ひと絞りあさあさ焼くる山の映え 芥川龍之介の俳句をどう読むか47
雨ふるやうすうす焼くる山のなり
なんや、山火事が雨で収まったんか?
という句であるが、みな解釈示さんな。野焼きの意味に解している人、一人。二人。三人。四人。
山焼で確定なのか?
この句には、
雨吹くやうすうす焼くる山のなり
という別バージョンがあり、そこには
という言葉が添えられている。
異論は?
なし?
となると子規の、
雨ならん山を焼く火の廣がりぬ
と句意は重なる。
ならあれこれいうこともなかろう。
余談もない。
雨ふるやうすうす焼くる山のなり
この句は
雨ふるやあさあさ焼くる山のなり
雨ふるやうすうす焼くる山のさま
雨ふるやうすうす焼くる山のなり
雨ふるやうすうす焼くる山の影
雨ふるやうすうす焼くる山のふう
雨ふるやうすうす焼くる山のさう
雨ふるやうすうす焼くる山の勢
雨ふるやうすうす焼くる山のふり
雨ふるやうすうす焼くる山の映え
雨ならんうすうす焼くる山のなり
そぼふるやうすうす焼くる山のなり
小雨ふるうすうす焼くる山のなり
こういう意味だろう。
ちなみに、
八九間空で雨降る柳哉
蔦の葉の時雨に時雨降る夜哉
時雨降る柳の脊戶や草の道
時雨降る笠松へつく日なりけり
と、芭蕉は「雨ふる」プラス体言の形で用い詠嘆がなく、
風なくて雨ふれとよふ蛙かな
藥園に雨ふる五月五日かな
古道をゆけは雨ふる若葉かな
曉の川浪白く水增して藤の若葉の空に雨降る
と蕪村も「雨ふるや」という詠嘆は用いないが、子規の写している通り明治以前はごく当たり前に用いられていた「雨ふるや」が、
雨ふるやつり菰湿るゝ相撲部屋
明治俳諧五万句においてはこの一句のみにしか見られない表現となっている。
雨ふるや明月も二度角田川
雨ふるや翌から榾の當もなき (まきがないよー)
これは一茶。
何気ない表現ながら「雨ふるや」は芥川が古色をつけようと狙っていた疑いが全くないとは言い切れないかもしれなくもない。
世とともに雨ふるやとの庭たつみすまぬに影は見ゆるものかは
読み人知らず
不如帰居つくをかとと定めてや雨ふる闇に啼きて過ぎぬる
太皇太后宮小侍従
かき曇り雨ふるやとの秋風に涙かたしき今宵かもねむ
読み人知らず
和歌の「や」は詠嘆ではなく疑問だ。
山焼けば雉もウサギも焼けるなり
山焼けばグレタ・トゥーンベリ怖い顔
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