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三島由紀夫の『美しい星』をどう読むか③ 少しは金を出したらどうだ

 第三章では大杉暁子が文通相手の金星人に会うために金沢に旅行に行くことになる。

「◎に関心をお持ちの方、お便り下さい。相携へて世界平和のために尽くしませう」

 こんな「宇宙友朋会」の通信に竹宮という男性が反応したのだ。この作品が書かれたのは昭和三十七年、1962年のことなので、三島由紀夫はまだ本当にそうしたことが流行るとは知らなかったわけだが、……。

 学研の『ムー』という雑誌の創刊が昭和五十四年、1979年、これはUFOや超能力を取り上げるオカルト雑誌で、三島由紀夫が生きていたら飛びつきそうなものであった。
 この雑誌の文通コーナーで「戦士症候群」なるものが巻き起こるのが1980年代、つまり『美しい星』は十八年も未来の現象を透視していたかのようなことになってしまっている。

 何故か目覚めてしまう人というのは、その時代にはありふれた存在だった。つまりこうしたものを知っている人たちからすれば大杉暁子と竹宮の関係は取り立てて特別なものではない。あるいは『美しい星』の設定そのものがさして奇抜ですらないことになる。

 勿論さらに時代が進んでSNSの世界になると、そこにはもっと露骨でまがまがしいものが現れるようになり、個人的精子提供者と連絡を取ろうとした夏目夏子の場合のように、変態精子野郎みたいな最悪の出会いしか生まれないのだが、

 その点流石に三島由紀夫の世界は上品なものである。金沢駅で待っていた竹宮は、美しい青年だった。顔に異母はない。そしてなんと三島は話を謡に持っていく。そこは三島の庭だ。竹宮は謡曲によって自分が金星人であることに気がついたのだという。

 面の裏側と彼自身の顔との間におけるこのやうな闇が識られると、彼には不思議な体験が起つた。つまり彼自身には見えぬ美しい深井の面の表側こそ彼の顔であり、その内側に広大な闇を隔ててゐる彼自身の本来の顔は、顔であることを失つて、彼の無意識の「存在」の形になり、まだ知らなかつた深い記憶の奥底から、それがこの闇の広野に直面してゐるのだと感じたのである。(中略)
 どこで竹宮が星を予感してゐたかといふと、この笛の音をきいた時からだつたと思はれる。細い笛の音は、宇宙の闇を伝はつてくる一条の光りのやうで、しかも竹宮には、その音がときどきかすれるさまが、星のあきらかな光りが曙の光りに薄れるやうに聴きなされた。それならその笛の音は、暁の明星の光りにちがひない。
 彼は少しづつ、彼の紛ふ方ない故郷の眺めに近づいてゐた。つひにそこに到達した。能面の目からのぞかれた世界は、燦然としてゐた。そこは金星の世界だつたのである。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 暁子がはっきりと思いだすことのできない金星の姿を、竹宮ははっきり見たのだという。二人はまるでデートのような観光をする。いやほとんどデートそのものだ。暁子はどうも竹宮に惹かれている。

 しかし三島は不穏なものを差し込む細工を忘れない。

「そこまでは栗ヶ先電車で行くの? それとも北鉄バスで行くの?」
 このとき、今朝からあれほどまでに繊細に働いてゐた二人の間の共感が、ふと絶たれたやうな感じがした。竹宮は決してあいまいな表情を見せたのではなかつたが、美しい眼を呑み残しの珈琲の苦い澱みの中へ落とした。
「さうね。やつぱりタクシーで行きませうか。むかうで一時間ぐらゐ待たせればいいんですもの」
 暁子はさう言つて、こんな言葉で、強引に二人の間の共感を取り戻した。むしろ非は暁子にあつた。金星人はほんの一瞬でも、かうした地上の卑賎な思惑を働かせるべきではなかつた。それが共感の絶たれた原因だつたのだ。——暁子は父から多額の小遣をもらつて来てゐた。黙つてタクシーに乗り、黙つて数時間のメートルを支払へばよかつたのだ。思へば今朝から、竹宮は一文も出してゐなかつた。それは至極自然に運び、暁子は自然に支払ふ側に廻つた。珈琲代も、タクシー代も、おそらく午食のビルも。……

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 
 こういう場合、大概竹宮はインチキ野郎である。自分が金星人だと思い込んでいる頭の悪い女を騙して、自分も金星人だと偽り、何かをせしめようとしている助平野郎だというふりだ。UFOが呼べると出鱈目を言い、人気のないところにおびき寄せて、何かしようという魂胆なのだ。

 と、思えば、なんと本当にUFOが現れてしまう。しかも三機も。

 ついに三島由紀夫は『美しい星』にUFOを登場させてしまう。これでこの話が、単なる思い込みのはげしい家族のドタバタ喜劇ではなくなってしまう代わりに、とても大切な何かが損なわれてしまったような気がする。

 それは「制約」と呼んでいいだろうか。

 つまりぎりぎりUFOを出さないというところで成立する現実が、制約のない現実に移行してしまった、ということである。こうなるとこれはSF小説の悲しいところで、ワープもタイムマシンも、何でも使えてしまうことになりかねない。あるいはそういうものに読者は一々驚かなくなるのだ。

 しかしまだ空飛ぶ円盤が登場しただけで、それはたまたまなのかもしれない。竹宮も暁子も金星人であると確定したわけではない。

 しかしさて、これで竹宮は俄然優位になった。なんなら暁子はすぐにでも落ちそうだ。

 では落ちるのか?

 それはまだ誰も知らない。

 何故ならまだ第三章までしか読んでいないからだ。




[余談]

 深井の面というのは中年女性の面だ。ということはもしや、竹宮は心が女?

 しかし中年というところが引っかかる。

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