芥川龍之介の『一夕話』をどう読むか② この日だけの話で終わる筈もない
大正十一年、まだ関東大震災が起こる前、そしてまだ自殺の意思がなかった当時、既に芥川が「我々は皆同じように、実生活の木馬に乗せられている」と書き、その実生活をメリイ・ゴオ・ラウンドに例えたことが私には興味深い。メリイ・ゴオ・ラウンドはデッドヒートもしないし、アキレスと亀にもならない。何の進歩もない生活だからこそメリイ・ゴオ・ラウンドなのだろう。
この時奥さんのお腹は大きかったはずだ。十一月に長男が生まれる。変化のない生活ではない。それを敢てメリイ・ゴオ・ラウンドに例え、なお実生活の木馬を飛び下りた小えんを尊びたいという和田を笑っているようにも思えない。
それにしてもこの『一夕話』は訳の分からない話だ。
いや、油断がならないのは芥川だ。
弁護士・藤井
銀行の支店長・飯沼
大学教授・野口
電気会社の技術長・木村
ドクタア和田長平
そして「わたし」の六人が円卓を囲んでいる。この和田がこの場にいたことは途中まで解らないように書かれている。
和田は自分が話題となり揶揄われているのにずっと黙っていたのだ。初見では「あ、和田はこの場にいたのか」と驚く仕掛けだ。ドクタアは、
医者のドクタアであることが後で確定する。この和田が冒頭にある通り「和田さえ芸者を知っている」と言われる程度に遊んでいたかと言えば、そうした気配はまるでない。その和田が最後に「君たちはそう思わないか?」
と、声のない一座を見まわした時、藤井は寝ていた。では銀行の支店長・飯沼、大学教授・野口、電気会社の技術長・木村、そして「わたし」はどうしていたのかが書かれない。「惚れたかね?」と木村が冷やかした後は全て和田の演説である。
この書かれていないところで藤井以外の、「わたし」を含めた四人は、和田の力説するところに反論できないでいたとみるべきであろう。あるいはこの話を選び取った「わたし」は、つい四五日前、一しょに芝居を見ていた若槻峯太郎という実業家にして風流人が、三年も芸者に芸を仕込んだ挙句、蓄膿症まで直してやった途端、ふられてしまったことを知ることになった。
つまり若槻峯太郎という実業家にして風流人は……『葱』の田中君より狭量ではないにしても、臭かったのではなかろうか。
いやそういうことではなくて、お腹の大きな奥さんを家に待たせて、それなりに地位を得た友人らと会食した「わたし」は実生活の木馬を飛び下りたい方に気持ちに傾いていたのではなかろうか。
本当に後半はまぜっかえすものがいないのだ。あるいは「わたし」は勝手に銀行の支店長・飯沼、大学教授・野口、電気会社の技術長・木村を道連れにして、油断がならないこの頃という時期を中年者に見出してはいないだろうか。
こういう藤井は芸者遊びを知っている。そんな大人の藤井が、浅草で和田とメリイ・ゴオ・ラウンドに乗る。これは尋常なことではない。少なくとも大演説以前にドクタア和田長平は実生活の木馬から飛び降りたがっている。その馬鹿馬鹿しさを再確認するためにメリイ・ゴオ・ラウンドに乗ったのだと考えても良いだろう。
そしてそこで終わるわけもないだろう。大人がわざわざメリイ・ゴオ・ラウンドに乗るとは余程のことだ。危険な兆候だ。恐らくその先があるだろう。曲馬か空中サーカスか。中年男が普段しないような新しいことを始めたら剣呑だ。これはこの日だけの話で終わる筈もないものを芥川龍之介は『一夕話』と書いてみる。
この塩梅、皮肉が芥川龍之介の肝である。
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