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「ふーん」の近代文学⑭ みんな消えていった

 99.9パーセントの生物種は絶滅する。ならば生とは奇蹟ではなく、生きながらえされるという辱めであり、残酷な病なのではなかろうか。

 そんなことを想ってみる。

 
 昨日たまたま悪名高い(?)『東大全共闘VS三島由紀夫』の討論を読み返して、学生のほうから「共同幻想」うんぬんという発言があったので、こんなツイートを見るとやはり時代を感じてしまう。吉本隆明は『言語にとって美とは何か』『共同幻想論』で一世を風靡した批評家で、三島由紀夫自身も「最近出ましたものは大変興味深く拝見いたしました」と語っている。

 しかし件のツイートのニュアンスの通り、吉本隆明はアカデミックな場では殆ど取り上げられず、海外進出の噂もない。栗本慎一郎などと共にニューアカと一緒くたにされて忘れ去られたようなイメージがある。呉智明の『吉本隆明という「共同幻想」』によってとどめを刺されたかと思いきや、現に書店では吉本隆明の著書、研究書が何冊も売られている。

 むしろ蓮田善明の本など大きな書店でも一二冊しか見かけない。保田與重郎はジュンク堂には揃っているが、別の書店ではやはり殆ど置いていない。問題は堂々と売られている吉本隆明ですら、今の学生たちには殆ど認知されていないということだ。

 多分村田沙也加や川上未映子は読まれているだろう。大江健三郎は認知されていても開高健は怪しい。饗庭篁村や須藤南翠はともかくとして、たとえば前回取り上げたもう一人の小説の神様、横光利一などはその「小説の神様」という称号も忘れられてしまってはいないだろうか。

 実際横光利一を読んでみると、達者なところとガタガタしたところがあり、小説の神様という感じはあまりしない。梶井基次郎や神西清のように面白いというと怒られるかもしれないが、つまりあまり教科書的ではない。

 こう言っては何だが志賀直哉が「写経」されたのは、森鴎外を「写経」してまで自分が何かオリジナルなものを書けると思いこむほどの図々しさは誰も持ち合わせていなかったからではないか。敢えて言えば平野啓一郎が鴎外の語彙を使い三島の再来と言わしめたのがほぼ唯一の例外で、森鷗外も教科書的ではないのだ。

 しかし横光利一はまだいい。残念なのは完全に忘れ去られたモリリン太郎や横光利-(よこみつりはいふん)だ。横光利-は世界ぼさぼさランキングで三位に入賞した実績があり、代表作『ボサボサ』で知られている。国立国会図書館デジタルライブラリーからテキストデータを入手したので、貼り付けてみる。

  

ボサボサ

                   横光利-

 手鏡を前に剃刀をあててみた。

 彼の頭には毛がしきりと競ひながらボサボサと生えてゐる。あんまり頭が大き過ぎるので手鏡には収まりきらない。

 額に日灼けの条の入った頭を痒いた。

 …Fは口から血を吐いた。

 Mはボサボサでランクインした。

 Fは鼻毛を抜いた痕から丹毒に浸入された。

 此の三つの報告を、彼は同時に耳に入れると、ボサボサが突発して伸び始めた。

 彼は三つの不幸の輪の中でボサボサしながら頭を上げると、さてどつちへ行かうかとうろうろした。

「やられた。しかし、手工が甲だから信楽へお茶碗造りにやるといいのよ。」とFから第二の報告が舞ひ込んだ。

「顔が二倍になつた。」とHから。水腫れのように熱し、ふくれて見えるHのそういう貌が、空の耀きでちらッと見えた。

「もう駄目だ。十五年も辛抱したなら、暖簾が分けてもらえる筈だったが」とMから来た。

 ――俺は上から――と彼は云つた。

 散髪の準備品の鋏はどこにも見当たらない。髪を切る切らぬの判断は、鋏を使う床屋の手にあるのもまた知った。

 散髪 ―― その楽しさと後の寂しさとの沈みゆくところ、ボサボサが刈り取られるという得も云われぬ動と静との結婚の祭りを、彼はいつもただ合掌するばかりに眺めただけだ。

 

 彼はもう散髪すまいと決心した。死ぬ者を見るより見ない方が記憶に良い。彼は三点の黒い不幸の真中《まんなか》を、円タクに乗つて、ひとり明るい中心を狙ふやうにぐるぐると廻り出した。血は振り廻されるやうに流れて来た。

 ――俺は上から、ボサボサだ

 ――俺は上から、ボサボサだ

 「下らない。下らない。下らないツ! 何ぜこんなに髪がボサボサと伸びるのだツ!」

 上から不幸が、その終局の統率的使命を以て、健康に剛健に、朗々として、大いなる突喊《とっかん》の声を持たねばならぬ故に、下半身の明るい幸福を追つ馳けるのだ――だが、廻れば廻るほど、彼に付着して来たものは借金だつた。――幸福とは何物だ?――推進機から血を流して借金を追ひ廻す――その結果が一層不幸であると分つてゐても、明るい空《から》を追つかけ廻したそのことだけでも幸福だ。――それが喜ばしい生活なら、下から不幸が流れ出して了ふまで、幸福な頭の方へ馳け廻らう。――死ねば不幸はなくなるだらう。――死なねば、幸はなくなるまい。――四人の中で死んだ者が幸福だ。――誰がその富籤《とみくじ》を引き当てるか。――彼は競争する選手のやうに、円タクに乗つて飛んでゐた。

 と、Mが死んだ。

 彼は廻り続けた円タクの最後の線をひつ張つてMの病室へ飛び込んだ。

 が、Mの病室は空虚《から》だつた。

「タアン、タ、タタタン、タアンタ、タアン」医者が出て来て彼に云つた。身だしなみの良い、眼が丸く活き活きした青年だ。「今日、退院なさいました。」

「どこへ行つたのです?」

「さア、それは分りません。万有流転です。流転が歴史の原型の相なら、この下が刻刻過去になりつつあるその具体です。過去を見ずにどうして未来が見られましょうか。」
 
 ――それや、さうだ。

 ――だが身体の中で何の必要もないボサボサで殺られると云ふことは?

 ――身体の中に、誰でも一つ、幸福を抱いてゐると云ふことになつて来る。

 彼は円タクに乗つて、ボサボサのやうな身体をホテルに着けた。ホテルのボーイは一人白と黒との眼玉を振り子のやうに振りながら彼に云つた。

「私は二十五年仮面の下でボサボサをいじり続けて貧乏してきました。もう部屋は一つもございません。」

 その次のホテルも彼に云つた。

「さて? さて? さて? 王朝は民衆に顛覆されました。もう部屋は一つもございません。」

 ――死を幸福だと思ふものに、ホテルは部屋を借す必要は少しもない。

 彼はまたぶらりと円タクの中へ飛び込んだ。

「どこへ参りませう。」ぱしゃッと水を浴せるように運転手は彼に訊いた。

「どこへでもやつてくれ。」

「まア、この子ってば! ここの市民権もないのですね」

「どうしてでありましょうか」彼は下腹に力を容れた。

 ぷっと屁をこくと円タクは走り出した。

 彼は運転手の後から声をかけた。

「明るい街を通つてくれ、明るい街を。客観が分裂した明るい市街を。暗い街を通つたら金は出さぬぞ。」

 ――ボサボサが円タクの中で叫んでゐる。

 エッフェル塔の裾が裳のように拡がり張っている下まで来ると、彼はにやりと笑ひ出した。

 
「日本の方が御覧になると、どの子が美しいと思われますか」運転手は訊いた。

 見れば飾り窓にはボサボサ髪の売笑婦たち。

 彼は何の興味もなさそうな顔で「知らん」と答えた。微笑が彼の唇から浮んで来た。

 「いや、あそこほど美人の多いところはない。それに日本人のもてること、もてること、もう滅茶苦茶にもてる」と、件の医者が言っていたことを思い出したのである。

 円タクを降り、売笑婦を見上げたまま少し顔を赧くして背を欄干につけた。

 夜中の三時過ぎだというときに、ここではもう太陽が赤赤と照っていた。

「エヘエヘエヘエヘ。あたしは野蛮人が大好きよ。あなたのために、歌を歌つて上げたつて、悪くはないわ。」

 近くで見れば飾り窓も貧民窟とよりどうしても見えない。博覧会の部屋のやうな紙壁なので、女の子が腹を波打たして笑い出すのにつられてゆさゆさと建物が揺れた。

 彼女の髪は金色の渦を巻いてきらきらと慄えていた。

 「エヘエヘエヘエヘ。さあ、さあ、拝まつしやれ。そんなに見たら眼がつぶれるぞ。」

  
  階段の上では、女の子はスカートの裾を持ち上げて一層高く笑って面白がった。

  でっぷりよく肥えた顔にいちめん雀斑が出来ていて鼻の孔が大きく拡がり、揃ったことのない前褄からいつも膝頭が露出していた。

  彼はまだ上り框に腰を下したまま盥の水を眺めていた。

  まさか屋敷と売笑婦とが彼には分らぬ深い所で前から交渉を持ち続けていたとは思えないのだしこれは夢だと思っている方が確実であろうと思っていると、

  売笑婦が「お客さん、仕事の帰り」と笑いながら訊ね出した。

  その髪はボサボサである。

  

 ――此のボサボサは、今度は誰を殺すのだらう。

 ――だが、身体の中に、誰でも一つのボサボサを持つてゐると云ふことは?

  磨《みが》かれた大理石の三面鏡に包まれた光の中で、彼と売笑婦とは明暗を閃めかせつつ、分裂し粘着した。 

  天下は再び王朝の勢力を挽回した。

  この度の屋敷のことも夢かもしれないと思える。

  彼は街路を、血管の中の虫のやうに馳け廻つた。眼の前がもうぼうっとかすんで来る。腕がしびれる。足がふらりふらりと中風のように泳ぎ出す。

  彼の鼻頭へ、流れたボサボサが落ちてゐた。

  ダニューブの真向いの岸に月が出て来た。

  だが、此のボサボサはどこへ行くと云ふのだらう。

                         (了)

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 みんな消えて行った。99.9パーセントの文学は「ふーん」と忘れ去られる。しかし私は牧者であつてはならない、墓堀人であつてはならない。私は決して再び大衆を相手に說かないつもりだ。死者と語るのも、これが終だ。



[余談]

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