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誤り、抜け、漏れ 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む67

 手短に言えば、夏目漱石の『こころ』が読めないものに三島由紀夫作品が読めるわけがない。平野啓一郎は確かスローリーディングとか言いながら夏目漱石の『こころ』を読んでいた筈だが、「私」と何某が何を呑んだのか、先生がKの頭をどの高さまで持ち上げたのか、あるいはまた鎌倉での海水浴で「私」と先生がどんな格好だったかといった細かい点を理解してはいないだろう。石原慎太郎が「物凄い」と言った三島由紀夫の凄みはそうした細部に宿る。

美しい幻

 昨日八紘一宇について少し書いた。そのとき岡倉天心を引き合いに出したのは「おや?」と思ってもらうためだ。岡倉天心と言えば『茶の本』、東京芸大学長というのがマス・イメージではないか。

 今「八紘一宇」などと言い出せば右翼のバカということになりかねないが、岡倉天心はゴリゴリの右翼ではなくまあ、いってみればただの真面目な美術史研究家である。その岡倉天心が真面目に八紘一宇と書いているのでどうも驚いた。書いていることは三島由紀夫より過激である。
 しかしそのくらいアジアは危機的状況にあり、日本が追い詰められていたことは事実であろう。

朝鮮ハ帝國カ其ノ始ニ啓誘シテ列國ノ伍伴ニ就カシメタル獨立ノ一國タリ而シテ淸國ハ每ニ自ラ朝鮮ヲ以テ屬邦ト稱シ陰ニ陽ニ其ノ內政ニ干涉シ其ノ內亂アルニ於テ口ヲ屬邦ノ拯難ニ籍キ兵ヲ朝鮮ニ出シタリ朕ハ明治十五年ノ條約ニ依リ兵ヲ出シテ變ニ備ヘシメ更ニ朝鮮ヲシテ禍亂ヲ永遠ニ免レ治安ヲ將來ニ保タシメ以テ東洋全局ノ平和ヲ維持セムト欲シ先ツ淸國ニ吿クルニ協同事ニ從ハムコトヲ以テシタルニ淸國ハ翻テ種々ノ辭抦ヲ設ケ之ヲ拒ミタリ帝國ハ是ニ於テ朝鮮ニ勸ムルニ其ノ秕政ヲ釐革シ內ハ治安ノ基ヲ堅クシ外ハ獨立國ノ權義ヲ全クセムコトヲ以テシタルニ朝鮮ハ既ニ之ヲ肯諾シタルモ淸國ハ終始陰ニ居テ百方其ノ目的ヲ妨碍シ剰ヘ辭ヲ左右ニ托シ時機ヲ緩ニシ以テ其ノ水陸ノ兵備ヲ整ヘ一旦成ルヲ吿クルヤ直ニ其ノ力ヲ以テ其ノ欲望ヲ達セムトシ更ニ大兵ヲ韓土ニ派シ我艦ヲ韓海ニ要擊シ殆ト亡狀ヲ極メタリ則チ淸國ノ計圖タル明ニ朝鮮國治安ノ責ヲシテ歸スル所アラサラシメ帝國カ率先シテ之ヲ諸獨立國ノ列ニ伍セシメタル朝鮮ノ地位ハ之ヲ表示スルノ條約ト共ニ之ヲ蒙晦ニ付シ以テ帝國ノ權利利益ヲ損傷シ以テ東洋ノ平和ヲシテ永ク擔保ナカラシムルニ存スルヤ疑フヘカラス熟〻其ノ爲ス所ニ就テ深ク其ノ謀計ノ存スル所ヲ揣ルニ實ニ始メヨリ平和ヲ犧牲トシテ其ノ非望ヲ遂ケムトスルモノト謂ハサルヘカラス事既ニ茲ニ至ル朕平和ト相終始シテ以テ帝國ノ光榮ヲ中外ニ宣揚スルニ專ナリト雖亦公ニ戰ヲ宣セサルヲ得サルナリ汝有衆ノ忠實勇武ニ倚賴シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝國ノ光榮ヲ全クセムコトヲ期ス

淸國ニ對スル宣戰ノ詔勅

 ここに出てくる「秕政ヲ釐革シ」は「死諫を当路に納れ、秕政を釐革せしむ事」「闇中に劔を揮い、当路の姦臣を仆す事」として神風連の模倣の形式に結果的にはなってしまう。明治天皇が神風連を本当に真似たわけではないがたまたまにせよ言葉が重なってしまったのだ。

 これが何の話かというと美しい幻の話だ。

 といふのは、人々が死を賭けて望む未来の幻、そのもつとも善い幻ともつとも悪い幻、そのもつとも美しい幻ともつとも醜い幻とは、もしかしたら同じ場所にあり、さらにおそるべきことには、もしかしたら同じものでさへあるかもしれないからだ。勲が死を賭けて夢みてゐたものは、その先賢が賢かつたら賢かつたほど、そして勲の死が至純であれば至純であつたほど、この政治詩のやうな絶望そのものに他ならなかつた、とは云へまいか。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 三島の死を思ってみれば、ここは思わず頁を捲る手が止まるところである。昨日この個所で余談にずれたのはそのためだ。
 平野啓一郎が「41 「一〇・二一国際反戦デー」以後の急進化」で確認している『暁の寺』の執筆時期に鑑みれば、ここでその意味が残酷に確認されている勲の死は、やはり三島自身の死生観により引き寄せられ、問い詰められているものに見える。
 そして本多がわざわざ「無血革命」と呼んだものを確認してみれば、その政治詩に「死を賭けて望む未来の幻」を見てしまうちぐはぐさに戸惑わざるを得ない。手短に言ってしまえば、この詩人は死んではいないだろうし「未来に捧げし青春の贄」は彼の命ではなく、精々「時間」程度のものに過ぎない。
 三島由紀夫の最期の詩がそんな欺瞞で終わってしまったことにも驚くが、この欺瞞を指摘しないで三島由紀夫論が書けてしまう評論家の存在、その評論を決定版と呼んでしまう編集者の存在、殆ど日本語を理解さえできないのに編集者として居座ろうとする厚顔、伊東純也の選手生命を脅かし平然としている出版社の悪徳ぶり、そして牛乳の値上がりに驚く。

 しかし引用部の前半は、政治詩と切り離してしまえば、「屁」ではない理屈を提示している。
 おそらく岡倉天心の言う八紘一宇は最も美しい幻であった筈だ。 

 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮さつりくを行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。

(岡倉天心『茶の本』)

 この英語版の原作が出版されたのは明治三十九年。武士道と茶道が対比され、茶道はArt of Lifeであると強調されている。

  明治三十六年には、こんなことを書いていたのに。

 そしておそらくこれは変節ではないのだ。岡倉天心の美しい幻は本多の言う美しい幻とは違う。岡倉天心は死を賭けて望んでもいない。しかしどっちみちそれは「同じもの」なのかもしれないのだ。このロジックに於いて死を賭する行動そのものが徒爾となる。
 ただ死ぬものは死に、死なないものは死なない。
 仏教的には生死が戯論というわけである。

プレゼンなら怒られる

 
 私個人は三島由紀夫をほとんど読んでこなかった人に比べれば、それでもまあ、多少は、三島由紀夫の文章には慣れている方ではないかと思うのだが、そんな私であるからこそこんなくだりには引っかかる。

 こんな考へ方をする自分自身に、もちろんあの巨大な印度が影を落としてゐることを、本多は感じてゐた。印度は彼の考へに、幾重にも重なった花弁のやうな構造を与へ、もはやすがすがしい直線の思念にとどまることを許さなくなつた。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 あんた最初からそんなやん。「すがすがしい直線の思念」なんて一度たりとも見せたことあらへんやん。それが三島節やん。「すがすがしい直線の思念」なんてできへんやん。飯沼勲でもできとらんかつた。そんなもんできたのは「坊っちゃん」だけやで。
 プレゼンで「幾重にも重なった花弁のやうな構造を与へ」なんて言うたら怒られるで。スマートアートで描いてみい言われるで。

 そして実際に言われる理屈は見事な屁理屈なのだ。

 成功にあれ失敗にあれ、遅かれ早かれ、時がいづれは与へずにはおかぬ幻滅に対する先見は、ただそのままでは何ら先見ではない。それはありふれたペシミズムの見地にすぎぬからだ。重要なのは、ただ一つ、行動を以てする、死を以てする先見なのだ。勲はみごとにこれを果たした。そのやうな行為によつてのみ、時のそこかしこに立てられた硝子の障壁、人の力では決してのりこえられぬその障壁の、向こう側からはこちら側を、こちら側からは向こう側を、等分に透かし見ることが可能になるのだ。渇望において、憧憬において、夢において、理想において、過去と未来とが等価になり、要するに平等になるのである。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

小林 すみません。ゼロフリクションBP代表クリスタル役の小林と申します。二三質問よろしいでしょうか?

本多 手短にどうぞ。

小林 今の「先見」の中にインドの影、花弁のような複雑な構造はどのように表れているんでしょうか。おっしゃられたのは寧ろ飯沼勲の純粋と言うか単純な先見であって複雑な構造は見えないですよね?

本多 それは君が馬鹿だから見えないだけだ。

小林 それからええっと「ガラスの障壁」っていうくらいだから、そもそも透けて見えるわけですよね? それに死んだら透かし見るも何も、見えなくなるんじゃないですかね?

本多 お前は覗き魔か。

小林 それは先生の方ですよね。それでその「過去と未来が平等になる」という理屈は、単に死んだら、ということであって、行動して死のうが病気で死のうが同じこと、じゃないんですか?

本多の持説


 この先見の話はまだまだ続いている。屁理屈ではあるが、恐らくは三島由紀夫自身の死に対する考え方が漏れてもいる個所ではあろうから、誰かさんのように読み飛ばすことはできない。

 死の瞬間に勲が果たしてそのやうな世界を垣間見たかどうか、本多は近づく老年の、いづれ死のきはに見ることになる何ものかを探るには、それがけしてなほざりにできない設問だつたが、少なくともその瞬間、実在の勲と仮構の勲とが目を見交はし、こちらの先見がまだ見えぬ筈の向こう側の光輝をありありとつかみ、又向う側の目が、こちらを透かし見て無限に渇望し、獲得された何ものかがまだ獲得されぬ何ものかに憧れ、自らへ向けられた過去からの渇望の光輝を、ありありとつかんだことは確実なのだ。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 まずこの「光輝」に関しては既にこう言われていた。

 日はすでに緑の叢林の上にあつた。それまでは注視をゆるす紅い円盤であったのに、一転して、一瞬の注視も叶わぬ光輝の塊りになつた。それはもはや威嚇するやうに轟いてゐる光(こう)焔(えん)だった。
 突然、本多には思ひ当たつた。勲がたえず自刃の幻のかなたに思い描いてゐた太陽こそ、まさにこの太陽だつたのだ、と。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 従ってここで言われていることは「向こう側からはこちら側を、こちら側からは向こう側を、等分に透かし見る」という行為を「実在の勲と仮構の勲と」に置き換えてより具体的に繰り返したに過ぎないように見えるけれども、光輝が日輪であるからには、仮構の勲と実在の勲は眼がつぶれている。

 そして何も確実でないものを確実だと言ってみる。

 本多は法廷で勲の日輪に対する思いを聴いていただけに過ぎない。勲が小説的には最後に日輪を幻視したらしいことは読者には解るが、本多には解らない筈なのである。むしろ普通の大人なら、せめて朝日を待って死ねたら仕合わせだっただろうにと悔やんでもおかしくはないのだ。ここは一つ理由を欠いている。

 ここも敢えて理屈を言えば諄いように太陽信仰を語り、それ以上の神などありえないのだと念押ししていると見てよいだろう。

 二つの生が、二度とやり直しのきかぬ二つの生起を通じて、あの硝子の障壁をつらぬいて結ばれる。勲とこの政治詩人とは、通りすぎた果てに死にあこがれる詩人と、通り過ぎることを拒否して死んだ若者との、永遠の連環を暗示してゐたのである。それなら彼らがおのおのの方法で、意志し望んだことはどうなつたであらう。歴史は決して人間意志によつては動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢えて関はらうとする意志だ、といふ考へこそ、少年時代以来一貫して渝らぬ本多の持説であつた。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 ここで「実在の勲と仮構の勲」が「二つの生が、二度とやり直しのきかぬ二つの生起を通じて、あの硝子の障壁をつらぬいて結ばれる」と書かれることで松枝清顕と飯沼勲のことであるように思えたにもかかわらず、突然ステップを踏み換えるようにして「勲とこの政治詩人」に置き換えられていることに驚く。

 というよりさすがにこれは「向こう側からはこちら側を、こちら側からは向こう側を、等分に透かし見る」という構図にはならないだろうとミスの指摘をしたくなる。「こちらの先見がまだ見えぬ筈の向こう側の光輝をありありとつかみ、又向う側の目が、こちらを透かし見て無限に渇望し、獲得された何ものかがまだ獲得されぬ何ものかに憧れ、自らへ向けられた過去からの渇望の光輝を、ありありとつかんだ」と交換される日輪を前提にするとさらに無理が出てくる。

 細かいことを言えば「時のそこかしこに立てられた硝子の障壁、人の力では決してのりこえられぬその障壁」と言っていたものを「あの硝子の障壁」と既知のものの如くに言い直した時点でもう酔っ払い並みの屁理屈である。そしてさらに三島は本多に、「勲とこの政治詩人とは、通りすぎた果てに死にあこがれる詩人と、通り過ぎることを拒否して死んだ若者との、永遠の連環を暗示してゐたのである」と無理を言わせてみる。そもそも二人の関係はたまたま本多が見出した恣意的なものであり、勲と反対の死なない革命家の一人という以上に政治詩人を特徴づけるものはない。

 いや死なない上に母国語ではない言葉で「未来に捧げし青春の贄」と書いてみる、それを恥ずかしげもなく自費出版してみる厚顔さは、勲の対極にある筈なのだが、本多はこの政治詩人をけして咎める様子もなく、むしろ偉く持ち上げている。

 本多の「それなら彼らがおのおのの方法で、意志し望んだことはどうなつたであらう」という自問は打ち捨てられる。

 そのことは既に、

 例の勲の死に終わつた昭和神風連事件のあとも次々と類似の事件が起こり、昭和十一年二月二十六日に起こつたニ・ニ六事件を以て、国内の擾乱はしめくくりをつけられたが、その後はじまつた支那事変は五年にわたりながら解決がつかず、その上日独伊三国同盟が列強を刺激して、日米戦の危機がしきりに論ぜられるやうになつた。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 25ページにこじんまりとまとめられていた筈だが確認さえされない。「次々と類似の事件が起」きたのは「昭和神風連事件」の影響もあってのことなのか、むしろこの創られた歴史においても「昭和神風連事件」は五・一五事件とニ・ニ六事件にはさまれた類似の事件の一つに過ぎないのかと判別にもかけられない。

 そして「歴史は決して人間意志によつては動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢えて関はらうとする意志だ、といふ考へこそ、少年時代以来一貫して渝らぬ本多の持説であつた」と繋げられてしまうと、兎にも角にも勲は歴史に関わろうと意志したのだ、とやる気だけを褒める形になっている。目標管理制度においてはあり得ない評価だ。目標未達は否めないのに無理やり加点しようとしている。

 さらに「少年時代以来一貫して渝らぬ本多の持説であつた」と言われると「印度は彼の考へに、幾重にも重なった花弁のやうな構造を与へ」がどこに行ってしまったのかと質問したくなる。

 かくも政治詩に関わる本多の言説は奇妙にねじれ、非論理的であるばかりか、過剰に詩的であり、混乱してもいる。ここに引っかからない人がもし存在していたとしたら、その人は単に『暁の寺』を読んでいないだけだ。

 平野啓一郎はこの辺りを簡潔にまとめている。

 但し、本多が「クーデター後の幻滅を書いた若い軍人の詩集を読み、勲を偲ぶ」というアイデアはそのまま生かされており、ジン・ジャンとの関係を設定上、曖昧にしたまま、彼の中で勲とその詩人とが類比されるという形にして、一方的に彼女に詩集を献呈するという筋書きとしているので、読者はその意味を効果的に読み取ることができない。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 どうも「創作ノート」を手掛かりに、書かれていない設定を読み込んでいるので「軍人」などと書いてしまう。ここは「そのまま」が誤り。「硝子の障壁」の屁理屈に言及していないのは抜け、「過去と未来とが等価になり、要するに平等になる」という死生観に触れないのは漏れと言って良いだろう。
 行動によって死んだ勲と、死なない革命詩人が「同じものでさへあるかもしれない」とゆるくも捉えられている辺り、森田必勝が読めばガリッと音がするほど歯ぎしりしたに違いないと思うのだがどうだろう。

 死なないで詩を書いて何が偉いんですか、と詰め寄るほど森田に国語力があったかどうかは解らないが。

[余談]

 明治維新が、尊王、攘夷、佐幕、開国の、それぞれ別方向のイデオロギーを紛糾させて、紛糾しきった収拾のつかない混乱の中から、かろうじて呱々の声をあげたように、一九七〇年代は、未曽有のイデオロギー混乱時代をもたらし、そのなかでまた、数々の仮面がはがれ落ちてゆくであろう。
 すでにその兆はいたるところに見えている。最近私は一人の学生にこんな質問をした。
「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合わせたらどうするか?」
 青年はしばらく考えたのち答えたが、それは透徹した答えであった。
「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自刃します」
 これは比喩的な回答であるから、そのつもりできいてもらいたい。
 この簡潔な答えは、複雑な論理の組み合わせから成り立っている。すなわち、第一に、彼が米兵を殺すのは、日本人としてのナショナルな衝動からである。第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動による殺人といえども、殺人の責任は直ちに自ら引き受けて、自刃すべきだ、と考える。これは法と秩序を重んずる人間的論理による決断である。第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持っている。なぜなら、基地反対闘争に参加している群衆は、まず彼の殺人に喝采し、彼のイデオロギーの勝利を叫び、彼の殺人行為をかれらのイデオロギーに包みこもうとするであろう。しかし彼はただちに自刃することによって、自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺したのではなく、日本人としてそうしたのだ、ということを、かれら群衆の保護を拒否しつつ、自己証明するのである。第四に、この自刃は、包括的な命名判断(ベネンヌンクスウルスタイル)を成立させる。すなわちその場のデモの群衆すべてを、ただの日本人として包括し、かれらを日本人と名付ける他はないものへ転換させるであろうからである。

 いかに比喩とはいいながら、私は過激な比喩を使いすぎたであろうか。しかし私が、精神の戦いにのみ剣を使うとはそういう意味である。

(『「国を守る」とは何か』/『生きる意味を問う -私の人生観』/三島由紀夫著/小川和佑編/大和出版/1984年/p.194~195)

 このように三島のロジックはいつも隙だらけだ。

 こんな青年はそもそもいない。

 自刃できるということは刀を持っている。

 米兵は銃で日本人を殺そうとしていたのであろう。

 刀ではそれを——「ルパン三世」の石川五右衛門でない限り防げない。

 

 

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