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三島由紀夫・林房雄の「対話・日本人論」をどう読むか① 鴎外と漱石

 これまで私は乃木大将夫妻のいわゆる「殉死」について、夏目漱石と森鴎外という明治を代表する文学者二人だけが正しく理解してきたという趣旨のことを書き続けてきた。

 しかしこれほどシンプルな話が絶対に誰にも通じないことに呆れていた。

・『こころ』は軍旗が奪われていたことにフォーカスしているが、みなが読まされているのは「遺書」であり、乃木の遺書は妻静子は生かされる前提で書かれている。

・鴎外の殉死ものでは殉死が殿様に許されて時と場所を決めて介錯人を用意して行うもので、女房を道連れにするルールはないことが繰り返し確認されている。

 それから漱石に比べて鴎外という人はしつこいので、『堺事件』や『高瀬舟』などで繰り返し「自死の困難さ」というものを訴え続けている。

 当時の大衆誰でもが「何かおかしいぞ」と思った筈の事件が、今ではもう誰も疑問に思わないこと、そのことで漱石・鴎外作品に間違った解釈がなされていることに私は憤慨していた。

 誰か一人くらいはこんなシンプルな事実に気が付いていないものかと不思議にも思っていたが、意外なところに一人いた。

 林房雄である。

 アイロニィだらけだ。内村鑑三も岡倉天心も新渡戸稲造も日本精神について英語で書いた。ドイツ文学の鴎外と英文学の漱石が乃木大将の殉死を最も正確に理解した。現在、日本回帰の論文を発表しはじめた若い学者たちは、ほとんど西洋史家だ。東西文明の接点に立つ日本文化のアイロニィではないでしょうか。政治の面でも、自由民権家は大アジア主義者になる、幸徳秋水が生きながらえておったら国家主義者になっていただろう。若い高村光太郎は文明開化派で西洋派だったが、晩年はたいへんな日本主義者になる。与謝野鉄幹、北原白秋をはじめ詩人たちの大部分は同じ道を歩いている。すべて内的な自己展開であって、時流に押し流されてものを言ったのではない。
三島 伊藤静雄なんかも、戦争時のものは非常にいいですよ。ほんとうにいい詩ですね。

(「対話・日本人論」『決定版三島由紀夫全集第三十九巻』新潮社2004年)

 お互いが好き放題のことを語り合う対談を読むという行為はいささか狂人じみている。それぞれが言っていることは分かる。それが噛み合っていないことも解る。林の言っていることを三島が理解していないことも解る。それなのに口をはさめない。

 林も林で、途中で切ればいいものを、三島も三島で「ドイツ文学の鴎外と英文学の漱石が乃木大将の殉死を最も正確に理解した、とはどういうことでしょうか。その辺りをもう少し詳しく」とは言わない。

 二人はここまで戦後の日本というものを批判してきた。法学部卒らしく政治も語る。丸山眞男のファシズムの三規定はいずれもヨーロッパのファシズムの概念に妥当しないということで大いに意見が一致している。しかし基本的にはお互いが好きなことを言い合っている。

 しかし「ドイツ文学の鴎外と英文学の漱石が乃木大将の殉死を最も正確に理解した」という林の発言で一時停止してみよう。この指摘は、裏返してみればその他大勢の乃木大将殉死の理解がピンボケだということだ。

 つまり「忠義の人による崇高なふるまい」だとか「良妻賢母、大和撫子の鏡」などというおためごかしではないところに林房雄は気が付いていて、当然三島由紀夫もそれぐらいは気が付いているだろうと思い込み、あるいは意識していないとしてもこう言われれば察することのできる男だと思い込み、話の先を続けたのだろう。

 しかしこのことは三島由紀夫には伝わっていなかったようだ。

 伊藤静雄はいいですよなどと言っている場合ではないぞ。もうすこしちゃんとしよう。



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