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芥川龍之介の『一夕話』をどう読むか②  この日だけの話で終わる筈もない

 大正十一年、まだ関東大震災が起こる前、そしてまだ自殺の意思がなかった当時、既に芥川が「我々は皆同じように、実生活の木馬に乗せられている」と書き、その実生活をメリイ・ゴオ・ラウンドに例えたことが私には興味深い。メリイ・ゴオ・ラウンドはデッドヒートもしないし、アキレスと亀にもならない。何の進歩もない生活だからこそメリイ・ゴオ・ラウンドなのだろう。

 この時奥さんのお腹は大きかったはずだ。十一月に長男が生まれる。変化のない生活ではない。それを敢てメリイ・ゴオ・ラウンドに例え、なお実生活の木馬を飛び下りた小えんを尊びたいという和田を笑っているようにも思えない。
 それにしてもこの『一夕話』は訳の分からない話だ。

「何しろこの頃ごろは油断がならない。和田さえ芸者を知っているんだから。」
 藤井と云う弁護士は、老酒の盃を干してから、大仰に一同の顔を見まわした。円卓のまわりを囲んでいるのは同じ学校の寄宿舎にいた、我々六人の中年者である。場所は日比谷の陶陶亭の二階、時は六月のある雨の夜、――勿論藤井のこういったのは、もうそろそろ我々の顔にも、酔色の見え出した時分である。

(芥川龍之介『一夕話』)

 いや、油断がならないのは芥川だ。

弁護士・藤井
銀行の支店長・飯沼
大学教授・野口
電気会社の技術長・木村
ドクタア和田長平

 そして「わたし」の六人が円卓を囲んでいる。この和田がこの場にいたことは途中まで解らないように書かれている。

「嘘をつけ。」
 和田もとうとう沈黙を破った。彼はさっきから苦笑をしては、老酒ばかりひっかけていたのである。

(芥川龍之介『一夕話』)

 和田は自分が話題となり揶揄われているのにずっと黙っていたのだ。初見では「あ、和田はこの場にいたのか」と驚く仕掛けだ。ドクタアは、

「莫迦をいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症か何かの手術だったが、――」

(芥川龍之介『一夕話』)

 医者のドクタアであることが後で確定する。この和田が冒頭にある通り「和田さえ芸者を知っている」と言われる程度に遊んでいたかと言えば、そうした気配はまるでない。その和田が最後に「君たちはそう思わないか?」
と、声のない一座を見まわした時、藤井は寝ていた。では銀行の支店長・飯沼、大学教授・野口、電気会社の技術長・木村、そして「わたし」はどうしていたのかが書かれない。「惚れたかね?」と木村が冷やかした後は全て和田の演説である。

 この書かれていないところで藤井以外の、「わたし」を含めた四人は、和田の力説するところに反論できないでいたとみるべきであろう。あるいはこの話を選び取った「わたし」は、つい四五日前、一しょに芝居を見ていた若槻峯太郎という実業家にして風流人が、三年も芸者に芸を仕込んだ挙句、蓄膿症まで直してやった途端、ふられてしまったことを知ることになった。

 つまり若槻峯太郎という実業家にして風流人は……『葱』の田中君より狭量ではないにしても、臭かったのではなかろうか。

 いやそういうことではなくて、お腹の大きな奥さんを家に待たせて、それなりに地位を得た友人らと会食した「わたし」は実生活の木馬を飛び下りたい方に気持ちに傾いていたのではなかろうか。
 本当に後半はまぜっかえすものがいないのだ。あるいは「わたし」は勝手に銀行の支店長・飯沼、大学教授・野口、電気会社の技術長・木村を道連れにして、油断がならないこの頃という時期を中年者に見出してはいないだろうか。

「君はこの頃河岸を変えたのかい?」
 突然横槍を入れたのは、飯沼という銀行の支店長だった。
「河岸を変えた? なぜ?」
「君がつれて行った時なんだろう、和田がその芸者に遇ったというのは?」
「早まっちゃいけない。誰が和田なんぞをつれて行くもんか。――」
 藤井は昂然と眉を挙げた。

(芥川龍之介『一夕話』)

 こういう藤井は芸者遊びを知っている。そんな大人の藤井が、浅草で和田とメリイ・ゴオ・ラウンドに乗る。これは尋常なことではない。少なくとも大演説以前にドクタア和田長平は実生活の木馬から飛び降りたがっている。その馬鹿馬鹿しさを再確認するためにメリイ・ゴオ・ラウンドに乗ったのだと考えても良いだろう。

 そしてそこで終わるわけもないだろう。大人がわざわざメリイ・ゴオ・ラウンドに乗るとは余程のことだ。危険な兆候だ。恐らくその先があるだろう。曲馬か空中サーカスか。中年男が普段しないような新しいことを始めたら剣呑だ。これはこの日だけの話で終わる筈もないものを芥川龍之介は『一夕話』と書いてみる。

 この塩梅、皮肉が芥川龍之介の肝である。






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