和倉に行けばよかった 芥川龍之介の『芋粥』をどう読むか⑲
それは明確に意図されたことなのかどうかは別として、『今昔物語集』から明確に削除された二つのプロットによって、結果としては『芋粥』では温泉に入っていないという事実に読者が気づきにくくなっている、という話を昨日書いた。一昨日死んだ人は恐らく、いやほぼ確かに、その事実を知らないままこの世を去ったことになる。残酷だが人生というのはそういうものだ。出発してしまったバスに乗ることはできないし、そのバスを降りてしまえばもうそこには何もない。西友もジャスコもない。
現に今、この時点においても『あばばばば』が書かれた時点では『あばばばば』に描かれた景色は津波に流されてしまっていることに気が付いていない人が存在する。それは世界の人口からわずかに二けたの数字を引いただけのものすごい数の人たちだ。
大真面目に『歯車』を論じている人の中にも、
眼底にうごめくものや白絽蟵
という芥川の句に気が付いている人は、まあ、いないだろう。
不思議なのは「竹の芽はタケノコではないのか」と気づかされたはずの人が、いやいや絶対にそんなことはない、あるわけはない。そうでなければ俺の人生は何だったのだ、と気づくのを止めてしまうことだ。
いや、そりゃ、間違いを指摘されたらお顔をまっかっかにして反省すればいいだけなんだよ。
違うものは違うんだから。そもそも日々「竹の芽はタケノコではないのか」と気が付かされることが人生なんじゃない?
何か新しい知識が日々得られてこそ生きている意味があるんじゃないの。
竹の芽はタケノコではないと認められない人は文学なんかに関わらない方がいいよ。
ということで昨日気が付いていなかったことの追加を一つ。『今昔物語集』では五位に夜伽があてがわれる。そこで五位は着なれない暑い直垂を着ていた所為か、わざわざ風の通るところで夜伽を抱いた。
丁寧に読むとここは作者が仕掛けているところだ。「何々だから何々」、つまりそうでなければそうはならなかったという条件の変化を入れてきているわけだ。
そしてその結果として「山の芋を集めてこい」という命令が聞こえてきたのであって、『今昔物語集』だけ読むと、朝食の芋粥はサプライズの要素が強い。
確かに山芋を飽きるまで食べさせましょうという話はあったものの、利仁は確かに東山の近くの湯に誘ったのであり、種明かしにしても「実には敦賀へ将参る也」としか言っていない。つまり敦賀で芋粥を食べさせられることは決定事項ではなかったのである。そこには繰り返し触れている通り「敦賀は海辺の町」「冬の敦賀なら蟹とか真鯛の方がごちそう」というニュアンスがなくもない筈である。山で山芋は解る。海に山芋は生えない。現に今の敦賀では芋粥定食などが無理やり提供されているけれども、普通は海鮮を食べるでしょう。
例えば「浜松に行きましょう」と言われたら誰でも鰻でも食わせてくれるのかと思うだろう。まさか浜松でカレーライスはなかろう。これが名古屋ならひつまぶしであろうし、福岡なら鰻のせいろ蒸し。敦賀で芋粥というのは浅草で田楽と菜飯を食うというようなお決まりのことではない。
それにしても作家が自らの名前を明らかにして書いた小説に対して、「それは明確に意図されたことなのかどうかは別として、結果としては」などと書いてしまうのはどういう言い分だろう。まるで作家自身には無自覚であったかもしれないことが、自分にだけははっきり見えているのだと言わんばかりである。無自覚に国粋的省略法と書くわけがない。無自覚に「を」と「も」を取り違える作家などいないのだ。やはり冷静になればそこは「結果として」などと断る必要はまるでなく、芥川は『芋粥』を「温泉に入らない話」として書いたのに違いない。
実はそう確認してから『今昔物語集』『宇治拾遺物語』を再読すると何やらぼんやりしてた筋がくっきりと見えてくるように思えるのである。
三井寺で五位は「何を湯は」「いづら、湯は」とあくまで「湯はどこに沸いているのか?」「温泉はどこにあるのか?」と質問していて、利仁は「敦賀に行くのだ」と答えているので、本来は敦賀に温泉があるべきなのである。ところが温泉がない。やはりそれが「利仁将軍若時従京敦賀将行五位」の落ちなのだ。芥川はそこを捻ってきたのだ。
大食いという遊びは、平安前期はともかく、かなり歴史の古いものらしい。食い飽きて呆然とする顔、食い物をのどに詰まらせて四苦八苦する顔が面白いのであろう。ここで利仁は「意地悪く笑ひながら」とついに本性を現した。これまでの親切ごかしたふるまいは、けして親切そのものではなく、やたらと手の込んだ悪戯に過ぎなかったのである。ずっといじめられてきた五位が、最期の希望を意地悪で失ってしまうかと思うと少し気の毒である。しかし長年たっぷりのお湯に塩を入れてゆで卵を作っていたラーメン屋の店主が、農水省が今年になってゆで卵は少量の水で蒸して作れるとポストしたのを見たら、そちらの方が気の毒かもしれない。
それにしても芥川は何故ここで「意地悪く笑ひながら」などと書いてしまったのであろうか。それは明確に意図されたことなのかどうかは別として、結果としては利仁の内面に溺れる犬に石を投げるような徹底した残酷さが潜んでいることを言い表してはいまいかなどと逃げることはできない。結果としては、ではなく芥川は確かに意図して利仁の黒い内面を露呈させたのである。
これは決して言いがかりではない。『今昔物語集』では「一盛だに否不食はで、飽にたりと云へば極く咲て集居て客人の御徳に署預食など云ひ嘲り合へり」で片付いている。つまり五位に「飽きました」と言わせて大笑いして、ではおかげで皆で芋粥のご相伴にあずかれますなあと冷やかして終わりである。『宇治拾遺物語』にしても「いざ一つとて持て来るに、飽きて、一盛をだにえ食はず、飽きにたりといへば、いみじう笑ひて集まり居て、客人殿の御徳に芋粥食ひつ、と云ひ合へり」と「嘲り合へり」でない分はむしろ五位に対する揶揄いは消えている。それに対して芥川は、ここで「意地悪」を念押ししている。
しつこい。
ここまで五位を追い詰める必要がどこにあったのだろうか。カルディコーヒーファームにあるのか、成城石井にあるのか。いやそんなところで売られてはいまい。この意地悪さは、「酒を飲む事と笑ふ事」しか生活の方法を心得ていない利仁の裏でも面でもない本質なのである。どんなに好きな食べ物でもいくらでも食べられるわけではないことは大人なら解っている筈だ。それを無理に食べさせようとするのはいじめだ。先生に言いつけてやる。しかし利仁はとぼけてこう弁明するだろう。僕は何も悪いことはしていません。五位が飽きるまで芋粥が食べたいというので、ただ芋粥を用意しただけです。フォアグラ用のガチョウや鴨にするみたいに無理やり喉の奥に押し込んだわけではありませんよ……。
芋粥ハラスメント。通称イモハラ。それだとスイートポテトを食べることを共用することも、芋煮会への強制参加を促すことも含まれそうだから、略すのはやめよう。つまり芋粥ハラスメントは確かにあった。しかし被害届を出して立件するのは難しい。文春リークスも買い取ってはくれまい。
なんならそれは五位にとって長年繰り返されてきた日常の風景に過ぎない。芋粥ハラスメントをする利仁のような男、実はそんな男は『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』にはいなかったのである。繰り返すが『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』はあくまでも長年勤めあげてきた五位が報われる話なのである。
しかし芥川は芋粥ハラスメントをする利仁というものを創り上げてきた。
それは何故か?
私は実際にそういう人間を何人か知っている。しかし芥川はその若さで実際にそんな人間を知っていたのか?
そういう男をどこで見たのかはわからない。しかしそういう人間は確かに存在する。わざわざ手間暇かけて他人の希望を奪い取ろうとする人間。そんな生き物がいつの時代にも存在することは想像に難くない。考えるまでもなく、それがただ笑うためであったとしてなんとも空しい人生の過ごし方だ。ただ他人を蔑み、不快な思いにさせるためにポストし続けるような無駄な時間の使い方だ。小学生にそんなことをしていて楽しいですかと質問されそうな生き方だ。
しかしどういう意味で芥川がそんな男を持ち出してきたのか、その狙いが一体どこにあるのか。それはまだ誰にも解らない。何故ならこの続きを読んでいないからだ。
[余談]
誰にでも簡単に作れるゆで卵のゆで方や、誰でも簡単にキレイにできるゆで卵の殻の剥き方はあるかもしれないけれど、誰にでも簡単にできる小説の書き方や読み方というのは多分ないなあ。
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