彼女は嘘を吐いた
お延の嘘が嘘だと解った瞬間、では本当とは何だったのだろうと考えさせられる。
お延はお金をもらうために芝居に行ったのではなかった。新しい帯を着て芝居に行きたかったのだ。芝居は見合いを兼ねていた。ついでに岡本の家に行って、たまたま小切手を貰ったのだ。
たまたま?
改めて思い出してみれば、それはいささか奇妙なことではなかろうか。そもそも何故お延は小切手を貰ったのだろうか。
岡本という男は不思議な男だ。ここでお前を泣かした賠償金と云われているからには、小切手には渡すべき理由があったということになる。たまたまではないのだ。では何故お延は泣いたのか。
お延は叔父に「お前は相手が金を持っているかどうか直感的に見抜ける」と揶揄われて泣いた。その瞬間に叔父は「津田は案外金がないな」と見抜いて小切手を用意した……ということになるのだろうか。
だとすると岡本はお延より勘が鋭い。叔母はお延の涙の意味に気が付いていない。それが普通だ。こんな些細なことからお延の窮状を悟ったとしたら、例えまぐれ当たりだとしても凄い。
あるいはお延は実際自分の窮状を叔父に訴えてはいないが、揶揄われて泣くというコミュニケーションによって借金を申し込んだのだといえなくもない。
いや、それは言い過ぎだ。
大変楽な身分にいる若旦那
大した稼ぎもないくせに実家の財産を自分の財産のように思いこみ、見栄を張って金持ちのふりをした津田、財力に重きを置く点においては津田に勝るとも劣らない劣らないお延、この夫婦はそんなところで結びついていたのだと解ると「津田が社会主義者である」とか「読んでいるのは『資本論』だろう」などという考えは一回捨てた方がいいように思えてくる。
津田が読むのは精々、
こんなくだらない本だろう。
そしてやはり根本の謎、
・このおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう
・おれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに
この謎に関して、
・津田は自分を金持ちに見せかけてお延の愛を得ようとしていた
……という矛盾するが現れたかに見えるが、どうもそうではない。何故ならこれは「結婚後彼らの間には、常に財力に関する妙な暗闘があった」とある通り、飽くまでも結婚後のことなのだ。津田はどうやら結婚後になってから自分を金持ちに見せかけてお延の愛を得ようとしていたようだ。
結婚前に金持ちのふりをしてお延を誘ったわけではなさそうだ。
無論そこには「え? 結婚後に今更何のために?」という疑問が残る。結婚前ならいざ知らず、そこから見栄を張るものなのという疑問は残る。これはやったらみっともないことであり、どう考えてもいずればれるのだから意味の無いことで、ばれたら余計恥ずかしいことでもあり、なんなら愛のない証拠でもある。
あるいは独特の愛の形だ。貰う気もないのに貰い、愛してもいないのに見栄を張ってつなぎ止め、噓がばれたらばれたで結果的には妹や妻の叔父からまで金を貰うとは、津田という男はなんとも妙なことをしている。しかもここは主体的にそう言うことをしたかのように書かれている。どうも計算がある。貰うつもりのなかった嫁に対して、何故そもそも見栄を張る必要があるのか不明ながら、兎も角自分の意思で決定している。
結婚前、結婚直前に意識を失い、気が付いたら結婚していた。気が付いたら結婚していたので、夫の見栄として金持ちに見せようとした、という韓国ドラマ並みの出鱈目が隠れていないとこの流れは説明できないように思える。
もっとも何のトリックも使わない前提で考えてみると、津田とお延をそれぞれ送り出した生家ではない叔父同士の格差というものに対して、津田にはやはり「金力権力本位の社会に出て、他から馬鹿にされるのを恐れる彼の一面には、その金力権力のために、自己の本領を一分でも冒されては大変だという警戒の念が絶えずどこかに働いている」という藤井に似たところがあったと見るべきであろうか。
おそらくは平の会社員らしい津田はかなりの上役である吉川と特別な関係であると見られたいと望んでいて、金力権力本位の社会に出て、他から馬鹿にされるのを恐れている。そのみみっちい部分が女房に対する見栄に繋がったのだと。そう考えれば辛うじて浅い説明がつくような気がしなくもない。
しかしそれではあまりにも浅い。
こっちにも覚悟がある
お延の「こっちにも覚悟がある」が現代のように離縁を意味するのかどうかは解らない。そんなことをしてもお延が損をするばかりのようにしか思えないけれども、では覚悟をしてどうするのかという見当がつかない。これがKなら死ぬ覚悟なのかもしれないが、どうもお延はそんなにしおらしい女ではない。
この「覚悟」が何なのか説明できないで続編を書くことはできないだろう。
夫の淡泊でないのを恨んだ
さてこれで「淡白でない」の意味がいよいよ解らなくなった。これまで私「淡白でない」の意味を性的に捉えてきた。少なくとも小林とお延の間で交わされた会話の中ではそうしたニュアンスで使われてきたように思う。
いやいやいや。
どうも違うな。
これらの「淡白」はいずも「あっさり」となんなく交換可能に見える。
しかしこの八十四章の「淡泊(たんぱく)でない」だけは「あっさり」に交換できないもの、無作法と言われるだけの具体的な事実を指しているように思える。
あるいはそのほかの淡白はさして具体的な事実を指し示すことなく、「あっさり」に置き換えられると考えてもよいだろう。
そして改めて小林の「大変淡泊(さっぱ)りしているじゃないか」の裏返し、小林の見抜いた津田の本音こそが八十四章の「淡泊(たんぱく)でない」の指し示す具体なのだろうと考えられる。
しかし八十四章の時点ではお延はまだ女の影を知らない。つまり八十四章の「淡泊(たんぱく)でない」は小林とお延の間で別の意味でキャッチボールされたことになる。小林の言う意味は何となく整理が出来た。お延の側の意味が解らない。
一つ解るとまた一つ解らなくなる。
これが漱石作品を読むということなのだ。
[余談]
日々命を削って書いている。
削れていくのが解る。
あらゆるものは消耗品だ。
耐用年数が1年以上であり、取得価額が10万円以上のものは備品だが。
命はただで貰ったから消耗品だ。