「ふーん」の近代文学⑪ それにしたってさ
それにしてもこの「三四日等閑にしておいた咎が祟って」というところ、
この「三四日」に一体何が隠れているのかと『明暗』を改めてもう三回ほど読み直してみたけれど、驚くくらい二回目のなぞりがないね。この「三四日」に何が行われていたのかというところはどうも作品の進行する時間からすると過去になる。かなり意味深な書き方なのに、答えが見つからない。
今更非常線に引っかかる様な事でもなさそうだし、小林とのホモセクシャル疑惑はむしろ「ふり」→「賺し」なのではないかという感じがして、どうも答えが掴めない。
この件に関して、
・仕事の後、夜やること
・最低でも三日間続けてやること
……という前提であれこれ考えてみたが、どうも答えがない。
そこで、
・たまたま夜やったが昼間でも出来ること
・三日間同じことをしていたとは限らない
……という前提であれこれ考えてみたが、どうも答えがない。
そこで、
・何か明確な用事があったわけではなくただ三四日等閑にしておいた
・肛門がうずくような感じがして寝転んでしまい三四日等閑にしておいた
……とも考えてみた。
そしてそれでは「ふーん」と同じだと反省した。夏目漱石のことならなんでもござれという夏目漱石博士がいたらぜひ質問してみたいものだ。
流石にいないか。
それにしたってさ、研究者を自認して禄を食む以上はもう少し責任感を以て「夏目漱石のことならなんでもござれ」と言うところまで行ってから博士なんじゃないの?
本当は「ひろし」と違う?
この問題は今のところ「よく読むと解る」「よく考えると解る」というものではないことまでは解った。残る可能性は「よく調べると解る」という辺りだ。
これは死ぬまで「断片」なんかを読んでいくしかないかな。「ふーん」しないで近代文学と向き合うことは結構ハードなことだ。「ふーん」しないとは知ったかぶりをしないで知ろうとすることだ。
[余談]
日本人にもいるな。うん。いる。
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