それにしても津田由雄も、秀子も、お延も、小林も、お金さんも、どうしたわけか実の親と縁遠い。たまたまそういう組み合わせなのだろうが、津田由雄もお延も叔父の世話になっている。このことは後で何か意味を持つてくるのだろうか。
例えば『道草』に描かれる健三の結婚式
これはなんともいい加減なものだった。健三の両親はすでに他界していたとしても、健三側からの参列者がいないのはいかにも寂しい。その実家から縁遠い感じがやはり『明暗』にもある。
僕から見れば、あり過ぎるくらいあるんです
この「小林の意味」、つまりお延が小林にどんな悪いことをしたのか、小林が無籍もの扱いにされていることとお延がどう関わっているのか、この問題は最終的には明示されていないと考えてよいだろう。
しばらく先までもう一度確認してみたが、これという確たるものは見つからない。
ところで岩波は、
ここのところで「無籍もの」に注解をつけて、
……としている。主要な辞書類でも若干解釈が分かれるところだが、
こういう解釈の他、
この「学籍」を含める解釈が、ほかに日本国語大辞典、学研国語大辞典、明鏡、新明解で、むしろ含める解釈の方が多い。小林は朝鮮に落ちる予定であることからそれを卑下する意味で「どこにも落ち着くべき位置を持たない人間」だと言っているという岩波の解釈そのものは間違っているとは思わない。
しかしそもそも何故お延が心の中で思ったそのままの侮蔑が小林の卑下として現れてきたのだろうか。
もしもこれが漱石のミスでなければ、これこそはまさに言霊の力なのではなかろうか。つまりお延が心の中で思った侮蔑が実体化したのである。
無論「小林の意味」とはもう少し具体的なものであろう。それは、
・お延に津田を奪われ、ホモ仲間からも馬鹿にされるので東京にいられなくなった
・津田が外泊をしなくなり、社会主義者としての活動に支障が出てきた
……といった素っ頓狂なものであるかもしれないし、そうではなく、
・津田が小遣いをくれなくなった
……といった程度の些細なことなのかもしれない。
あるいはここには漱石自身の、本籍北海道、平民という送籍、戸籍分離によって菩提寺を失ったという体験から来る故郷喪失者的なぼやきが出ているところかもしれない。
ちょうど好いようですね
お延の少し意地の悪いところに小林がド正論で応じているところ。ここに単なる出鱈目でも激情型でもない小林という人物の得体のしれないところが出ている。
あるいは小林にはお延が考えていることが全部わかっている。
先ほど「無籍もの」という言葉がお延の侮蔑から小林の卑下に伝染したことを「言霊の力」と書いたが、ここではお延が小林の姿を見て笑おうとしていたことをすっかり見抜いている。ただひねくれて僻んでいるだけではなく、笑われるように仕組み、お延を罠に嵌めている。くだらない女に軽蔑されようとしている。
お延は「ちょうど好いようですね」と言わされてしまった。ここはお延が少し悪い。悪くさせられている。「人間はいくら変な着物を着て人から笑われても、生きている方がいいものなんですよ」と言われて上手い返しができない。しかしお延も意地を張る。
いっそ死んでしまった方が好いと思います
どうも小林は津田と清子の関係をただ知っているだけではなく、津田が清子にまだ思いがあることまでは知っているようだ。あるいは津田がお延に満足していないこと、二重瞼が好きなことを知っていただけなのかもしれない。吉川夫人が津田を温泉旅館に誘い出すところまでは知らないだろう。ただ津田にそういう危うさがあること、津田に隙があることまでは知っていたのだろう。
そしてここでお延はきわめてプライドの高い女であることが解る。見下していた小林に言い負かされることなど、どうしても認められないのだ。そしてその小林に言わば言質を取られた形で、人から笑わられるようならば死ななくてはならないように追い詰められてしまっている。
これはいかにも剣呑だ。津田の浮気が生き死にの話になりかねない。
で、実際書かれているところまでで言っても、津田はよその女、元カノ、人妻と温泉で密会しているのだから剣呑だ。今のところそれを笑えるような立場の人物は登場していないが、意地の悪い読者はお延をもう笑うかもしれない。
僕のいうのは津田君の事です
小林と吉川夫人に連絡のあるなしは定かではない。温泉宿の件は吉川夫人の手配だ。しかし小林は関と堀とに関して何らかの形で関係している。つまり小林は吉川夫人が動いていることを絶対に知り得ないわけではないし、二度目の読者からすると、いかにも知っていそうに書かれているように読める。
果たして小林は何をどこまで知っているのか。
この疑問が読者を物語に引き寄せる。
しかしあるいは全く別のこと、つまり清子や吉川夫人を離れたところにまだ津田の秘密が隠されているのかもしれないとも思えなくもなくはない。
またこれは全て誤解で、性病専門の小林医院で見かけられたことから、堀か関によって、津田は性病であるという噂が流されているというだけのことかもしれない。
それにしても叔父さんに育てられてハンサムで性病の噂を立てられたとしたら、……芥川龍之介は『明暗』を読みながら、なんだかな、と思わなかったものだろうか。
みんな僕の失言です
簡単に前言を撤回し謝ることのできる人間は強い。そんな人間と意地っ張りが喧嘩しても勝てるわけがない。お延は結局小林から津田の秘密を訊き出す事が出来なかった。振り回されて、笑うつもりが泣かされた。なかなか厄介な相手だ。
これで天然自然だというのだから、もしかしたらこの訳の分からないしぶとさを持った男、小林の態度こそが「則天去私」なのかもしれない。
我を張るところがないので確かに私を去っている。命ずるものが天なので確かに天に則している。
小林こそが則天去私。
しかしそんなことは近代文学1.0では誰も書いてこなかっただろう。
女を泣かせて何が則天去私かというところ。しかし小林は何一つ間違ったことは言ってはいない。もしここで小林が、「いいですか、奥さん、津田は二重瞼が好きで、奥さんの細い眼には残念がっています。それから僕とホモ関係でしたし、今でも元カノに気があります。デブの吉川夫人にもマゾッ気を出しています。社会主義者で、夏目漱石の本の装丁をしています」などと言い出せば、お延は泣くくらいでは済まなかっただろう。
軽蔑されている仕返しに、嫌味を言って帰ったというだけである。
「紳士」
岩波は「紳士」に注解をつけて、教養があって礼儀に熱い人などの説明をしている。
ここは漢語の搢紳の士からきた言葉で、紳士の「紳」は笏であり、搢紳の士とは笏を挟む士人という意味だと説明すべきだろう。あるいは英語のゼントルマンの説明も必要だろう。
夏目漱石作品において「紳士」という言葉は様々に使われてきた。小林はこの後、
津田の知らないところで使われた「紳士」という言葉を投げ返されている。そしてこの「紳士」という言葉は、お延が三好を見た印象でもあった。三好の真摯の仮面が剥がれると、「紳士」というふりが落ちたことになる。
[余談]
健三の妻も岡本の妻も「住」。松本恒三の妻は「仙」。つい忘れてしまうので時々確かめる。
道が広いな。