もの扱いにされている人間ですよ」
「それが私や津田に何の関係があるんです」
 小林は待ってたと云わぬばかりに笑い出した。
「あなた方から見たらおおかたないでしょう。しかし僕から見れば、あり過ぎるくらいあるんです」
「どうして」
 小林は急に答えなくなった。その意味は宿題にして自分でよく考えて見たらよかろうと云う顔つきをした彼は、黙って煙草を吹かし始めた。お延は一層の不快を感じた。もう好い加減に帰ってくれと云いたくなった。同時に小林の意味もよく突きとめておきたかった。それを見抜いて、わざと高を括くくったように落ちついている小林の態度がまた癪に障った。そこへ先刻から心持ちに待ち受けていたお時がようやく帰って来たので、お延の蟠りは、一定した様式の下に表現される機会の来ない先にまた崩されてしまわなければならなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 この「小林の意味」、つまりお延が小林にどんな悪いことをしたのか、小林が無籍もの扱いにされていることとお延がどう関わっているのか、この問題は最終的には明示されていないと考えてよいだろう。
 しばらく先までもう一度確認してみたが、これという確たるものは見つからない。

 ところで岩波は、

 彼女の見た小林は、常に無籍もののような顔をして、世の中をうろうろしていた。宿なしらしい愚痴を零こぼして、厭がらせにそこいらをまごつき歩くだけであった。

(夏目漱石『明暗』)


 ここのところで「無籍もの」に注解をつけて、

どこにも本籍を持たない人間。ここではどこにも落ち着くべき位置を持たない人間。

(『定本漱石全集第十一巻』岩波書店 2017年)

 ……としている。主要な辞書類でも若干解釈が分かれるところだが、

む‐せき【無籍】 ①戸籍上に姓名のしるしてないこと。国内のどこにも本籍がないこと。無宿。「―者」 ②どこの国にも国籍を持たないこと。無国籍。

広辞苑

 こういう解釈の他、

む‐せき【無籍】 国籍・戸籍・学籍などをもたないこと。

大辞林

 この「学籍」を含める解釈が、ほかに日本国語大辞典、学研国語大辞典、明鏡、新明解で、むしろ含める解釈の方が多い。小林は朝鮮に落ちる予定であることからそれを卑下する意味で「どこにも落ち着くべき位置を持たない人間」だと言っているという岩波の解釈そのものは間違っているとは思わない。
 
 しかしそもそも何故お延が心の中で思ったそのままの侮蔑が小林の卑下として現れてきたのだろうか。

 もしもこれが漱石のミスでなければ、これこそはまさに言霊の力なのではなかろうか。つまりお延が心の中で思った侮蔑が実体化したのである。

 無論「小林の意味」とはもう少し具体的なものであろう。それは、

・お延に津田を奪われ、ホモ仲間からも馬鹿にされるので東京にいられなくなった
・津田が外泊をしなくなり、社会主義者としての活動に支障が出てきた

 ……といった素っ頓狂なものであるかもしれないし、そうではなく、

・津田が小遣いをくれなくなった

 ……といった程度の些細なことなのかもしれない。

 あるいはここには漱石自身の、本籍北海道、平民という送籍、戸籍分離によって菩提寺を失ったという体験から来る故郷喪失者的なぼやきが出ているところかもしれない。

ちょうど好いようですね

「どうせただ貰うんだからそう贅沢も云えませんかね」
「お気に召さなければ、どうぞ御遠慮なく」
「置いて行けとおっしゃるんですか」
「ええ」
 小林はやッぱり外套を放さなかった。お延は痛快な気がした。
「奥さんちょっとここで着て見てもよござんすか」
「ええ、ええ」
 お延はわざと反対を答えた。そうして窮屈そうな袖へ、もがくようにして手を通す小林を、坐ったまま皮肉な眼で眺めた。
「どうですか」
 小林はこう云いながら、背中をお延の方に向けた。見苦しい畳み皺が幾筋もお延の眼に入いった。アイロンの注意でもしてやるべきところを、彼女はまた逆に行った。
「ちょうど好いようですね」
 彼女は誰も自分の傍にいないので、せっかく出来上った滑稽な後姿も、眼と眼で笑ってやる事ができないのを物足りなく思った。
 すると小林がまたぐるりと向き直って、外套を着たなり、お延の前にどっさり胡坐をかいた。
「奥さん、人間はいくら変な着物を着て人から笑われても、生きている方がいいものなんですよ」
「そうですか」
 お延は急に口元を締めた。

(夏目漱石『明暗』)

 お延の少し意地の悪いところに小林がド正論で応じているところ。ここに単なる出鱈目でも激情型でもない小林という人物の得体のしれないところが出ている。

 あるいは小林にはお延が考えていることが全部わかっている。

 先ほど「無籍もの」という言葉がお延の侮蔑から小林の卑下に伝染したことを「言霊の力」と書いたが、ここではお延が小林の姿を見て笑おうとしていたことをすっかり見抜いている。ただひねくれて僻んでいるだけではなく、笑われるように仕組み、お延を罠に嵌めている。くだらない女に軽蔑されようとしている。

 お延は「ちょうど好いようですね」と言わされてしまった。ここはお延が少し悪い。悪くさせられている。「人間はいくら変な着物を着て人から笑われても、生きている方がいいものなんですよ」と言われて上手い返しができない。しかしお延も意地を張る。

いっそ死んでしまった方が好いと思います

「奥さんのような窮った事のない方にゃ、まだその意味が解らないでしょうがね」
「そうですか。私はまた生きてて人に笑われるくらいなら、いっそ死んでしまった方が好いと思います」
 小林は何にも答えなかった。しかし突然云った。
「ありがとう。御蔭でこの冬も生きていられます」
 彼は立ち上った。お延も立ち上った。しかし二人が前後して座敷から縁側へ出ようとするとき、小林はたちまちふり返った。
「奥さん、あなたそういう考えなら、よく気をつけて他に笑われないようにしないといけませんよ

(夏目漱石『明暗』)

 どうも小林は津田と清子の関係をただ知っているだけではなく、津田が清子にまだ思いがあることまでは知っているようだ。あるいは津田がお延に満足していないこと、二重瞼が好きなことを知っていただけなのかもしれない。吉川夫人が津田を温泉旅館に誘い出すところまでは知らないだろう。ただ津田にそういう危うさがあること、津田に隙があることまでは知っていたのだろう。

 そしてここでお延はきわめてプライドの高い女であることが解る。見下していた小林に言い負かされることなど、どうしても認められないのだ。そしてその小林に言わば言質を取られた形で、人から笑わられるようならば死ななくてはならないように追い詰められてしまっている。

 これはいかにも剣呑だ。津田の浮気が生き死にの話になりかねない。

 で、実際書かれているところまでで言っても、津田はよその女、元カノ、人妻と温泉で密会しているのだから剣呑だ。今のところそれを笑えるような立場の人物は登場していないが、意地の悪い読者はお延をもう笑うかもしれない。

僕のいうのは津田君の事です 

「しかし僕のいうのは津田君の事です」
「津田がどうしたというんです。わたくしは貴婦人だけれども、津田は紳士でないとおっしゃるんですか」
「僕は紳士なんてどんなものかまるで知りません。第一そんな階級が世の中に存在している事を、僕は認めていないのです」
「認めようと認めまいと、そりゃあなたの御随意です。しかし津田がどうしたというんです」
聞きたいですか
 鋭どい稲妻がお延の細い眼からまともに迸った。
「津田はわたくしの夫です」
「そうです。だから聞きたいでしょう」
 お延は歯を噛かんだ。
「早く帰って下さい」
「ええ帰ります。今帰るところです」
 小林はこう云ったなりすぐ向き直った。

(夏目漱石『明暗』)

 小林と吉川夫人に連絡のあるなしは定かではない。温泉宿の件は吉川夫人の手配だ。しかし小林は関と堀とに関して何らかの形で関係している。つまり小林は吉川夫人が動いていることを絶対に知り得ないわけではないし、二度目の読者からすると、いかにも知っていそうに書かれているように読める。

 果たして小林は何をどこまで知っているのか。

 この疑問が読者を物語に引き寄せる。

 しかしあるいは全く別のこと、つまり清子や吉川夫人を離れたところにまだ津田の秘密が隠されているのかもしれないとも思えなくもなくはない。

 またこれは全て誤解で、性病専門の小林医院で見かけられたことから、堀か関によって、津田は性病であるという噂が流されているというだけのことかもしれない。

 それにしても叔父さんに育てられてハンサムで性病の噂を立てられたとしたら、……芥川龍之介は『明暗』を読みながら、なんだかな、と思わなかったものだろうか。

みんな僕の失言です

「僕は先刻奥さんに、人から笑われないようによく気をおつけになったらよかろうという注意を与えました。奥さんは僕の注意などを受ける必要がないと云われました。それで僕もその後を話す事を遠慮しなければならなくなりました。考えるとこれも僕の失言でした。併せて取消します。その他もし奥さんの気に障った事があったら、総て取消します。みんな僕の失言です」
 小林はこう云った後で、沓脱ぎに揃えてある自分の靴を穿いた。そうして格子を開けて外へ出る最後に、またふり向いて「奥さんさよなら」と云った。
 微かに黙礼を返したぎり、お延はいつまでもぼんやりそこに立っていた。それから急に二階の梯子段を駈け上って、津田の机の前に坐るや否や、その上に突ッ伏してわっと泣き出した。

(夏目漱石『明暗』)

 簡単に前言を撤回し謝ることのできる人間は強い。そんな人間と意地っ張りが喧嘩しても勝てるわけがない。お延は結局小林から津田の秘密を訊き出す事が出来なかった。振り回されて、笑うつもりが泣かされた。なかなか厄介な相手だ。
 これで天然自然だというのだから、もしかしたらこの訳の分からないしぶとさを持った男、小林の態度こそが「則天去私」なのかもしれない。

 我を張るところがないので確かに私を去っている。命ずるものが天なので確かに天に則している。


 小林こそが則天去私

 しかしそんなことは近代文学1.0では誰も書いてこなかっただろう。

 女を泣かせて何が則天去私かというところ。しかし小林は何一つ間違ったことは言ってはいない。もしここで小林が、「いいですか、奥さん、津田は二重瞼が好きで、奥さんの細い眼には残念がっています。それから僕とホモ関係でしたし、今でも元カノに気があります。デブの吉川夫人にもマゾッ気を出しています。社会主義者で、夏目漱石の本の装丁をしています」などと言い出せば、お延は泣くくらいでは済まなかっただろう。

 軽蔑されている仕返しに、嫌味を言って帰ったというだけである。


「紳士」

 
 岩波は「紳士」に注解をつけて、教養があって礼儀に熱い人などの説明をしている。

 ここは漢語の搢紳の士からきた言葉で、紳士の「紳」は笏であり、搢紳の士とは笏を挟む士人という意味だと説明すべきだろう。あるいは英語のゼントルマンの説明も必要だろう。

 紳士とはどんな者かというと、紳士というものは、唯ノッペリしている。顔ばかりじゃありません。マナーが――態度及び挙止動作が――ノッペリしている人間で、手を出して握手をしたりする。

けれどもそういう者が紳士として通用している。つまり人格から出た品位を保っている本統の紳士もありましょうが、人格というものを度外に置いて、ただマナーだけを以て紳士だとして立派に通用している人の方が多いでしょう。まあ八割位はそうだろうと思います。

(夏目漱石『模倣と独立』)

英国には武士という語はないが紳士と〔いう〕言があって、その紳士はいかなる意味を持っているか、いかに一般の人間が鷹揚で勤勉であるか、いろいろ目につくと同時にいろいろ癪に障る事が持ち上って来る。時には英吉利がいやになって早く日本へ帰りたくなる。するとまた日本の社会のありさまが目に浮んでたのもしくない情けないような心持になる。日本の紳士が徳育、体育、美育の点において非常に欠乏しているという事が気にかかる。その紳士がいかに平気な顔をして得意であるか、彼らがいかに浮華であるか、彼らがいかに空虚であるか、彼らがいかに現在の日本に満足して己らが一般の国民を堕落の淵ふちに誘いつつあるかを知らざるほど近視眼であるかなどというようないろいろな不平が持ち上ってくる。

(夏目漱石『倫敦消息』)


 英国の紳士は学ばざるべからざるほど、結構な性格を具へたる模範人物の集合体なるやも知るべからず。去れど余の如き東洋流に青年の時期を経過せるものが、余よりも年少なる英国紳士についてその一挙一動を学ぶ事は骨格の出来上りたる大人が急に角兵衛獅子の巧妙なる技術を学ばんとあせるが如く、如何に感服し、如何に崇拝し、如何に欣慕して、三度の食事を二度に減ずるの苦痛を敢てするの覚悟を定むるも遂に不可能の事に属す。これを聞く彼らは午前に一、二時間の講義に出席し、昼食後は戸外の運動に二、三時を消し、茶の刻限には相互を訪問し、夕食にはコレヂに行きて大衆と会食すと。余は費用の点において、時間の点において、また性格の点において到底これら紳士の挙動を学ぶ能あたはざるを知つて彼地に留まるの念を永久に断てり。

(夏目漱石『文学論』)


 父は一口にいうと、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好いのでしょう。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だったのです。だから気性からいうと、闊達な叔父とはよほどの懸隔がありました。

(夏目漱石『こころ』)

 極楽主義を発明したものは明治の紳士で、極楽主義を実行するものは鈴木藤十郎君で、今この極楽主義で困却しつつあるものもまた鈴木藤十郎君である。
「君は何にも知らんからそうでもなかろうなどと澄し返って、例になく言葉寡なに上品に控え込むが、せんだってあの鼻の主が来た時の容子を見たらいかに実業家贔負の尊公でも辟易するに極ってるよ、ねえ苦沙弥君、君大いに奮闘したじゃないか」

(夏目漱石『吾輩は猫である』)


 この席上で余は長谷川君と話す機会を得なかった。ただ黙って君の話しを聞いていた。その時余の受けた感じは、品位のある紳士らしい男――文学者でもない、新聞社員でもない、また政客でも軍人でもない、あらゆる職業以外に厳然として存在する一種品位のある紳士から受くる社交的の快味であった。そうして、この品位は単に門地階級から生ずる貴族的のものではない、半分は性情、半分は修養から来ているという事を悟った。

(夏目漱石『長谷川君と余』)

 夏目漱石作品において「紳士」という言葉は様々に使われてきた。小林はこの後、

 津田が軽く会釈を返して、いよいよ立ち上がろうとした時、小林はほとんど独りごとのように云った。
「いったいこの席を何と思ってるんだろう。送別会と号して他を呼んでおきながら、肝心のお客さんを残して、先へ帰っちまうなんて、侮辱を与える奴が世の中にいるんだから厭になるな」
「そんなつもりじゃないよ」
「つもりでなければ、もう少しいろよ」
「少し用があるんだ」
「こっちにも少し用があるんだ」
「絵なら御免だ」
「絵も無理に買えとは云わないよ。吝な事を云うな」
「じゃ早くその用を片づけてくれ」
「立ってちゃ駄目だ。紳士らしく坐らなくっちゃ
 仕方なしにまた腰をおろした津田は、袂から煙草を出して火を点つけた。

(夏目漱石『明暗』)

 津田の知らないところで使われた「紳士」という言葉を投げ返されている。そしてこの「紳士」という言葉は、お延が三好を見た印象でもあった。三好の真摯の仮面が剥がれると、「紳士」というふりが落ちたことになる。


[余談]

 健三の妻も岡本の妻も「住」。松本恒三の妻は「仙」。つい忘れてしまうので時々確かめる。

 道が広いな。

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