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芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか⑩ また「も」とか使うし

 何をしているのか、何がしたいのかわからない主人公洋一、そしてただ増えていく登場人物。賢造は何のために金を下ろしに行ったのか分からない。いやそもそも本当に銀行に行ったのか。

「それにあの人は何と云っても、男好きのする顔だから、――」
 叔母はやっと膝の上の手紙や老眼鏡を片づけながら、蔑むらしい笑いかたをした。するとお絹も妙な眼をしたが、これはすぐに気を変えて、
「何? 叔母さん、それは。」と云った。
「今神山さんに墨色を見て来て貰ったんだよ。――洋ちゃん、ちょいとお母さんを見て来ておくれ。さっきよく休んでお出だったけれど、――」
 ひどく厭な気がしていた彼は金口を灰に突き刺すが早いか、叔母や姉の視線を逃れるように、早速長火鉢の前から立ち上った。そうして襖一つ向うの座敷へ、わざと気軽そうにはいって行った。

(芥川龍之介『お律と子等と』)

 遅い。

 別に叔母の許可が必要だったわけもなかろうに。

 何か枷でもあるかのようにここまで洋一は母を見舞えなかった。

 それにしても気になるのが「I don't know節」の歌詞だ。

 赤坊できても、アイドントノーなのだ。そして男好きのする顔の美津が女ぶりを上げたとなれば、なにか色っぽいことが仄めかされてはいまいか。浅川の叔母の蔑むらしい笑い方、お絹の妙な眼からの洋一の追い出し。そこは女どうしでどぎついうわさ話でもしようという算段なのではないか。ここでエロスとタナトスが……と一席ぶつと立派な馬鹿になれる。

がっかりしたように横坐りになった。

(芥川龍之介『お律と子等と』)

 これが「スワルトバートル」なのではないか。ヲムレツにカツレツを平らげてお絹は太っていたのではなかろうか。

 ということは?

 そこは突き当りの硝子障子の外に、狭い中庭を透かせていた。中庭には太い冬青の樹が一本、手水鉢に臨んでいるだけだった。麻の掻巻をかけたお律は氷嚢を頭に載せたまま、あちら向きにじっと横になっていた。そのまた枕もとには看護婦が一人、膝の上にひろげた病床日誌へ近眼の顔をすりつけるように、せっせと万年筆を動かしていた。
 看護婦は洋一の姿を見ると、ちょいと媚のある目礼をした。洋一はその看護婦にも、はっきり異性を感じながら、妙に無愛想な会釈を返した。それから蒲団の裾をまわって、母の顔がよく見える方へ坐った。

(芥川龍之介『お律と子等と』)


 漱石の看護婦好きは有名だが芥川もなかなか……というほどでもないか。芥川が看護婦に性欲を向けるのは『玄鶴山房』『春の夜』『路上』。『少年』や『浅草公園』などではただ看護婦が出てくるにすぎない。しかしこのうち『春の夜』は「看護婦が抱き着かれる話」ではあるものの、恋心はむしろ看護婦の方にあり、『路上』は看護婦に惚れられる話である。看護婦がいらしい目で見られる作品は『玄鶴山房』と『お律と子等と』の二作だけである。

 そして芥川はここで得意の「も」を使ってきた。「洋一はその看護婦に、はっきり異性を感じながら」ということは、やはり美津にもはっきり異性を感じているわけだ。

 看護婦も洋一もお律が死にそうなのになにしとんねんという所である。そもそも「ちょいと媚のある目礼をした」ってどういうことやねん。洋一が金持ちのボンボンやから唾つけたろういうことか。

 いや、そんなに単純なこともあるまい。

 今まで言おうかどうしようかずっと迷っていたけれど『お律と子等と』は『玄鶴山房』の焼き直しちゃうか? って逆か。『玄鶴山房』は『お律と子等と』のリベンジちゃうか。

 この二作、書かれた時期が離れていることから比較されることもないけれど、

・死にかけの病人
・つききりの看護婦
・家は小金持ち
・登場人物が多い

 などどこか似ているところがないとは言えない。いやある。

 しかし婿の無関心はさておき、洋一の差し迫った感じのなさはなんともなあ。そこが芥川のリアルなんかなあ。主題が分裂とは言わないが、美津と看護婦という二人の女に対する洋一の関心が、母に対する心配に勝ってしまっているような感じがなくもない。これがリアルなんかなあ。

 要するに母を見舞うにも看護婦に対して格好つけるくらいの冷静さがあるわけや。自分を偽る、平静を装い、無関心を装う余裕があるわけや。というより母親の病気に関心がいってないうことや。取り乱さへんのや。看護婦にどう思われようが気にしていられるかい、ゆうことにはならへんのや。

 なんでや。

 それはまだだーれも知らん。
 何でいうたら、そんなもん、まだここまでしか四度ラン辛煮……読んどらんからに決まっとるがな。

[余談]

 今思い返しても看護婦の甲野さん強烈キャラやな。

 脇役であんな強烈キャラはほかにおらんで。

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