見出し画像

岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する178 夏目漱石『明暗』をどう読むか27 肛門と連絡されるお延

変な感じ

 手術後局部に起る変な感じが彼を襲って来た。それはガーゼを詰め込んだ創口きずぐちの周囲にある筋肉が一時に収縮するために起る特殊な心持に過ぎなかったけれども、いったん始まったが最後、あたかも呼吸か脈搏のように、規則正しく進行してやまない種類のものであった。
 彼は一昨日の午後始めて第一の収縮を感じた。芝居へ行く許諾を彼から得たお延が、階子段を下へ降りて行った拍子に起ったこの経験は、彼にとって全然新らしいものではなかった。この前療治を受けた時、すでに同じ現象の発見者であった彼は、思わず「また始まったな」と心の中で叫んだ。すると苦い記憶をわざと彼のために繰り返してみせるように、収縮が規則正しく進行し出した。最初に肉が縮む、詰め込んだガーゼで荒々しくその肉を擦すられた気持がする、次にそれがだんだん緩和されて来る、やがて自然の状態に戻ろうとする、途端に一度引いた浪がまた磯へ打ち上げるような勢で、収縮感が猛烈にぶり返かえしてくる。すると彼の意志はその局部に対して全く平生の命令権を失ってしまう。止めさせようと焦慮れば焦慮るほど、筋肉の方でなお云う事を聞かなくなる。――これが過程であった。
 津田はこの変な感じとお延との間にどんな連絡があるか知らなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 岩波はこの「手術後局部に起る変な感じ」に注解をつけて、

括約筋を三分一切る。夫がちゞむ時妙に痛む。神經作用と思ふ。縮むなといふideaが頭に萌すとどう我慢しても縮む。まぎれてゐれば何でもなし。

漱石全集

 という日記を引く。

 いやいやいや。

 そういうことではなくて。「この変な感じとお延との間にどんな連絡があるか知らなかった」、注解をつけるべきところはここだろう。ここに注解をつけないと。「この変な感じとお延との間にどんな連絡があるか知らなかった」って一体旦那の肛門と女房が連絡しなければならないのかというところではなかろうか。

 それともあれかな、私だけが無知なだけで、世間一般の夫婦は夫の肛門と奥さんがLINEとかするのが普通なのかな。まさかそれはないんじゃないのかな。しかし岩波が注を付けていないということは、普通の読者はこの「この変な感じとお延との間にどんな連絡があるか知らなかった」というところにに一切引っかからないということなんだよね?

 本当かな?

 この辺りの現実が私には信じがたい。

 肛門と奥さんは連絡するもの?

 津田の痔瘻はお延の所為なの?

 お延が手術したり、ガーゼを詰めたりしたの?

 本当にこれは私がつまらない勘違いをしているのだろうか。そうでないとしたら、やはり夏目漱石作品はこれまで誰一人として読んでいないことにならないだろうか。

二つの間にある関係を拵えた

 彼は籠の中の鳥見たように彼女を取扱うのが気の毒になった。いつまでも彼女を自分の傍に引きつけておくのを男らしくないと考えた。それで快よく彼女を自由な空気の中に放してやった。しかし彼女が彼の好意を感謝して、彼の病床を去るや否や、急に自分だけ一人取り残されたような気がし出した。彼は物足りない耳を傾むけて、お延の下へ降りて行く足音を聞いた。彼女が玄関の扉を開ける時、烈しく鳴らした号鈴の音さえ彼にはあまり無遠慮過ぎた。彼が局部から受ける厭な筋肉の感じはちょうどこの時に再発したのである。彼はそれを一種の刺戟に帰した。そうしてその刺戟は過敏にされた神経のお蔭にほかならないと考えた。ではお延の行為が彼の神経をそれほど過敏にしたのだろうか。お延の所作に対して突然不快を感じ出した彼も、そこまでは論断する事ができなかった。しかし全く偶然の暗合でない事も、彼に云わせると、自明の理であった。彼は自分だけの料簡で、二つの間にある関係を拵えた。同時にその関係を後からお延に云って聞かせてやりたくなった。単に彼女を気の毒がらせるために、病気で寝ている夫を捨てて、一日の歓楽に走った結果の悪かった事を、彼女に後悔させるために。けれども彼はそれを適当に云い現わす言葉を知らなかった。たとい云い現わしても彼女に通じない事はたしかであった。通じるにしても、自分の思い通りに感じさせる事はむずかしかった。彼は黙って心持を悪くしているよりほかに仕方がなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 この直前の「変な感じ」を読み飛ばした人は続くこの一節を丸ごと読み飛ばしていることになる。
 ここで漱石はこんなおかしなことを書いていないだろうか。

 お延が病気の良人をほったらかして芝居に行ったお蔭で津田の肛門は変な感じになったじゃないか、と。

 いや、それは全く手術の結果であり、神経が過敏になっていたとは言え、自分から芝居に行くことを勧めたくせに言いがかりの八つ当たりも甚だしいよと、ここはむしろ引っかからねばならないところだ。
 この謎ロジックは、例えば有名な『こころ』における先生の何とも言えないKに対する親切と嫉妬のマッチポンプ、擬制家族の奪い合いのロジックに似ていなくもない。

・先生は自分の下宿にKを招いて奥さんとお嬢さんにできるだけKと親しくさせようとした
・津田由雄は芝居に行きたがっているお延を自由にしてやった

・Kと「宅のもの」が親しくなると先生は不愉快になった
・お延が芝居に行ったので津田由雄の肛門は変な感じになった

 なるほど人間らしいと言えば人間らしいのかもしれないが、やはり幼稚な我儘である。何ならこの後清子を追いかけて温泉に行くのだし、先に怪しい手紙を処分していることを考えると津田の肛門に同情する気にはなれない。「お前が芝居に行ったから俺の肛門は変な感じなんだ」と言われてもお延は困るだろう。

 この困る理屈がここでは捏ねられている。

お延のお蔭で痛み始めたんだ

 お秀の方を向き直ったとっさに、また感じ始めた局部の収縮が、すぐ津田にこれだけの顛末を思い起させた。彼は苦い顔をした。
 何にも知らないお秀にそんな細かい意味の分るはずはなかった。彼女はそれを兄がいつでも自分にだけして見せる例の表情に過ぎないと解釈した。
「お厭なら病院をお出でになってから後にしましょうか」
 別に同情のある態度も示さなかった彼女は、それでも幾分か斟酌しなければならなかった。
「どこか痛いの」
 津田はただ首肯いて見せた。お秀はしばらく黙って彼の様子を見ていた。同時に津田の局部で収縮が規則正しく繰り返され始めた。沈黙が二人の間に続いた。その沈黙の続いている間彼は苦い顔を改めなかった。
「そんなに痛くっちゃ困るのね。嫂さんはどうしたんでしょう。昨日の電話じゃ痛みも何にもないようなお話しだったのにね」
「お延は知らないんだ」
「じゃ嫂さんが帰ってから後で痛み始めたの」
「なに本当はお延のお蔭で痛み始めたんだ」とも云えなかった津田は、この時急に自分が自分に駄々っ子らしく見えて来た。上部はとにかく、腹の中がいかにも兄らしくないのが恥しくなった。
「いったいお前の用というのは何だい」

(夏目漱石『明暗』)

 お延のお蔭で痛み始めたんだとは流石に言えまい。「腹の中がいかにも兄らしくない」というか、まさに「駄々っ子」である。『こころ』の先生はいざ知らず、津田由雄はもう三十である。

 大体手術直後は麻酔が利いているから痛みはない。麻酔が切れてから鈍痛、激痛が始まる。津田の場合は座薬が入れられないのかもしれないので、かなり痛い筈だ。その痛みは手術の所為であり、お延の所為ではない。そのくらいの理屈はわかりそうなものだが。

この矛盾を腹立たしく感じた

「またあの事だろう」
 津田はしばらく間をおいて、仕方なしにこう云った。しかしその時の彼はもう例の通り聴たくもないという顔つきに返っていた。お秀は心でこの矛盾を腹立たしく感じた。
「だからあたしの方じゃ先刻から用は今度の次にしようかと云ってるんじゃありませんか。それを兄さんがわざわざ催促するようにおっしゃるから、ついお話しする気にもなるんですわ」
「だから遠慮なく話したらいいじゃないか。どうせお前はそのつもりで来たんだろう」
「だって、兄さんがそんな厭な顔をなさるんですもの」
 お秀は少くとも兄に対してなら厭な顔ぐらいで会釈を加える女ではなかった。したがって津田も気の毒になるはずがなかった。かえって妹の癖に余計な所で自分を非難する奴だぐらいに考えた。彼は取り合わずに先へ通り過こした。
「また京都から何か云って来たのかい」
「ええまあそんなところよ」

(夏目漱石『明暗』)

 そう、津田はそもそも矛盾した男だったのだ。

 清子に未練があるのに目の細い容貌の劣者・お延を嫁に貰う。貰うつもりがないのに貰う。お延を自由にしてやりたいのに、芝居に言った途端に肛門と連絡をつける。そしてお延のお蔭で痛み始めたんだと云う訳の分からない理屈を捏ねる。そして聴きたくもない話を督促する。

 この津田の矛盾に関して、ごくごく一般論として「誰しも矛盾を抱えて生きている」という程度の一般化で誤魔化すことにはほぼ意味はない。そうした矛盾というのは、朝鮮くんだりまで生きたくはないが、仕事の口がないので仕方なく朝鮮に行くとか、ブルシットジョブはやりたくないが、食うために仕方なく働くという程度のものだろう。
 この津田の矛盾は何度も繰り返し確認している通り、

・このおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう
・しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに

 というある意味自分を自分の主人公にしないという特殊なもので、この部分だけで考えれば、記憶喪失か意識障害が疑われるものだ。酔っぱらって夜中にラーメンを食べるのとは話が違う。知らない間に嫁を貰っているなんてことはあり得る筈がないのだ。その津田の矛盾が変な感じとお延の連絡や、こうして聴きたくもない話を催促するところにも現れているのだ。読者はその一般論では片付けられない津田の矛盾したところに気が付かなくてはならない。

 漱石研究家が漱石作品を全然読めていない、『定本漱石全集』の注解者が漱石作品を全然読めていない、というくらいの矛盾が津田の中にはあるのだ。

 で、何で読めないのに私の本を買わないの?

 そこで勉強しようと思わない?

 

なまじい容色が十人並以上


 お秀は解っているともいないとも答えなかった。ただ微かに薄笑の影を締りの好い口元に寄せて見せた。それがいかにも兄に打ち勝った得意の色をほのめかすように見えるのが津田には癪だった。平生は単に妹であるという因縁ずくで、少しも自分の眼につかないお秀の器量が、こう云う時に限って、悪く彼を刺戟した。なまじい容色が十人並以上なので、この女は余計他の感情を害するのではなかろうかと思う疑惑さえ、彼にとっては一度や二度の経験ではなかった。「お前は器量望みで貰われたのを、生涯自慢にする気なんだろう」と云ってやりたい事もしばしばあった。
 お秀はやがてきちりと整った眼鼻を揃えて兄に向った

(夏目漱石『明暗』)

 夏目漱石作品美人ランキングで言えば、

一位 甲野藤尾
二位 里見美禰子
三位 堀秀子
四位 静
五位 マドンナ
六位 関清子
七位 平岡三千代
八位 田口千代子
九位 那美さん
十位 野々宮よし子

 といったところか。当然お延はランキング外である。何しろ容貌の劣者なのだから。しかしよくよく考えると里見美禰子の美しさは万人向けのものでもないので、このように兄からも「なまじい容色が十人並以上」と言われる堀秀子が二位に入れ替わっても良いようにさえ思えてくる。

 しかしここは漱石の意地の悪いところだ。秀子をやたら美人だ美人だと褒めるのは、お延をディスるためなのだ。ここでも言われているように普段妹だと見ていると美人だという評価はできにくいものなのだ。それでも美人だと認めざるを得ないのだから、津田由雄と堀秀子は互いに整った顔の美男美女同士ということになる。

 つまり特別な卵と精虫が配合されたということになる。

 津田は細い眼の子供が欲しくないのでお延とセックスをしないのではなかろうな。

 それはいかんぞ。

男らしく叱ったらよさそうなものだのに

 津田はようやくお秀宛で来た手紙の中に、どんな事柄が書いてあるかを聞いた。妹の口から伝えられたその内容によると、父の怒りは彼の予期以上に烈しいものであった。月末の不足を自分で才覚するなら格別、もしそれさえできないというなら、これから先の送金も、見せしめのため、当分見合せるかも知れないというのが父の実際の考えらしかった。して見ると、この間彼の所へそう云って来た垣根の繕いだとか家賃の滞りだとかいうのは嘘でなければならなかった。よし嘘でないにしたところで、単に口先の云い前と思わなければならなかった。父がまた何で彼に対してそんなしらじらしい他人行儀を云って寄こしたものだろう。叱るならもっと男らしく叱ったらよさそうなものだのに。

(夏目漱石『明暗』)

 外国人読者が漱石作品に低評価をつける際にポイントの一つとなっているのは、成人男子の親に対するすねかじりに対する批判である。「現在では」という意味合いと「自国では」という意味合いの両面から、そうした「成人男子の親に対するすねかじり」などと云うものが信じられないという批判がされているのを目にすることがある。
 まあ尤もな理屈であろうと思う。しかも無職ではなく、一応はサラリーマンをしていて、月々親に仕送りをして貰っているというのはやはり当時としてもみっともないことではなかっただろうか。

 この津田の「金のなさ」は、弟を学校にやれない宗助と対になるものであろう。恐らくは役所勤めらしき宗助は雨漏りのする家に住み、穴の開いた靴を履いている。津田にはそこまでの困窮ぶりが見られない代わりに、そもそも生活費を当然のように実家から手当てしてもらっている。同じ「金のなさ」でも意味合いが少し違う。

 津田はわざと金に困っている、という言い方はどうか解らないが、お延も津田も二人とも見栄っ張りなので金に困っているのだと言っても良いと思う。金がないならないなりに我慢していればなんとかなるものだ。

 金がないのに節約できない、これは夜中にラーメンを食べる程度の矛盾である。


口先の云い前

いい‐まえ【言い前】イヒマヘ
①言いわけ。口実。言い分。〈和英語林集成2版〉
②言い方。夏目漱石、明暗「よし嘘でないとした所で、単に口先の―と思はなければならなかツた」

広辞苑

いい-まえ イヒマヘ [0] 【言(い)前】
(1)物の言い方。口まえ。「単に口先の―と思はなければならなかつた/明暗(漱石)」
(2)言いわけ。口実。「一寸町へ出て来るといふ―/彼岸過迄(漱石)」

大辞林

いい‐まえ【言(い)前】いひまへ
(1)言い方。話しぶり。口まえ。「欽哉にしては実着(じつちやく)過ぎた―なのに」〈風葉・青春〉
(2)言い訳。口実。「民子は母の病気を―にして行かない」〈左千夫・野菊の墓〉

大辞泉

いいまえ【言い前】〔歴史的かな遣い〕いひまへ 言いぶん。 言いわけ。口実。用例(伊藤左千夫) ものの言い方。

学研国語大辞典

 ここで「口先の云い前」の解釈は分かれている。こうしたところは是非とも註釈が必要だろう。ここは広辞苑の解釈が間違いで、「口実」が正しいのではなかろうか。

 言い方だけの問題なら、「垣根の繕いだとか家賃の滞り」ではなく「入ってこないとか嵩んだ」が実は「見積もりより少し多かったとか三日待ってくれと言われている」ことなのだろうけれども、そうであればやはりそれが主原因ではないとはっきりした以上、言い方に関係なくこれは口実である。




[余談]

 つまりこれまでの「研究」は全て洗い直しの必要があるということ。八十代の人はきついだろうな。死ぬ間際にこんなものが出来て。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?