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芥川龍之介の『三右衛門の罪』をどう読むか⑥ 数馬は何故細井三右衛門を闇討ちしようとしたのか?


 さて、これだけ言ってもまだ私の本を買わない人がいますね。それでこれからどうするつもりなんでしょうか。

 まあいいです。

 ほっといて先に行きましょう。

 

数馬は何故細井三右衛門を闇討ちしようとしたのか?


 今日はここをやります。

 いや、そんなものは解っている。試合の判定で多門の方を贔屓したように感じた数馬が仕返しをしようとしただけじゃないか、つまらない、……そう思った人はいますか?

 ほとんどそうですか?

 ここは「解釈」なのでいろんな意見があっていいと思います。

 まず相手が三右衛門だと知った上でのことなら、「勝てると思ったから」ということがあるかと思います。この行司は技の決まったも決まらないも解らない程度の者だ。老眼じゃないのか。馬廻り役(護衛兵)とはいえ、実は腕前はたいしたことは無いのではないのかと考えたということもなくはないと思います。
 俺の実力を見せてやるというつもりだったのかもしれません。

 私は最初「先刻の無礼」がふりで、数馬は闇討ちの相手を間違えたのではないかと考えていました。御指南番の代わりに行司を任される馬廻り役と言えば精鋭です。そう簡単に斬れる相手ではありません。しかし「間違えた」が落ちにしてはそう指し示す合図が見当たりません。

 それからこうも考えました。たとえ三右衛門には敵わず斬られるにせよ、必ず殿様は三右衛門に事情を訊きただすはずだと。そこで真実が明るみになればテロリストの名誉だと。いわゆる山上方式ですね。しかしこの考えだと三右衛門の「逆依怙」の心理が完全に読み取れていないといけないことになります。それはちょっと難しいのではないでしょうか。

 もうひとつ考えたのは「信用できない語り手」の場合ですね。

 第二に治修は三右衛門へ、ふだんから特に目をかけている。嘗て乱心者を取り抑えた際に、三右衛門ほか一人の侍は二人とも額に傷を受けた。しかも一人は眉間のあたりを、三右衛門は左の横鬢を紫色に腫れ上らせたのである。治修はこの二人を召し、神妙の至りと云う褒美を与えた。それから「どうじゃ、痛むか?」と尋ねた。すると一人は「難有い仕合せ、幸い傷は痛みませぬ」と答えた。が、三右衛門は苦にがしそうに、「かほどの傷も痛まなければ、活きているとは申されませぬ」と答えた。爾来治修は三右衛門を正直者だと思っている。あの男はとにかく巧言は云わぬ、頼もしいやつだと思っている。

(芥川龍之介『三右衛門の罪』)

 この「一人の侍」が気になるんですね。この一件で三右衛門は殿様から依怙される訳です。やったことは同じなのに。でこの「一人の侍」のやったことは何かというと「乱心者を取り抑えた」とありますね。これ警備兵の仕事ですよね。つまり馬廻り役の仕事です。
 数馬の父親は……やはり馬廻り役です。この衣笠太兵衛をわざわざ「一人の侍」と書くことは普通はやらないのですが、芥川龍之介という男はやりかねません。すると数馬は長年依怙されている三右衛門を恨んでいたという可能性もなくはないですね。

 まあ馬廻り役二人にけがを負わせた「乱心者」が衣笠太兵衛ではないと思いますが。

 まだまだいろんな可能性がありますね。

 しかし芥川はこのテロリストの心理を報道しませんね。それこそテロリストの思うつぼで第二第三の数馬が現れることを懸念したからでしょう。それこそ報道機関の役割と云うものは……。

 そんなことではないですね。

 作品としての『三右衛門の罪』はまず死人に口なしという状況を作り出しておいて、犯人の一方的な供述から数馬の闇討ちの動機を考えさせるという構造を持っているので、「数馬が仕返しをしようとしただけ」と読んでしまうとただそれだけの作品と読めてしまいます。

 しかし『三右衛門の罪』に関してはいろいろなことを考えさせられます。正直者の三右衛門の腹の中には案外不誠実なものがあるのだなとか、「乱心者」は取り押さえたのに「狼藉者」は討ち果たさずには置かれないのかとか。あるいは本当に闇討ちはあったのかとか。

 目撃証言無し、犯人の供述のみですよ。

 あるいは数馬は三右衛門の性奴隷で、何とか事務所のようにあんなことやこんなこと……。

 そして一番大切なことなんですが「数馬は何故細井三右衛門を闇討ちしようとしたのか?」 と考えて行くと、やはり三右衛門が「正直さ」「公平」に拘り過ぎて、結局間違った依怙をしてしまったから、ということになると思います。それはとりもなおさず殿様が正直を重んじて三右衛門を依怙をしてしまった結果ですね。しかし「嗅覚」の件が仄めかすように、人間というのはただ正直であるばかりではなく、かならずどこか怪しいところを持っているものです。

 何かを判ずる時には、真面目に、公平であろうと努めながら、迷い、揺れてしまうものです。なかなか聡明の主などにはなれません。

 数馬の行動はいささか配慮に欠き唐突なものに思えなくもないものです。しかし相撲の行司は判定を間違えばその場で切腹する覚悟が必要だそうです。つまり三右衛門は斬られて当然とも言えます。それをついつい返り討ちにしちゃったというのが『三右衛門の罪』の表の筋で、裏の筋は数馬の死により三右衛門の何か怪しい部分がもみ消された、ということになるのでしょうか。

 数馬が闇討ちを仕掛けた理由は三右衛門が変な趣味を持っていたからかもしれません。三右衛門の罪はいつかBBCで明らかにされるでしょう。



[余談]


 へー。

 お延はなかなか来なかった。お延以上に待たれる吉川夫人は固もとより姿を見せなかった。津田は面白くなかった。先刻から近くで誰かがやっている、彼の最も嫌いな謡の声が、不快に彼の耳を刺戟した。

(夏目漱石『明暗』)

 数馬は謡が嫌いなので三右衛門を闇討ちしたのではなかろうか。

 ま、それはないか。


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