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谷崎潤一郎の『吉野葛』をどう読むか⑤  天罰は、神が下すものだ

 前回私はこの『吉野葛』の話が後南朝の浪漫から静御前の嘘伝説にすり替わっている、というところまで読んだ。そこまでは何とか、解った。しかしそこから話は津村の母の話になる。幻の母、死んだ母に対する思慕の話である。

 祖母が亡くなった後土蔵の箪笥を改めると父と母の生々しい艶書や祖母の手紙が出て来た。津村はそれを繰り返し読む。そして祖母が稲荷の信仰に凝り固まっている事実を発見する。なんやかやあって津村は母の生家、大和の国吉野郡国栖村へ尋ねて行くことにした。津村は母の姉に当る婦人から話を聞くことが出来た。……と後南朝も何も関係ない、津村という男の母の話にすり替わる。

 四年ほど新町に奉公し、昆布家から津村家へ嫁いだ。そんなどうでもいい話が続く。津村は母の形見の琴を見せてもらう。そしてどうやら話は津村の恋バナになる。

「―――その、始めて伯母の家の垣根の外に立った時に、中で紙をすいていた十七八の娘があったと云っただろう?」
「ふむ」
「その娘と云うのはね、実はもう一人の伯母、―――亡くなったおえい婆さんの孫なんだそうだ。それがちょうどあの時分昆布の家へ手伝いに来ていたんだ」
 私の推察した通り、津村の声は次第に極まり悪そうな調子になっていた。
「さっきも云ったように、その女の児は丸出しの田舎娘で決して美人でも何でもない。あの寒中にそんな水仕事をするんだから、手足も無細工で、荒れ放題に荒れている。けれども僕は、大方あの手紙の文句、『ひびあかぎれに指のさきちぎれるようにて』と云う―――あれに暗示を受けたせいか、最初にひと眼水の中に漬かっている赤い手を見た時から、妙にその娘が気に入ったんだ。それに、そう云えばそう、どこか面ざしが写真で見る母の顔に共通なところがある。育ちが育ちだから、女中タイプなのは仕方がないが、研きようによったらもっと母らしくなるかも知れない」
「なるほど、ではそれが君の初音の鼓か」
「ああ、そうなんだよ。―――どうだろう、君、僕はその娘を嫁に貰いたいと思うんだが、―――」

(谷崎潤一郎『吉野葛』)

 好きにすれば良かろう、と思うよりない。実にどうでもいい個人的な話にすり替わっている。

「夏でなければこの温泉へは這入れません。今頃這入るには、あれ、あすこにある湯槽へ汲み取って、別に沸かすのです」
と、女たちはそう云って、川原に捨ててある鉄砲風呂を指した。
 ちょうど私がその鉄砲風呂の方を振り返ったとき、吊り橋の上から、
「おーい」
と呼んだ者があった。見ると、津村が、多分お和佐さんであろう。娘を一人うしろに連れてこちらへ渡って来るのである。二人の重みで吊り橋が微かに揺れ、下駄の音がコーン、コーンと、谷に響いた。

 私の計画した歴史小説は、やや材料負けの形でとうとう書けずにしまったが、この時に見た橋の上のお和佐さんが今の津村夫人であることは云うまでもない。だからあの旅行は、私よりも津村に取って上首尾を齎らした訳である。

(谷崎潤一郎『吉野葛』)

 なるほど後南朝の浪漫の話が静御前の嘘伝説にすり替わり、旅の目的も津村の嫁探しの話にすり替わる。これをどう読めば「中世ものの傑作」となるのかは謎だが、とにかくすり替わる話であるのは間違いない。稲荷信仰の話もどこかへ消えてしまった。これは谷崎には南朝を吉野朝と呼ぶ南朝正統論などどうでもいいものであり、母の面影のある女を娶ることの方に興味があるのだというアピールなのだろうか。
 私には思想なんぞございませんと、そう言いたいのだろうか。
 いやいや、そうとも言えまい。結構剣呑なことも書いてある。

この案内者は外にもまだいろいろの口碑を知っていた。昔、京方の討手がこの地方へ忍び込こんだとき、どうしても自天王の御座所が分らないので、山また山を捜し求めつつ、一日偶然この峡谷へやって来て、ふと渓川を見ると、川上の方から黄金が流れて来る、そこで、その黄金の流れを伝わって溯って行ったら、果して王の御殿があったと云う話。王が北山の御所へお移りになってから、毎朝顔をお洗いになるのに、御所の前を流れている北山川の川原へ立たれるのが例であったが、いつも影武者が二人お供していて、どれが王様か見分けがつかない。討手の者がたまたまそこを通り合わせた村の老婆に尋ねると、老婆は、「あの、口から白い息を吐いていらっしゃるのが王様だ」と教えた。そのために討手は襲いかかって王の御首を挙げることが出来たが、老婆の子孫にはその後代々不具の子供が生れると云う話。―――

(谷崎潤一郎『吉野葛』)

 京方の討手の味方をした者の子孫には不具の子供が生れる。なるほど、これは天罰だ。
 天罰は、神が下すものだ。さて、天罰は下ったかどうか、と谷崎は書かない。ただ伝説を手帳にメモするだけだ。ただ「南朝の宮方が人目を避けておられたとしても」「北山宮の御歌は」と幻の後南朝に対する敬意は隠さないだけだ。 そこにとどまる。



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