顔は変わっていなかった 芥川龍之介の『西郷隆盛』どう読むか②
芥川龍之介の『西郷隆盛』に関してはこれまでに軽く触れ、西郷隆盛が今も生きていてこの汽車に乗っている、という皮肉だけを指摘して来た。
ところで本当に西郷隆盛はなかなか死ななかった。
こうして西郷隆盛生存説は繰り返され、
なかなか死んだことにならなかった。
実際その生死は真面目に論じられてきたようだ。
これはもう源義経伝説のようなもので、判官びいきの国民性の中で創られた英雄像の共同幻想と言って良いかもしれない。
昨日、新田義宗の死についても諸説あり、定説よりも三十七年長生きした説が塚となって実在してしまっていることを確認した。
そういう意味で、確かに西郷隆盛などの英雄にはなかなか死なない性質というものがあることはまず否めないのだ。
とはいえ、芥川龍之介の『西郷隆盛』は大正六年の作。西郷隆盛は1828年の生まれで、1877年の没。大正六年は1917年。……あれ、あれ、あれ、新田義宗伝説に鑑みると、決して絶対にありえない話ではないように思えなくもない。
話が八年前の出来事なら、西郷は八十一歳、生存説が三十一年だけ続いたことになり、新田義宗の伝説より六年も短い。
こう吹っ掛けられた本間さんは史料をあげて死亡説を唱えた。しかし老紳士は史料は当てにならない、生きている西郷さんを見せようと本間さんを連れて行く。
私はつい昨日までこの光景をわざと無理に拵えたそもそもあり得ないものだと決めつけていた。しかし実際新田義宗の具足に触れ、「応永」の句を詠んだ漱石にしてみれば、松山で見つけた新田義貞の塚は、たしかにこれまで見知っていた話とは大きく異なり、意外であり、少しは狐に化かされるような感じはありながら、「絶対にありえない」とまでは言い切れない、自分の目で見た確かな現実であったわけである。ならばこの西郷隆盛の場面も、「絶対にありえない」とまでは言い切れない、自分の目で見た確かな現実であった可能性がなくはないのではなかろうか。
つまり不思議さの度合いがカレーの辛さで言えば五ではなく四なのだ。やや辛いという感じで、辛すぎるわけではないのだ。
とはいえ芥川も本気で城山死亡説を否定したいわけでは無かろう。
この結びは案外、『糸女覚え書』、
あるいは『鼠小僧治郎吉』などの作品の基本姿勢にそのまま当てはまるように思える。
そして本間さんの見たものがタイムスリップに思えなくもない西郷南洲の顔、「子供の時から見慣れている西郷隆盛の顔」であり、「少し老けてやつれたような」とは書かれていないことを確認してみると、『戯作三昧』の細工がミスに見えなくなる。
勿論、『寒山拾得』は意図的な細工である。
この「子供の時から見慣れている西郷隆盛の顔」で辛さ四の不可能が不思議にねじれていることの味わいが昨日まで見えていなかった。今見えた。
みんなはどう?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?