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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する187 夏目漱石『明暗』をどう読むか36 淡白に読もう

彼女は嘘を吐いた

 お延はそのプログラムを狂わせた自分を顧みて、むしろ幸福だと思った。気がかりを後へ繰り越すのが辛くて耐らないとはけっして考えなかった。それよりもこの機会を緊張できるだけ緊張させて、親切な今の自分を、強く夫の頭の中に叩き込んでおく方が得策だと思案した。
 こう決心するや否や彼女は嘘を吐いた。それは些細の嘘であった。けれども今の場合に、夫を物質的と精神的の両面に亘って、窮地から救い出したものは、自分が持って来た小切手だという事を、深く信じて疑わなかった彼女には、むしろ重大な意味をもっていた。
 その時津田は小切手を取り上げて、再びそれを眺めていた。そこに書いてある額は彼の要求するものよりかえって多かった。しかしそれを問題にする前、彼はお延に云った。
「お延ありがとう。お蔭で助かったよ」
 お延の嘘はこの感謝の言葉の後に随ついて、すぐ彼女の口を滑って出てしまった。
「昨日岡本へ行ったのは、それを叔父さんから貰うためなのよ」

(夏目漱石『明暗』)

 お延の嘘が嘘だと解った瞬間、では本当とは何だったのだろうと考えさせられる。

 お延はお金をもらうために芝居に行ったのではなかった。新しい帯を着て芝居に行きたかったのだ。芝居は見合いを兼ねていた。ついでに岡本の家に行って、たまたま小切手を貰ったのだ。

 たまたま?

 改めて思い出してみれば、それはいささか奇妙なことではなかろうか。そもそも何故お延は小切手を貰ったのだろうか。

 お延が礼を云って書物を膝の上に置くと、叔父はまた片々の手に持った小さい紙片を彼女の前に出した。
「これは先刻お前を泣かした賠償金だ。約束だからついでに持っておいで」
 お延は叔父の手から紙片を受取らない先に、その何であるかを知った。叔父はことさらにそれをふり廻した。
「お延、これは陰陽不和になった時、一番よく利く薬だよ。たいていの場合には一服呑むとすぐ平癒する妙薬だ」
 お延は立っている叔父を見上げながら、弱い調子で抵抗した。
「陰陽不和じゃないのよ。あたし達のは本当の和合なのよ」
「和合ならなお結構だ。和合の時に呑めば、精神がますます健全になる。そうして身体はいよいよ強壮になる。どっちへ転んでも間違のない妙薬だよ」
 叔父の手から小切手を受け取って、じっとそれを見つめていたお延の眼に涙がいっぱい溜った。

(夏目漱石『明暗』)

 岡本という男は不思議な男だ。ここでお前を泣かした賠償金と云われているからには、小切手には渡すべき理由があったということになる。たまたまではないのだ。では何故お延は泣いたのか。

「なるほどね。お延は直覚派だからな。そうかも知れないよ。何しろ一目見てこの男の懐中には金がいくらあって、彼はそれを犢鼻褌のミツへ挟んでいるか、または胴巻へ入れて臍の上に乗っけているか、ちゃんと見分ける女なんだから、なかなか油断はできないよ」
 叔父の笑談はけっして彼の予期したような結果を生じなかった。お延は下を向いて眉と睫毛をいっしょに動かした。その睫毛の先には知らない間に涙がいっぱい溜った。勝手を違えた叔父の悪口もぱたりととまった。変な圧迫が一度に三人を抑えつけた。
「お延どうかしたのかい」
 こう云った叔父は無言の空虚を充たすために、煙管で灰吹きを叩いた。叔母も何とかその場を取り繕わなければならなくなった。
「何だね小供らしい。このくらいな事で泣くものがありますか。いつもの笑談じゃないか」

(夏目漱石『明暗』)

 お延は叔父に「お前は相手が金を持っているかどうか直感的に見抜ける」と揶揄われて泣いた。その瞬間に叔父は「津田は案外金がないな」と見抜いて小切手を用意した……ということになるのだろうか。
 だとすると岡本はお延より勘が鋭い。叔母はお延の涙の意味に気が付いていない。それが普通だ。こんな些細なことからお延の窮状を悟ったとしたら、例えまぐれ当たりだとしても凄い。

 あるいはお延は実際自分の窮状を叔父に訴えてはいないが、揶揄われて泣くというコミュニケーションによって借金を申し込んだのだといえなくもない。

 いや、それは言い過ぎだ。

大変楽な身分にいる若旦那

 同時に津田から見たお延にも、またそれと同様の趣きが出た。余事はしばらく問題外に措くとして、結婚後彼らの間には、常に財力に関する妙な暗闘があった。そうしてそれはこう云う因果から来た。普通の人のように富を誇りとしたがる津田は、その点において、自分をなるべく高くお延から評価させるために、父の財産を実際より遥か余計な額に見積ったところを、彼女に向って吹聴した。それだけならまだよかった。彼の弱点はもう一歩先へ乗り越す事を忘れなかった。彼のお延に匂わせた自分は、今より大変楽な身分にいる若旦那であった。必要な場合には、いくらでも父から補助を仰ぐ事ができた。たとい仰がないでも、月々の支出に困る憂いはけっしてなかった。お延と結婚した時の彼は、もうこれだけの言責を彼女に対して背負って立っていたのと同じ事であった。利巧な彼は、財力に重きを置く点において、彼に優るとも劣らないお延の性質をよく承知していた。極端に云えば、黄金の光りから愛その物が生れるとまで信ずる事のできる彼には、どうかしてお延の手前を取繕わなければならないという不安があった。ことに彼はこの点においてお延から軽蔑されるのを深く恐れた。堀に依頼して毎月父から助けて貰うようにしたのも、実は必要以外にこんな魂胆が潜んでいたからでもあった。

(夏目漱石『明暗』)

 大した稼ぎもないくせに実家の財産を自分の財産のように思いこみ、見栄を張って金持ちのふりをした津田、財力に重きを置く点においては津田に勝るとも劣らない劣らないお延、この夫婦はそんなところで結びついていたのだと解ると「津田が社会主義者である」とか「読んでいるのは『資本論』だろう」などという考えは一回捨てた方がいいように思えてくる。
 津田が読むのは精々、

 こんなくだらない本だろう。

 そしてやはり根本の謎、

・このおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう
・おれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに

 この謎に関して、

・津田は自分を金持ちに見せかけてお延の愛を得ようとしていた

 ……という矛盾するが現れたかに見えるが、どうもそうではない。何故ならこれは「結婚後彼らの間には、常に財力に関する妙な暗闘があった」とある通り、飽くまでも結婚後のことなのだ。津田はどうやら結婚後になってから自分を金持ちに見せかけてお延の愛を得ようとしていたようだ。
 結婚前に金持ちのふりをしてお延を誘ったわけではなさそうだ。

 無論そこには「え? 結婚後に今更何のために?」という疑問が残る。結婚前ならいざ知らず、そこから見栄を張るものなのという疑問は残る。これはやったらみっともないことであり、どう考えてもいずればれるのだから意味の無いことで、ばれたら余計恥ずかしいことでもあり、なんなら愛のない証拠でもある。

 あるいは独特の愛の形だ。貰う気もないのに貰い、愛してもいないのに見栄を張ってつなぎ止め、噓がばれたらばれたで結果的には妹や妻の叔父からまで金を貰うとは、津田という男はなんとも妙なことをしている。しかもここは主体的にそう言うことをしたかのように書かれている。どうも計算がある。貰うつもりのなかった嫁に対して、何故そもそも見栄を張る必要があるのか不明ながら、兎も角自分の意思で決定している。

 結婚前、結婚直前に意識を失い、気が付いたら結婚していた。気が付いたら結婚していたので、夫の見栄として金持ちに見せようとした、という韓国ドラマ並みの出鱈目が隠れていないとこの流れは説明できないように思える。

「僕こないだ岡本の所でライスカレーを食べたら、そりゃ辛かったよ」
 ライスカレーの辛いぐらいは、岡本へ行かない理由になりそうもなかった。
「それで行くのが厭になった訳でもあるまい」
「ううん。だってお父さんが止せって云うんだもの。僕岡本の所へ行ってブランコがしたいんだけども」
 津田は小首を傾けた。叔父が子供を岡本へやりたがらない理由は何だろうと考えた。肌合の相違、家風の相違、生活の相違、それらのものがすぐ彼の心に浮かんだ。始終机に向って沈黙の間に活字的の気焔を天下に散布している叔父は、実際の世間においてけっして筆ほどの有力者ではなかった。彼は暗にその距離を自覚していた。その自覚はまた彼を多少頑固にした。幾分か排外的にもした。金力権力本位の社会に出て、他から馬鹿にされるのを恐れる彼の一面には、その金力権力のために、自己の本領を一分でも冒されては大変だという警戒の念が絶えずどこかに働いているらしく見えた。
「真事なぜお父さんに訊いて見なかったのだい。岡本へ行っちゃなぜいけないんですって」

(夏目漱石『明暗』)

 もっとも何のトリックも使わない前提で考えてみると、津田とお延をそれぞれ送り出した生家ではない叔父同士の格差というものに対して、津田にはやはり「金力権力本位の社会に出て、他から馬鹿にされるのを恐れる彼の一面には、その金力権力のために、自己の本領を一分でも冒されては大変だという警戒の念が絶えずどこかに働いている」という藤井に似たところがあったと見るべきであろうか。

 おそらくは平の会社員らしい津田はかなりの上役である吉川と特別な関係であると見られたいと望んでいて、金力権力本位の社会に出て、他から馬鹿にされるのを恐れている。そのみみっちい部分が女房に対する見栄に繋がったのだと。そう考えれば辛うじて浅い説明がつくような気がしなくもない。

 しかしそれではあまりにも浅い。

こっちにも覚悟がある

 それでさえ彼はどこかに煙たいところをもっていた。少くとも彼女に対する内と外にはだいぶんの距離があった。眼から鼻へ抜けるようなお延にはまたその距離が手に取るごとくに分った。必然の勢い彼女はそこに不満を抱いだかざるを得なかった。しかし彼女は夫の虚偽を責めるよりもむしろ夫の淡泊でないのを恨んだ。彼女はただ水臭いと思った。なぜ男らしく自分の弱点を妻の前に曝け出だしてくれないのかを苦くにした。しまいには、それをあえてしないような隔りのある夫なら、こっちにも覚悟があると一人腹の中できめた。するとその態度がまた木精のように津田の胸に反響した。二人はどこまで行っても、直に向き合う訳に行かなかった。しかも遠慮があるので、なるべくそこには触れないように慎んでいた。ところがお秀との悶着が、偶然にもお延の胸にあるこの扉を一度にがらりと敲き破った。しかもお延自身毫もそこに気がつかなかった。彼女は自分を夫の前に開放しようという努力も決心もなしに、天然自然自分を開放してしまった。だから津田にもまるで別人のように快く見えた。

(夏目漱石『明暗』)

 お延の「こっちにも覚悟がある」が現代のように離縁を意味するのかどうかは解らない。そんなことをしてもお延が損をするばかりのようにしか思えないけれども、では覚悟をしてどうするのかという見当がつかない。これがKなら死ぬ覚悟なのかもしれないが、どうもお延はそんなにしおらしい女ではない。
 この「覚悟」が何なのか説明できないで続編を書くことはできないだろう。

夫の淡泊でないのを恨んだ


 さてこれで「淡白でない」の意味がいよいよ解らなくなった。これまで私「淡白でない」の意味を性的に捉えてきた。少なくとも小林とお延の間で交わされた会話の中ではそうしたニュアンスで使われてきたように思う。

 いやいやいや。

 どうも違うな。

「たくさんじゃないわよ。ちょっと伺いたいから伺ったんだから、正直に淡泊(さっぱり)とおっしゃいよ」
「じゃ申し上げます。実は三十です」(十章)

(夏目漱石『明暗』)

「ああ見えてなかなか淡泊(たんぱく)でないからね」
 お延ははっと思った。腹の中で小林の批評を首肯わない訳に行かなかった彼女は、それがあたっているだけになおの事感情を害した。(八十四章)

(夏目漱石『明暗』)

何にも執着しない事であった。呑気に、ずぼらに、淡泊(たんぱく)に、鷹揚おうように、善良に、世の中を歩いて行く事であった。それが彼のいわゆる通であった。(九十一章)

(夏目漱石『明暗』)

 こう段落をつけて考えて見ると、そこには或種の要心があった。相当な理窟りくつもあった。或程度の手腕は無論認められた。同時に何らの淡泊(たんぱく)さがそこには存在していなかった。下劣とまで行かないでも、狐臭くさい狡獪な所も少しはあった。小額の金に対する度外れの執着心が殊更に目立って見えた。要するにすべてが父らしくできていた。(九十六章)

(夏目漱石『明暗』)

 感情と理窟の縺れ合あった所を解しながら前へ進む事のできなかった彼らは、どこまでもうねうね歩いた。局所に触るようなまた触らないような双方の態度が、心のうちで双方を焦烈ったくした。しかし彼らは兄妹であった。二人共ねちねちした性質を共通に具えていた。相手の淡泊(さっぱり)しないところを暗に非難しながらも、自分の方から爆発するような不体裁は演じなかった。(九十七章)

(夏目漱石『明暗』)

 それがどうしたというのかね」
「兄さんは淡泊(たんぱく)でないから駄目よ」
 津田は不思議そうに首を傾けた。(九十九章)

(夏目漱石『明暗』)

「嫂さんといっしょになる前の兄さんは、もっと正直でした。少なくとももっと淡泊(たんぱく)でした。私は証拠のない事を云うと思われるのが厭だから、有体に事実を申します。だから兄さんも淡泊に私の質問に答えて下さい。兄さんは嫂さんをお貰いになる前、今度のような嘘をお父さんに吐いた覚えがありますか」(百一章)

(夏目漱石『明暗』)

「だから取るようにして取って下さいな」
「いったいどうすればお前の気に入るんだか、僕には解らないがね、だからその条件をもっと淡泊(たんぱく)に云っちまったらいいじゃないか」(百七章)

(夏目漱石『明暗』)

「言がかりを云うな、馬鹿」
「言がかりじゃありません。先刻から腹の中でそう云い続けに云ってるじゃありませんか。兄さんこそ淡泊でないから、それが口へ出して云えないんです」(百七章)

(夏目漱石『明暗』)

「いいわ、どっちでも」
 津田は夫人の齎もたらした温泉行の助言だけをごく淡泊(あっさ)り話した。(百四十七章)

(夏目漱石『明暗』)

「結果は今のごとくさ」
「大変淡泊(さっぱ)りしているじゃないか」
「だってほかにしようがなかろう」(百六十章)

(夏目漱石『明暗』)

 しかし当り障りのないようにそこへ触れるのはちょっと困難であった。第一書く事が複雑になればなるほど、文字が多くなって一枚の名刺では事が足りなくなるだけであった。彼はなるべく淡泊(あっさ)りした口上を伝えたかった。(百八十一章)

(夏目漱石『明暗』)

 しかも彼はほとんど以前と同じように単純な、もしくは単純とより解釈のできない清子を眼前に見出した。彼女の態度には二人の間に関を話題にするだけの余裕がちゃんと具わっていた。それを口にして苦にならないほどの淡泊(たんぱく)さが現われていた。ただそれは津田の暗に予期して掛かったところのもので、同時に彼のかつて予想し得なかったところのものに違なかった。(百八十五章)

(夏目漱石『明暗』)

 これらの「淡白」はいずも「あっさり」となんなく交換可能に見える。

「奥さん、時間があるなら、退屈凌ぎに幾らでも先刻の続きを話しますよ。しゃべって潰すのも、黙って潰すのも、どうせ僕見たいな穀潰しにゃ、同し時間なんだから、ちっとも御遠慮にゃ及びません。どうです、津田君にはあれでまだあなたに打ち明けないような水臭いところがだいぶあるんでしょう」
「あるかも知れませんね」
「ああ見えてなかなか淡泊(たんぱく)でないからね」
 お延ははっと思った。腹の中で小林の批評を首肯わない訳に行かなかった彼女は、それがあたっているだけになおの事感情を害した。自分の立場を心得ない何という不作法な男だろうと思って小林を見た。小林は平気で前の言葉を繰り返した。
「奥さんあなたの知らない事がまだたくさんありますよ」
「あっても宜しいじゃございませんか」

(夏目漱石『明暗』 

 しかしこの八十四章の「淡泊(たんぱく)でない」だけは「あっさり」に交換できないもの、無作法と言われるだけの具体的な事実を指しているように思える。

 あるいはそのほかの淡白はさして具体的な事実を指し示すことなく、「あっさり」に置き換えられると考えてもよいだろう。

 そして改めて小林の「大変淡泊(さっぱ)りしているじゃないか」の裏返し、小林の見抜いた津田の本音こそが八十四章の「淡泊(たんぱく)でない」の指し示す具体なのだろうと考えられる。

 しかし八十四章の時点ではお延はまだ女の影を知らない。つまり八十四章の「淡泊(たんぱく)でない」は小林とお延の間で別の意味でキャッチボールされたことになる。小林の言う意味は何となく整理が出来た。お延の側の意味が解らない。

 一つ解るとまた一つ解らなくなる。

 これが漱石作品を読むということなのだ。


[余談]

 日々命を削って書いている。

 削れていくのが解る。

 あらゆるものは消耗品だ。

 耐用年数が1年以上であり、取得価額が10万円以上のものは備品だが。

 命はただで貰ったから消耗品だ。

 















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