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蒲の穂の蓮華にまどふあしたかな 芥川龍之介の俳句をどう読むか41

蒲の穂はなびきそめつつ蓮の花

 北原白秋にはたくさん蓮が出てくる。

 芥川は三四郎池でピンクの蓮の花を見ていた筈だが、『蜘蛛の糸』では白い蓮を描く。白秋の影響はなかろうか。ないな。芥川は赤や白や金色の、さまざまな蓮を書いている。

  この句は、

 その上又珍らしいことは小町園の庭の池に菖蒲も蓮と咲き競つてゐる。

  葉を枯れて蓮(はちす)と咲ける花あやめ  一游亭

(芥川龍之介『大正十二年九月一日の大震に際して』)

 ……が元だろうか。


明治句集 夏の巻


明治句集 夏の巻

 おお、漱石。

明治句集 夏の巻


明治句集 夏の巻

蒲の穂はなびきそめつつ蓮の花

 この句は「蒲の穂」と「蓮の花」の取り合わせ、そして「なびきそめつつ」と恰も「蒲の穂」が雄蕊を「蓮の花」の雌蕊にこすりつけようとするかのような異種交配の生々しい仮想、芥川龍之介の性欲の仮託に肝があろう。明治の句は、そうした取り合わせはしない。蓮なら蓮、蒲の穂なら蒲の穂を詠む。二つとも夏の季語なので、「季重なり」となるからだ。

 ただし、

態々季重なりにして、「夏衣」といふ必要があるのであらうか疑しい。


俳諧漫話 河東碧梧桐 著新声社 1903年

季重なりといひ、かゝることは言はでもと思ふに、また他に其所以あるにか、今考へず。


蕪村句集講義 冬之部 内藤鳴雪 等著ほととぎす発行所[ほか] 1911年

 こうした否定派の意見も、

故に斯樣な塲合には、重複するか、否かを見て季重りを使用す可きか否かを定む可きだ。


初学自修俳句案内 寒川鼠骨 編大学館 1905年

 何が何でも駄目だというわけではなく、

しつとりと露を置いた鬱金畑に風が吹いたといふだけで一つの完全な景色になつて居るのだから、何とかして冗語を除いて季重なりにせぬ方がよいのである。

俳句評釋 坂本四方太 述早稲田大學出版部

東洋城 夫はよく解つてゐる、解つてゐるからこそ所謂「季重なり」を避けたいといふのです。蜆籠で春意充分なる所更に又若草と春意を加へるのがいけないといふのである。


漱石俳句研究 寺田寅彦 等著岩波書店 1925年

 あくまでも中身次第ということである。

 この句も共に水草を詠んで喧しいような気がしないではないが、この二つの取り合わせがある意味宿命的なものであることは確かだ。(この記事を最後まで読めば解かる。)

 この句も下島医師が見逃しているのは不思議である。

そ・める【染める】
〔他下一〕[文]そ・む(下二)
①色のある液に浸したり、紅べにや絵具などをつけたりして、色や模様をつける。いろどる。万葉集20「色深く夫せなが衣は―・めましをみ坂たばらばまさやかに見む」。「爪を赤く―・める」「血潮で赤く―・める」
②ある色に変える。宇津保物語梅花笠「花をのみ村濃に―・むる春雨は常磐の松やつらく見るらむ」。「夕日が空を真赤に―・める」「恥かしさに頬を―・める」
③深く心をよせる。思い込む。心をそめる。古今和歌集恋「色もなき心を人に―・めしよりうつろはむとはおもほえなくに」
④(「筆を―・める」の形で)筆に墨などを含ませる。また、執筆にとりかかる。平家物語6「冥官筆を―・めて一々にこれを書く」
⑤(「手を―・める」などの形で)ある物事に取りかかる。その事に関係する。「悪事に手を―・める」

広辞苑

なび・く【靡く】
[一]〔自五〕①風・水などに押されて横に伏す。万葉集2「妹が門見む―・けこの山」。万葉集12「浪の共むた―・く珠藻の」。源氏物語明石「藻塩焼くけぶりは同じ方に―・かむ」。「旗が風に―・く」
②他人の威力・意志などに従う。魅力にひかれて、心を移す。万葉集11「さ寝ぬがには誰とも寝めど沖つ藻の―・きし君が言待つ我を」。源氏物語帚木「上は下に助けられ、下は上に―・きて」。「強い方に―・く」
[二]〔他下二〕
①風・水などの勢いに従って横に伏すようにする。なびかせる。万葉集9「響矢なりやもち鹿か取り―・けし坂の上にそある」
②従わせる。服従させる。太平記6「和泉・河内の両国を―・けて」。好色一代女3「それよりしのびしのびに旦那を―・けて」

広辞苑



 日露戦争に戦場で負傷して、衛生隊に収容されないで一晩倒れてゐたものは満洲犬にちんぼこから食はれたさうだ。その次に腹を食はれる。これは話を聞いただけでもやり切れない。

(芥川龍之介『拊掌談』)

あかんぼ

昨日うまれたあかんぼを、
その眼を、指を、ちんぼこを、
眞夏眞晝の醜さに
憎さも憎く睨む時。
何なにかうしろに來る音に
はつと恐れてわななきぬ。
『そのあかんぼを食べたし。』と
黒い女猫がそつと寄る。

(北原白秋『思ひ出 抒情小曲集』)

 青空文庫で濁っているのはこの二人と川端茅舍くらいなものである。影響は……。ないな。


言泉 : 日本大辞典 第2巻

蒲の穂はなびきそめつつ蓮の花

 この句は午前中に詠まれたものであろう。蓮の花は明治の句にある通り早朝に咲き、お昼には閉じてしまう。我鬼は午前中からむらむらしていたのだ。まるで満員の通勤電車でむらむらしているサラリーマンのように。

 それなら早く伊香保あたりに静養にでも行った方がいい。

 あくまでも静養に。

蒲の穂ははちすの花のあさもよひ

蒲の穂をもよほしがほの池見草

朝影に蒲の穂なぶる蓮華かな

水草のともに濡るるは蕊の先

みず‐くさ【水草】(みづ‥)
1 水と草。すいそう。
2 水中または水辺に生える草。みくさ。すいそう。
3 植物「がま(蒲)」の異名。
4 植物「はす(蓮)」の異名。

日本国語大辞典

【余談】

 僕ですら、もし家庭というものに安眠しうる自分を予想することが出来るなら、どんなに幸福であろうか。芥川龍之介が「河童」か何かの中に、隣りの奥さんのカツレツが清潔に見える、と言っているのは、僕も甚だ同感なのである。
 然し、人性の孤独ということに就て考えるとき、女房のカツレツがどんなに清潔でも、魂の孤独は癒されぬ。世に孤独ほど憎むべき悪魔はないけれども、かくの如く絶対にして、かくの如く厳たる存在も亦すくない。僕は全身全霊をかけて孤独を呪う。全身全霊をかけるが故に、又、孤独ほど僕を救い、僕を慰めてくれるものもないのである。この孤独は、あに独身者のみならんや。魂のあるところ、常に共にあるものは、ただ、孤独のみ。

(坂口安吾『青春論』)

「さういふ貴女の聡明な言ひ方が僕には困るんですよ。人情の機微を知りつくした媒妁人のやうに仰有おつしやられては困るのです。僕が秋子さんを愛してゐるといふことは一応ほんとかも知れません。その一応の真実から世間並みの結婚と幸福が算出されるかも知れません。然しさういふ常識が愛に解決を与へる筈はありません。もと/\僕は世間並みの幸福には徹底的に魅力を感じてゐないのです。これは強がりではありません。僕は断言できるのです。僕はワイフのカツレツが特に清潔だとすら思はないのです。一応の聡明さで、ワイフのカツレツが清潔だといふ中途半端な誤魔化し方をしただけでも芥川龍之介の錯乱を認めることができないのです。秋子さんの愛に就いて僕には全く自信がありません。余計なことかも知れませんが、あの人のほかに、僕には現に二人の情婦があるのです」

(坂口安吾『狼園』)

 芥川の『河童』には「隣りの奥さんのカツレツが清潔に見える」という話も出て来なければ「カツレツ」の文字もない。「カツレツ」の文字は『歯車』にあるがただのメニューである。『河童』には「我々人間に比べれば、河童は実に清潔なものです」という文言がある。「志賀直哉氏はこの人生を清潔に生きてゐる作家である」という文言が『文芸的な、余りに文芸的な』に出てくる。「同じ水墨を以てしても、日本の南画は支那の南画ではない。のみならず僕等は往来の露店に言葉通り豚カツを消化してゐる」という文言もある。この辺りのことがごっちゃになっているのかもしれないが、いずれにせよこのネタはガセである。

100円の記事も買わない現実。

それで何に辿り着けるのやら。

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