見出し画像

夏目漱石『彼岸過迄』における主人公の役割に関する一考察

 

 


夏目漱石作品はどう読まれてきたか

 
 読書、あるいは黙読という極めて個人的な体験において、何かよほど特別な理由でもない限り、自分がその作品を「どう読んでいるのか」などということを意識することは殆どないだろう。
 どう読むも何も、ただ自然に文字を読んで、何某かの意味を求めているつもりであることが殆どではあるまいか。
 読んでいる最中に「私はこの作品をどう読んでいるのか」などと考え始めると意識がそちらに持っていかれるために「話」そのものに這入り込めない。「筋」が飛んでしまう。無駄に時間がかかる。
 だからそもそも「私がこの作品をどう読んでいるのか」などということは、何か特別理由がない限り読者本人の意識には上らない筈だ。
 少なくとも私の場合は、この十年ばかりの間、主に立ち読みで読書をしてきたことから「小説」を読みながら自分がその「作品」をどう読んでいるのかと意識したことはこれまで殆どない。
 意識した瞬間に「物語」から意識を逸らしている。
 特別な理由もなく、自分がその作品を「どう読んでいるのか」という事が解かるのは、大抵作品を読み終わった後、何か別の文章を読んでいる時の事である。
 自分ではなく他人が「どう読んでいるのか」が解かってから、ようやく意識されるのが自分の読みなのではなかろうか。誰かが「どう読んだのか」を何かに表現したものを読むとき、自分の読みとの違いから、まずその人が「どう読んだのか」が解り、その人と違う読みをしている自分が「どう読んだのか」が解るのではなかろうか。「読書メーター」「ブクログ」「goodreads」らに書きつけられる読書感想文には、その人がその作品を「どう読んでいるのか」が現れているものが少なくない。読めばそこに書かれている他人の読みと、私の読みの間には常にさまざまな違いがあることが自然に解る。
 印刷された「解説」や「評論」の類は、まぎれもなくその解説者や評論家がその作品を「どう読んだか」という告白になる。その書き手が「どう読んだか」、どういうところに気が付いていて、どういうところに気が付いていないのか、あるいはどういう本を読んでいないか、またはどういう本のどういう内容を記憶していないか、そういうことが読み取れることさえあるのではなかろうか。

 例えば元少年Aという不思議な書き手によって書かれた『絶歌』という本を罵倒した人々の中には、作中でバイブルと紹介される三島由紀夫の『金閣寺』と『絶歌』の関係を指摘する人がたった一人でも存在しただろうか。
 みな比喩の過剰さ、自己愛、自意識の強さをなじるだけではなかっただろうか。『絶歌』はその結末において、煙草を吸い、生きようと決心することで『金閣寺』(あるいは『命売ります』)のパロディとなっている。それはとりもなおさず、「生きるべきか死ぬべきか」迷っていたのだとぼんやり告白するというレトリックである。冒頭の過少誇張法、浮遊する視座、間テクスト性、省略、ナイフにフォーカスして引きの画で場面転換する技法などが詰め込まれた『絶歌』は、殺人犯の告白本としては不自然な極めてレトリカルな作品である。
 この『絶歌』を読んで比喩だけを指摘した人は、昭和の文豪・三島由紀夫の『金閣寺』を読んでいないのだと判断できる。三島由紀夫の『金閣寺』はかなり売れた本なので、全員気が付かないというのはやや奇妙な事態なのではあるが、気が付かなかった人は少なくとも読んだ内容をすっかり忘れていることになる。「生きよう」と決心することは、「生きるか死ぬか」と悩んでいたという事だ、という読みが出来れば、この結びを忘れることはあるまい。忘れていたなら『金閣寺』を読んだという事にはならない。『絶歌』には二度「蝉の啼音」という表現が現れるが、これも『金閣寺』に表れる語彙である。『絶歌』を読んで仮に「過剰な自意識と自己愛しか感じられなかった」と感想を述べた人がいたとしたら、その人は『絶歌』を未熟な犯罪者の告白として読んだことになる。そしてそう読んだと告白したことで、自分がレトリックに気が付かず、元少年Aなる『絶歌』の主人公が「死ではなく生を選んだこと」を読み落としたことになる。
 
 しかしこれはおそらくどうでもよい問題であろう。誰かが、あるいは全ての人が『絶歌』を読み誤っていたとしても、そのことそのものは大した問題ではない。
 では読み誤る対象が明治の文豪・夏目漱石作品であり、読み誤っているのが全ての人々であればどうであろうか。
 夏目漱石作品でさえ、それを「どう読んでいるのか」という視点から突き詰めて見ると、根本的に、そして明らかに読み違えている人が少なくない。或いは杜撰な読み誤りが批判されないまま放置されている。

 たとえば評論家・吉本隆明は、夏目漱石の『明暗』においては主格が五六回変化すると書いている。この勘定は誤りであり、実際にはもっと多い。正確に言えば津田の視点なのかお秀の視点なのか判断が付かない箇所もある。

 ふと首を上げてそこにお秀を見出した津田の眼には、まさにこうした二重の意味から来る不精と不関心があった。彼は何物をか待ち受けているように、いったんきっと上げた首をまた枕の上に横たえてしまった。お秀はまたお秀で、それにはいっこう頓着なく、言葉もかけずに、そっと室の内に入って来た。 

(『明暗』夏目漱石)

 このくだりでは、最初の一行は誰かが津田を見ていることになる。自分では自分の顔は見えないので理屈としてそうなる。最後の一行では誰かがお秀を見ていることになる。しかしその見ている主体はお秀とも津田とも決め難いものである。

 津田の顔には苦笑の裡に淡く盛り上げられた失望の色が見えた。医者は白いだぶだぶした上着の前に両手を組み合わせたまま、ちょっと首を傾けた。その様子が「御気の毒ですが事実だから仕方がありません。医者は自分の職業に対して虚言を吐く訳に行かないんですから」という意味に受取れた。

 (『明暗』夏目漱石)

 この場面でも最初の一行は誰かが津田を見ている。次の行では誰かが医者を見ている。津田が手術を受けて意識のない間はお延の視点で物語が運ばれるほか、病院でお秀が津田の食べかけの膳を階子段の上り口まで運び出す際には視点はお秀についてくる。このように丁寧に見ていけば主格が五六回変化しているのではなく、単に三人称というくくりに収まらない視座の浮遊があると見るべきであろう。

 津田はちょっと向うの宅の屋根を見上げた。しかしそこには雀らしいものの影も見えなかった。細君はすぐ手を夫の前に出した。
「何だい」
「洋杖」
 津田は始めて気がついたように自分の持っている洋杖を細君に渡した。それを受取った彼女はまた自分で玄関の格子戸を開けて夫を先へ入れた。それから自分も夫の後に跟いて沓脱ぎから上った。

(『明暗』夏目漱石)

 お延には見える雀の巣が津田には見えない。洋杖はお延の一言でたちまち現れた。それまで津田は洋杖を全く意識に上らせることはなかった。この場面ではカメラが格子戸の中より迎え撃ち、お延のお尻に回り込んだかのような具合になっている。先に行く津田からは後ろのお延は見えまい。いや、そもそも見ていないのである。まるでぬいぐるみの要塞からもっさりと立ち上がる元少年Aを元少年Aが描いているような描写法である。

 このように丁寧に見ていけば、主格が五六回変化しているのではないことは明らかな筈なのだが、何故か評論家・吉本隆明は読み誤ってしまう。

 小説家・大学教授・島田雅彦は『こころ』のKは幸徳秋水あるいはKING、天皇だと書いている。天皇をエンペラーではなくキングと読み替えてしまうのもいささか乱暴だが、幸徳秋水ではKに係る要素がまるでない。島田雅彦はこれを「深読み」という奇妙な表現で括るが果たして何が深いのか解らない。
 小説家・文芸評論家・大学名誉教授・高橋源一郎は『こころ』のKは工藤一(石川啄木)だと書いている。
 この二人の解釈は単なる誤読の成果である。『こころ』をよく読めば、養子に行く前後で呼び名が変わらないことから、Kというよそよそしい頭文字が表すのは姓ではなく名であることが解る。天皇には姓はなく、幸徳秋水の本名は傅次郎なのでKではなくDと呼ばねばならないだろう。『こころ』に「姓」の文字は二度しか現れないので、確認することはさして難しくないのだが、執筆者・編集者ともに何も確認しなかったものと思われる。

 さらに厳しいことを言ってしまえば、一般読者もいささかだらしない。夏目漱石の『こころ』は現代国語の教科書にも一部収載されており、最も多くの人に読まれた小説である。多くの高校生が読書感想文を書かされている。それなのにKが姓なのか名なのか解らないでいるとしたらこれは情けない。彼らの本の読者は少なからず彼らの誤読に感心してしまっている。つまりこうした誤読は二人だけの問題ではないのだ。無論仮にも教育者という立場も持ちながらKを姓だと思い込んでいる者たちが一番悪い。

 小説家・大学教授・奥泉光と小説家・いとうせいこうは『こころ』の「私」の友人が「中国のある資産家の息子」とあるのを「中国(中華民国?)」と読み間違え、それが支那ではなく、中国地方であることに気が付かない。漱石の語彙に於いて支那は支那、支那人は支那人と書かれることを知らないのであろうか。そして何より残念なことにこの対談が収められたムック本は、文学者・大学教授・夏目漱石研究者・石原千秋の責任編集となっている。対談に朱を入れることが可能かどうか私には解らないが、せめて責任編集者として、当人たちが恥をかかない様に註を入れることはできたのではなかろうか。

 評論家・柄谷行人は新潮社文庫版の『それから』の解説に「ヒューモアがない」と書いてしまう。漱石作品は『それから』以降、次第に深刻なものを抱えていくという自己流のストーリーに『それから』を押し込めてしまっているのだ。

 しかし『それから』の冒頭では、比喩の上だが護謨毬が天井を貫通する。天井裏から護謨毬を投げれば、天井裏をぼんぼん跳ねる筈だが、そうならないということは代助の寝室には天井が無いことになり、天井がなくなれば天井裏もなくなる。これは滑稽な矛盾ではなかろうか。心臓が止まっても生きていられるかもしれない代助が「急に思い出したように」鼓動を検見してみる。新聞が夜具に落ちることから、体を斜めに起こしていたことが解る。煙を吹き付けた椿を夜具に落として、日の丸のポンチ絵を拵える。眼球から色を出して世界を彩色する。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使っている。白服の巡査が大道の飴屋の邪魔をする。飯田橋から電車に乗った代助は案外中野駅あたりから引き返してくるのではなかろうか。それは滑稽だ。

 柄谷行人の読み誤りは『こころ』に関して最も酷い。先生はKを下宿に呼ぶまではお嬢さんに恋愛感情をもっていなかったと勝手に決めつけている。Kとの三角関係において初めて先生はお嬢さんに対する愛情を認めるのだというやはり自己流のストーリーに『こころ』を押し込めようとするのである。

 私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高い気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体でした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭いを帯びていませんでした。

(『こころ』夏目漱石)


 先生が静に対してこのプラトニックな愛情を抱いていたのは、確かにKを下宿に招く前の事であり、三角関係が生じる前の事である。
 確かにこのように夏目漱石作品はことごとく読み誤られてきた。

 しかしここまで見てきたような読み誤りはいわば単なる迂闊である。けして良いことではないし、改められるべきことではあるが、吉本隆明は既に故人であり、訂正を願い出る訳にはいかない。また誤りは単なる誤りであり、詳細に論じるべきことでもない。どのような経歴や肩書があろうと、時には杜撰に読み誤ることがあるという当たり前の話で、夏目漱石作品の解釈において彼らがまるで参考にならないというシンプルな事実があるだけだ。彼らの誤読を掘り下げて見ても価値ある何かが生まれる訳ではない。誤読は問題にすらならない。

 

敬太朗の視点から

 
 私が問題にしたいのは、そうした救い難いだらしなさではなく、もっと大きな括りで、作品全体をどうとらえるのかという話であり、どういう意識で作品と向き合うべきかという位置決めのようなことである。
 それは「どう読むべきか」ということを再確認すべき作品があるからで、その再確認の先には、これまで殆ど言われてこなかったような夏目漱石作品に関する隠されていたものが見えてくるように思われるからである。
その糸口となる作品は『彼岸過迄』である。
 夏目漱石の作品のうち、『彼岸過迄』はどうしても「自分のようなまた他人のような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這入るようなもの」という洋杖の話が妙に印象に残り、ただ面白いとは思いながら、どこか曖昧なものを残していた、という私自身の記憶には後に加えられた要素もあろうか。これまで私は何度となくこの『彼岸過迄』を読んできたが、いまだによく解らない部分が数多くある。


 本考察では解らないところはあるまでもここまでは解るという地点に留まる前提で「主人公」の立場で読むという当たり前の様な当たり前ではないようなことについて考えてみたい。


敬太郎の冒険は物語に始まって物語に終った。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這入って、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪に過ぎなかった。

(『彼岸過迄』夏目漱石)

 このように、まるで夏目漱石自身によって「こう読むのだ」と指南するかのように総括されて、『彼岸過迄』は田川敬太郎の物語であると規定されてしまう。この「まとめ」があるために『彼岸過迄』は田川敬太郎を主人公として読むことになる。私はこのことに長年ひどく戸惑ってきた。
 門外漢の様な主人公とは奇妙な役柄ではあるが、兎に角『彼岸過迄』は田川敬太郎の話という事になる。「須永の話」も「松本の話」も全て田川敬太郎の鼓膜を震わせるためにあり、「須永の話」にも「松本の話」にも田川敬太郎自身は這入り込むことはできないものの、全て田川敬太郎の知識感情に刺激を与えるための劇だったのだ。そう気が付いてみると森本の話にも田川敬太郎は這入っていけない。鼓膜を震わせるだけの物語だった。
 何時とも定かではない遠い昔、少なくとも前世紀のことではあろうが、当然冒頭から夏目漱石作品だという意外にはほぼ何の前提もなしに『彼岸過迄』を読んだその「初見」の最後のタイミングで、私はこの「まとめ」に少なからず困惑し、単に「須永の話」「松本の話」と読んできた小説が最後の最後に強引に覆されたと感じたと記憶している。

 そして読み返す度に、「やはり」「そうはいっても」無理に田川敬太郎の話にしなくてもいいのではないかと最近まで考えていた。
 夏目漱石作品のうち、『彼岸過迄』のような形で最後に「まとめ」が添えられた長編小説は他にない。あえて言えば、『一夜』の結びは「まとめ」的ではあるが、やはり『彼岸過迄』のように独立した章立てての「まとめ」のような「粗筋性」はない。
 作品全体を説明する仕掛けとしては『三四郎』や『それから』の予告が既にあり、そのことで『三四郎』は尋常であり摩訶不思議ではない小説として読まれ、『それから』の代助は単純な三四郎より後の人なのでそれなりに複雑なのだと思われてきた。それからのことがないのでそれからを考えさせるように読まれてきた。この二つの予告は『こころ』の予告がそうである通り、作品のある要素をぼんやりと仄めかしたに過ぎない。それぞれ内容と言うよりは形式を大まかに示しただけで当然「粗筋性」はない。ところが『彼岸過迄』のような形で最後に「まとめ」が添えられた場合、どうしても別様の読み方ができなくなる。このことの意味はこれまで誰も問うてこなかったのではなかろうか。

 例えば『三四郎』は予告に関わらず、むしろ極めて摩訶不思議な話である。
 いつ弁当が飛んでくるかもしれない夜汽車の窓からわざわざ顔を出す女がいる。
 三四郎の里は福岡なのか熊本なのか解らない。宿帳には福岡と書かれ、後は大抵熊本と書かれている。それでは宿帳が間違いかというと、福岡の銀行を利用していたことが書かれる。その場所は北九州寄りの福岡であり熊本とは相当な距離がある。

 三四郎は手を出して、帳面を受取った。まん中に小口当座預金通帳とあって、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎は帳面と印形を持ったまま、女の顔を見て立った。
「三十円」と女が金高を言った。あたかも毎日銀行へ金を取りに行きつけた者に対する口ぶりである。さいわい、三四郎は国にいる時分、こういう帳面を持ってたびたび豊津まで出かけたことがある。

(『三四郎』夏目漱石)

 ここでわざわざ「豊津」(みやこ町)を持ち出すのは、明確な矛盾を創り出そうとする漱石の意図であると認めるしかない。
 三四郎は二度生まれ年を問われ年齢で答える。その年齢は何故か二十三歳である。与次郎も同い年である。『坊ちゃん』の「おれ」が中学に赴任した年齢と同じだ。物理学校を三年で卒業しながら「おれ」は何故か二十三歳である。三四郎はベーコンの二十三ページを開く。二十三歳なのに日本の歴史を習ったのが遠い昔である。三四郎はどういう訳か入鹿じみた心持でいる。三四郎の本当の親は野々宮であるかのように仄めかされるも二人の年齢差は七歳しかない。三四郎は身長が伸び縮みする。まるで村上春樹の『騎士団長殺し』の「白いスバルフォレスターの男」のような「知らん人」に睨まれる。よし子と美禰子は同じところに嫁に行く。『三四郎』では徹底して色が隠される。『三四郎』は予告に関わらず摩訶不思議な話である。予告にどう書いてあろうと、『三四郎』そのものに書かれていることは尋常ではない。
どうしても予告はふりであり、覆されたと受け止めるしかない。『絶歌』が逮捕の日から始められ、それまでのことを「平凡な日常の一コマ一コマ」と過少誇張したのと同じだ。その「平凡な日常」という表現を信じれば、冒頭はいかにも事件に巻き込まれた冤罪の告白のようでさえあるが、その冒頭の掴みは間もなく裏切られ、カオナシがカオになる過程が描かれる。つまり『絶歌』では冒頭の掴みのために過少誇張法という賺しが使われていたことになる。『三四郎』の予告と『三四郎』はそうしたフリと落ちの関係になる。

 ところがその逆で『彼岸過迄』は「まとめ」により、「読み方」が規定される仕掛けとなっている。最後の最後に改めてこの小説が田川敬太郎の話なのだと確認される。これはかなり強引な規定だ。各章ごとの優劣を評価することなどそもそも無意味なことであるが、確かに『彼岸過迄』のクライマックスは「須永の話」であり、序盤は少し散らかった印象であったものが、「まとめ」によって田川敬太郎という主人公が定まる。

 この主人公という役割を確認して『彼岸過迄』を再読した時、つまり「須永の話」を敬太郎の視点から読んでいくとき、分裂したかと思われる小説がどうしても一つのまとまりとして再構成されてしまう。
 そして最初傍から眺めてみた時と話を聞いてみた時の差、須永という男のひっそりとした暮らしぶり、そして松本のつっけんどんな態度の裏側が見えてくることがこの小説の肝であるように思えてくる。それは「探偵」では何やら怪しげな男女の関係が、事情を聴いてみればなんの「小説」も持っていなかったことの裏返しでもある。
 あるいは何やら物欲しげな敬太郎が千代子に対する関心を深めていく物語のようにも思えてくる。須永と千代子の事情を知って猶、田川敬太郎が千代子に近づくかどうかは、また異常ながら一つの「小説」だ。
 ものの見え方が変わる。
 ああ見えたものがこう見える。あるいは隠されていたものが見える。
 仮に小説に作者の意図を許す近代文学の範囲で語れば、漱石が意図した『彼岸過迄』の仕掛けのうちには敬太郎における須永の見方、松本の見え方が変わることが含まれていよう。
 夏目漱石作品は作品ごとにどれも実験的なスタイルで書かれていることから、漱石サーガを同一の形式に括ることはむしろ避けるべきであるかもしれないが、一旦『彼岸過迄』の主人公が敬太郎であることを認めてしまうと、どうしても『行人』と『こころ』における主人公の役割について再考せざるを得ない。これまでも立て続けに手紙で終わる形式であることから『こころ』と『行人』の関係はあれこれと論じられてきた。しかしよく見ると『彼岸過迄』も確かに手紙で終わるのである。

 つまり「須永の話」を敬太郎の視点から読んでいくとき須永の松本宛の手紙も含めて『彼岸過迄』全体が一つのまとまった話となるように、『行人』におけるHさんの手紙を二郎、『こころ』における先生の遺書を「私」の視点で読んでいくとき、これらが分裂しがたき一つの小説としての総体であることが確認できるのである。

 自分はこの時の自分の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯うというほどでもないが、多少彼を焦らす気味でいたのはたしかであると自白せざるを得ない。もっとも自分がなぜそれほど兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。恐らく嫂の態度が知らぬ間に自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返す事も償う事もできないこの態度を深く懺悔したいと思う。

(『行人』夏目漱石)

 Hさんの手紙を読み、大いに反省し、今は亡き兄に対して懺悔したい二郎の現時点が『行人』の結末であろう。そのことは単なる読者として、二郎の視点を媒介せず、たとえば「塵労」だけを切り取って、Hさんの手紙を読んでしまえば見えなくなってしまう。そこで「一郎はこれからどうなるのだろう?」などという感想が生まれることになる。二郎は一郎に対して昔の自分の態度を「取り返す事も償う事もできない」のであるから、これは『坊ちゃん』の「おれ」が清に三円を返せないのと同じ理屈である。過去は消せないが、一郎が生きていれば償う方法はいくらでもある。二郎の視点から『行人』を読めば一郎は既にこの世を去っている理屈になる。

 教科書的な言い方をしてしまえば、一郎の気持ちを考えるのではなく、二郎の気持ちを考えながらHさんの手紙を読むべきなのであろう。二郎はHさんと一郎の世界に這入り込むことができないが、その「小説」に這入り込むことができる。そして一郎がお貞を幸福に生まれてきた女だと羨ましがっていたことを知る。二郎は自分が父親の様な「いい加減な使い」となり、その幸福な女を正体のよくわからない佐野に植え付けてしまったこと、その軽々しさを少しは反省したのではなかろうか。『行人』の表の筋を一言でまとめてしまえば「二郎がいい加減な使いをする話」と括ることができよう。お重の嫁入りが遅れているのも、二郎がいい加減な使いだったからである。

 私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、——これが先生であった。

(『こころ』夏目漱石)

 同様に『こころ』の結びは先生の遺書を読み返し、先生を思い出す小説家「私」が何者にもなれなかった先生を全肯定する時点にある。
 Kの生まれ変わりのように仄めかされていた「私」の正体に先生は最後まで気が付かなかった。「私」は乃木将軍のように女房を巻き添えにしなかった先生を許した。そして先生の罪は消える。同時に生き残った静の罪も消え、二人に与えられていた天罰も消える。先生の遺書の通りに静は残され、乃木大将の遺書に反して静子は殺された。何者にもなれなかったとはいえ、自分の女房を殺すような人間より先生の方が立派である。自分の過去を追体験する様に先生の遺書を読むことによって、『こころ』はより味わい深いものになる。
 ものの見え方が変わること、先生の罪がKの生まれ変わりの「私」に許されることが『こころ』の「小説」である。


臨場する主人公

 
 これまで『彼岸過迄』『行人』『こころ』をそれぞれ田川敬太郎、長野二郎、「私」を主人公として、主人公の視点で読むことで見えてくるものについて考えてきた。
 無論夏目漱石作品すべてにそうした作法があるわけではなく、改めて比較してみれば『行人』『こころ』はいずれも手紙を読むことで他人の考えの中に入っていくという現実的な設定があるものの、『彼岸過迄』においてはそのあたりがかなりきわどい。アクロバティックな展開となっている。「雨の降る日」では松本の事情を千代子の口から聞くことになっている。まるで千代子を主人公にした小説でも読まされているかのようである。「須永の話」に移っても、確かに二章目までは主人公は田川敬太郎なのである。しかし三章の二行目から主人公は須永に変わったように見える。一応は田川敬太郎が須永の話を聞いている体になってはいるものの、「雨の降る日」が千代子を主人公にした三人称で語られるのに対して、「須永の話」の三章二行目以降は須永が自分を「僕」と称し、一人称の小説でも読み聞かされているような形式になるからである。

 そのことで私は『彼岸過迄』を読み返す度、主人公が何度も切り替わったように誤解してきた。「松本の話」では最初から松本が「僕」として語り出す。田川敬太郎が「須永」と呼んできたものを「市蔵」と呼び、田川敬太郎はどうも「君」にされて、「今この話を聞かされている相手」として設定される。こうなるとさすがに主人公が切り替わったと言って良いとは思うが、それだけでは終わらない。「松本の話」十一章、十二章は須永が松本に宛てた手紙そのものなのである。これをどういう仕掛けか、松本の目を通し、田川敬太郎が読んでいる理屈にはなる。その仕掛けは解らない。開き直って、所詮作り事であると諦めるしかないのかどうか私には判断が付かない。確かな事は三層構造の中に潜って須永の手紙を読まなくてはならないという事実である。

 京都、大阪、明石と気ままな旅行をする須永の手紙は、人丸神社に行ってみようと思うというなんともない話で閉じ、最後に「敬太郎の冒険は物語に始まって物語に終った。」と乱暴に三層構造から引きはがされる。

 引きはがされて、改めて当事者として物語に参与できない門外漢の主人公という設定の奇妙さについて考えて見ると、須永の手紙を読む松本の目の中に這入り込む田川敬太郎という可能性が見えなくもないように思えてくる。門外漢が物語に臨場すること、それは夏目漱石作品においては既に奇想天外な事ではない。
 そもそも家の中も外も自在に動き回る低空飛行のドローンのような視座を持つ吾輩によって夏目漱石作品は始まった。

何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするを憚るほどの奇観だ。この硝子窓の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台湾の生蕃である。二十世紀のアダムである。そもそも衣装の歴史を繙けば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー・ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去る事六十年前これも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。

(『吾輩は猫である』夏目漱石)

 理屈を言ってしまえば、吾輩は台湾の生蕃を見たこともなければ、英国の歴史も知らないだろう。猫に歴史を学ぶ方法などないと揚げ足をとっても仕方がないが、兎に角漱石作品はかなり無理のある主人公から始まった。『坊ちゃん』の「おれ」はとにかく気が付かない男だが、「おれ」の視座はふらふらしない。顔面辺りに固定されている。ところが『趣味の遺伝』では「余」が浩(こう)さんの戦場に臨場してしまう。これは伝聞でもなく想像でもない。敢えて言えば村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』で描かれた「壁抜け」のようであり、当事者として過去の戦場に立ち会うタイムスリップでもある。

 見渡す山腹は敵の敷いた鉄条網で足を容るる余地もない。ところを梯子を担い土嚢を背負て区々に通り抜ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を争う者のために奪われて、後より詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらから眺めるとただ一筋の黒い河が山を裂いて流れるように見える。その黒い中に敵の弾丸は容赦なく落ちかかって、すべてが消え失せたと思うくらい濃い煙が立ち揚あがる。怒る野分は横さまに煙りを千切って遥かの空に攫って行く。あとには依然として黒い者が簇然と蠢めいている。この蠢めいているもののうちに浩さんがいる。

(『趣味の遺伝』夏目漱石)

 最初は伝聞のようだったものが、こうして「こちらから眺めると」と現場に位置を占めるようになる。確かにここまでの「臨場」というものは現実的な手立てが思いつかないことから、近代文学として読んだ時、読者を混乱させかねないし、言ってみれば少しくユーモラスに過ぎるが、尾崎翠などを経て、現在の多種多様な映像作品と引き比べて見れば、主人公が物語の現場に臨場することの不思議さよりも、他人が書いたものを読むことの不思議さ、私自身が『彼岸過迄』の空間に臨場し、田川敬太郎の気持ちになって須永の手紙を読んでいるというややこしい変態性の方が勝っているようにさえ思えてくる。
 そしてそもそも小説を読むということがどういうことなのか解らなくなる。他人が書いた嘘話をその主人公に寄り添って読むという事、この儀式に一体何の意味があり、そもそも何故私は『彼岸過迄』を一度ではなく何度も読んでいるのかと。


 


書かれていないこと

 
 夏目漱石作品には明確に意識されて「書かれないこと」があり、その書かれていないところに隠されているものがある。言い差しで敢えてその先を書かないけれども、そこに隠しているものがあるわけではなく、ただ書いていないだけという要素がない訳ではなかろうが、解っていて書かないという作法がある。『こころ』の先生は乃木大将の遺書を読み、それが乃木大将の妻・静子を残す前提で書かれているにも関わらず、結果としては静子が殺されてしまったことには何も言わない。何度読み返してもここは口を噤んだという感じが強い。しかし『こころ』あるいは「先生の遺書」と乃木大将の遺書が、後に「間テクスト性」と呼ばれるレトリックの要件を満たしていることは確かだろう。『絶歌』の作中でバイブルとされる『金閣寺』を読めば、金閣寺を焼くことが美しいものを完成させることであり、自分の殺人もそうなのだという詭弁が見える。元少年Aは、チェ・ゲバラは戦闘に快感を見出す変態であり、ガンジーは禁欲に快感を見出す変態だと言い切る。そして読者は読書に、或いは奇怪な事件の生々しい真実を覗き見ることに快感を見出す変態だとは書かない。書かないがはっきりとそう思わせるように仕向けている。
 先生の手紙と比べると乃木大将の遺書はそれほど長いものではない。
乃木大将が崩御とともに殉死したのなら遺書を書き直す時間が無いこともないではあろうが、乃木大将の殉死は崩御の一か月半後に計画された御大葬の夜の事である。準備する時間は十二分にある。それまでに静子との話し合いがあれば、几帳面な乃木大将は後の事を考えて最初に書いた遺書を書き直しただろう。しかし静子は殺された。殺したのは乃木大将だったのだろうか。
そもそも乃木大将は本当に殉死したのだろうか?
 どうも静子は、乃木大将の意志とは関係なく、何か怪しい力によって、無残に殉死に付き合わされた感じがする。感じがするものの、日本の歴史ではそこは見事な「省略法」というレトリックによって曖昧になっている。元少年Aも省略法によって、切断方法を曖昧にする。元々切断方法が曖昧な事から複数犯説が消えなかったところを、敢えて曖昧にする。何をどうしたのか一切説明しない。ここを省略すること、少年院時代を省略すること、だらだら書きすぎないことによって『絶歌』は本人でなくても書くことのできるいかがわしい話になってしまっている。
 夏目漱石も森鴎外もその小刀細工の「いかがわしさ」には辿り着いていた。
 しかし漱石はそこを敢えて書かない。書かないことで「小説」になっている。漱石は先生をして乃木大将の遺書にフォーカスさせる。先生は乃木大将の遺書を読む。軍旗を奪われた責任というところまで書いてしまう。それでいて軍旗を奪われた責任が女房に及ぶのかとは書かない。そこを書きすぎてしまえば野暮であると考えたのであろう。
 吉本隆明、蓮實重彦、柄谷行人、奥泉光、いとうせいこう、石原千秋、小森陽一らはいずれもそのことに触れない。
 漱石は「静子は誰に殺されたのか」と、騒ぎたてない。ぎりぎりまで根拠を示しながら、決定的な判断を言わない。
 むしろその最期の決定的な言葉を、読者をして掴み取らせようとしているかのようである。無論本当の事は解らない。しかし乃木大将の遺書と実際に起こったことの間には明確な齟齬があるのだ。

 そのいかがわしさを森鴎外は徹底して批判した。漱石はそのことに関して日記で二度触れ、「神聖か罪悪か」と書いているが、『こころ』ではわざとらしく先生に乃木大将の遺書を読ませながら、あえて静子の死には触れない。しかし先生の妻が「静」である以上、漱石自身が何も気が付いていなかった訳ではなかろう。


 例えば『坊ちゃん』において、「おれ」の兄はおそらく隠れて依怙贔屓されていたであろうと疑われる。そうでなくては「おれ」だけが清から鉛筆や帳面を貰う理屈がない。鉛筆や帳面が無くては「おれ」の兄は商業学校を卒業はできまい。理屈の上で兄はそういうものを親に買って貰っていたことになる。「おれ」は親に鉛筆や帳面を買ってもらえないので、清から貰うことになる。「おれ」は「命より大事な栗」という。たかが栗を命より大事とするのは、それだけ飢えていたという理屈であろう。弁当がないから学校で栗を食っていたとしたら、そして兄には弁当があったとしたら、これは依怙贔屓である。晩飯を食っていたなら、蕎麦湯はいらない。鍋焼きうどんも蕎麦湯も、「おれ」が風邪でもひいて寝込んだ時に清がしてくれた気遣いであろう。それはまた具合の悪い「おれ」が母親からは構われなかったという淋しい結果である。「おれ」は宿直で生徒たちに悪戯をされる。その背景は書かれない。赤シャツと野だがどうもそのような噂話をするのだが、作中で赤シャツと野だは悪者扱いなので、嘘の情報を流している感じがする。その書かれない裏側があり、生徒を煽動する先生がいたことが『野分』において仄めかされる。
 書かれていないことのうち、「おれ」の兄が依怙贔屓されていたことは理屈の上で明らかである。しかし山嵐が生徒を煽動したという噂は赤シャツ側からのもので作中では如何にもデマのように受け止められる。ところが『野分』を読んでしまうと、やはり、生徒を煽動する教師がいたように感じてしまう。これは明らかな事ではなく「曖昧な感想」である。曖昧ではあるが勝手な感想ではなかろう。『二百十日』では妙に陽気な調子で語られる豆腐屋と寺の鉦の話は後に『硝子戸の中』においてこう覆される。

 どんな田舎へ行ってもありがちな豆腐屋は無論あった。その豆腐屋には油の臭の染み込こんだ縄暖簾がかかっていて門口を流れる下水の水が京都へでも行ったように綺麗だった。その豆腐屋について曲ると半町ほど先に西閑寺という寺の門が小高く見えた。赤く塗られた門の後は、深い竹藪で一面に掩れているので、中にどんなものがあるか通りからは全く見えなかったが、その奥でする朝晩の御勤めの鉦の音は、今でも私の耳に残っている。ことに霧の多い秋から木枯の吹く冬へかけて、カンカンと鳴る西閑寺の鉦の音は、いつでも私の心に悲しくて冷たい或物を叩き込むように小さい私の気分を寒くした。(『硝子戸の中』夏目漱石)

(『硝子戸の中』夏目漱石)

 この『硝子戸の中』を読んだ後、もう一度『二百十日』を読み返してみると、改めてその陽気さに驚く。むしろ漱石は陰鬱な記憶から無理に陽気な話を拵えているのだが、後に種明かしをする魂胆のうちには「辻馬車のロマンス」ならぬ「書かれていない反対の世界」があるのだという主張もあろう。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ、という吾輩は「笹原」に棄てられる。笹原とは通常地名に使われる言葉で、普通は「竹藪」である。漱石の養家が「塩原(シオハラ)」であったことがつい連想される。どうも連想させるように漱石は書いている。
 親譲りの無鉄砲だという『坊ちゃん』の「おれ」の父親はさして無鉄砲でもなく、働かなくても暮らして行ける程度に「損ばかり」しているわけではなさそうだ。『永日小品』の『声』や『三四郎』『道草』や『硝子戸の中』に表れる「実父・実母への懐疑」はいつも明確な答えを持たない。疑わしいが正解が見つからない。
 おそらくその辺りに私が繰り返し『彼岸過迄』を読む理由があるのではなかろうかと思う。私が小説を読むのは、書かれていないことを読むためであり、書かれていないことが見つかることが快感だからなのではなかろうか。漱石作品には読むたびに新しい発見があり、なお謎が残される。乃木大将の遺書を読むまで、『こころ』は確かにぼんやりした小説だった。乃木大将の遺書を呼んだ後『こころ』を読み返した時、漱石の本当のすごみが解ったような気がしたと同時に、おそらくこれが全てではなく、書かれていないことの先に、まだ私が理解していない『こころ』のすごみ、漱石のすごみがあるのではないかと直感した。この終わりのない、途方もないものが読書であるとして、解らないところについて述べ、本考察を終わる。
 


ロジックから現れる「小説」

 
 どういう訳か『彼岸過迄』には見られないものだが、『こころ』にも『行人』にも表の粗筋と、表の粗筋が見えたことで見えてくる裏の筋がある。『こころ』でいえば、静をなるべく純白なままにしておきたいけれども自分の自叙伝は世間の人に読ませたいという先生の願いと、静がまだ先生の過去を知らないというロジックから、先生がKを飼育し、義母を力の及ぶ限り懇切に看護したように、今では静を看護する「私」、先生の自叙伝を新聞小説に書いている「私」、そして今では経験があり子供をうるさいだけのものとは思わない「私」が見えてくる。罪の消えた静が「私」の子を産む。そんな裏の筋が見えてくる。お祝いを差し上げたいがお金がないから差し上げられないと苦しい言い訳をさせられて小刀細工でお祝いを拵えたKが生まれ変わっても静を得れば、小刀細工の値打ちもあったものだと思えてくる。

 そして『行人』の主人公が二郎であり、「二郎のいい加減な使いによってお貞が佐野に植え付けられる」という表の筋から、さらには二郎が以前から直の実家との付き合いがあったという設定から、一郎と直が結婚する前には必ず「一郎と直の縁談に関しても二郎が両家の間でいい加減な使いをしたであろう」という裏の筋が見えてくる。むしろそうでなければ二郎が直の実家と以前から付き合いがあったという設定が浮いてしまうし、嫂の歳を訊いてしまう二郎のいい加減さも見えてこない。

 このように、その章に姿かたちをもって現れない主人公の視点というものを通して『彼岸過迄』『行人』『こころ』を眺めた時、『行人』の「塵労」に分裂を見出すことも、「現代文B」に『こころ』の一部を切り取ることも明確に誤りなのだということが解る。逆に仮に「須永の話」「塵労」「先生の遺書(の一部)」を切り取って、それ以外の部分は全くないものとして読み返してみれば、それは確かに巧みな人間心理と葛藤を描いた短編小説のような体裁にはなるものの、それぞれ主人公が須永、Hさん、先生に入れ替わってしまうため、原作そのものとは全く別の話になってしまう。

 この平凡極まる東京のどこにでもごろごろして、最も平凡を極めている辻待の人力車を見るたんびに、この車だって昨夕人殺しをするための客を出刃ぐるみ乗せていっさんに馳けたのかも知れないと考えたり、または追手の思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美くしい女を幌の中に隠して、どこかの停車場へ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人で怖がるやら、面白がるやらしきりに喜こんでいた。

(『彼岸過迄』夏目漱石)

 この「辻馬車のロマンス」の理論をもって眺めればこそ、先生は義母を浣腸しており、「私」は静に子を産ませており、直は梅の木のように植え替えられることをどこかで期待しているのに、二郎は植え替えられた梅の木を「無意味」と突き放すという「小説」が見えてくる。これから先どう永久に流転して行くだろうかと考えてみたところに生まれるものが「小説」であろう。

 しかしまだ田川敬太郎を主人公にしたところで見えてくる表の筋からロジックとして現れるはずの裏の筋が『彼岸過迄』には見つからない。須永の見えなかったところが見えた。松本の隠れていた所も見えた。ここに田川敬太郎が感心したところで、その先に何も見えない。「マントやコートを引っくり返してその奇なところをただ一目で好いからちらりと見た上、後は知らん顔をして済ましていたいような」という田川敬太郎の嗜欲は充たされたかもしれない。「ただ人間の研究者否人間の異常なる機関が暗い闇夜に運転する有様を、驚嘆の念をもって眺めていたい」という願望も充たされた。

 ところが田川敬太郎の「小説」は少しも明らかにならない。出身地も家族構成も定かではない。高等学校時代から東京にいるようだが、大学を出た今から勘定して、今の下宿には二年しかいない。
 須永は江戸っ子で、田川敬太郎を田舎者と呼ぶ。確かに「まとめ」には奇妙な説明がある。

 彼も国元に一人の母を有つ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果に纏綿されていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦めていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした

(『彼岸過迄』夏目漱石)

 私はこれまで『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『三四郎』『声』(『永日小品』)『硝子戸の中』『道草』に「本当の親を疑う」というようなモチーフが繰り返されていると考えていた。そのモチーフは「須永の話」でも繰り返されていることは間違いないものの、たとえばこの「まとめ」には「本当の親がさして大切とも思えない」というような、例えば『こころ』の話者のような田川敬太郎が現れる。
 そういえば田川敬太郎は長男の様な名前ながら、『彼岸過迄』という作品内では家族との手紙のやりとりさえ現れない。「まとめ」に書かれている内容から、既に父はいないかのようである。須永の事情と引き比べていることから、田川敬太郎の母は本当の母のようである。解ることはそれだけである。しかし深く掘り下げられたという事は、当たり前である筈の親子関係を疑ってみようという提案ではなかろうか。ただしここは提案に留まり、それ以上の仄めかしもないことからロジックを生まない。

 『こころ』の「私」もさしたる生活も来歴も持たないが、田舎はあり、家族もある。夏目漱石作品に繰り返し描かれてきた「家と財産」の話がない。それでも敢えてその先を思い描けば、田口との関係ができたことにより、高木と千代子との間に今度は田川敬太郎が加わって人間の異常な機関(からくり)、三角関係が出来上がっても不思議ではないものの、劇は飽く迄田川敬太郎の這入れない世界で流転していくような結びである。あるいは『彼岸過迄』において漱石は、家も財産もない田川敬太郎を描いてしまったかのようである。だが田川敬太郎の視点を通して作品を眺める時、むしろ田川敬太郎自身が徹底した門外漢であり、内省がないことから、田川敬太郎自身の「小説」は見えないものになってしまっている。田川敬太郎の「小説」はきっとあるのだろうが、私には見えない。それはまだ私にとって漱石によって封印されているものなのだ。

彼が耶馬渓を通ったついでに、羅漢寺へ上って、日暮に一本道を急いで、杉並木の間を下りて来ると、突然一人の女と擦れ違った。その女は臙脂を塗って白粉をつけて、婚礼に行く時の髪を結って、裾模様の振袖に厚い帯を締しめて、草履穿のままたった一人すたすた羅漢寺の方へ上って行った。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもう締まっているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上って行ったんだそうである。 

(『彼岸過迄』夏目漱石)


 こうした落ちのないものの、なにやら怪しげな話は、本当はどこかに面白く繋がっているのかも知れないがまだ私にはその繋がる所がわからない。むしろこれはどことも生々しく繋がることのない話であるように思える。つながらないから面白いとも思えなくもない。歌留多と書かれた蛇の目の傘を持つ女を無理に森本の女房にしては寧ろ話がつまらなくなる。田川敬太郎の視点で『彼岸過迄』を読み直すことによって、『行人』と『こころ』の表の筋と裏の筋を捉えたところまでが本考察の限界である。

 冒険譚を途中でやめて冒険に出てしまう森本に取り残された田川敬太郎のように、私は今ここに置き去りにされたままだ。
 

【参考資料】

 
石原千秋『反転する漱石』一九九七年・青土社
石原千秋『漱石はどう読まれてきたか』二〇一〇年・新潮社
石原千秋、小森陽一『漱石激読』二千十七年・河出書房新社
小森陽一『漱石論 21世紀を生き延びるために』二〇一〇年・岩波書店
小森陽一『夏目漱石『心』を読み直す』二〇二〇年・かもがわ出版
栗原裕一郎「元少年A『絶歌』の文学性」『文學界』二〇一五年八月号・文藝春秋社
神戸連続児童殺傷事件 元少年A『絶歌』二〇一五年六月・太田出版
三島由紀夫『金閣寺』・新潮文庫
三島由紀夫『命売ります』・新潮文庫
夏目漱石『定本 漱石全集』二〇一九年・岩波書店
吉本隆明『夏目漱石を読む』二〇〇九年・ちくま文庫
島田雅彦『深読み日本文学』二〇一七年・インターナショナル新書
高橋源一郎『日本文学盛衰史』二〇〇四年・講談社文庫
柄谷行人『新版 漱石論集成』一九九二年・岩波書店
奥泉光・いとうせいこう「対談」『夏目漱石「こころ」をどう読むか』(石原千秋責任編集)二〇一四年・河出書房新社
尾崎翠『尾崎翠集成』二〇〇二年・ちくま文庫
村上春樹『騎士団長殺し第1部「顕れるイデア編」第2部「遷ろうメタファー編」』二〇一七年・新潮社
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』一九九四年・新潮社
乃木大将の遺書等に関してはジャパンサーチより
https://jpsearch.go.jp/csearch/jps-cross?csid=jps-cross&from=0&keyword=%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E5%B0%86%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%9B%B8

 それでも買わんかね?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?