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『眠れる美女』は三島由紀夫が書いたのか?

 川端康成の『眠れる美女』は三島由紀夫の作だという説がある。明らかに筆跡が違うというのだ。

 その説を検証しようと『眠れる美女』を読んでみたが、内容だけ、文体だけ、語彙だけ、句読点の癖などでは、正直なところ結局よくわからない。

 勿論『みづうみ』とも『雪国』とも『伊豆の踊子』とも『古都』とも違う。『禽獣』とも違う。川端作品の中では異色であり、少なくとも新境地であるとは感じられる。では明確に三島由紀夫っぽさが感じ取れるかと言えば、そこまでは言い切れないのだ。川端らしくはないものの、この言い回しは絶対に三島のものだというような箇所は見つからない。三島っぽいかなというところがないではないが、完全にこれは三島のものだという表現は見つからない。

 そもそも論ではあるが、これだけの面白い小説を他人に譲るということはちょっと考えられない。ノーベル賞受賞前に川端康成を変態作家に貶めようという魂胆でもなかろう。それに『みづうみ』だけでもう十分に変態だ。さらに連載ものであるから受け渡しが面倒だ。それから改訂稿がある。直されていれば他人の癖は抜ける。

 やはりこの謎を解くためには、初稿を筆跡鑑定にかけるしかないのではないかと思う。

 神戸連続児童殺傷事件の際にも、犯人の声明文がもっと早く公表されていれば、案外犯人は幼いのではないか、というプロファイリングが出来ていたのではないかという批判があったが、まあ、その通り、川端康成の原稿と三島由紀夫の原稿を較べれは、すぐに答えは出るだろう…とも言えまいか。

 そういえば酒鬼薔薇くんが新聞社に送ったとされる犯行声明は酒鬼薔薇くんのものではないということが明らからしい。しかし元少年Aはその誰が書いたものなのか解からない犯行声明を否定すらしない。

 こういう代作が疑われる書き物の場合、権利を譲られた側が拒否しなければ、著作権は譲られた側のものになる。三島由紀夫から傑作が譲られたら川端康成も受け取るのはない話ではないが、誰が書いたのかもわからない連続殺人犯の犯行声明を受けとる元少年Aは訳が分からない。





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