芥川龍之介の『早春』を読む 三重子をスポイルしたのは中村じゃないのか
谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読みながら、「結局光源氏と違って河合譲治の教育がうまく行かなかっただけなんじゃないのか」と考えてしまった。そもそも天性の悪女などいるものではない。十五歳から十九歳までの間にナオミが受けた影響の多くは河合譲治が与えたものであり、一々指摘すればそれはかなりよろしくないものだった。ナオミを作り上げたのは河合譲治であると言って良いのではないか。
芥川龍之介の『早春』は谷崎潤一郎の『痴人の愛』が発表された翌年の大正十四年の作である。原稿用紙十枚にも満たない小品ながら十年の時の経過を描く。(『痴人の愛』は八年間。)『早春』は三重子が十年間で11キロ太るという話である。博物館の爬虫類の標本室で待ち合わせをしていた中村と三重子が、約束の時刻に三重子が現れず、中村が「魂の美しさを失ってしまった」三重子に愛想をつかしていたために別れる話である。
いやしかし、「魂の美しさを失ってしまった」とはどういうことなのだろう。あるいは枕を天井へ蹴上げるとはどんな状況なのだろうか。八十八キロの巨漢と六十三キロの小太りが一体なにをしていたのだろうか。なにをしたら枕を蹴り上げたくなるのだろうか。「魂の美しさを失ってしまった」と言いながら失わせたのは中村ではないのか。例えば分かりやすい話、デブと付き合うと太るのは当たり前だ。成人したばかりの三重子をスポイルしたのは中村ではないのか。例えばナオミを河合譲治がスポイルしたように。
芥川はわざわざ足の指にフォーカスして見せる。足、それも足の裏が好きな谷崎に見せつけるように。
私は今日、『痴人の愛』は何故『痴人の性』ではないのかと書いたばかりだ。いや確かにそういう愛もあるのだと芥川も言うかもしれない。
[余談]
アラサーの女が太ってしまったとして、それが落ちになるのかと考えた人は間違っている。芥川龍之介は守備範囲が広いのだ。
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