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谷崎潤一郎の『蘆刈』をどう読むか⑤ 弁護士だけが頼り

 まことに此処は中流に船を浮かべたのも同じで月下によこたわる両岸のながめをほしいままにすることが出来るのである。わたしは月を左にし川下の方を向いているのであったが川はいつのまにか潤いのあるあおい光りに包まれて、さっき、ゆうがたのあかりの下で見たよりもひろびろとしている。洞庭湖の杜詩や琵琶行の文句や赤壁の賦の一節など、長いこと想い出すおりもなかった耳ざわりのいい漢文のことばがおのずから朗々たるひびきを以って唇にのぼって来る。そういえば「あらはれわたるよどの川舟」と景樹が詠んでいるようにむかしはこういう晩にも三十石船をはじめとして沢山の船がここを上下していたのであろうが今はあの渡船がたまに五、六人の客を運んでいる外にはまったく船らしいものの影もみえない。わたしは提げてきた正宗の罎を口につけて喇叭飲みしながら潯陽江頭夜送レ客、楓葉荻花秋瑟々と酔いの発するままにこえを挙げて吟じた。そして吟じながらふとかんがえたことというのはこの蘆荻の生いしげるあたりにもかつては白楽天の琵琶行に似たような情景がいくたびか演ぜられたであろうという一事であった。

(谷崎潤一郎『蘆刈』)

 客は「かく」だぞ、潤一郎! 酒を挙げて飲まんと欲するに管絃無し、か。そんなことをしていると誰かが琵琶でも弾くんじゃないのか、潤一郎!

 人には誰にでも懐古の情があるであろう。が、よわい五十に近くなるとただでも秋のうらがなしさが若いころには想像もしなかった不思議な力で迫ってきて葛の葉の風にそよぐのを見てさえ身にしみじみとこたえるものがあるのをどうにも振りおとしきれないのに、ましてこういう晩にこういう場所にうずくまっていると人間のいとなみのあとかたもなく消えてしまう果敢なさをあわれみ過ぎ去った花やかな世をあこがれる心地がつのるのである。 

(谷崎潤一郎『蘆刈』)

 まあ、そうなんだけどさ、まだ生きているんだから、これからのことを考えようよ、って無理か。そうだ。小説は過去しか書けないんだ。これからこうしますって小説はないものな。『大鏡』も『増鏡』もジオタギングじゃなくて、失われた過去だったんだ。そういうことか。それにしても潤一郎もアラフィフなのか。夏目漱石も四十九歳で死んだわけだし、あれこれ考えるお年頃だな。俺の人生悪しかりーってな。

わたしは、まだいくらか残っていた酒に未練をおぼえて一と口飲んでは書き一と口飲んでは書きしたが最後の雫をしぼってしまうと罎を川面へほうり投げた。と、そのとき近くの葦の葉がざわざわとゆれるけはいがしたのでそのおとの方を振り向くと、そこに、やはり葦のあいだに、ちょうどわたしの影法師のようにうずくまっている男があった。

(谷崎潤一郎『蘆刈』)

 はい。川に罎を投げ捨てましたね。不法投棄をすると、1,000万円以下の罰金刑または5年以下の懲役刑が課されるおそれがあります。逮捕後72時間は家族と面会できず、弁護士だけが頼りになります。
 で、男か。女かと思ったのに、男なんだ。色気がないな。
 それでもマゾヒストなのか、潤一郎!
 

 こちらはおどろかされたので、一瞬間、すこし無躾けなくらいにまじまじと風態を見すえるとその男はべつにたじろぐ気色もなくよい月でござりますなとさわやかなこえで挨拶して、いや、御風流なことでござります、じつはわたくしも先刻から此処におりましたなれども御清境のおさまたげをしてはと存じてさしひかえておりましたがただいま琵琶行をおうたいなされましたのを拝聴しまして自分もなにかひとくさり唸ってみたくなりました、御迷惑でござりましょうがしばらくお耳を汚させてくださいませぬかという。

(谷崎潤一郎『蘆刈』)

 カラオケスナックか!
 JASRACは、どうなるんだ。「琵琶行」は著作権切れか。で、潤一郎、「まじまじと風態を見すえ」ておなきながら、外見を描写しないでただ「男」と書くのはどうしてだ。
 それにしてもこの男は何だ。ホモじゃないのか?
 狙われているんじゃないのか、潤一郎!




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