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芥川龍之介の『古千屋』をどう読むか② 矢の根を伏せて
さて、こんなことがもう解らない。
家康は本多佐渡守正純に命じ、直之の首を実検しようとした。正純は次ぎの間に退いて静に首桶の蓋をとり、直之の首を内見した。それから蓋の上に卍を書き、さらにまた矢の根を伏せた後、こう家康に返事をした。
「直之の首は暑中の折から、頬たれ首になっております。従って臭気も甚だしゅうございますゆえ、御検分はいかがでございましょうか?」
この「蓋の上に卍を書き、さらにまた矢の根を伏せた後」というところ、ここには芥川の創意はなく、ネタ元そのままの表現である。だから意味が解らなくても仕方がない、ということにはなるまい。意味が解らなければ読んだことにはならない。
しかしこれもまた「ハイポーが抜ける」同様調べられた気配がない。
まず「蓋の上に卍を書き」に関してはこの「寶冠」という風習にちなんだもののように思える。
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しかし実際には首桶を検める作法の決まりごとのようだ。
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ここに「暇乞の矢とて征矢(戦場で使う矢)一筋添る也」という文言が出てくる。
Today in AD 811, a Roman army was demolished at the Battle of Pliska.
— 🏛Steven🏛 (@nonregemesse) July 26, 2023
The Bulgar Khan Krum maneuvered his men into the mountain passes to attack them returning home after sacking Pliska.
The Emperor Nikephoros I didn’t set up camp defences and his skull was turned into a cup pic.twitter.com/PTIwTokDyi
おそらく「矢の根を伏せた後」の「矢」とはこの「暇乞の矢」のことではあろう。それにしても「矢の根」とは「鏃」である。矢の先端に付けるのに「やじり」とはこれいかに。
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その矢は「直次左右指麾。其鋒甚銳。多胡助左衛門射中之。直次墜馬」とあるとおり、浅野但馬守長晟の家臣、多胡助左衛門の矢であろうか。
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いや、股を射抜いた矢尻は箆口から抜けて下半身に留まり、首とは分かれるだろう。
多胡助左衞門、剛弓を以て名あり、斯くと見るより、矢を番へて、滿月の如くに、引き絞り、覘ひを定めて、ヒヤウと放てば、グサとばかりに、直之の腰骨に、突つ立つ。
という説もある。そのままやっつけたような書き方のものもある。
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それにしても「矢の根を伏せた」とは?
ふ・せる【伏せる・臥せる】 〔他下一〕[文]ふ・す(下二)
①うつむくようにする。うつぶせにする。万葉集11「山河に筌うえをし―・せて守りあへず年の八歳を吾が盗まひし」。日葡辞書「ウマヲフスル」。「目を―・せる」
②からだを横にさせる。寝かせる。源氏物語空蝉「小君をお前に―・せて、よろづに恨みかつは語らひ給ふ」。「草むらに体を―・せて隠れる」
③倒す。下に押しつける。平家物語4「押し直し踏み直し、立ちどころに好き者共十四五人こそ切り―・せたれ」。徒然草「大雁どもふためきあへる中に法師まじりて打ち―・せ、ねぢころしければ」
④物をさかさまにする。裏返しに置く。今昔物語集11「山の中は直しく鉢を―・せたる如くにて」。「本を―・せる」
⑤潜ませる。かくす。古今和歌集恋「かの道に夜ごとに人を―・せて守らすれば」。「この話は―・せておこう」
⑥覆いかぶせる。かぶせて捕らえる。大鏡道隆「いかだの上に土を―・せて植木を生ほし」。狂言、津島祭「子供が集つて千鳥を―・せるが」
⑦つくろう。衣類に継ぎを当てる。日葡辞書「キルモノヲフスル」
どの動作もしっくりしない。ここは「矢の根の銘を確認して、裏返しておいた」とまずは解釈しておいて、
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ネタ元を確認するがどうもピンとこない。ただし「上より母衣を掛けつつ」とあるので、首桶は矢尻ごと布に覆われたように思える。
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流石に戦史では矢の根の仔細は拾われず、
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ここでは「塙団右衛門直之の首は目を見開いているから」という事情が差し込まれている。
これは芥川の作では、
「とかく人と申すものは年をとるに従って情ばかり剛くなるものと聞いております。大御所ほどの弓取もやはりこれだけは下々のものと少しもお変りなさりませぬ。正純も弓矢の故実だけは聊かわきまえたつもりでおります。直之の首は一つ首でもあり、目を見開いておればこそ、御実検をお断り申し上げました。それを強いてお目通りへ持って参れと御意なさるのはその好い証拠ではございませぬか?」
家康は花鳥の襖越しに正純の言葉を聞いた後のち、もちろん二度と直之の首を実検しようとは言わなかった。
として、第一章の落ちに使われている。言わんとすることは、弓矢の故実、つまり武家の故実として、目を見開いている首を実検することは憚られる、ということではあろうが、ここも武家の故実がわからぬところ。
○ 目を見開いた首を見ることは不吉である
○ 目を見開いた首を見ることは武士の情けに欠けている
○ 目を見開いた首は勇敢に戦い抜いた証であり実検は失礼である
あるいはほかに解釈があろうか。
そして「一つ首」が解らない。塙団右衛門直之は目立ちたがりの有名人ながら大将ではないので、大将首ではない。つまり一番槍の一番首だとしたら実検してはならぬという理窟は立たない。
ちなみに『芥川龍之介全集』において吉田精一は「一つ首」は最初に打ち取られた首で二番首がない場合は閲されないとしている。
塙団右衛門直之、淡輪六郎兵衛重政等はいずれもこの戦いのために打ち死した。
吉田君は自分が書いていることの意味が解っているのかね?
淡輪六郎兵衛重政等と書いてあるのが読めないのかね?
むしろここに理屈があるとするならば、「二番首がある場合は」でなくては筋が通らないだろう。当然のように「矢の根を伏せて」はスルーしておいて、なにを知ったかぶっているのかね?
どうもこの話は「矢の根を伏せて」「一つ首でもあり、目を見開いておればこそ、御実検をお断り申し上げました」という本多佐渡守正純の弓矢の故実のルールが理解できなければ、話そのものが理解できないように思われる。
「詩が分からない」と言われるのは、詩は作者の気持ちの込められた正解があってその正解にどう辿り着けば良いのか分からない、という事態が起きているからと思う。詩には正解も不正解もないし、作者とテクストをまずは分けて考えてみる。批評を一から一緒に考えていかないとまずいところまで来ている。
— 山﨑修平 『新潮』2023年5月号「愛がすべて」 (@ShuheiYamazaki) July 20, 2023
批評の前に読めていなければ話にはならない。しかし「矢の根を伏せて」は放置されてきた。
もうすぐ河童忌なのに、誰も芥川作品を読んでいないなんて。
まず「矢の根を伏せて」という表現そのものは他に用例が見当たらないので「正解」は特定しかねる。
それでも一つ二つ解釈を示すとこんなことになる。あくまでも解らないなりに「トンデモ説」にならない程度の仮定だ。
①心中で死者に礼をする。心のなかで矛を収める
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仮に「矢の根」を「弓矢」に置き換えると、「伏せる」とは戦う意思のないことを示す。弓矢を収める態度だ。これは通常敗者の態度であるが、死者を前にして勝者も敗者もないと考えれば、心中で死者に礼をする。心のなかで矛を収めるとして「矢の根を伏せて」を抽象表現と見做すことも可能ではなかろうか。
もうひとつの解釈は、
②筆を置いて
となる。首桶の蓋に卍を書いた後、母衣をかけるまでの自然な動作としては、書かれていない「筆を置く」という事実そのものは必ずある。筆が矢の根に例えられる用例を探したがこれというものはない。ただし筆は必ず使われているのだ。
や-たて [3] 【矢立て】
(1)矢を入れる容器。箙(エビラ)・胡簶(ヤナグイ)など。
(2)「矢立ての硯」の略。
(3)携帯用の筆記道具。筆を入れる筒の先に墨壺(スミツボ)をつけたもので,帯に挟む。
ここで敢えて「暇乞の矢」を捨てれば、「伏せて」は、「置く」という程度の意味になろう。
そしてもう一つの解釈、
③弓矢の故実のわきまえもないのか?
この時点で実際に芥川自身が「矢の根を伏せて」の正確な意味を知っていたかどうかは定かではない。何しろ表現がそのまま写し取られているので解釈が見えない。吉田精一にも私にも弓矢の故実のわきまえはない。
徳川家康を笑おうとした読者には「矢の根を伏せて」という所作の解らなさが「弓矢の故実のわきまえもないのか?」という作品のモチーフごと暇乞の矢として突き刺さってこないものだろうか。
案外野村胡堂の霊を降ろしたり、「御成敗式目」研究者から話を聴けば「矢の根を伏せて」の意味はこれだとあっけない答えが出るのかもしれない。しかし少なくとも吉田精一に二番首がない場合はと書かせ、「矢の根を伏せて」をスルーさせた時点で「弓矢の故実のわきまえもないのか?」という仕掛けそのものは機能していると解釈していいだろう。
何故もうすぐ死ぬのにこんなことを書いているのかは分からない。解らないけれど作品の構造として「矢の根を伏せて」はこの話のキーになっていて、弓矢の故実の解らなさというモチーフを象徴する表現として上手く機能していると言わざるを得ない。
今日の今日の時点で分らないなりに解ることはここまで。
[余談]
シンプルに英訳したらどうなるのかな?
意訳できる?
[付記]
三島 「矢の根」など、ずいぶん出ませんね。
坂東 しばらく出ません。
これは歌舞伎芝居の演目らしい。
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