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人心の變化は吾等老人の到底窺ひ知るべからざる所なり

 永井荷風の『断腸亭日記』昭和十五年十二月廿二日に、 

 現代日本人ほど馬鹿々々しき人間は世界になし。明治の初年赤穂浪士は兇徒嘯集の犯罪人なりとて泉岳寺の義士木像を燒かむとせしものあり。神佛混同の嫌ありとて芝増上寺等をの燒きたるものあり。慶應年間猿若町の芝居にてて天竺德兵衛の狂言を見たる九州の田舎侍、德兵衛は親不孝なりとて舞臺の役者を斬らむとせし事ありき。昭和現代の日本人中には以上の如き感想を抱くもの多かるべし。野蠻人または獸類にアルコールを飮まして見れば此等日本人の感情及生理的行動を察知するに難からず。

 ……とあった。そこまで言うか、断腸亭。

 沼正三までもうちょっとだぞ、断腸亭。

 翌年一月初六、

 夜赤十字社東京支部女事務員にて春を賈るもの電話をかけ来りよき人を御紹介したし御差支なくばこれよりすぐに連れて参るべしと言ふ。一時間ばかりして年二十二三。小づくりの女を連れて来れり。事務所は同じならねど懇意な友達なればよろしく御願ひします。わたくしは今晩は身体が汚れてゐますからお先に失禮しますとて新しき女を殘してすたすた歸り去れり。人心の變化は吾等老人の到底窺ひ知るべからざる所なり。むかし提重とやら稱へて獨身の武家または勤番の侍の家を歩みまはりし私窠子ありし由なれど、これ等女事務員の爲すところおのずから一致するも可笑しきはなし。新體制時代のことなればサンドイツチとでも稱ふべきにや。

 人心の變化は吾等老人の到底窺ひ知るべからざる所なり。ってお前が言うな、断腸亭。
 電話番号を教えていたんだろ、断腸亭。
 いや、わたくしは今晩は身体が汚れてゐますからお先に失禮しますって、忙しいな、赤十字。
 汚れて居なかったらどうしていたんだ、赤十字。
 サンドイツチは生々しいぞ、断腸亭。


提重とは、4〜5人分の酒の肴が入る重箱、銘々皿、酒筒や盃などの酒器を携行できるように、持ち手のついた外枠の中におさめたものである。 花見、野弁当とも呼ばれ、観劇、お花見、紅葉狩り、お月見や夕涼みなど、四季折々の物見遊山の際に活躍した。







どーもならんな。


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