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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか⑰ 落ち着いて読もう

閑なのか?

 それから一月ばかりと申すものは、何事もなくすぎましたが、やがて夏も真盛りのある日の事、加茂川の水が一段と眩まばゆく日の光を照り返して、炎天の川筋には引き舟の往来さえとぎれる頃でございます。ふだんから釣の好きな私の甥は、五条の橋の下へ参りまして、河原蓬の中に腰を下しながら、ここばかりは涼風の通うのを幸と、水嵩の減った川に糸を下して、頻りに鮠を釣って居りました。すると丁度頭の上の欄干で、どうも聞いた事のあるような話し声が致しますから、何気なく上を眺めますと、そこにはあの平太夫が高扇を使いながら欄干に身をよせかけて、例の摩利信乃法師と一しょに、余念なく何事か話して居るではございませんか

(芥川龍之介『邪宗門』)

 それにしても堀川家は緩いな。家臣は昼間から釣りか。

 芥川の自己評価に関わらず『きりしとほろ上人伝』は結末が曖昧で、落ちとしては『奉教人の死』の方がよくできているのではないかと書いた。

 しかし『さまよえる猶太人』同様『きりしとほろ上人伝』に描かれるイエス・キリストは不気味な残酷さを持っており、そのおどろおどろしさはやはり評価されるべきものであろうか。

 と、改めて思うのは摩利信乃法師が如何にもおどろおどろしいからである。イエス・キリストは神ではない。しかし何か恐ろしい力を持っている、という考え方が『トマスによるイエスの幼児物語』にはある。

 つい先ほどまでの若殿と姫様の和やかな乳繰り合いは「平太夫が高扇を使いながら欄干に身をよせかけて、例の摩利信乃法師と一しょに、余念なく何事か話して居るではございませんか。」という場面の不気味さを引き立てるためにあるといってよいだろう。

 平太夫と摩利信乃法師が繋がれば、そのまま何事もなく済むことはあるまいという感じがひしひしとある。やはり平太夫の恨みは消えてはいないだろうし、何をして来るのだろうという不気味さがある。しかしこの後平太夫がどんな仕返しをするのか、あるいは摩利信乃法師がどう絡んでくるのかはまだ誰も知らない。次を読めば分かるだろうか。

 

耳が良いな

それを見ますと私の甥は、以前油小路の辻で見かけた、摩利信乃法師の不思議な振舞がふと心に浮びました。そう云えばあの時も、どうやら二人の間には、曰くがあったようでもある。――こう私の甥は思いましたから、眼は糸の方へやっていても、耳は橋の上の二人の話を、じっと聞き澄まして居りますと、向うは人通りもほとんど途絶えた、日盛りの寂しさに心を許したのでございましょう。私の甥の居る事なぞには、更に気のつく容子もなく、思いもよらない、大それた事を話し合って居るのでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 まだ書かれていない。まだ相談の手前だ。

 それにしても甥は都合よく色んな場面に出くわして、話者の知りたい情報を集めて来てくれるものだ。これで甥の見聞きしたことが正しく伝わっていなければ話は出鱈目になってしまうし、しつこいようだがこの叔父と甥の関係というものがどうも気になってしょうがない。

 大抵の叔父は、甥にとって『永日小品』の『蛇』の叔父のようなものだ。要するに訳の分からないものだ。甥は叔父にとって大抵は見え透いている。話者は甥を巧みに利用して話を拵えているが、この甥は本当に甥なのだろうか。つまり本当は甥ではなく、自分や「息子」が見聞きしたことを適当に甥に振り分けて、話者の主観を消していないだろうか。

 無論書いているのは芥川なので、芥川がわざわざそんな工夫をしていることになる。話者が全ての現場に臨場するのではなく、甥からの伝聞によつて話が構成されているように見せかけようとしている。この手の込んだ伝聞と回顧の組み合わせは『奇怪な再会』で絶頂を迎える。

平太夫は菅原雅平贔屓だったのか?

「あなた様がこの摩利の教を御拡めになっていらっしゃろうなどとは、この広い洛中で誰一人存じて居おるものはございますまい。私でさえあなた様が御自分でそう仰有るまでは、どこかで御見かけ申したとは思いながら、とんと覚えがございませんでした。それもまた考えて見れば、もっともな次第でございます。いつぞやの春の月夜に桜人の曲を御謡いになった、あの御年若なあなた様と、ただ今こうして炎天に裸で御歩きになっていらっしゃる、慮外ながら天狗のような、見るのも凄じいあなた様と、同じ方でいらっしゃろうとは、あの打伏の巫子に聞いて見ても、わからないのに相違ございません。」
 こう平太夫が口軽く、扇の音と一しょに申しますと、摩利信乃法師はまるでまた、どこの殿様かと疑われる、鷹揚な言つきで、
「わしもその方に会ったのは何よりも満足じゃ。いつぞや油小路の道祖の神の祠ほこらの前でも、ちらと見かけた事があったが、その方は側目もふらず、文をつけた橘の枝を力なくかつぎながら、もの思わしげにたどたどと屋形の方へ歩いて参った。」
「さようでございますか。それはまた年甲斐もなく、失礼な事を致したものでございます。」
 平太夫はあの朝の事を思い出したのでございましょう。苦々しげにこう申しましたが、やがて勢いの好よい扇の音が、再びはたはたと致しますと、
「しかしこうして今日御眼にかかれたのは、全く清水寺の観世音菩薩の御利益ででもございましょう。平太夫一生の内に、これほど嬉しい事はございません。」
「いや、予が前で神仏の名は申すまい。不肖ながら、予は天上皇帝の神勅を蒙って、わが日の本に摩利の教を布こうと致す沙門の身じゃ。」

(芥川龍之介『邪宗門』)

 なんと摩利信乃法師は「煩悩外道とは予が事じゃ」などと言っていた菅原雅平だったのか。まさに男子三日逢わざればまず刮目して見よということか。だが女にふられて逃げ出した優男がなんでまた色の黒い、眼のつり上った、いかにも凄じい面がまえになれるものか。

 しかしこれで摩利信乃法師がただ摩利の教を布教しようとやってきた外国人ではないことが解る。どうもそこには邪なものが潜んでいるような気がする。

 またこれで、「が、まだその摩利信乃法師とやらは、幸い、姫君の姿さえ垣間見た事もないであろう。まず、それまでは魔道の恋が、成就する気づかいはよもあるまい。さればもうそのように、怖がられずとも大丈夫じゃ。」という若殿様の台詞がふりとして効いてくる。

 そしてどうやら菅原雅平贔屓だった平太夫の導きによって魔道の恋が若殿の行く手を阻むような予感がする。しかしそれはまだ予感であって確かなものは何もない。明日のことは何も解らない。

 何故ならまだ今日だからだ。

[余談]

 これはもう暴動とは呼べない。

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