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三島由紀夫の『仮面の告白』におけるちょっと古めかしい表現と怪しい表現に関するメモ①→正解はない。いや、あるちゃある。

第一章

かるい憎しみの色さした目つき 

こけおどかしの鉄の門

あの匂いが私の鼻孔を搏ち

ジャンヌ・ダルクが身に着けた白銀の鎧には、何か美しい紋章があった。彼は美しい顔を顔当から覗かせ、

かすれ傷

死の恐怖は人一倍つよかった

第二章

甘やかな秘密をしらせ顔の不逞な玩具に私のほうから屈服し・そのなるがままの姿を無為に眺めている他はなかった。

※この独特の・の使用は本作において多用されている。

それが描かれて匆々破りすてることは、の玩具のそれへの愛着から、どうにもには出来かねたのであった。

その白い比いない裸体は

右の脇腹に篦深く射された矢が

三十歳あまりの短生涯

羔の牧人      

中学校二年生の冬が深まさった

寮生活にも私たちは馴れていた。ただ寮生活だけは私には未知だった。

大事取りの両親が

笑窪を浮かべて

骨格こそ秀でたれ

ひ弱な生まれつきのためかして

言いうべくんば

※第三章にも

こうして次第に私は人の顔を真正面から見ることができるにいたった

私は自分も大きくなれば白鳥になれるものだと思い込んでいる家鴨の子よのようであった。

第三章

耳立たない質実な言い方

とまれかくまれ

かえるさに

いおうようのない愛嬌

※もう一回

「あのピアノ巧いのかい? ときどきつっかかるようだけど」

│願事《ねぎごと》

愛の教義のコペルニスク

たったかたたぬに

血沈がはからされた。

何にまれ「死」でないもののほうへと

この│声低《こえひく》の女性的なお喋り

※もう一度

│湿《しと》った冷たい手

灯ともし頃、私たちの汽車は、省線電車に乗り換える駅に着いた。

いわん方なく

何にまれ

とまれ

第四章


例によっての悪習に際して

クウデタ

カアテン

ダンサア

アァチ

コカコラ


『仮面の告白』における三島由紀夫の語彙について


 しばらく夏目漱石作品を中心に読んできたこともあり、『仮面の告白』は本当に久しぶりに読んだ感じがする。実は村上春樹作品を含め、もっと新しい時代の小説も読んできたのだが、それでも三島由紀夫作品はどこか古めかしい。三島由紀夫作品が近代以前というよりもっと古いところ、たとえば平安以前の日本語の世界に深く根ざしていて、ところどころ「芥川より古めかしいな」と感じるような言葉遣いが見られることに驚いた。

 たとえば「かるい憎しみの色さした目つき」は濁ることが多く、濁らない使用例はちょっと調べてみると1935年以降見当たらない。無論青空文庫にはない。「こけおどかし」は金史良、小泉信三、小熊秀雄、正宗白鳥らも使っている。「かすれ傷」は平林初之輔、室生犀星も使っている。「比いない」は『天理教綱要 立教第94年昭和6年版』に見られるほか、使用例が見つからない。「短生涯」はやはり使用例が見つからない。

 第三章に特徴的にみられる「とまれかくまれ」「いわん方なく」のような省略型の音韻変化はおそらく三島由紀夫の中ではむしろ砕けた表現に属するのではないかとも疑われる。「いおうようのない愛嬌」のように三島の言い回しの中で独特の粘りができた表現と言ってよいだろう。それは「│声低《こえひく》」や「│湿《しと》った」も同じではなかろうか。

 流石に「コペルニスク」は粘りというか、単なる間違いだろうが、死人の間違いは直せないものなのだろうか。「家鴨の子よのようであった。」も随分気になる。自分だったら単なる間違いはさらっと直して欲しいけど。


『仮面の告白』を読み返して思うこと:中身の話


 作家が告白なんかする訳がない、これが私の持論である。いくらしたくたってできない。告白ができるなら作家ではない。大杉栄の『自叙伝』だってどうも小説である。話を拵えている。話を拵えまいと踏ん張ると森鴎外の史伝ものみたいになるしかない。しかし遠い記憶の中からよみがえった『仮面の告白』はまるで本当の告白のようでさえある。それは私が三島由紀夫の私生活について随分余計な情報を得てしまった所為でもあり、話者「私」が童貞のまま物語が閉じられるからでもある。

 この小説は何もかもさらけ出すどころか、もっと恥ずかしいものを隠匿している、といった私の遠い記憶は、やはりどこかピントが外れていたのかも知れない。政治的にはノンポリ、サバイバーズギルトも見えない。粗野で無学な逞しい男に抱かれたい、しかし女性に恋をしているという観念を自らに押し付けて、戦争を言い訳にのらくら逃れようとする。しかし戦後と共にインポテンツという現実と向き合わなくてはならない。既に人妻となった園子と会い続けることで、「私」は時間稼ぎをしている。

 昭和三十三年三月、杉山瑤子との縁談がまとまる前、三島は周囲の何人かに「女とシタ」と漏らしている。『仮面の告白』は1949年(昭和24年)7月5日発売の書下ろしであることから、そこには事実そのまままではないにせよ、少なくとも「女性経験のない三島由紀夫」の投影があったと言ってよいだろう。しかし『回想 回転扉の三島由紀夫』(堂本正樹、文藝春秋、2005年)によれば『仮面の告白』が書かれた当時、三島由紀夫は既に「ブランズウィック」というゲイバーの上玉客だった。三島はこの時点で自分が同性愛者であることを恐れてはおらず、針は既にそちらに振れていたように思える。

 しかし小説『仮面の告白』では主人公の苦悩をうまく告白できている。人妻に童貞を疑われる恐怖、そんなものはもう三島の中にはなかったはずだ。園子との別れ際物欲しそうに半裸の青年を見ようとした「私」が仄めかすものを三島は『仮面の告白』ではまだ書かなかった。「あ、やったな」と思わせる仕掛けである。つまり三島はその先を『禁色』で書くために残したのであろう。今はやすやすと事を運ばぬ方がいい、肥担ぎのふりが落ちなくてもいい。三島はそんな風に考えたのだろう。

 それにしても戦闘機の空中戦では敵味方どちらが墜落しても歓声の湧く見物であり、終戦が結婚を強いられかねない恐るべき日常生活の始まりであるという見立ては、結果として単なる同性への情欲を描くことよりも痛切な戦争批判になっている。ここでまだ明らかでないものが、やがて明らかになることを知っていて、その上で読んでも面白いのは、三島由紀夫がやはり徹底的に何かを隠し続けていたからだ。

 それは小さなおちんちんではなく、ほにゃららほにゃららである。

 私のものを書く手が触れると同時に、所与の現実はたちまち瓦解し、変容するのだった。ものを書く私の手は、決してありのままの現実を掌握することができなかった。ありのままの現実は、どこか欠けているように思われ、欠けているままのその「存在の完全さ」は、私に対する侮辱であるように思われた。ものを書きはじめると同時に、私に鋭く痛みのように感じられたのは、言葉と現実との齟齬だったのである。
 そこで私は現実の方を修正することにした。(中略)しかしこの出発点における確信は、後年、手痛い復讐を私自身の人生に加えることになるのである。(「電燈のイデア」三島由紀夫、新潮日本文学付録より)

 書くという営みのいかがわしさをつゆほども疑わない者を私は物書きとは認めない。電車は平面ではなく、砂利という曖昧なものの上を走る。ポテトサラダにはきゅうりと人参が入っている。冷蔵庫はたまに燃える。













【余談】「チンチン チャイナメンガ ウェルウェルロー」

「チンチン チャイナメンガ ウェルウェルロー」で始まる函館商業高校応援歌「チャイナメ節」の歌詞にある「チャイナメン」の由来または元歌を探している。『函商百年史』(函館商業高等学校 1989)p.204には、大正3年の春、遠藤留吉が「チャイナメン」とアイヌの鶴の舞の「ネマナー」を提案し、検討の結果「チンチン チャイナメンガ」採用されたとあり、p.205には、旧職員の大橋庄二先生の一文に、チャイナメンの歌が小学校の低学年当時東京で流行して大いに歌ったとあり、北清事変(1900年)後のことと記述があった。 また、p.206には小樽商業より転校してきた遠藤留吉がクラス会で「チンチン チャイナメン」を歌って聞かせてくれたのがきっかけとある。 似たような歌詞として日本コロンビアのCD『恋し懐かしはやり唄』に収録されている「ジンジロゲとチャイナマイ」の「チャイナマイ」の歌がある。「チャイナマイ」については「支那の踊りという意味か」という解説しかなく、由来がはっきりせず、外国曲となっている。(国立国会図書館(National Diet Library))回答下記の資料およびデータベースを調査しましたが、『チャイナメ節』の「チャイナメン」の語源がわかる資料は、見当たりませんでした。 なお、ご照会の歌詞との関連は不明ですが、資料1及びデータベース3に、ご照会の歌詞の文言の一部と発音が似ているフレーズを含んだ歌詞が掲載されています。この曲の由来等は、資料2に記述がありますので、あわせて参考までにお知らせします。 (【 】内は当館請求記号。データベースは2013年3月7日最終確認) 資 料1 The geisha, a story of a tea house [music] : a Japanese musical play in two acts / libretto by Owen Hall ; lyrics by Harry Greenbank ; music by Sidney Jones. Hopwood & Crew, c1896.【YM311-A18】 *『The Geisha』の劇中曲の楽譜と歌詞が掲載されており、No.24. SONG (WUN-HI & Chorus.) CHIN CHIN CHINAMAN. (pp.149-154.)は、歌詞の冒頭が、 Chinaman no money makee Allo lifee long ! / Washee washee once me takee Washee washee wrong ! となっています。 資料2 国際日本学入門 : トランスナショナルへの12章 横浜国立大学留学生センター 編. 成文社, 2009.3.【GB61-J39】 *「チン・チン・チャイナマン」の歌と近代日本 / 橋本順光 著.(pp.56-73.) データベース3 Internet Archive The geisha; a story of a tea house : a Japanese musical play in two acts (1896) (http://archive.org/details/geishastoryoftea00jone) *Internet Archive (http://archive.org/)の検索窓から、「The geisha a story of a tea house」で検索すると、全文が閲覧できます。内容は資料1と同一です。 その他の主な調査済みの資料 ・水島銕也 平井泰太郎 著. 日本経済新聞社, 1959.【289.1-M733Hm】 * 「実業界の経験」(pp.65-71.)のp.69.に、「アメリカ人の悪童たちから、「チンチンチャイナマン、ウェル、ウェル、ロング」などとからかわれた話が残っておる。この歌はふしぎに後まで日本にも伝わっておるが、われわれの学生時代にも応援歌などの戯れ言に使っておったこともあるので、いまでもよく記憶しておる。」とあります。 ・南方熊楠日記. 2 (1897~1904) 長谷川興蔵 校訂. 八坂書房, 1987.11.【GK83-84】 *一九〇〇年三月三十一日[土]の項(p.148.) ・夏目漱石全集. 10 (小品・評論・初期の文章). 筑摩書房, 1988.7. ちくま文庫【KH426-57】 *「自転車日記」(pp.681-695.) ・夏目金之助ロンドンに狂せり 末延芳晴 著. 青土社, 2004.4.【KG578-H41】 * 第十四章「黄色くきたない日本人」(pp.353-378.)の中の「チンチン・チャイナマン」(pp.368-370.)に、ミュージカル・コメディ『ザ・ゲイシャ』とその中で歌われる「チンチン・チャイナマン(Chin-Chin Chinaman)」に関する記述があります。 ・岩波講座日本の音楽・アジアの音楽. 第2巻 (成立と展開) 蒲生郷昭 [ほか]編. 岩波書店, 1988.6.【KD211-E1】 *民衆歌謡 / 倉田義弘 著.(pp.139-160.)中の「四 外国人の間で(西洋のメロディー)」のpp.157-159.に、オペラ『ゲイシャ The Geisha』に関する記述があります。 ・八十年史. 北海道函館商業高等学校定時制課程函商同窓会定時制部会, 1985.7.【FB22-1790】 *チャイナメ節の由来(pp.187-188.) ・函館商業学校沿革史 : 創立四十年記念. 北海道庁立函館商業学校, 昭和4.【特230-911】 ・函商校歌・応援歌集 函館商業高等学校校舎落成記念平成13年10月13日 : 創立90周年記念レコード復刻版. 北海道函館商業高等学校校舎落成記念事業協賛会, [2001]【YMC-183-27-9】 *チャイナメ節 ・大正ロマンのうた 2 (演歌) 長田暁二 監修・解説. 日本コロムビア, 2012.7.【YMC11-J46806】 *(26)ジンジロゲとチャイナマイ(秋山楓谷、静代) ・うしのよだれ : 自然滑稽 坪井正五郎 著. 三教書院, 明42.11.【72-367】 *チンチンチヤイナマン(p.48.) ・学生歌とその時代 : 寮歌・校歌・応援歌の物語 東忠尚 著. 新風舎, 2006.5.【KD319-H73】 ・日本の唱歌. 下 (学生歌・軍歌・宗教歌篇) 金田一春彦, 安西愛子 編. 講談社, 1982.5. 講談社文庫【KD319-41】 ・音楽五十年史 -- 新版. 堀内敬三 著. 鱒書房, 1948.【762.1-H679o】 ・日本近代歌謡史 西沢爽 著. 桜楓社, 1990.11.【KG361-E4】 ・続日本歌謡集成. 巻5(近代編). 東京堂出版部, 1962.【911.608-Z34】 *第九 校歌・寮歌選(pp.28-30.) ・日本歌謡圏史 志田延義 著. 至文堂, 1968.【911.6-Si275n2-(s)】 *ヂンヂロゲ踊の歌考後日(続編, pp.444-446.) ・音楽五十年 -- 改訂版. 園部三郎 著. 時事通信社, 1956.【762.1-So647o-(t)】 ・日本流行歌史. 上 -- 新版. 古茂田信男 [ほか]編. 社会思想社, 1994.9.【KD841-E1204】 ・昭和流行歌総覧. 戦前・戦中編 福田俊二, 加藤正義 編. 柘植書房, 1994.4.【KD841-E1178】 ・軍歌と戦時歌謡大全集 八巻明彦, 福田俊二 共編. 新興楽譜出版社, 1972.【KH14-6】 ・替歌研究 有馬敲 著. 京都文学研究所, 2000.11.【KG361-G10】 ・日本オペラ史 : ~1952 増井敬二 著 ; 昭和音楽大学オペラ研究所 編. 水曜社, 2003.12.【KD338-H42】 ・日本国語大辞典. 第8巻(せりかーちゆうは.) -- 第2版. 日本国語大辞典第二版編集委員会, 小学館国語辞典編集部 編. 小学館, 2001.8.【KF3-G103】 ・角川外来語辞典 -- 第2版. あらかわそおべえ 著. 角川書店, 1980.11.【KF7-46】 ・日本語になった外国語辞典 -- 第3版. 飯田隆昭, 山本慧一 共編. 集英社, 1994.3.【KF7-E63】 ・国立国会図書館デジタル化資料 (http://dl.ndl.go.jp/search/detail) ・国立音楽大学附属図書館 童謡・唱歌索引 (http://www.lib.kunitachi.ac.jp/collection/shoka/shoka.htm) ・Japan Knowledge+ (当館契約データベース) ・毎索(毎日新聞社のデータベース) (当館契約データベース) ・ヨミダス歴史館 (当館契約データベース) ・聞蔵IIビジュアル (当館契約データベース)事前調査事項:『明治大正昭和流行歌集』(春秋社 1931年)『SPレコード昭和流行歌集』(昭和館 2003年)『流行歌明治大正史』(刀水書房 1933年)『流行歌20世紀』(全音楽譜出版社 2001)『明治流行歌史』(春秋社 1929年)『今昔流行唄物語』(東光書院 1934年)『日本歌謡史 明治・大正・昭和歌謡集』(弥生書房 1961年)対象利用者一般

 いや、リサーチ・ナビ便利

あとこれ、





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