ほぼ最初じゃないのか 芥川龍之介の俳句をどう読むか26
白南風の夕浪高うなりにけり
白南風の本来の読みは「しらはえ」「しろはえ」と濁らないのが正しいが、どうも『芥川龍之介全集』の表記ではルビは「しらばえ」となっている。ここにはどうもからくりがあるのではないか。
まず北原白秋がこんな詩集を出す。
濁らない。
白秋が室生犀星に献本する。
室生犀星が『白南風』を読む。
そして『白南風』について何か書く。
濁る。しかし『白南風』の初版は昭和八年なので関係ないな。うん。関係ない。
しかしあれ、濁ってないか。
1922年は大正十一年。しかし他人のせいにするのは止めよう。
なんと「シラハイ」の人もいるのだから。
これはもう長嶋茂雄監督が桑田投手を「クワダ」と呼ぶようなもので仕方ないこと……。そもそもこの文字は地名としては存在したが、記録上は1904年以前の使用例は見当たらず、江戸の俳人はおろか明治の俳人にも使われていない言葉だ。季節感をもって使われたのは北原白秋が早く、芥川が使用する時点で「白南風」そのものはまだ純粋に季語とは言えなかったかもしれない。敢えて言えば一地方の田舎季語であり、万人に通じるものではない。
それでも北原白秋がそういうものを果敢に用いたことを受けて、ほぼ最初に季語として「白南風」を用いたのが芥川龍之介ということになりはしまいか。
※「ほぼ」というのはやや気弱な言葉だが、これは無名の俳人の句が消えていったかもしれないという話ではない。例えば正岡子規が季題を書きつらねている書の文字起こしができていないものの中に、鬼貫クラスのものがあり、鬼貫と名前だけは読めて中身が「読めないだけ」の状態のものがある。なんなら七割くらい読めた文字で検索して他に記録がないらしいものがある。そういうものが、かなりたくさんあるという意味だ。この状態で芥川より先に「白南風」を用いた者はいないとは到底断言できない。
カフェラミル凛と黥(めさ)ける美少年
この句の季語はカフェラミルである。季節は秋。薫り高い珈琲を運んできたギャルソンが目張りを入れたようにくっきりとした目をしている。黥はいれずみ。「めさく」は古代人、またはアイヌが目の周りにいれずみをいれて大きく見せる化粧である。
こう書いてしまうとカフェラミルは確かに秋の季語になる。
アルファルファ醤油と和(か)ててどぶり飯
この句の季語はアルファルファ、季節は夏である。暑くて肉は食えない。ランニングシャツ一枚で汗だくにどぶり飯を掻きこむ。そういう句だ。
こう書いてしまうと「和(か)て」「どぶり飯」が認知されてしまう。
このようにして歳時記は増殖し、日本語は根を張る。
最も古い出典とされている『物類称呼 』を確認したところ不明瞭ながら、
……とあり「白南風」という文字に対してではなく、「南風」の種類の説明に「しらはへ」という名前が与えられているように読める。「おぼせ」「あらはえ」には特に文字が与えられておらず、白も黒もない。『物類称呼 』に黒南風、白南風の文字が現れると書いている人が存在するようだが見ているものが違うのだろうか。
そしてどうもこの語はいい加減に扱われていて、梅雨明けに吹く風なのにこの歳時記では季節は「晩夏」とされている。梅雨明けは初夏であり、晩夏ではない。
しかし『物類称呼 巻1』の説明通り、まず初夏の句と見做してよいと思う。
句の意味としては「白」を無視しても「南風が吹いてきて夕浪が高くなってきたなあ」で通じるが、「白南風」という田舎言葉をあえて用いたところに芥川の見栄がある。中身としては大したことは詠んではいないが、その姿が凛として見える。
芥川的教養! が発揮されたということか。
【余談】
ほんまやで。
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