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三島由紀夫の書簡を読む⑬ 自衛隊に特攻隊は必要か? 

無姓的天皇

「血液本位の代わりに生命本位の生活」すると言はれ、「無姓的天皇」の観念に達せらるるあたり、洵に先生の力強い御創見であると感銘深く拝読いたしました。
               昭和四十一年十一月一日

(「松永材宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 何故天皇には姓がないのか。この問題は「そもそも天皇は最初から一番偉い存在であつた」という前提の基、さらには万世一系の神話とともに説明されることが多いようだ。天皇家の始祖が百済から北渡来人であれ、地方豪族のチャンピオンであれ、元々は何らかの姓のようなものを持っていたと考えられるが、例えば「卑弥呼」のような姓のない状態が早くから続いていたとは考えられる。実際になくなる前の天皇の苗字について調べている人の本も読んでみたが、典拠が示されていなかったので、そこに書かれていた天皇の苗字はここには書かない。とにかくかなりの期間、天皇には苗字は与えられてこなかったという歴史がある。

 ところでこの「血液本位の代わりに生命本位の生活」「無姓的天皇」という理窟の組み合わせからは、むしろ「万世一系である必要はない」「血が繋がっていなくても構わない」という主張が見えてきそうである。

 武家では姓は家を意味し、養子に家督を継がせることは全く問題にならなかった。同様に考えれば、天皇が誰の子であろうと問題はないわけだ。

 実際に松永材の主張がそのようなものであったかどうかは別として、三島由紀夫は矢張り神話や万世一系に保証されなくても天皇が天皇たりうる理屈を探し続けていたようだ。


絶対右翼だ

この作者は気質的に絶対右翼だと、「双頭の鷲」以来見当をつけている。
             昭和四十一年七月三十一日

(「松本道子宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 この作家とは井上光晴、国家主義から戦後は共産党員に転じたコミュニストである。

 井上光晴が右翼かどうかは別として、三島由紀夫のこの書き方から察するに自身は過去に対するHassliebeもなく、鼠も愛さない側、つまり右翼ではない側に立っているかのようだ。

 この問題は現代で考えると多くの人が自分をリベラルだと考えがちというところに似ていないだろうか。そういう人はリベラルとミラベルの区別がつかないで、結局ライフで買い物を済ませることになるだろう。

 晩年の三島は保守ではあるが、いちばん過激な保守であり、本来穏健である筈の性質を持っていない。見かけは右翼に見えるが、どうも自認は右翼ではない。

 これは現在の右翼や保守が訳の分からないものになっていることとは無関係だ。

 


狐につままれたやうであります

 今年も暮れかけてをりますが、思つたほどの危機もなく年の瀬を迎へるのは、狐につままれたやうであります。このまま行けば、来夏も大したことなくすぎるかもしれません。楯の会の学生たちが気の弛みを起きぬやう、訓練に精を出してをります。
              昭和四十四年十二月八日

(「水本光任宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 これが煙幕でないのなら——と言っても煙幕を張る意味もないところだが、この年、三島は「そろそろ何かあるのではないか」と期待していたようだ。自身の皇居突入計画がその何かに当たるのか、別の何かがあるのか、そこは解らない。

 ただ他の手紙にも同様の、「この時期までに何かあるべき」という予定のようなものがあつたことが仄めかされており、それが無くなってしまったのではないかということは推測できる。しかしこれがすなわち三島由紀夫を死に追いやるような出来事であれば、『豊饒の海』は早々と放棄せねばならないことになりつじつまが合わない。

 もしかしたら三島が命を差し出すことなく、自衛隊による治安活動、憲法改正があり得たのではないかと考えてしまうところだ。


日本は米国と戦はざるべからず

 今は亡き帝国国家主義憲法学の泰斗上杉慎吉博士が大正十三年に著した「日米衝突の必至と国民の覚悟」なる警世の大文章をよみ、その史眼の卓越、見識の高邁に深く搏たれました。たとへ必敗たりとも、たとへ日本民族殲滅さるとも、日本は米国と戦はざるべからず、そは世界に対する日本の一大使命なりと論じ、我国では米国の物量を怖るるも、真に怖るるべきはその精神、いはゆる開拓精神であると喝破せられたあたり、大正十三年の文章とは思へないやうではありませんか。
                昭和二十年四月十四日

(「三谷信宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 これもまた眩暈のするような時間を遡ってしまうことになる。流石に昭和二十年の平岡公威は戦争に関して完全に「我関せず」という明確なポリシーを持っていたわけではなかったようだ。少しは戦争の大義というものを考えてはいる。
 日米開戦論は日露戦争直後から囁かれ始めた。元々は米国側から始まる日本脅威論、ある意味黄禍論の一種という側面がある。

 今この「開拓精神」という言葉を見ると、「本当にそうだよ」と思う。平岡公威はこの時まだ戦後の日本を知らないが、すでに日本がアメリカに開拓されてしまうことを予見していたようだ。今、日本はアメリカに開拓され切ったハワイのような観光地になってしまっている。

 あるいはアメリカ帝国主義が戦後アメリカを世界の覇権国家に押し上げる可能性まで見抜き、警戒でもしていたかのようだ。「たとへ日本民族殲滅さるとも」とは日本浪漫派めいた考え方の一つではあるが、「開拓精神」こそ怖ろしいのだというアメリカの恐ろしさの本質に辿り着いていることは面白い。アマゾンにしてもグーグルにしてもアップルにしてもフェイスブックにしてもそういうところがある。勿論IBMもマイクロソフトも。

 日本会社が作ったゲームも、グーグルかアップルからダウンロードするしかないという現状にさえ、もう誰も驚かなくなった。その感覚の麻痺にすら気づけなくなった。

 今、三島が生きていたら、スマホでグーグルプレイかアップルストアのどちらからゲームをダウンロードするだろうか?


われわれの時代

 僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅——すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの厖大な、モニュメンタールな、カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべかざる「近代」の超克ではなくてその殺傷(これは超克よりは一段と高い烈しい美しい意味で)だと思ひます。「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
             昭和二十年四月二十一日      

(「三谷信宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 ここで平岡公威が書いている「近代の殺傷」によるわれわれの時代の獲得のロジックはさっぱりわからない。ただ特攻隊は神話の再現ではなく、「近代」ではないもの、近代を殺傷する有難いものだと言いたいようだ。これもある意味戦争に関して我関せずではなく、今度は戦争の大義ではなく、特攻精神、あるいは歴史的な日本精神を称賛しているところだと読めば、一貫して「戦争は済んだもの」として「敗戦」という言い方をしなかった後の三島由紀夫とのずれが見えてくるような手紙だ。

 当たり前だが平岡公威は「戦争が早く済めばいい」とは思いながら、今でいう所の左翼の「戦争絶対反対」というような立場でも無かった。しかし自分自身の問題はここでは論じられていないのだ。文化層、知識層が特攻隊のおかげで近代を殺傷できたと書いている。この独特の歴史観はどこかに続いているようで、まだその先は見えない。

 最終的に三島由紀夫は国防のための意見を保利官房長官に送り、総理が眼に通し、閣僚会議にかけられる予定だったところ中曽根の妨害が入り……と国の中枢に正攻法で入って行こうとして失敗した。

 と、山本舜勝あて、昭和四十五年八月十日の手紙からは読み取れる。自衛隊に押しかけるうちに、さまざまなコネクションが出来上がっていたようだ。

 三島の国防論はさほどおかしなものではなかろう。自衛隊を国軍として憲法に明記する。ここまではまあ常識的な話だ。問題はその国軍が特攻隊を持つのかどうかだ。

 おそらくそのことは書かれていなかっただろう。しかし特攻隊なしに「われわれの時代」があり得ると四十五歳の三島由紀夫は考えただろうか?

 もう完全にアメリカのポチになってしまった日本の総理大臣はどう考えるだろうか?



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