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末法と俊成 現実的手法はどこで売られているのか?

 思ふに當時、宮廷貴紳を擧げて、このさき如何になつてゆくか分らないやうな不安なけはひがあらはれてきてをつたことは、すでに諸君の諒解された通りである。保元平治の亂や清盛の獨裁政治といふやうなものは實は表面化した一部のあらはれに過ぎないのであつて、あの四百年に垂んとする平穩な平安時代に、このやうな異變を可能ならしめるやうになつた、その見えざる世相の轉變こそ、きはめて徐々にではあつたが人心に無常を觀ぜしめる、どうにもならぬ原因であつた。
 だから、大僧正慈圓などは愚管抄の中で、歷史を推進させる道理の存在をきつく主張したけれども、その道理が具體的事件の上に如何にはたらくものであるかを法則化して見せる社會史學のやうなものは、何等存してゐなかつたのであるから、人々はたゞ何となき不安の中にあるの外なかつたのである。
 現世の眞面目な勤勉が、何等それに正比例する報いを保證しない。案外に人目を胡麻化して追從贈賄を行ふと利目がある。そのやうな事實は人心を極度に自棄的にするものである。人を怨み、怒り、己の生涯に不平不滿を持つことは常住となる。
 けれどもそれは、それまでの佛法の教にしたがへばすべて墮獄の因である。
 如何に己の心を良く保たうとしても、ちひさな個人の意志が己を制し切れないほどに、世の中の相は人心を刺戟しやすく、怪奇で混亂してゐる。もし人心の歸趨するところに流されるのを潔しとしないで、獨り孤高の清節を徹さうとすれば、誇りかな心は逆にまた驕慢の罪を犯すこととならう。
 かうした現實に應ずるものとして、淨土思想は急速に力を伸ばしてゆく。現世に如何に罪をつくらうとも、最後の一念によつて極樂淨土に引攝されるといふ彌陀の本願の教へが、たゞ一つ人心を救ふ宗教でありうる。森嚴な道理を世相の推移の中に探究しようとしても、それは常人には不可能の業にすぎなかつた。
 その上わるいことに、この時代は、どんな計算にしたがふにしても、佛の豫言の末法の世がおとづれつつあつたのである。末法の世とは佛法が全く力を失ふ時代をいふのであるから、「末世が來つた」といふ聲は、宗教以上に高い思想を所有しなかつた時代の人にとつては、世界の瓦解の響きに似てゐたのである。
 かうした轉變の世にあつて、幾代の祖先この方、不文の律と見なされたところの、家柄相應の地位を宮廷において占めることにすら失敗して退場した多くの隱者は、己が現世については何の望みも持たなかつたけれども、その生活は莊園にすがつてさし當り浮浪の徒となる惧れをまぬがれてゐた。
 さうしたときに花咲く人の心の影が「詩」であつたのである。その詩は現實にやぶれて、それのかはりに肉身がしみ出させた眞珠の玉ともいふべきものであつた。はじめから風流の韻事である。花鳥の雅遊である。感性の愉しさに手ばなしで媚びるのである。俊成の感性が古今集の聲調に親近を直覺したのは、彼が身を以て詩客であつたからのことである。(風巻景次郎『中世の文学伝統 : 日本文学論』)

 この風巻の「保元平治の亂や清盛の獨裁政治といふやうなものは實は表面化した一部のあらはれに過ぎない」という見立てには、確かに一瞬虚を突かれるものがある。私は谷崎の『信西』を読んで以来、何度もこの保元平治の亂あたりの「出来事」について調べて考えてきたが、何が起こっているのかよく理解できなかった。それを表面化した一部のあらはれだとしても内面が見えるわけではないが、違うアプローチで考えてみようというヒントにはなる。
 これまで私は夏目漱石の文明批評・明治政府批判が、『門』以降、間接的になり、解り難くなったこと、にもかかわらず谷崎潤一郎の明治政府批判が『誕生』から少なくとも『正成寺物語』までは明示的に続けられてきたことを確認しながら、俊成の「時代」というものを考えてこなかった。俊成が家柄にふさわしい程度に出世も出来ず、隠者となったところから始まる風流とは、これまでの私が抱いていた圧倒的な権威としての俊成による『六百番歌合』のイメージとは真逆のものだ。
 判者としての俊成はあくまでも圧倒的な権威に見える。知識量ではなく、張り出しで押し切る。しかし確かにその「時代」というものを見た時には、それは寄る辺ない世界であり、末法であったとは言えるだろう。故に俊成は万葉集の典拠にこだわらず、抒情性の優位を選んだのだと。

 なんとなく艶にも哀れにも思える「幽玄」、隠者によって要求された詩、精神の貴族主義。

現世に失敗しても、心の世界で低劣に墮しまいとする誇りである。それが眼を物外に向けることを教へたのである。千載集の歌はこのやうにして、すべて風流である。(風巻景次郎『中世の文学伝統 : 日本文学論』)

 そう思ってみれば大正時代のチャンバラ小説同様、谷崎潤一郎のマゾヒスト小説も、夏目漱石の姦通小説も、末法が生んだものであると言えなくもないかもしれない。言えなくなくもないかもしれない。いや、言える。

https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1127608?keyword=%E9%A2%A8%E5%B7%BB%E6%99%AF%E6%AC%A1%E9%83%8E&page=2

 しかし……後鳥羽院を持ち上げるのはいいが、風巻の「現実的手法」は見えない。楽天に売っているのか? 東急ハンズか?




はしゃぎすぎ。




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