『三四郎』の謎について30 三四郎の母は何故野々宮に金を送るのか?
私は初見でこんがらがったのですが、皆さんはいかがだったでしょうか。何故小川三四郎の母親は野々宮宗八にお金を送ったのか解りますか。というより野々宮に三四郎が呼び出されて、そこに母親から送られた三十円があったというところで、話の流れがちょっと複雑になり過ぎていませんか。
流れとしては美禰子が与次郎には信用がないから直接金は渡せない、三四郎になら渡すということと、三四郎は信用ならないから野々宮に金を送る宜しく指導してくれということとが対になる仕掛けですが、佐々木のお蔭で野々宮まで文句を言われている格好で、「偉大なる暗闇」のお蔭で三四郎や広田に迷惑がかかる流れも考えると、いくらトリックスターの仕掛けたこととはいえ色々と巻き込みすぎなような気がします。
それによくよく考えてみれば、金はそのまま三四郎に渡るわけですし、いくら信用しているとはいえ他人に三十円を送り付けるというのは信用しすぎで、相手(野々宮宗八)にとっては迷惑でもあり、失礼な話ではないでしょうか。何しろ
東京の三十円と九州の三十円の価値は違うとして、三四郎の母親にとっての三十円は今で考えると最低でも百万くらいの価値ではないでしょうか。百万円として考えた時、やはりそれはいくら信用していても他人に何の約束もなく送ることはできないのではないでしょうか。実際失礼ですよね。
それでも漱石はこういう図を描きたかったわけですね。多少無理をしても。
このエピソードが『三四郎』という作品の中でどういう意味を持つのかと考えてみると、無理をした理由が解るように思います。
美禰子が与次郎には金を渡さず、三四郎に金を渡すことと形式上対になり、その不自然を隱す狙いもあるでしょう。
もう一つはよし子に笑わせ、驚かせるところにあったのではないかと私は考えています。
三四郎の母親の言い分、あるいは田舎生活のあり様を聞いてよし子は驚きます。この話は美禰子にも伝わるでしょう。そうなるとどうでしょう。いくら三四郎が「国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねる」と計画していたとして、よし子も美禰子もそれほど暮らし向きのちがう三四郎の母親を受け入れることが出来るでしょうか。三十円で一年暮らせると聞かされれば、ちょっとそういう人とは暮らしていけない感じがしないでしょうか。
生活水準の格差の暴露、ということでしょうね。東京に出て来て角帽を被って気取ってみても、三四郎はまだ何者でもない田舎者なのです。広田に対して、
……と一方的に見下して威張って見せても、野々宮を気の毒がり、柔術家を情けなく思おうが、今の三四郎自身はさして学業にも身の入らない上に、田舎の母親の仕送りで暮らすただの貧乏学生に過ぎないわけです。
生活水準の格差の暴露は美禰子が三四郎を見限ることに合理的な根拠を与えています。美禰子の結婚相手が立派な紳士であることはそれ自体で合理的なことですが、一見不自然な母親のふるまいによって丁寧にふられているところの落ちなのだということが解ります。
解りますって、解ってました?
私はたった今解りました。
そして生活水準の格差の暴露は三四郎に対する戒めでもありますね。母親からでもありますが「知らん人」からの戒めなのではないでしょうか。
[余談]
こういう風習は日本全国にあったようだ。神事にかこつけて飲み食いしていたものが、宗教性がなくなって現在の飲み会につながったのか?
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