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根拠もなく文章がまずい 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む62

根拠は何か


 

 三島はなぜ、あのような死を選んだのか――答えは小説の中に秘められていた。……こう宣伝されて売られている本が仮にあったとする。それならばその本には「三島はなぜ、あのような死を選んだのか」という問いの答が書かれていなければならないと考えるのは当然のことである。つまり生首の根拠が書かれていなければならない。

 では実際はどうか。

 末げん、村田英雄、編集者すっぽかし、中古のコロナ、唐獅子牡丹、富士の見える場所、七生報国、日本、三十分、いずれの説明もない。

 一年前の自殺未遂、次回作の予定、詩集刊行の予定、磯部浅一の憑依、甘粕との関係、幻の南朝、いずれの説明もない。

 死もまた、三島にとっては、その終局に於いて一義的な目的と化していたが、しかしそれは、今にも虚無に呑まれそうになりながら運動し続ける彼の生の絶頂を約束するものであった。
 三島が最後に叫んだ「天皇陛下万歳!」は、一個の政治主張であるには違いない。それは、彼が二十歳の時に、「大義」による死と共に叫びそこなった言葉だった。それは奇妙なことに、一人の人間の存在の全体性が託された言葉であり、表向きの「大義」のみならず、彼が生涯、抑圧されつつ生きてきたエロティシズムをも同時に顕現させようとするものだった。
 いずれにせよ、その一生を象徴するためには不十分であり、不適当とさえ思われる言葉である。しかし固よりそれは、そのようにしか口にされようのない言葉であり、その歴史的事実もまた、三島が死によって体現したことの一つだった。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 どうやらこれが結論らしい。繰り返しにはなるが「いずれにせよ」とは論がまとまっていないときに使われる表現である。つまりそこから前の文言は無視していい。となると残された言葉はから読み取れることは、

三島由紀夫は不適当な言葉を仕方なく叫んで死んだ

 ということになってしまう。これは三島由紀夫作品を唯一つとして読んでいない一般人の「あなたの感想」なのではないか。これでは生首にならなくてはならなかった理由も、市ヶ谷の自衛隊駐屯地が死に場所になったことも、檄も、檄文も説明できていない。

 いずれにしても何の根拠も示されていない。


文章がまずい


 少なくとも「Ⅳ『豊饒の海』論 28 自刃」に鑑みれば、

✖ 三島由紀夫にとっては一義的な目的であり、生の絶頂を約束するものであった。

〇三島由紀夫にとって自刃は一義的な目的であり、生の絶頂を約束するものであった。

 この程度の統一性は必要であろう。「Ⅳ『豊饒の海』論 29 「握り飯」の忠義」に鑑みれば、

✖ 三島が最後に叫んだ「天皇陛下万歳!」は、一個の政治主張であるには違いない。

△ 三島が最後に叫んだ「天皇陛下万歳!」は、一個の熱い握り飯であるには違いない。

〇 三島が最後に創り上げた七生報国の生首は、一個の熱い握り飯であるには違いない。

「私の頭蓋骨はこういうふうに細工したうえ、清宮様(※当時の清宮貴子内親王殿下)に贈与(プレゼント)し、便器として使用していただくこと」といった遺言を残しておくのだ(特に早く実現したいと切望するのなら自殺すればよいだろう)。

(『ある夢想家の手帖から3』/沼正三/都市出版社/昭和四十六年/p.67~68)

 このように改められるべきであろうか。それは昭和天皇が最も見たくないもの、しかし『英霊の声』がお遊びでないとしたら、誰かが昭和天皇に差し上げるべきものだったに違いない。三島は『英霊の声』以降「貴様がやればいいじゃないか」という『春の雪』の本多の指嗾を心の中で反復していたからこそ、自ら握り飯にならざるを得なかったのではないか。自らの生首を差し出すという究極の握り飯にエロスを感じないのならば、切腹だけで死ねばよかったのである。

 三島は観念の中で「人間天皇」を抹殺し、かれだけの「美しい天皇」をともなって、あの世へと「亡命(かけおち)」していった。そのとき、かれのうなじのうえには「柔らかな苔に積った淡雪のよう」な老いが影をおとしていた。三島はその後ろ姿を永遠に残して、この世から去っていったのだった。

(『三島由紀夫 亡命伝説』/松本健一/河出書房新社/1987年11月25日/p.172)

✖ それは、彼が二十歳の時に、「大義」による死と共に叫びそこなった言葉だった。

 これはとりあえず✖としたがどう直せばよいか解らない。殆ど戦争礼賛の神話のような話になってしまっているからだ。

 二十歳の遺書には天皇陛下万歳と書かれているからなんと叫んで死んでも、それは形式的には天皇陛下元帥閣下のための死である。それが形式的なものであると知りつつこのように平野が書いているのは、三島ではなく、そうした死の形式に対する皮肉の意味も少しは込められているのかもしれない。そうでないとしたら、つまり三島に天皇陛下万歳と叫んで大義のために死にたいという願望があったという意味でこう書いているのなら、それは完全な勘違いである。

 三島は天皇に恋をしていたわけではない。もし恋をしていたら『憂国』で御真影の上で情交させることはなかっただろう。

△ それは、彼が二十歳の時に、「立派な遺書」にしたためた言葉だった。

 ……ほとんど中身がないが、この程度に直すしかない。

✖ それは奇妙なことに、一人の人間の存在の全体性が託された言葉であり、表向きの「大義」のみならず、彼が生涯、抑圧されつつ生きてきたエロティシズムをも同時に顕現させようとするものだった。

 この「それ」が「天皇陛下万歳!」であるとしたら、「であり」で列挙の構文となって併置される「一人の人間の存在の全体性が託された言葉」と「彼が生涯、抑圧されつつ生きてきたエロティシズムをも同時に顕現させようとするもの」の「言葉」と「もの」の座りがよろしくないので、単なる文章添削としてならば「もの」を「言葉」の言い換えとして「呪文」などに置き換えた方が良いだろう。

 さらに言えば「天皇陛下万歳!」は「一人の人間の存在の全体性が託された言葉」なのであろうか。論旨に摺り寄せて敢えて言い換えれば、「個々人の存在を天皇の赤子に括る言葉」「個々人の存在の全体性を放棄させる言葉」、いやむしろ特攻隊的に言えば「一人の人間の存在の全体性を無理にも託した言葉」なのであろうか。

 その後もいただけない。「彼が生涯、抑圧されつつ生きてきたエロティシズムをも同時に顕現させようとするもの」であればそれは「天皇陛下万歳!」ではなくて七生報国の生首の方であろう。そして抑圧されていないものにエロティシズムなどないので、

✖ それは奇妙なことに、歴史的には一人の人間の存在の全体性が無理にも託されてきた言葉であり、表向きの「大義」はさておき、彼が生涯抑圧してきたエロティシズムをも同時に顕現させようとする呪文だった。

 やはりだめだ。

 これ文章が下手な人の癖、一文二意による撚れが出来ている。ここは一文一意に改めた方がいい。大昔何度直しても一文二意にしてくる禿ゴリラみたいな上司がいたけど、賢く見せようとして馬鹿が出るのはこういうところだ。エロティシズムは「天皇陛下万歳!」の言葉では顕現しないので、ここは思い切って、

△ それは歴史的には一人の人間の存在の全体性が無理にも託されてきた言葉であった。その言葉の表向きの「大義」はさておき、その後に提示された生首は彼が生涯抑圧してきたエロティシズムを顕現させたものだった。

 三島由紀夫の生首と「天皇陛下万歳!」という言葉の不釣り合いをどうにかまとめるとこんな感じか。

 しかしこれでは「三島はなぜ、あのような死を選んだのか」という答えを作品の中から見つけ出したとは言えない。

 あなたの日本刀ごのみも、蟹の爪、蟹の手足、蟹のハサミ、その動かし方、歩き方に対する嫌悪の念を克服する過程の、一つのあらわれだったかも知れない。やくざの若親分に扮して映画に出演したさい、「自分の弱点(臆病)がヒョイと出てしまっていた」とくやしがっていた。だからこそ、あなたは軍人、武士、いさぎよき死者になるために、別の自己になるために、一種の快感をもって自己を鞭打ったのでしょう。聖なる若者(もちろん美少年でなければならぬ)が、裸体で縛られ、多数の矢を射ちこまれている画が、あなたは好きだった。身うごきならず、しかも、ほれぼれするような肉体をさらして、もだえくるしみ、しかも矢はできるだけむごたらしいやり方で、射ちこまれなければならなかった。自己嫌悪を克服して自己陶酔に転ずるためには、まず自分が自分をいじめ、いじめられ、いじめあい、いじめぬくこと。しかも次第に、いじめ薬の量をふやし、はては限量を越えるまで……。あらかじめ肛門に挿入しておいた卵を客の前で生み落として、コケコッコウと啼き声を発する白人を描いたとき、禁色の「禁(きん)」をこじあけるさいの精神の骨のきしみを感じ、身ぶるいしたにちがいない。あなたの同性愛にさえ、私は一種の、屈辱突破の努力。弱者から強者への一瞬の飛躍を感じとります。「禁色」の日本青年は、白人男に強奸される。強奸されるくらいなら、強奸した方が正しいと、おそらくは「葉隠(はがくれ)」はあなたを叱りつける。優雅を尊ぶあなたは、しかし普通の意味の強奸者にも殺人者にも、なれはしなかった。あなたの宣言と、あなたの決意にもかかわらず、あなたは一人の敵(男)をも殺すことなく死んでいきました。

(『三島由紀夫氏の死ののちに』武田泰淳/中央公論特別編集・三島由紀夫と戦後所収/中央公論編集部/2010年/p.237)

 

作品とは向き合っているか


 だからもう少し作品論を見て行こう。

 ではそれでも十分に作品論たりえてはいるだろうか。

 平野啓一郎は「42 空襲体験」において、『暁の寺』における四十七歳の本多の「輝かしいものになることなく終わるという利己的で憂鬱な確信の虜」という自覚を三島由紀夫自身に重ねてみる。もしこのまま行動を起こさずに終わるならばという執筆当時の不安が溶け合っているように見えるというのだ。

 これはもう113ページの話だ。「41 勲の転生」は夕焼けの話で終わっている。
 夕焼けの話は20ページから22ページにかけて展開される。間が抜けている。ここには、本多の著しい変節の具体が述べられている。

 本多は勲を救うために裁判官の職を投げ打ち、弁護士になった。それが最後の情熱だった。そして「あますところのない失敗を体験」する。本多は他人の救済ということを信じなくなる。彼は有能な弁護士となり、成功を収めた。本多はほんの些細な感動をも警戒して、そこにすぐさま欺瞞や誇張を嗅ぎつける習性に知らず知らず染まっていた。

 心のずつと深いところで、なにものかが崩れていた。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 しかし本多は快活になり、陽気になった。本多の「輝かしいものになることなく終わるという利己的で憂鬱な確信の虜」という自覚を三島由紀夫自身に重ねてみた平野啓一郎は、やはりこの何かが崩れ、快活になった本多を三島に重ねてみることはなかっただろうか。

 楯の会の隊員たちは、例えば森田必勝は、この何かが崩れ、快活になった本多、四十七歳の男のことを苦々しく思ったに違いない。そして「この期に及んで三島が何もしなければ、俺が三島を殺る」と漏らしたのではないか。もしも三島由紀夫の正体が本多なら、隊員たちは三島を先生とは呼ばないだろう。

 三島は敢えて本多の変節を書いてきた。まるで年を重ねるというのはこういうことなのだよと言わんばかりに。そしてやはり書かれていない部分で、飯沼勲の父、飯沼茂之も新河男爵のために腹を切ることもなかったのだろう。それはいちいち論うべき裏切りでさえないのだ。

 勿論三島は別に楯の会の隊員たちに読ませるために『暁の寺』を書いているわけではあるまい。しかし三島由紀夫とは何ぞやというものを示さんとして書いていたことは間違いなかろう。

 第二章で本多は仏教について考える。

 仏教は霊魂といふものを認めない。生物に霊魂といふ中心の実体がなければ、無生物にもそれがない。いや、万有のどこにも固有の実体がないことは、あたかも骨のない水母のやうである。
 しかし、ここに困ったことが起こるのは、死んで一切が無に帰するとすれば、悪業によつて悪趣に堕ち、善業によつて善趣に昇るのは、一体何者なのであるか? 我がいないとすれば、輪廻転生の主体はそもそも何なのであらうか?

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 本多、或いは三島由紀夫の仏教に関する認識に関して、平野啓一郎は「10 説一切有部の存在論」「11 唯識」「12 唯識における輪廻」「14 『暁の寺』の唯識論と三島の誤解」などにおいてあらかじめ説明して来た。ここで本多が抱えている疑問は、「12 唯識における輪廻」で説明されている。
 しかしそもそも三層八識がどうとか〈業種子〉がどうという問題ではなく、何故四十七歳の本多が今更「輪廻転生の主体はそもそも何なのであらうか?」などと言い出したこと自体が問題だったのではなかろうか。

  平野は「13 東洋と西洋、二つのアプローチ」の中で、

 三島は最後に、軽量部の「種子薫習」の考えに触れて、これを唯識の先蹤とし、一旦話を打ち切る。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 と書いていて、このおかしさを指摘しない。成功した弁護士が何故、「種子薫習」などと言い出したのだろうと不思議がらない。まずストーリーとしてはそう思わせるところである筈である。仮に死が迫っていれば話は別である。しかし本多には死の気配がまるでないのだ。「種子薫習」などと言い出す必然性が見えない。

 これを三島は「本多の持ち前の研究癖が頭をもたげ」と先に軽く説明してしまっている。しかしあまりにもさりげない言い訳なので「種子薫習」に驚いて、改めて確認して、そう書かれていたことに気がつく仕掛けである。おそらく平野啓一郎も三島由紀夫もそういう癖があり、調べるのが自然なことなので、不思議ともなんとも思わなかったのであろう。

 しかし研究癖に気がついてしまうと三島由紀夫が同じように天皇陛下について研究しなかったと考える不自然さというものに行き当る。これは平野啓一郎に関しても言えることである。


 この二人が同一人物とされる不自然さに、三島由紀夫も平野啓一郎も本当に辿り着いていないのだろうか。そんなものは天皇陛下について半日調べれば辿り着くことではないか。(※みんなはどうなの? こんなことは常識?)

 三島由紀夫は徹底して調べる男であるという事実を示すために、三島由紀夫は神風連に関する本をあらかじめ調べ挙げた挙句に熊本に取材で乗り込む。そして勲は宮城に尻を向ける。これは何を意味しているのか。

 三島は「本多の持ち前の研究癖が頭をもたげ」と断りながら寺を出してきてとつくにの宗教に熱中させようとする。平野啓一郎は天皇を金閣寺にしてしまう不自然さでこの『暁の寺』の不自然さをごまかしていまいか。

 要するに仏教に於いて天皇はどのように絶対者たりうるのであろうか?

 この問題が問われもしない欺瞞を三島は提示していないのである。しかし素朴な読み手は、研究癖はいいけどなんで仏教なの? と疑問を呈すべきではなかろうか。それを何を思ってかわざわざ仏教を勉強してきて、三島の仏教のここが間違い、と指摘することは果たして作品と向き合っていることになっているのだろうか。

 仏教で天皇を解く不自然さを、三島はこんなねじれた表現で言い換えている。

 しかし霊魂を信じた勲が一旦昇天して、それが又、善因善果にはちがひないが、人間に生れかはつて輪廻に入つたとすると、それは一体何事だらう。

(三島由紀夫『暁の寺』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 これは殆どカレーライスの麺をすするにはどうしたらいいだろうと言っているのと同じである。

 天照大神と直結した天皇が崩御され、オシリスに会い、アヒンサーが守られていないので、沈黙の塔に送り返されてガネーシャに生れかはつて輪廻に入つたとすると、それは一体何事だらう。

 こう言われているのと同じである。三島由紀夫の最期の行動が形式的には神風連に倣っていることは確かである。『暁の寺』はその後を引き受けて、勲の神を無理にも仏教にねじ込もうとしている。このねじれを見なくてはならない。
 本多は仏教から遠い勲の心を無理にも仏教に引き寄せようとする。この狙いはなんなのか。

 それはまだ誰も知らない。何故ならまだ書いていないからだ。

[余談]

 菱川という名前、五井物産が三井なら、三菱を意識したものかと思っていたけれど、磯部浅一のペンネーム、菱海との関連はどうであろうか?


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